考えたこと2

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パラグアイ
ワールドカップでベスト8をかけた戦いで、日本の相手となったパラグアイ。

ぼくがパラグアイについて知っているのは、首都がアスニションという事だけだ。
南米にあるのはわかるが、どこにあるのかは知らない。
なぜ首都だけ知っているかというと、腹具合(パラグアイ)が悪いから明日にしよう(アスニション)、という語呂合わせがあったから。
そういう人は多いのではないか。(今はアスンシオンというらしい)

wikipediaのパラグアイをみると、日本との関係という項目があって、下記のような記載があった。

1937年に日系人が初めて入植して以来、日系パラグアイ人の貢献が高く評価されて伝統的に友好関係が続き、日本は非常に高い評価を受けている。日本人・日系人約7000人が住んでおり、2007年には移住70周年記念祭典が催された。1959年に締結された移住協定は1989年に効力無期限延長改定され、8万5000人の日本人移住者が受け入れ可能となっている。

そんな歴史があったのか。
サッカーの解説もそういうところまで話してほしい。

南米の国は、だいたいスペインやポルトガルから人が来ているが、パラグアイも同じ。
1537年にスペイン人が来ている。
そこから、パラグアイの歴史が始まる。
もちろん、それまでも歴史はあったのだろうが、 wikipediaではわからない。
今でも75%の国民が、スペイン語が話せるのだから、スペインの影響は大きいだろう。

大豆の生産量が世界3位ということらしい。
えらいものだ。

90%以上が水力発電。
これはエコでやっているのではないだろう。

フレックス燃料の車を政府が推進しているらしい。
フレックス燃料車というのは、ガソリンだけでなく、メタノールやエタノールなどの燃料でも走れる車。
日本ではほとんどみることはないが、南米では多い。
センサーで燃料を関知し、どんな燃料をどれくらいの分量で配合しているか、わかるようになっている。
もちろん、アメリカが多いのだが、ブラジルでも作られているらしい。

ブラジルではサトウキビからバイオエタノールが作られるらしく、それでフレックス燃料車が多い。
たいしたものだ。
ハイテクで先を行っている。
日本のメーカーは出遅れているのかもしれない。
もともと、日本では需要がないからなあ。
政府も力を入れていないし、スタンドもないし。
新しい産業として、バイオエタノールを生み出す植物の開発とか、プラントの開発などやってみればどうか。

というわけで、パラグアイという国が身近になった。

ベスト4を目指して頑張ってほしい。



| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワークライフバランス
最近聞くようになった言葉に、ワークライフバランスというのがある。

これは仕事と人生の調和みたいな概念。
仕事をしすぎると、人生のバランスが崩れるよ、という事らしい。

いい仕事をするためには、適度な休みが必要、ということもある。
それはそうだ。
適度な休みに読書をしたり、運動をしたり、子どもや家族と遊んだり、趣味の時間を持ったり、友人と遊んだり、飲んでうさ晴らししたり、カラオケで歌ったり、プールで泳いだり、買い物に行ったり、いろんな事をしないと、仕事をする元気が出ない。
つまり、ワークとライフのバランスをとる、ということだ。

しかし、ぼくの回りで、このワークライフバランスを推進している人がよいワークライフバランスを取っているかというと、そうでもない。
だいたい、ワークライフバランスが崩れている人が多い。
どちらかというと、ワークが勝っているのだ。
仕事が中心で回っている。
そういうものだと思う。
ワークライフバランスというものを推し進めよう、というような考えを持つ人は、ワークライフアンバランスの人だろう。
本当にワークライフバランスを実現している人は、そんなものを推し進める必要がない。
それを標語のようにして、唱えているのは、それが崩れているからだ。

でも、その人たちがワークワークバランスになって、不幸せかというと、それはそうでもない。
仕事をして、充実しているように見える。
楽しく仕事ができれば、それでいいのだ。

もともと、バランスという言葉は、釣り合いという意味。
全ての人が同じような点で釣り合うとは限らない。
人それぞれ、釣り合う点は違う。

だから、その自由度を持たせて考えることが必要だ。
その部分が、ワークライフバランスという言葉に欠けていると思う。

しかし、一方で、ワークシェアという考え方もある。
こちらは、雇用を守るために、一人が働く量を減らして、みんなで仕事をしよう、という概念。
これは、休まないと仕方がない。
人を一人でも多く雇用するためには、働きすぎてはいけないのだ。

仕事をするのも、難しくなった。

ぼくらは、かろうじて今の労働の価値観の中で一生を終われそうな気がするが、ぼくらの子どもの世代はそうはいかないだろう。

最近の新聞に、海外支社は外国人の社長とか、それを通り越して海外の人材を日本で雇うとか、ユニクロが社内公用語を英語にするとか、そんな記事が出ている。
このまま法人税が高止まりなら、日本の企業自体が出て行き、日本ブランチになってしまうだろう。
そうなったら、日本の雇用はどうなるのか。
日本の財政はどうなるのか。

そんな課題を引き継いで、次期政権は発足する。

選挙しか選ぶ手立てがないのだから、一票は有効に使いましょう。



| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
比例区
参議院選挙が近づき、我が家にも選挙委員会から封書が来た。

ぼちぼち、どこに入れるかを決めないといけない。
日曜日の新聞に比例区の政党別の写真とデーターが出ていた。

ヒマだったので、リストを見て、消去法で見てみることにした。
まず、60歳以上はバツだ。
これは、一般企業の定年が60歳だから、当然のことだ。

次に、何でこの人が…、と思うタレント議員もバツ。
これは特に民主党に多い。落語家、柔道家、元女優…。
何を考えているのか、わからない。

そして、出身母体を見て、どうもなあ、と思う人もバツ。

そうすると、民主党が45人中34人がバツ。
自民党が35人中22人がバツ。
意外なことに、みんなの党が23人中6人バツという値。
たちあがれ日本が10人中5人、国民新党が7人中3人、日本創新党6人中1人、新党改革が5人中0人。
公明党、共産党、女性党、社民党は除外させてもらった。
まあ、知らないだけで、もっとワケのわからない人はいるのだろう。

しかし、みんなの党がこの値から比例区はマシだ。
党首の渡辺はあまり好きではないが、勢力になり得る数だし、キャスティングボードを持つ役目はあり得る。

管総理の経済成長が介護や医療の分野というのがなあ…。

その分野は雇用を増やすが、お金を儲けることはできないと思うのだが…。


| | 考えたこと | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
クロスワード パズル
うちの新聞は日曜版にクロスワードパズルがある。
これをやるのが、日曜日の朝の日課になって1年ちょっと。

脳梗塞をやって、どうも機能回復していないと思い、それでやり始めたのがきっかけだ。
脳の能力は無限大、という事や、死ぬまでに脳全体の機能のうち三分の一?しか使っていないという事は聞いていた。
だから、訓練すれば、脳はバイパスを作って機能を補うことができる。

壊れてしまったところとは別の場所が働くのだ。

何事も訓練。
最初は数独をやり始めた。新聞だけでなく、本を買った。
自分でもびっくりするほど、遅い。
レベル1から始めて、今はレベル6まで来た。
これだけできないと、最初からできなかったのだ、と思う。
でも、もう少し頭が回っていたはず…という気もする。

その少し後にクロスワードパズルをやり始めた。
これはもともと得意だった。
横のカギと縦のカギ。
横の単語を埋めて、縦の単語を埋める。
その繰り返しで、縦横のマス目を埋めていく。
この作業が好きだ。
学生時代に凝ってやったことがあるが、その時以来。
こちらは調子がいい。

ぼくがやったのは左の脳なので、言語野があるのだが、書く方はどうも影響ないらしい。

それが確認したかったのだが、それ以来日曜の朝の日課になった。

好きなものは、すぐにバイパスができるのかもしれない。



| | 考えたこと | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベスト16
毎日ワールドカップで寝不足になる。

さすがに、ぼくは見なかったが、夜中の3時半に起きてデンマーク戦を見たという人も多かった。
日本が勝って、喜んだ人も多いだろう。

ベスト16を見てみる。
欧州勢がドイツ、イングランド、オランダ、スロバキア、スペイン、ポルトガルの6国。
北米・南米がウルグアイ、アルゼンチン、メキシコ、アメリカ、パラグアイ、ブラジル、チリの7国。
残りが、アフリカのガーナ、アジアの日本と韓国の3国。

イタリアとフランスは1回戦で負けてしまった。
まさかの敗退、という感じか。

wikipediaによると、ワールドカップは1930年に第1回の大会が開かれ、その時の勝者がウルグアイ。
その後イタリア、西ドイツ、ブラジル、イングランド、アルゼンチン、フランスが優勝したことのある国。
驚いたことに、というか、当然というか、3位まで入れても、欧州と南米のチームしか出てこない。

北米大陸のメキシコも出てこないのだ。

今年のワールドカップのアメリカや日本、韓国というのは、完全に新参者の扱いだろう。
どちらかというと、「弱い国」というカテゴリー。

カメルーンがアフリカ旋風を起こしたが、今回は弱かった。

だいたい、個人技の南米、組織力の欧州という特徴。
アジアの日本や韓国も、どちらかというと欧州型。

最近女子サッカーを見に行くようになって、サッカーのシステムというのがわかってきた。
ディフェンスのライン、ミッドフィルダーやフォワードのラインをどうするか、ということ。
攻撃的か、守備的かという考え方。
攻めの時のディフェンダーの動き。
スペースを作らせないための守備。
こういうところは、監督の腕の見せ所だろう。

サッカーというのは、どうやって空きスペースを作り、そこに走り込むか、という戦略のぶつかりあいというスポーツ。
そういう意味では組織力がものをいう。

しかし、組織力で守っても、個人技で切り崩されると抜かれる。
そうすると、そこに余分な勢力を割かないといけない。
1対2で守ったりする。そこで攻守のバランスが崩れる。
人数の差が出てくるのだ。
そんなふうになっていると思う。

ただただ、走り回って、ゴールを狙うスポーツではない。
最近、それがわかった。

まだまだ熱い戦いは続く。

アジア勢はどこまで残るか、楽しみだ。



| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
突然の曲
今日クルマで走っていると、予想外の曲がかかった。
もうCDを100枚以上入れているから、どこに何の曲があるかわからない。

以前ここにも書いた、「遠くからみちびいて」という曲だ。

今日の帰り道、しばらく聞いてなかったがアルバムが変わって1曲目。
思わず聞き入ってしまう。

5年ほど前、どうしても聞きたくなった。
そして、レコードを探したが見つからず、CDを探して中古で買った。

その時は何度も聞いたが、また数年間忘れている。

ここで2回書いているが、1回目は2005年で、2回目は2008年。
3年あいている。
今回は2010年。2年あいた。

そんな年ごとに思い出している。

今日偶然かかったあの曲。

今度はいつ出会うのだろうか。




| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
信頼関係
「信頼する」という言葉は難しい。

何を、どこまで信じるか、という判断基準がわからないからだ。

誰かを信頼する、という場合、何を根拠に信頼するのか?と聞いてもあまりはかばかしい答えが返ってくることはない。
「あいつだから」というような答えが一般的ではないか。

また、ずらずらと理由を並べられても、本当か?という気になる。
だから、信頼する、というのは難しい。
きわめて直感的な言葉なのだ。

初対面の人を信頼するなどということは、まずないだろう。

やっぱり、ある程度のつきあいがあって、それで出てくる言葉が信頼だ。
だからこそ、信頼は重い言葉なのだろう。

誰かを信頼するということは、時間と親密度の関数になる。
非常に濃い関係ならば短期間でもよいし、薄い関係でも長期間にわたるなら、信頼という言葉が出る可能性がある。

その逆が「信頼できない」、という場合。
当たり前だが、信頼できない、ということも、時間と親密度の関数になる。
誰かを信頼できないという状況は、過去に裏切ったり、期待していた行動をとらなかったりする場合だろう。

だから、信頼を取り戻すには時間がかかる。
信頼を取り戻す場合、よほどのことがないと、濃い関係を短期間ということはないから、長期間、薄い関係というのが必要。
そうやって、少しずつ回復していかなければならないのだろう。

信という字はヘンが人がでツクリが言になっている。
人の言葉は大事だということかもしれない。

そういえば、それまでの信頼関係が一言でつぶれてしまう、という事もある。

そんなことを考えると、信頼関係は難しい。




| | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
タイムマシン
SFの初期の作品に、H.G.ウエルズのタイムマシンという本がある。

今でこそ時間旅行という概念は普通に語られるが、これを思いついたときは画期的だっただろう。
そんな概念は、それまでの人間にはなかったと思う。
未来や過去に自由自在にいける、という空想。
1895年に発表された。

それから115年。
ほとんどのぼくらの世代は、タイムマシンという言葉を知っていると思う。
SF小説やSFマンガ、SF映画などでよく出てきたからだ。

ほとんどの人が知っているから、あまり説明がなくても、タイムマシンという空想はわかる。

ドラえもんでも出てきた。
若い人はドラえもんの道具として、タイムマシンを知っているかもしれない。
いずれにしても、たぶん1900年くらいにはSF好きな人しか知らなかったことが、今や日本ではほとんどの人が知っている。

それほど、タイムマシンという乗り物はわかりやすく、みんなに愛されてきたのだろう。

一時は「時間旅行もの」「タイムパトロールもの」などというジャンルもあったほどだ。

タイムパトロールというのは、未来で犯罪を犯した人間が、タイムマシンでいろんな時代に行って、悪いことをするのをくい止める仕事。
これも、空想としてはわかりやすい。
アニメのスーパージェッターがタイムパトロールだった。

それほど空想としてはわかりやすいタイムマシンだが、実用化は難しい。
難しい、というより、不可能ではないかと思える。

第一、タイムマシンがいつの日かできていたら、それに乗って今の時代に来ている人がいるのではないか。

そして、タイムマシンで来た人が歴史を変えてしまうとしたら、その瞬間にそれ以降の事は変わるのだろうか。
バック・トゥ・ザ・フユーチャーなどはその立場をとっている。

しかし、中には誰かが歴史を変えたとしたら、その数だけ世界が存在するという理屈もある。
パラレル・ワールドという理屈だ。
もしも、日本が第二次大戦で勝っていたら…、という空想。
誰かが未来から来て、歴史を変えるようなことをしたら、その時点で今の歴史とは枝分かれして、別の未来に進んでいく。
そういう考え方もある。

そんな理屈が出てくるほど、タイムマシンというのは愛されているのだ。

確かに、時間軸を行ったり来たりできたら、面白いだろう。

恐竜が闊歩している世界に行ったみたいという人や、歴史上の偉人に会ってみたいという人、それこそいろんな空想ができる。
未来では、30世紀に行ってみたい、という人もいるだろう。
その時に、地球があるかどうか、あるいは人類が生き残っているかどうか、それはわからない。

30世紀に地球はあっても、何十億年後には間違いなく地球はなくなっている。
太陽が膨張して、飲み込まれてしまうのだ。

そう思えば、タイムマシンなど、人間の戯言になってしまう。

あと何年、人類が生き延びるか知らないが、タイムマシンを作れるほど進歩できないのは確かだろう。
もし、そうなっていれば、きっと何かが起こっているはずだから。


| | 考えたこと | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
阪急神戸線
阪急神戸線に久しぶりに乗った。
隔週でギターのレッスンに行く時に乗ってはいるのだが、あれは一駅だけなので今ひとつ感じがでない。
やっぱり阪急神戸線というと、三宮まで行かないといけない。

阪急沿いにはたくさんの学校がある。
関学、神戸女学院、甲南、神大、松蔭、夙川、海星、甲南女子…。
だから、何となくハイカラな感じがある。

ぼくらが中学の頃は、たくさんの大学生がギターを持って通っていた。

その頃は電車に乗ることはめったになかったが、高校に入ってからは行き帰りが阪急だった。
会社に勤めてから一時阪神に乗っていたが、また阪急に戻って、25年のうち15年ほどは乗った勘定になる。

今はクルマで通っているが、電車と言えば阪急だ。

西宮と尼崎の境目である、武庫川の景色。
夙川から芦屋川の線路沿いの道路風景。
岡本から御影の住吉側の土手のと鉄橋。
六甲から西灘(今は王子公園前)の山手の景色。
そして、三宮の手前の今はなき富士山の電光時計。

特に、高校時代の岡本以西の風景は忘れられない。

あの頃、ちょうど通学定期を買って、自動券売機がメジャーになり始めた頃だったか。

まだ自動改札は普及してなかったと思う。

昔は駅員さんに目的の駅を言って、切符を買い、改札で穴を開けてもらって乗っていた。
そんなことを経験した人は、世代的には40代後半くらいかな。

信じられないかもしれないが、そんな時代があった。

話がそれたが、一度ちゃんと調べてみよう。

ということで、電車は阪急だ。


| | 考えたこと | 01:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子出版
ぼちぼち、電子出版が身近なものになってきた。

アマゾンがキンドルという端末を出し、アップルがiPadという端末を出している。

iPadは電子書籍専用端末ではないが、カラーでiPhone用のアプリケーションが使えるらしい。
もちろん、本を読むための電子端末にもなる。

音楽と同じように、本もデーターになろうとしている。

そのデーターをインターネットの仕組みからダウンロードする。
それが電子書籍の仕組みだ。

もちろん、それだけではない。コピーができないようになっているとか、印税を集める仕組みが備わっているとか、いろいろあるが、使う側から見るとダウンロードして読める、というもの。

特に雑誌などはカラーなら電子化しやすい。電子配信して、毎月勝手に来るとか、月々の購読料はカードで落ちるとか、そういう使い方ができる。
宣伝などは動画も使えるから、新しい使い方もできる。
出版、広告の既存メディアは今から戦々恐々だろう。

個人での出版も簡単にできるようになる。

つまり、音楽で起きたことが出版でも起きる。
プロレベルの事がアマチュアでもできるようになる。
デジカメと画像処理、グラフィックのソフトがあれば、たいがいのことはできる。
今まではそれが印刷の領域だけだったが、出版もそういう事になるだろう。
物理的な印刷が必要ないから、画面上でできれば、もう完成だ。
大量の紙、印刷機、製本機など、不要になる。

もちろん、紙の本も残るだろう。
電子書籍を見て、やっぱり紙の本がほしくなる、ということもある。

でも、紙の本は電子書籍が売れてから出す、というような形態になるかもしれない。

印税は高くなると思う。
出版社の優位が崩れていくからだ。

これからの20年くらいでどうなるか。
まだ生きているかもしれない。

楽しみだ。



| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
サイファイ
こないだ字幕のテレビを見ていたら、SFという文字があった。
言葉では、サイファイと言っていたので、エスエフが和製英語だとわかった。

エスエフはサイエンス・フィクションの略語で、てっきり海外でもそうかと思っていた。
でも、本当はSci-fiと略し、サイファイと発音するのが正解。
初めて知った。

SF小説は空想科学小説と訳すのが一般的だが、定義は難しいらしい。
科学小説やファンタジー、後にはいろんな小説が書かれた。
日本ではSF作家が書けば、SF小説になった感がある。
光瀬龍の時代劇は、完全な時代劇だったと思う。
でも、SFの棚に置いてあった。

ジュール・ヴェルヌの海底二万里は、映画も見たし、本も読んだ。
あれがSF小説の創世記と呼ばれるらしい。
アシモフのロボット3原則というのもあった。

SFという言葉を知ったのは、マンガだった。
鉄腕アトムや鉄人28号、スーパージェッターなどのマンガはSFマンガだった。

日本のエスエフ作家というと、星新一、小松左京、平井和正、光瀬龍、眉村卓、筒井康隆、豊田有恒などを思い出す。
ぼくが知っている作家たち。
70年代は日本のSF小説の黄金期だったと思う。

今はSFといっても、空想科学小説という感じではない。
SFというジャンル自体が消えてしまった感じだ。
科学が進み、これから先科学が進歩しても、あまりいいことがないぞ、という感覚が出てきた。
そして、進歩が無条件にいい、とも思えなくなってきた。
そんな気持ちがSFを廃れさせたのかもしれない。

でも、映画の中ではまだ使われているようだ。

SFではなく、サイファイか。

これからは、Sci-fiと言おう。


| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
ドイツ
今日はドイツ対セルビアの試合をやっている。

ドイツという名前を聞くと、親近感があって、ついつい応援してしまう。
前半に一人退場して、10人しかいないのが敗因。
惜しいが、負けだ。

ドイツがなぜ親近感があるかというと、ぼくが知っているドイツ人がみんないいヤツだからだ。

心の底に、同盟国という意識があるのだろう。
日本とドイツとイタリア、第二次大戦の時だ。
別に口に出すわけではないが、何となくわかる。

アメリカに対しては、矛盾した気持ちがある。

原爆を落とした国、でも民主化してくれた国。
岸田秀が分析しているように、親米と反米が同居している。

しかし、ドイツに関しては仲間の意識がある。

ドイツ製品もイメージがいい。

日本とドイツは敗戦後大きく成長した。
そこにも仲間意識がある。

亡くなった親父もドイツびいきだった。
ロンメル将軍やUボートの話は好きだったと思う。

一度、神戸に来たドイツ人が、自分は神戸は二回目だ、と言った。
なぜか?と聞いたら、戦争中に図面を持って来たとのこと。
Uボートに乗って来たらしい。

そんなことが仲間意識を持たせる。
そんなばかな、という人もいるだろう。
でも、少なくともぼくは、そんなふうに思う。

ぼくらの世代がそう思うかどうかは別だが…。

でも、ドイツは好きだ。

| | 考えたこと | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ左右反対になっているか
脳の左半分がやられたら、身体は右側が動かない。右半分なら左側だ。

これは、神経が延髄で交差しており、そこで左右が入れ替わっているからだ、という。
まあ、それは本当なのだが、その理由がわからない。

当然、顔面の神経は右側なら右の脳、左側なら左の脳だ。
延髄より上だから、変わらないのだ。

この理由はきっとフェイルセーフのためだ…、というのは説得力がある。

しかし、脳の左側が損傷を負った時、身体の左側も損傷を負う可能性が高い。
延髄で神経が交差していると、身体は右側が動かない。
だから、そういう考え方ではない。

結局、理由はわかっていないらしい。
こんなことがわからないのか…、と思う。

哺乳類、鳥類、両生類、爬虫類は各々どうなっているのか。
進化論的にわからないのか?
どこから、交差しているのだろう。

ものには理由がある、というのが間違いなのかもしれない。

科学信仰のしすぎかもしれないなあ。

それにしても、なぜだろう。
理由が何かあると思うのだが…。

延髄で神経が交差している…、というそれだけの事だが、理由がわからない。
説得力がある理由は、なんだろう。



| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
You tube
最近次男がコンピューターを使うのは、You tubeを見るため、という事が多くなってきた。

友だちが来ても、パソコンの前で笑っているから、何をしているのだろう、と見てみるとYou tubeを見ている。
たくさんのジャンル、たくさんの動画がある。

この頃はギターの練習用の動画もある。

親切な誰かが、何かの曲を弾いているところを撮って、アップしてくれているのだ。

昔はこんな事は考えられなかったが、今では普通のことになっている。

今や、どこかの誰かのパフォーマンスが、世界中の人に開かれている。
見る方に自由があり、役に立たなければ見ない。
しかし、世界へのドアはすごく近い。

最近は路上ライブからプロになる道もできたが、もう少し前はコンテストで名を売るとか、デモテープを送りまくって、レコード会社のプロデューサーに見出されるくらいしか、マスコミに出る方法はなかった。

でも、You tubeでは、動画をアップするだけだ。
今やデジタルビデオで撮って、それをファイルにして、投稿したらそれで終わり。
そんな時代になった。

そのうち、You tubeで火がついて、そのままテレビに出る、という時代が来るだろう…。
しかし、それもあまり意味はない。
なぜなら、You tubeがテレビよりも影響力が強まるからだ。

どんどん通信回線がよくなって、大量のデーターを扱えるようになり、You tubeの画像がハイビジョン並になったら、パソコンのディスプレイがテレビになる。
どれを見るかは検索して決める。

もちろん、大量の資金が必要な映画などは残るだろうが、それもCGで可能になる日が来る。
今ならまだプロでないとできないことが、もう少ししたらアマチュアでも可能になるだろう。

そうなったら、インターネットは世界を変えた、という事になるのだろう。

しかし、もうすでにインターネットは世界を変えている。
そんなことを、ぼくでも想像できるという時点で、もう変わっているのだ。

21世紀はそういう100年になるだろう。

残念ながら、ぼくらはもう死んでいるだろうが…。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
コーラスライン
職場の同僚と、劇団四季のコーラスラインを見に行ってきた。

こういう非日常の世界に入るのはいい。
というより、時々は入らないといけない。

もともと、ミュージカルというのはあまり好きではなかったのだが、さすが劇団四季だ。
生で見たらやっぱりスゴイ。
もちろん、ブロードウェイ(見たことはないが)はもっとスゴイのだろうが、それでも日本一だろう。

このコーラスラインというミュージカル、名前は知っていたが、見たことはなかった。
今日初めてストーリーを知って、なかなか面白い芝居だと思う。

答えがない。
人それぞれ、考えがあり、何がベストかはわからない。
結局、自分を信じ、自分のしたことをベストだと思うしかないのだろう。

困難はあるが、自分がどうしてもやりたい道を行く。
年をとって、動けなくなったらどうしようとか、ケガをして再起不能になったらどうしようとか、結婚して子どもができてお金が要る時はどうしようとか、いろいろと考える事はあるだろう。
それでも、やろうというのなら、それは良し。
それだから、やめようというのなら、それもまた良し。
要は自分の考えなのだ。

そういうことを考えさせられた。

時々はこういう時間を過ごさないといけないなあ。


| | 考えたこと | 01:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
負けないことと勝つこと
ワールドカップのスロベニアとアルジェリアのゲームを見た。

どちらも苦労して予選を勝ち抜いてきたらしい。
さすがに両チームとも、選手はヨーロッパのリーグでプレーしている選手ばかり。
アルジェリアは、地中海をはさんでフランスと関係が深い。

両チームとも、まずは「負けない」ということが初戦の狙い。
こういう試合では、最初に負けてしまうと苦しいからだ。
失点も多くなると、あとで効いてくる。
だから、守りに力を入れている。

でも、どこかで勝ちにいかないといけない。
「負けない」だけでは勝てないからだ。

勝つためには少しリスクを取らなければいけない。

あまりサッカーのことはわからないが、前線に選手を残し、攻撃をする態勢を作らないといけない。
バックスが攻撃に参加し、前線に選手を集める。
その代わり、守備が薄くなる。
攻撃を厚くすると、攻められるリスクが上がる。
その逆だと、点が入りにくい。
だから、ワンチャンスをものにしないといけない。

負けないことと、勝つことはリスクをどれだけとれるか、という違いだと思う。

監督がどれだけリスクをとれるか。
選手一人ひとりがどれだけリスクをとれるか。

一人で三人分くらい働ける個人技のある選手がいれば、リスクを減らして攻撃が可能だが、いくら個人技といってもそこまではムリだろう。

そうなると、フォーメーションや作戦が大事になる。

どうやって勝つか。

これは難しい。




| | 考えたこと | 21:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワールドカップ
ワールドカップが始まった。
優勝候補はブラジルとスペインらしい。

さすがに、ワールドカップのサッカーは見応えがある。

南アフリカでの開催だ。高地での戦いなので、気圧の関係でボールの動きが違うらしい。
さすがに、ワールドカップクラスの選手だと、そのへんがわかるのだろう。
日本もスイスでの練習をして乗り込んでいる。

世界ではサッカー人口が多い。
日本でさかんな野球は、世界ではあまり流行っていない。
道具が要るからだ。
グローブとバット、本格的にやろうと思うと捕手のレガースなど。
お金がかかるのだ。GNPが高くないとできない。

サッカーはボール一つあればできる。
だから人口が多くなる。

ワールドカップで強いところは、ヨーロッパと南米だろう。
イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなど。
最近はアフリカ勢も強くなった。
カメルーンが活躍したのも記憶に新しい。

ブラジル代表が以前、オリンピックで日本に負けた時、国中の識者がテレビで会議をして、話しあっていたのが印象的だ。
それほど、「日本に負けた」というのが屈辱だということだろう。

その日本が今回1勝できるかどうか、難しいところ。

カメルーン、オランダ、デンマークが対戦相手。
サッカーは詳しくないが、難しそうな気がする。

ふだんはサッカーは全く見ないのだが、ワールドカップは別。

日本はともかくとして、しばし楽しむとしよう。


| | 考えたこと | 21:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
7mm方眼紙
7mm方眼紙には馴染みがある。

前に勤めていた会社では、薄手の7mm方眼紙が標準だった。
技術系の標準だ。営業部門や管理部門は使っていなかったと思う。
コクヨの7mm方眼紙。

今の人はなぜ薄手なのか、わからないだろう。
というか、薄手、厚手の区別がわからないかもしれない。

ぼくらの20代の頃は、薄手か厚手かというのは大きな意味があった。
報告書は原則として薄手用紙を使う。
なぜか?何部も配布するからだ。
たくさんコピーをとるものは、原紙が薄手でないといけない。

当時、まだ青焼きコピーだった、というのがその理由。
青焼きというのは、原紙の下に感光紙を重ねて、それでコピー機に通す機械。
いろんなタイプがあった。
一番最後の機種は、たしか現像液が不要になったような気がする。
普及型の機械は、一枚ずつ原紙と感光紙を重ねて、機械に通すというタイプだった。
現像液が機械の横にセットできるようになっていた。
感光した結果、青い色になるので青焼きコピーと呼んでいた。

なぜ、そんな不便なものが流行ったのか。
今のコピー機が高かったからだ。
当時、ゼロックスしかカーボンコピー機を作っていなかった。
特許があって、今のように日本のメーカーが作ることはできなかったからだ。

その特許が切れて、カーボンコピーが一般的になり、原紙は薄手でなくてもよくなったが、それでも薄手用紙を使っていたような気がする。

それと同時にワープロが一般的になってきて、コピー機はプリンタになった。

そして、薄手用紙はなくなった。
コストが高いからだろう。

いつしか全ての紙は、普通紙を経て、再生紙になった。

それが時代の流れだ。

小さなところでその流れが起こっている。





| | 考えたこと | 09:52 | comments(2) | trackbacks(0) |
アトムの時代
今朝のドラマは、東京オリンピックの1年前。

1963年になる。
子どもが「空をこえて ラララ 星の彼方」という歌を歌っている。
ナレーションでこの年に始まったアニメーションの鉄腕アトムが人気を博した…と言っていた。

そんな昔だった。
昭和でいうと38年。

数年前に、当時のアトムがテレビで再放映された。
たしか、アトムが生まれた年で、2003年あたりだったと思う。
アニメの開始が1963年だから、40年後に生まれたという時代設定。

今のアニメから比べると、白黒でまったく感じが違う。
動きもギクシャクしているし、音も迫力がない。
当時は、これを毎週楽しみにして見ていた。
子どもに、これはすごかったと言っても、まったくわからない。

でも、あの頃はよかったんだろう。
アトムには夢があった。
素晴らしい未来、科学技術への信仰。
単に勧善懲悪のマンガではない。
アトムも時には悩み、悪者も時には悩む。
正義はどちら側にもある。
見方が変われば、正しさは変わる。

正義はそんなものだ。

最終回、アトムが太陽に飛び込んでいく場面。
地球を救うために、自分を犠牲にする。

あんな最終回は、それ以降見たことがない。

アトムの時代…、それは崇高なものがあった時代。

いつ無くなったのだろう?


| | 考えたこと | 01:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
自己責任
自己責任という言葉はいつ頃からメジャーになったのだろうか。

誰かが中東へ行って、つかまった時だったか。
行くなというのに、勝手に行って、つかまって、迷惑をかけたという、そんなことがあった。

それ以降ではないか。

言葉はずっとあったが、そんなに使われてなかったと思う。

要は、自分でやったことは自分で責任を取れ、というしごく当たり前のことだ。
警告してある紛争地帯に行ったら、拉致されても文句は言うな、という事だろう。
それは、たしかにそう思う。
誰かに行かされたのではなく、勝手に自分で行ったのなら、自己責任だ。
後で泣きつかれても、どうにもならない。

その後いろいろな場面で使われるようになった。

この言葉がよく使われるようになったのは、誰もが自分の責任を取ろうとしないからだろう。

ただ、フリーターが自己責任なのか、障害者の自立は自己責任なのか、などと聞かれると難しい。
本人以外の要素が大きい場合があるからだ。
一人ひとりに事情がある。
自己責任、とひと言で割り切ることはできない。
結局は親や育ってきた歴史、先生、時代など、いろんな要因がある。
だから、ひとくくりで自己責任という言葉を使うのは難しい。

でも、やっぱりぼくらの生きている社会は、基本的には自己責任の社会なのだ。

それをわかっていないと、おかしな事になる。

自分の不幸は誰かのせい、ということだ。
自分の不幸を誰かのせいにすると、本当に自分が不幸になる。

そんな気がするのだが…。

| | 考えたこと | 01:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
最小不幸
最小不幸というのが管総理の言葉。
不幸を最小にする、ということらしい。

ぼくらが習ったのは、最大多数の最大幸福という言葉。
たしか、倫理社会の時間に出てきたと思う。

「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」というふうにwikipediaには書いてある。
イギリスの法学者、ベンサムという人の言葉らしい。

これに習うと、「個人の不幸の総計が社会全体の不幸であり、社会全体の不幸を最小化すべきである」というのが管氏の論理。

これは難しい議論だ。
何が幸福で、何が不幸か、それがわからない。
これは相対的なものだ。

幸福があるから不幸があり、不幸があるから幸福がある。

片方はそれを最大化するといい、もう片方はそれを最小化するという。

幸福や不幸というものがあるとすれば、幸福を基準にした方がイイと思う。
幸福が大きい方が、不幸が小さいよりマシだろう。
不幸は小さくてもあれば不幸だ。
不幸を最小にする、というのは不幸があることが前提だから、みんなが不幸を認識する。

不幸、不幸と言っていれば、不幸が幸福を食ってしまう。
少々幸福でも、それが幸福と思えなくなる。
それこそ、本当の不幸だ。

だから、幸福を最大にする、という方がいい。
幸福が小さいから不満だ、という方が、不幸が小さいからマシだ、というよりもいい社会だと思う。

もっと幸せになりたい、という方がこれ以上不幸にならなくてよかった、という社会よりもいいと思いませんか?

だから、管政権はあまりよくないと思う。





| | 考えたこと | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
些細なこと
ギターのピックの持ち方や、手の位置というのは、人によって違う。
それを何種類か意識して使い分けているのがプロだ。
今日わかった。

ピックの持ち方、手の置き方で音が全然違う。
弾く方の手だ。

基本はギターのボディに指を置いて、手を固定する。
そして親指と人差し指でピックをはさんで、軽く持って弾く。
ずっとぼくはそう弾いてきた。

しかし、それを変えて弾いてみると、いろんな発見がある。

今日はいくつか教えてもらった。

こうやって弾くと、しっかり弾ける、と先生は言う。

目からウロコだった。

音をしっかり出すとか、軽く弾くとか、指で鳴らすとか、いろいろある。

こんな風に違うのか、と感心した。

いつもやっていることを疑わないと、上達しない。

習い始めて、もうすぐ4年か。

先生はスゴイ。

| | 考えたこと | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジャンプの時代
少年ジャンプというのは、あまり馴染みがない。

ぼくらが小学校の時は、少年マガジン、少年サンデーの時代だった。

少年ジャンプは1968年に創刊され、当初10万部程度。
1971年に100万部を超え、1973年に少年マガジンを抜いた。
その後、順調に売り上げを伸ばし、1994年12月に653万部を達成。
ところがその後発行部数が減り、1997年までに400万部ちょっとに落ち、1997年に少年マガジンに抜かれ、2002年にまた抜き返す。
2005年に300万部を切ったが、2010年にまた300万部に復帰した。

ぼくはジャンプのマンガはアニメでは知っているが、ほとんど読んだことはない。
中学以降、マンガから遠ざかった。なぜかはわからない。

覚えているのは、鉄腕アトム、サイボーグ009、エイトマン、おそ松くんなど。
友だちのお兄さんが持っていた、少年マガジンを借りたのが最初だったと思う。

結果的に、ジャンプの時代が始まると同時に、マンガから離れたということになる。

ジャンプの時代とは何だろうか。
ぼくの勝手な言いぐさだが、マンガの高年齢化が進んだと思う。
それと同時に、マンガが多様化し、何だかわからないマンガが増えた。

それまでは手塚治虫や石森章太郎といった、第1世代のマンガ家が、夢のあるマンガを描いていた。
時代もあったのだろう。
冷戦時代、戦争がある程度のリアルさを持っていたし、作者は第二次大戦を経験者していた。
正義や夢、未来、希望というようなものがあったと思う。
それが、だんだんなくなってきたのだと思う。
内向きになっていった。

中学以降も時々ちらりと見ることはあったが、見ただけで読む気がしなくなるような、汚い絵や下手な絵が出てきた。
ストーリーも、ホームドラマようなたわいないもの、まったく荒唐無稽で現実離れしたものが増えた。
たまに、面白いかなと思うものもあったが、結局読むことはなかった。

今や少子化でマンガもアジアを目指す時代。

アジアで受け入れられるマンガを描けるのだろうか。

何となく心配になる。


| | 考えたこと | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
熱力学
熱力学というものを勉強したことはないが、出張の帰りにクルマの中で話したことがある。

彼は当時のぼくの部下だった。
熱力学を少しかじった事があるという事で、教えてもらった。

出張というのは、毎月1回、茨城県のつくば市にクルマで行っていたものだ。
朝の7時半くらいに吹田に集合して、夜の8時頃に宿舎に着いていた。
帰りはその反対。
夜、暗くなって、阪神高速のオレンジの明かりが見えると、毎回「ああ帰ってきたなあ」という気持ちになったものだ。

彼曰く、熱力学というものにはいくつかの法則がある。
面白かったのは、熱力学には「時間」というものがある。
物理の法則で、時間の概念があるのはめずらしいと思う。
それがエントロピーの増大だ。
具体的に時間が言われているわけではないが、彼はそう説明した。

時間がたったら、熱は一様になる。
熱いところや冷たいところがあっても、時間がたてば全てのところは同じ温度になる、という事だ。
当たり前のことだが、これがエントロピーが増大するということらしい。

「エントロピーの増大」ということがわかりにくいので、簡単に言うとどういうことか?と尋ねると、彼は説明してくれた。

つまり、情報が来ると、整理するためにファイリングするでしょう。それと同じことです。
何も整理されず、情報がただあふれている状況がエントロピーの高い状況で、それをファイリングして、必要なものをすぐ出せるようにするのが、エントロピーの低い状況です。
温度が高いところや低いところがあるのは、エントロピーの低い状況。
放置しておいたら、だれも整理しないでしょう。それがエントロピーの増大です。
熱も同じことで、放置しておいたら全て同じ状態になります。

なるほど。

しかし、「時間がたてば」というのは、面白い。

「時間がたてば、全てが一様になる。」

物理学らしからぬ法則だ。
永遠の時間、というのを仮定していると思う。
調べてみると、実際の法則にはそのようには書いていない。
しかし、彼はそういうニュアンスで説明した。

あれには、彼の考えが示されていたのだろう。

そういう説明を聞いて、西宮インターに着いて、阪神高速に入った。

残念ながら、彼はその後すぐに辞めてしまった。
ぼくも、そのずっと後に辞めたのでえらそうなことは言えない。

しかし、面白いヤツだった。

辞める時に、後任人事の事もあるから、人事課にあまりきついことは言わないでくれと言ったら、そうしてくれた。

短い間だったが、いい部下をもった。



| | 考えたこと | 22:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ人はもめるのか
もめ事というものがある。
意味をひくと、争いごと、ごたごた、とある。

これは、何かをめぐって、意見が異なったり、あるいは何かを実行したことが、誰かの意図と異なっていたり、という場合に起こる。
もめる、というのは争うとか戦うという言葉よりも、世間ずれした感じの言葉だ。

最近、ぼくの回りではもめごとが発生することが多い。

なぜ、もめるのか。
多くの場合、そうだと思うが、「あの連中は気にくわない」からだろう。

気持ちはわかるのだが、もう少し歩み寄れないかと思う。
どちらも、一歩か半歩、歩み寄れればだいぶ楽になるのに、ということだ。

利害相反というわけではない。
お互い同じ船に乗っているのだ。

人を色眼鏡で見るというか、ああ言っているのにはきっとこういう意味がある、という風に推理する。
そうに決まっている、という事になる。
だから、あれはダメなんだ、という結論。

高みの見物ができれば、ほっておくのだが、利害が及ぶからそういうわけにもいかない。

結局間に入って立ち回ることになる。

あっちに行ったり、こっちに行ったり…。
嘘はつかないが、どっちの意見も黙って聞く。
せめて…してほしい、ということは言う。
同意を求められても、うーん、という言葉で済まし、断言しない。
それも、いつまで持つかわからない。
綱渡りの仕事だ。

八方美人と言うなら、言えばいい。
ぼくは八方美人はいいことだと思っている。
八方美人を続けて、行き詰まらないというのが理想だ。
そうやって、自分がやりたいことを実現する。

それがもめ事を解決する大人の方法。

一番の策ではない事はわかっている。
でも、二番の策ではあるだろう。

それがぼくの役回りなのだと思う。



| | 考えたこと | 23:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
最悪の日
今日は忙しかった。

 10時〜10時半 会議
 10時半〜12時 会議
 12時〜12時15分 もめ事
 12時15分〜1時 会議
 1時〜1時半 無駄話
 1時半〜1時45分 昼ご飯
 1時45分〜2時45分 面談
 2時45分〜3時半 会議
 3時半〜4時  別の面談
 4時〜4時半  また別の面談
 4時半〜5時  もめ事2
 5時〜6時  見学
 6時〜7時  ようやく落ちつく

こんな日はめずらしい。

あまり忙しいと、何をしていたかわからない。
夕方になって、朝は何をしていたのか、忘れている。
パソコンを見て、一日何をしたかを確認する。

夜は夜で、10時頃まで書類を読んだり、電話をしたり、やることがある。

帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、ゆっくりして今これを書いている。

しかし、疲れた。





| | 考えたこと | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
鳩山退陣
鳩山首相が退陣した。

昨日の様子を見ていたら、てっきり続投だと思っていたので、街ゆく人も意外な反応だった。
まあ、米軍が抑止力だとは思っていなかった、と言ったり、愚かだと言ったり、いろいろな発言があったから、当然といえば当然だ。

家で聞くと、大阪のおばちゃんが「鶴は千年、亀は万年、鳩は一年」と言っていた由。
うまいこと言う、と落語家が感心していたらしい。
さすが大阪のテレビだ。
そういうのを選んで、オンエアするところが大阪らしい。

ニュースによると、昨日喜んでいたのは、小沢も辞めさせることができそうだ、という笑みだったとのこと。
自分が辞める時は、小沢も辞めるべきだ、と確信していたらしい。
それを小沢が嫌がっていたが、むりやり辞めさせるという算段ができた。

母親から億の小遣いをもらって、知らなかったという、浮世離れした人だから、どこで喜ぶのかわからない。

民主党も、小沢が代表を辞めれば少しはマシになるのか…。
でも、衆院選を仕切って、たくさん当選させた「小沢チルドレン」がいるし、そうはなかなかならないんだろう。
今度の参院選もお膳立ては済んでいるのかもしれない。
小沢が誰かを擁立するかもしれないし…。

しかし、参院選のにぎやかさは、これでいいのかと思われる。

池谷幸雄、岡崎由紀、桂きん枝、庄野真代、岡部まり、あべ静江、原田大二郎…。
政治家になりたい、という人はたくさんいるだろうが、本当にいいのか?
自民党も民主党も、知名度があれば誰でもいいのか、という感じだ。
福祉に興味があるとか、環境がどうだとか…、それはいいのだが、「政治」というものをわかっているのだろうか。
ぼくもわかっていないが、「政治」はきれい事ではできないし、駆け引きも必要だし、はったりやこけおどし、そして誠実さも必要だと思う。
それらの要素をないまぜにして、そのうえ知識とポリシーがある、そんな人が政治家になってほしい。
誰かが言っていたが、国民のレベルを越える政治家は出てこない、ということらしい。
だから、難しい…。

そんなこんなで、今週中に後がまを決めるらしい。

今夜はホテルで管陣営、前原陣営が電話で誰がどこについたかという事を調べているのだろう。

これに小沢陣営も加わって、いっそのこと分裂したら面白いと思う。
もともと、民社党と社会党右派が一緒になって、そこに自由党がひっついたのだから、矛盾して当たり前だろう。

来週の月曜日には、新しい総理が所信表明をやるらしい。

ごくろうさま。



| | 考えたこと | 01:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
書類一枚ベスト
出張の報告や会議の議事録など、仕事を始めると報告書を書くことが多い。
この報告書というやつ、書くときにクセが出る。

時系列に書くやつ、項目ごとにまとめるやつ、箇条書きが好きなやつ、自分のコメントが書けるやつ…。
報告書は人を表すと言ってもいい。

昔、手書きの時は大変だった。
今はワープロで書くので、消すのも移動するのも簡単だ。
昔はそうはいかない。
「あ、しまった」と思っても、あとの祭である。
消して書き直すか、それとも順番は違うが、それでも適当にごまかすか、それとも一から書き直すか、という選択を迫られる。

自分なりのスタイルを決めるまでに、いくらかかかる。
先輩の報告書を見て、「お、これはすごい」と思ったものをまねするのが一番早い。
事実の羅列なら書きやすいのだが、それをまとめて、自分なりのコメントを書き足すところが難しい。
今になれば笑える話だが、以前実験をしていたころは、細かい事が気になった。
どうして、この点はここになるのか?というような点が出てくる。
他はみんな理屈通りなのに…というような場合だ。

今であれば、笑ってその点を消す。
おかしなデーターだったのだろう。
もちろん、それが本当の場合もある。
本当という意味は、そのおかしな点が事実のデーターであり、そこには理由がある、という場合だ。
でも、そんなことはほとんどない。
今なら、それは消していいデーターだ、と判断される。

たいがい、それで間違わない。
だから、若い人がそんなデーターに悩んでいると、ほほえましくなる。

一つ、異常な点があるとき、それが本当に異常かどうか、判断できるのが実験のエキスパートだろう。

本当におかしいと思うときは、再実験しなければならない。
それが、新たな発見の可能性もあるのだ。

僕らが若いころは、「書類一枚ベスト」と言われた。
どんなことでも、A4一枚にまとめないといけない。
それが、なかなか難しい。
A4一枚にならず、2枚目、3枚目にダラダラと続けて書いたりする。
しかし、それはダメなのだ。

今なら、一枚でまとめて書ける…、というか書く。
結論は簡潔に、というやつだ。

そして、必要なら、続けて読んでください、ということで次のページから始まる。
そんな構成をとるのだ。

エラい人は、時間がないから、1枚目しか読まない…と教えられた。
事実、そうなのだ。

だから、どんな事でも、A4一枚にまとめる。

懐かしい。


| | 考えたこと | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |