考えたこと2

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シニア・インターン
去年の10月にロバート・デ・ニーロが主演したインターンの映画を見た。
あの映画では、シニア・インターンという制度を使って、IT通販の若い会社にデニーロが雇用されるところから始まった。
実際、アメリカの社会でどれだけそんな制度が一般的なのかはわからない。
しかし、あの映画は高齢のビジネスマンがその経験を生かしてまだまだ世の中のためになる、という話でもあった。

こういう制度はアメリカよりも高齢化が進んでいて、社会保障が破綻しようとしている日本でもっとやるべきだ。
もっと、と言っても日本では普通のインターンもちゃんとしていないのが実情だが…。

アメリカでは日本のような大卒新卒一括採用という制度はない。
どこの会社も新卒だからという区別はせず、学生時代の一定期間を企業でインターンし、大学を出てから履歴書を持ってインタビューを受け、就職するのが一般的だという。
だから、学部卒でも大学での専門性が問われるし、どの学位を持っているかということが大事になる。
この辺りは日本とはだいぶ違う。
日本では、文系の就職なら、全学部全学科で募集する企業がほとんどだ。
だから、文系では勉強を頑張ってもあまり評価されない。
ここを変えないと、学校は変わらない…、話がそれた。

日本ではアメリカのような有償型の長期(3ヶ月以上)のインターンはない。
無償型の「就業体験」というものがほとんど。
せいぜい2週間程度。昨今は1日や半日の似非インターンも増えた。
要は会社説明会の代わりにそういう名目でやっている。
本来のインターンの趣旨からは外れたものだ。

シニア・インターンの制度は、ベンチャーなどの助けにもなるだろう。
どうしても会社を興したてのところは、大きくなるためにはどんな制度やシステムが必要か、というところがなかなか見えない。
そこを年寄りは知っているから、シニア・インターンで賄うことができる。
インターンのいいところは、使い物にならなければ、3ヶ月でクビにできるというところだ。
もちろん、働く側もここはダメだと思えば辞めることができる。
日本ではインターンは中高年から始めたらどうか、と思う。

中高年の再就職が難しいのは、日本では正社員の壁が高すぎるからだと思う。
一応、試用期間というのがあるにはあるが、インターンだとさらに雇いやすくなる。
3ヶ月社員を体験してもらって、雇うかどうかを決めるのだ。
今や新卒一括採用も減り、中途採用も増えてきているのだから、そこにインターン制度を入れてはどうかと思う。
まさに、仕事のスキル、人柄、適性を見るためにインターンするのだ。

厚労省の役人たちにあのデニーロの姿を見せたい。

天下りばかり考えていたら、思いつかないだろうなあ。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
ストレスチェック
2016年の11月を期限として、50名以上の事業場(常時雇用の人数。常時であれば、週1日勤務のパート、アルバイトも含む)ではストレスチェックをしないといけなくなった、ということだ。
へー、そうなんや、という感じ。
そういえば、労働安全衛生法が改正されるとか、言っていたような…。
50名未満の事業場は、努力目標になる。
年に1回、労働基準監督局に報告する義務があるらしい。
まあ、うつの問題とかブラック企業とか、いろいろあるからなあ。

Webによると、「ストレスチェックには医師、保健師などの実施者と、データ入力などを行う実施事務従事者が必要です。ストレスチェックを受ける従業員を配慮して、人事権を持つ人は実施者にはなれません。」ということらしい。
さらに、「実施後、対象者から面接の申し出が合った場合、実施事務従事者は事後措置の対応が必要です。ストレスチェックを実施するだけでなく、本質的なメンタルヘルス不調を減らすためにも事後措置をどのように行うかも考えたいところです。」とある。
問題があれば、事後措置をしないといけない、ということだ。

実際、問題があるところは多いだろうと推測する。
それこそ、同一労働同一賃金にしてもらわんと困る、というような文句もあるだろう。
世代の違う正社員や、同じような仕事をしているパートやアルバイトなども不満が出やすい。
さらに、どこまで本気で対処するかという問題はあるだろう。
調査後、事後措置をするのは実際にその職場で働いている人だろうから、ややこしい。
昔とは違って、雇用の形態が多様化しているからなあ。
文句を言われても、上と下に挟まれて悩んでしまう状態になるのも気の毒だ。

できれば第三者に任せたいという気持ちになるが、それでは解決はできない。
問題提起までだろう。
結局職場のストレスの問題は、ストレスの元になっている人とか組織を変えないといけないので、内部の人でなければ変えられないケースが多いと思う。

チェックだけして、放ったらかしにするとよけいに悪化する。
だから、結局ストレスチェックをちゃんとやるのなら、対処まで考えないといけないということだ。
そういう意図で労働安全衛生法が改正されたんだろう。

もしも対処を考えないのなら、いい加減にチェックをしたほうがいい。
「いい加減」というのは、本気でストレスをなくそうとしないほうがいい、という意味だ。
そうでなければ、各自が持っているストレスに火をつけてしまって、どうしようもなくなる。

一般的に、会社が儲かっていれば、ストレスは小さく、あまり儲かっていなかったり赤字だったら、職場のストレスは大きくなると思う。
儲かっていれば結果オーライでいろんなことが楽になる。
逆に、儲かっていないとどうしてもギスギスしてしまう。

ぼくは民間の会社から学校法人に転職したが、学校法人の方が多様な職場だった。
多様というのは、正職員、3年契約の社員、派遣、パートなどいろんな人がいる、ということだ。
それに加えて、センセイというややこしい存在もある。
企業と学校法人を比べると、仕事量や納期、目標管理などは圧倒的に学校法人の方が楽だったが、人間関係はしんどかった。
目標がはっきりしていなかったから、組織の結束力は低くなるし、いろんな人がいるというのは大変だ。

今はもう民間企業も多様性が進んでいるだろう。

だから、働く人のストレスは増えているんだと思う。
11月からストレスチェックということだが、火に油を注がないようにしないと…。

| | 考えたこと | 19:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
バイオミメティズム
BSワールドニュースを見ていたら、フランスのニュースでバイオミメティクスのニュースをやっていた。
そこでは、生物のメカニズムを工学的に真似して、効率よく目的を達しよう、ということでエアバスの主翼の設計にワシなどの猛禽類の羽のカタチを真似することが紹介されていた。
ワシは獲物に音もなく迫っていける羽の構造を持っているからだ。
主翼のカタチをワシの羽の形に近づけ、後端部を柔らかく(実際の羽のように)すると、離着陸時の音が小さくなり、燃費も1%程度よくなるとのこと。
2020年に実用化するべくやっている、ということらしい。

調べてみると、2015年にバイオミメティクスの国際標準が発効されている。
どういう内容かは知らないが、要は最近になって国際的に認められたということだ。
日本語に訳すと「生物模倣」ということになる。

従来から生物に学んだデザインというのはあった。
マジックテープ(これは和製英語で通じないらしい)は植物のひっつき虫の構造を真似して作ったものだし、500系新幹線の顔のカタチは、鳥のカワセミが空中から水中に潜る時の飛沫の少なさから、空気抵抗を研究して採用されたものだ。
そういう技術はすでにあったが、ドイツのボン大学でハスの葉の表面を研究して、セルフクリーニング効果を持った塗料を開発したり、エアバスの機体表面にサメ肌状の加工をしたりして、省エネをはかるなどの技術動向を見て、ドイツ政府が国際標準化を提案したという経緯とのこと。
こういうことを標準化しようとするのはエライ。

バイオミメティクスは、2025年には年間3000億ドルの国内総生産、160万人の雇用を生む、という予測をアメリカのサンディエゴ動物園が出している。
経済予測まで動物園がやっているとは。スゴイ動物園だ。

そういえば、昆虫の身体の制御を真似て、ロボットに応用したり、ヘビの動きを研究してどこでも移動できるロボットを作ったりしているニュースは見たことがある。
それが今や植物の表面などにまで広がっているということだ。
確かに、ハスの葉っぱはいつもきれいだからなあ。
どうして仏教国からこの研究が発表されなかったのか、残念だが…。

世の中は省エネである。
世界の人口が70億を超え、2025年には80億になるという予測。
人間がエネルギーを使うと、地球の環境が変わるほどにヒトという種は増えすぎた。
だから生き物に学んで、省エネ、効率化を実現しよう、ということだろう。

そういえば、今流行の人工知能も、脳の構造を研究することで進化したということだから、人間も対象に入っているということだ。

地球上で何十億年と種を保ってきた植物や動物。
人間など新参者だ。
彼らに習って、効率的に物事を進めよう、という技術開発。
これがバイオミメティクスだろう。

日本は見本があると、それを良くしていくというのは得意だから、この分野で貢献できるのではないか。

| | 考えたこと | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
国民投票
イギリスの国民投票を見ていると、何でも国民に諮って決めたら大変だと思った。
国民投票で決めるべきイシューは、賛成か反対かという二者択一だろうが、その時の影響をどれだけ正確に国民に伝えることができるのか、ということだ。
まさに、今イギリスでは議会の意思と投票結果が食い違って困っている。
議会は2/3が残留派らしい。
それでも、国民投票をして離脱という結果が出てしまった。

もともと、民主主義というのは、いちいちみんなで決めていたら手間がかかるし、重要な事を決めるだけの知識をみんながつけるのは大変なので、それは選んだ人に任せよう、という側面もあるんだと思う。
それが間接民主主義のメリットだろう。
しかし、多くの国では大事なことは直接決められるような制度もとっている。
その形が国民投票というようなものだ。

イギリスの場合、国民投票の結果に法的拘束力はないらしいが、それでも国民投票の結果は尊重せざるを得ない。
やってしまったら、どんな結果が出ようが、その結果に従わないといけない、という危なさをキャメロン首相は甘く見ていたのかもしれない。

今回離脱という結論が出た原因の一つは、移民の問題だったという。
しかし、結果的には移民の多い地域では残留の方が勝っている。
移民の少ない地域で、離脱派のプロバガンダが効いたということだろう。
若者対老人という構図もあった。
若い人たちはEUに対するアレルギーが小さかったのか、残留が多かったという。
でも、人数では高齢者が多いという、大阪と同じ構図。

結果的に残留、離脱のどちらが実際の国のためになるのか、それはわからない。
ただ、本来なら長い目で見通すことが必要とされる決断だと思う。
でも、直近の利害に人は敏感になる。
いざ選挙となると、そういう言い方をしてしまうからなあ。

あのヒトラーも国民投票を多用して権力を握り、政治をすすめた。
熱狂的な国民に委ねれば、自分が勝てることがわかっていたからだろう。
それが将来ドイツのためになるかどうか、ということまで国民はわからない。

それが国民投票の怖さだと思う。
決めてしまったら戻れない。

イギリスはどうするんだろうか。
今から知恵を発揮するんだろうか。

フランスは離脱に対して、厳しく臨もうと言っている。

どうなるのかな。


| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
反省しない日本人
朝のドラマを見ているが、第二次大戦が始まり、真珠湾攻撃があった。
その時代を生きた人たちの本を読むと、真珠湾攻撃の際はたくさんの人々が快哉を叫び、提灯行列をした、ということだ。
日本の庶民は中国に行った陸軍を応援し、アメリカにいろんな事で制約をつけられるのが不満だったという。
だから、真珠湾を不意打ちで攻撃した時には大騒ぎだった。
新聞もみんな異口同音に戦意高揚の記事を書き、それで大儲けしていた。

でも、朝のドラマで描かれる家族はみんなそんなことは思わない。
その当時の日本人が大喜びしたことも描かない。
戦争は嫌だと思っている。
軍が生活を迫害している、と描かれる。
その軍部が力をつけたのは、庶民を味方につけたからだ。
その事実はないものにされる。

いくら軍が戦争をしようとしても、それこそ「民意」を得ないとダメだ。
そのために、軍は朝日新聞、毎日新聞などの新聞社を味方につけ、新聞社も売上部数を増やすために軍を持ち上げる記事をどんどん書き、多くの日本人が戦争に賛成という民意を示したのだ。
だから、真珠湾攻撃をした時、みんな提灯行列をした。
それがごく普通の大衆だったはずだ。

そういう事実をどうして隠すのか。
朝のドラマでは、まるで軍が勝手に戦争をしたように描いている。

どうしてそういう風になったのか、それを反省しないとダメだと思う。
戦争の語り部たちも、そういう話をするべきだ。
戦争は悲惨だ、戦争はしたらダメだ、そんなことはわかっている。

なぜそういう戦争に踏み込んだのか。
なぜみんな戦争をしたいと思ったのか。
そこをちゃんと後世に伝えないと、ダメだと思う。

NHKをはじめマスコミはもっとそのことを理解すべきだ。

今のやり方なら、戦争を抑止することにならないぞ。

| | 考えたこと | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう一つのアメリカ史
映画監督のオリヴァー・ストーンが10回シリーズの「もう一つのアメリカ史」というドキュメンタリーを作っている。
ハードディスクに録って、最初の4回分を見た。

彼自身がベトナム戦争を体験し、どちらかというとアメリカの反体制の側からの視点だ。
ぼくらはアメリカの近代史には詳しくないが、ルーズベルト大統領が当時のアメリカを、どう考えて戦争に参加していったか、そしてそれを導いたチャーチル、スターリンなどの人間模様も描いていた。

彼が力説しているのは、ルーズベルトの後継の大統領がトルーマンになったことが、アメリカの不幸だった、ということだ。
長期政権をとったルーズベルトのあと、第2次大戦を終結する役割を担うのが、当時の副大統領ヘンリー・ウォレスだったら今のアメリカは変わっていただろう、という。
彼は筋金入りの平和主義者だった。
原爆もどうなっていたかはわからない。
その後の冷戦の状況も変わっていただろう、という。

彼によると、トルーマン大統領は最悪だ。
原爆投下の決定も優柔不断。
軍の強硬派に負ける、哲学がない…そんな感じだ。

都市に対する無差別爆撃や原爆投下は犯罪だという。
天皇制の存続について触れないで日本の終戦を遅らせ、原爆の投下で原子爆弾の効果を確認し、ソ連に対して優位に立つという駆け引きにも批判的だ。
そして原爆が投下され、オッペンハイマーらの核開発物理学者らの言うことを聞かず、ソ連との冷戦の元を作った、と解説されている。

本当に日本を終戦に追い込んだのは、満州へのソ連の進攻だった、ということだ。

こういうのを見ると、アメリカは健全だと思う。
マトモな批判をする人がいる。
自分の国の加害を認めるという批判だ。

ふりかえって、今の日本にそういう人がいるだろうか。
日本人はみんな被害者のように見える。
自分たちの加害の歴史を、自分たちの視点で見ていない。
戦争反対、戦争はダメだ、といくら言っても過去は消えない。
その加害の歴史も認めてこそ、前にすすめるのだと思う。

そこを精算しないといつまで経っても大人の国になれないのではないか。

あと6回分の放送。
冷戦時代から現代のアメリカへ。
なかなか見応えがある。


| | 考えたこと | 00:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
BREXIT
イギリスが出て行く、つまりBritainがExitする、という意味でできた造語がBREXITらしい。
今日国民投票があったが、本当にそうなってしまった。
若者はどちらかというと残留、年配者は離脱、ということだったが、離脱支持者が勝った。

2大政党の保守党と労働党ともに、内部で残留派と離脱派に分かれてしまった。
同じ保守党でも残留派と離脱派がいる。
それほど、複雑な問題だということだ。

元々イギリスは通貨はポンドであり、EUとはちょっと距離を置いていた。
誇り高きイギリス人の中には、どうして大陸の言うことを聞かないといけないのか、という人も多かったんだろう。
年配者には、古き良きイギリスをもう一度、という郷愁もあったかもしれない。
もちろん直接的にはユーロに加盟していたら、移民を受け入れなければならないとか、そのせいで仕事がなくなる、ということが大きかったんだろう。

一方、若い人たちは残留という声が多いと言っていた。
EUを離脱すると、EUへの輸出に関税がかけられ、EUをターゲットにしている海外企業は出て行ってしまう、ということがある。
ものごころついた時からEU市民だった世代には、今さらなぜ離脱するのかという思いもあるんだろう。
移動の自由もなくなり、いろんな不便も出てくる。
実際日立や富士通などは残留を呼びかけていた。
残留派のリーダーだったキャメロン首相は辞任を表明した。

一昨年の夏にロンドンに行った時、年配の日本人のガイドさんが「ロンドンも移民が増えて古き良きロンドンという感じがなくなった」と言っていたのを思い出す。
そういう状態を若い人たちは当然と見ているが、年配者は「悪くなった」と見ているんだろう。

ヨーロッパは昔から戦争を何度もしてきた。
そういう過去を繰り返さないためにも、EUという人、モノ、カネが自由に行き来できる共同体が必要とされた。
その理想はイギリスが離脱することでダメージを受ける。

最長2年間の交渉を経て離脱することになる。
どんな交渉になるのか、EUとしてはこれ以上の離脱者を出さないために、厳しくのぞむだろう。
それでも、他に離脱する国が出てくるかもしれない。
そうなると、EUの掲げた理想はどうなるんだろうか。

ヨーロッパの人たちが知恵を発揮して、EUに変わるものを作るんだろうか。

この10月にはアメリカ大統領選挙がある。
トランプ候補はどうなるんだろう。
イギリスと同じように、アメリカもどちらかというと孤立主義に向かっているような気がする。

それは世界にとっていいことなんだろうか…。
世界はどうなっていくんだろう。

20世紀のように、また戦争の世紀にならなければいいが…。

| | 考えたこと | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
神戸山手短期大学
この短大、募集停止でついに閉めることになったらしい。
といっても、大学と中高は残るのだが、短期大学はもう人が集まらないということだ。
ホームページを見てみると、まだちゃんと学校紹介や学科のカリキュラムなど載っているから、いつ募集停止を行うのかと見てみると、平成30年度と書いてあった。

なんで30年度なのかなと思ったら、今年から従来の生活学科とキャリア・コミュニケーション学科を廃止して、現代生活学科を立ち上げたところだった。
完成年度(最初の卒業生を出す年)が29年度だから、そこまではちゃんとやります、ということだ。
文科省にこういう学科を作って、こういうふうに募集をかけて、受験生が集まる、という計画を出した手前、やらないと仕方がない。

情報公開のページを見てみると、定員100人に対して、91人の入学だった。
新しく立ち上げた学科は、人気があるはず(というかそれを狙って作った)だが、入学者が集まらず、学校法人も諦めたということだろう。
その前の状況を見ると、150人の定員で81人の入学だから、それよりは改善したということだ。
まあ、でも定員を50人減らして100人にして、さらに新しい学科にして、それでもダメだったということだろう。
資格取得に結びついていない学科だから、人気がなかったのかもしれない。
遠方の下宿生には初年度15万円の給付奨学金が出る、という制度まで作っているのに…という感じ。

学校法人としては、短期大学側に「これで集まらなかったら潰す」というクギを刺していたのかもしれない。
タイミング的にも、そういう感じだ。
赤字をいつまでも垂れ流すわけにはいかない。

ホームページのお知らせには、こう書いてある。

「神戸山手短期大学は、建学以来66年にわたり高等教育を提供してまいりましたが、短期大学を取り巻く厳しい環境を打破できず、将来にわたって教育研究活動を継続することは極めて困難であると判断し、平成30年度から学生募集停止という苦渋の決断をいたしました。
なお、2017(平成29)年度入学試験は、“入試案内ページ”で紹介させていただいております日程や選考方法により、予定通り実施いたします。
もちろん、在学生はもとより2017(平成29)年度入学生のみなさまの卒業に向けて、教育・学習支援や就職・進路支援には万全を尽くしますので、ご理解をいただきますようお願い申し上げます。
また、卒業生のみなさまにも支障がないよう体制を整えてまいります。」

まあ、なくなるとわかっている学校にわざわざ入る学生が何人いるか…。
申請した手前、完成年度まではやらないと恰好がつかない、ということだろう。

当該の現代生活学科のページを見ると、涙ぐましい努力だったんだろうと思う。
ホームページもリニューアルして、きれいになっているし、文科省を意識して「アクティブ・ラーニング」も全面に押し出している。

専任教員は12人。
化粧品の科学、テキスタイルの科学、コミュニケーション学、舞台音響、コンピューター2名、英語教育、グラフィックデザイン、食文化、住生活、調理科学、児童英語という顔ぶれ。
この人たちは2年後以降は仕事がなくなるから、どこかに行かないといけないんだろう。
そうなると、授業どころではないという人もいるだろうなあ。
デキる教員はそうなる前に行く人が多いが、どうなんだろうか。

新しい学科を立ち上げるために、何人か教員を呼んできたんだろうか。
普通は何人かは新規だと思う。
その人たちにはどういう説明をしていたのか、知りたいところだが…。
でも、非常勤の教員はいくらでもいるから、そこから業績を見て選べばいくらでも集まるのが現実。
そういう条件で新しい人には声をかけたんだろうなあ。

シラバス(授業内容)を見ると、興味深い。
こういうところでは、もう授業にキャリアセンターが入っていて、ガイダンスなど課外でやるものを授業でやってしまう。
単位を出すのはどうかと思うが、それも就職させるためには必要になるんだろう。
特に短期大学は入ってすぐに就活になるから、大変だ。
授業は2コマあるが、キャリアプランニングAというのが一般的な就活対策だろう。

キャリアプランニングA
第1回目:社会人になるとは、 正社員のメリットとフリーターのデメリット。
第2回目:2016年の就職活動スケジュールと試験内容。
第3回目:自己分析/自分は何がしたいのか、 何ができるのか。
第4回目:自己分析の上で、 自己 PR の作成 (後日回収、 添削、 その後返却)
第5回目:リクルートスーツの選び方と着こなし。
第6回目:就職試験の種類と受け方。
第7回目:注 (木曜日4限) 就職内定している現2年生より、 就職活動の実際の話とアドバイス。
第8回目:企業アプローチの仕方;その1/学校推薦から自由応募まで
第9回目:就職ナビ登録
第10回目:就職筆記模擬試験 (SPI)
第11回目:企業形態;株式会社、 上場企業
第12回目:注 (木曜日4限) OG 懇談会/社会人として働く OG が来校。 働く現実について話とアドバイス。
第13回目:エントリーシートの書き方
第14回目:エントリーシートの作成
第15回目:企業アプローチの仕方;その2/履歴書、 カバーレター、 電話のマナー
第16回目:面接の受け方、 注意点。
第17回目:集団模擬面接

これだけ手取り足取りやっている。
それでも、去年の実績で92人の卒業生に対して、62人の就職実績。
短期大学で6割台では、閉めるのもやむを得ないという感じ。
人数が少ないから、指導ができるというワケではない。
指導できる学生がどれだけいるか、ということだろう。
でも就職先は神戸の老舗短大だけあって、地元のいいところも多いようだ。
もちろん、筆記試験対策も授業に組み入れられている。

キャリアプランニングB
第1回: 就職試験の概要・ガイダンス、 小数・分数の計算、 四則の混合算、 連立方程式
第2回: 割合・比、 金銭計算 (損益算)、 漢字の読み書き
第3回: 金銭計算 (料金の割引・代金精算)、 漢字の読み書き
第4回: 速さ・時間・距離
第5回: 流水算・通過算、 同音異義語
第6回: SPI 確認テスト?、 鶴亀算
第7回: 濃度算、 年齢算、 四字熟語
第8回: 仕事算・水槽算、 集合
第9回: 推論、 時事問題
第10回: 順列・組合せ
第11回: SPI 確認テスト?、 確率、 対義語・同義語
第12回: 図表の読み取り、 日本地理
第13回: 条件と領域、 類義語・二語の関係
第14回: 物の流れと比率
第15回: 総復習

もちろん非常勤で、関西外大でも名前が出てくる講師が教えていた。
見てもらって分かる通り、半分ほどは小学校の算数。
これが現実なのだ。
今の小学校・中学校の教育のしわ寄せが、こんなところにも来ているということだ。
それだけ一生懸命やっても、ダメなものはダメ。
まあ、大学と中高が残るから、法人としてはいいのかもしれない。

でもよく見たら大学も980人の収容定員で594人しか入っていない。
いずれ・・・という感じだなあ。

神戸山手短期大学、ついに66年の歴史に幕を閉じる。
最後の一人の学生まで、ちゃんと教育して出してあげてほしい。

| | 考えたこと | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
朝日屋カレー
近所に朝日屋というカレーの店があった。
ウチの家族はそこが好きで、かなり通った。
子どもらが小さい時は、辛さが2とか3のものを頼んでいた。
ぼくは辛いのが好きなので、いつも5を食べていた。
辛いものが食べられるようになって、やっとオトナになれる、ということだ。
あの店で鍛えられて、子供らは辛いカレーが好きになったのだと思う。

最初はお母さんが店を切り盛りしていた。
数年前に代替わりして、娘の代になった。
きっと3人娘だったのだと思う。よく似た女性が3人いた。
カレーにはいろんなトッピングができたし、カツカレーやハンバーグカレー、シーフードカレーなど一通りあった。
玄米、白米を選べたし、ライスの量も選べたし、辛さも選べた。
子どもが大学生になったころ、辛さのレベルが追いついた。
その頃には店も模様替えをして、カレー鍋や定食のようなものも始めていた。
店内も模様替えしてハイカラになった。

今は子どもらのほうが辛いものに強くなった。
別に辛いものが食べられたらエライというものではないが、オトナというのはそういうものだという価値観は引き継がれたと思う。

その朝日屋カレー店も6月19日に閉店した。
あの店のカレーが食べられなくなるのは残念だ。

あの唐辛子だけでなく、スパイスで辛いカレー。
もう食べれらないのか。

残念。



| | 考えたこと | 00:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
怒れる老人
こないだから2度ほど道で老人が怒っているのを見た。
一度は70代と思われる男性が同じく70代と思われる女性に説教していた。
何かあったのは、あったんだろう。
クドクドと「だから、アカンいうとんねや」などと大きな声で道端で話していた。
女性の方は「だから、すいません言うてる」と謝っていたが、その感じは謝っているという感じではなかった。

もう一度はバス停だ。
ベンチに座っている70代と思われる男性と、立っている男性。
こちらもきっかけはわからない。
多分、しょうもないことなんだろう。
こちらは言い合いになっていたが、バスが来たので片方が乗って終わった。

乱暴を働くという感じではないので、周りの人は見て見ぬふりをしていた。
まあ、しゃーないなあということだろう。
いい年をして、カッコ悪いとか、大人げない(老人げがない?)と思っているふうだった。

年をとると、人間ができてちょっとやそっとのことでは怒らない、というのは昔の中国のエライ人が言った格言にあった。
論語に「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」とある。
「心の欲するままに行動しても、人としての道を外れることはなくなった」という意味だ。
でも、昨今高齢化でその年齢が上がり、そういう境地に達するにはもう20年ほどかかりそうな感じだ。

このキレる原因は、脳科学によると前頭前野の動きが悪いということらしい。
前頭前野というのは、欲望や感情を抑える部位。腹がたっても、抑えておこう、というような判断をするところとのこと。
ここは十代の終わりまで発達して、そこで止まるらしい。
でも、70代の人たちは戦前の色が強い人たちに教育されており、そこは発達しているような気がする。

となると、もう一つはセロトニンという神経伝達物質の欠乏ということ。
これは前頭前野の動きを助ける働きをする。
これが、疲労やストレス、運動不足、人とのコミュニケーション不足などが重なると分泌されにくくなるらしい。
疲労やストレスはともかく、運動不足や人とのコミュニケーションは高齢者は不足しがちだ。

血糖値の乱高下というのもキレる原因らしいが、まあそれもあるかもしれない。
低血糖になると脳が不安になり、アドレナリンが増えるらしい。だから攻撃的になる、という理屈。
お腹が空くと不機嫌になるという感じだ。

でも、一番大きいのはセロトニン説だなあ。
怒っていた人たちを見ていると、あまり社会と繋がっていないような感じがする。
70代でもNPOをやっていたり、老人大学に出ていたり、宗教行事に一生懸命だったりすると、格言のような人になっているようなイメージがある。

一人暮らしで、話もしない、というような老人が外に出て何かちょっとしたことで腹をたてるのだろうか。
誰か、早めに原因を見つけて、対策を取らないと、あと何十年かしたらそういう人がもっと増える。
福祉をやっているセンセイたちにお願いしたい。

まあ、働き続けるのが一番なんだが…。


| | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本病
ファイナンシャル・タイムズに、『企業を悩ます「人生100年」時代』という記事があった。

イギリスでは100歳になると女王陛下からメッセージが届く。
10年間でその数が7倍くらいになったらしい。
日本では1963年に153人だったのが、2014年には約3万人になった。
よく考えたら、153人の時代にできた年金制度を今もって維持しているということが驚きだ。
100歳まで生きる人が200倍になったのだから。

これからの時代、若者が給料の11%を貯金に回しても、引退後にまずまずのお金を受け取るためには85歳まで働かないといけないらしい。
要は、65歳で定年などしていたら、長生きしてお金がなくなる、ということだ。
もちろん、世の中が変わっていくから、はっきりとはわからない。
でも、これからはそう簡単に引退はできないということだろう。

それを考えると、日本の雇用体系を変えていかないといけない。
定年をなくす、ということだ。
企業はこの「人生100歳時代」を迎えようとしているが、その準備は全くできていないと思う。
企業内組合は定年を伸ばし、正社員制度と退職金を死守という感じだろう。
ところが、非正規の人たちが半分弱になっている今、それがどこまで守れるかということだ。

政府はGDPを500兆から600兆に増やすと景気のいいことを言っているが、とてもそんなことができるとは思えない。
内需を支えるのは高齢者だし、90歳になっても老後が心配だという。
若者はだんだんと減っていく。
移民を入れなければ、そう簡単に人口は増えない。
今の社会保障を削って、出産、育児、教育に回さないといけないと思うが、子どもたちには票がないから政治家は動かない。
消費税の増税先送りで、将来の子どもたちの借金である国債はどんどん増えていく一方だ。
高齢者の票が欲しいから、それを争点にする政党もいない。

国が先送りをするから、企業も先送りせざるを得ないというのも実情だろう。
これからの老後は「不快で残酷で長い」ものになるらしい。
この調子で行くと、そうなる可能性は高い。
でも、ぼくらの子どもの世代はもっと不快になるだろう。

どうすればいいか?
長く働ける人はできるだけ長く働くことだ。
その上で健康のことなど考えず、身体に悪いが美味しいものを食べて、生きるのも手だ。
そうすれば早く死ぬことができる。
お金を使うので、内需も拡大する。
ぼくはカリカリに炒めたベーコンが大好きだから、そういうものを食べればいい。
ただ、コロリと死ねなければ問題だが…。

それくらいしか思いつかない。

でも、百まで生きるということは大変なことだと思う。

| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
Lineの略語
ぼくはほとんど使わないのだが、若い人の間では今やメールよりもメッセージアプリ(Line)だという。

そこで使われる言葉が載っているページがあった。
それを見ると、これはわからんなあ、という略語がたくさんある。
略語というのはだいたい途中の音を略しているので、わかるものはわかるのだが、この略語がわからないのは長い文章を略したり、元々略している言葉自体がわからないケースがあるからだろう。
とにかく早く返事を出さないといけない、というニーズがあるんだろう。
特にわかりにくいものを紹介する。

あーね!・・・あーなるほどね!
雰囲気はわかるが、元の言葉がわからない。

あげぽよ・・・とても喜び気分が高揚している。
「あげ」は高揚のことだとわかるが、「ぽよ」がどんな擬態をあらわしているのかわからない。

イチキタ・・・一時帰宅。
この一時帰宅というのは、学校から帰ってまた出てくるという意味かな。

ウーロン茶・・・うざいロン毛な茶髪。黒髪なら黒ウーロン茶でしょうか。
これはわからない。

オラつく・・・自分が一番だと思い、横柄に振舞う。
オラオラという雰囲気をちらつかせる、という意味だろう。雰囲気はわからなくもない。

きもさみ・・・気持ち悪い見た目のうえ、寂しい様子を表す。
どんなシチュエーションで使われるのかな。

ぐるちゃ・・・グループチャット。
これはグループチャットという単語を知っているならわかる。

け・・・おっけー。
なぜ「お」でないのか、不思議だ。

ジョジョ・・・ジョジョの奇妙な冒険。最高に楽しいです。
いきなり出てきたらわからない。

しょんどい・・・正直しんどいと言う意味。
面白いが、「しんどい」は関西だけ?

そま?・・・それってまじ?
いきなり出てきたらシンドイ。

てへぺろ・・・舌を口から出し、空気に触れさせている様。甘えているつもり。
「ぺろ」で下を出しているのはわかるが、「てへ」は何のことだろう?

バ終・・・バイト終わった
「ばしゅう」と読むのか?

メンディー・・・めんどくさい気持ちを表す
これは何となくわかりそう。

よし!・・・タバコを吸う際の隠語です。
こんなんあるのか。

り・・・了解
「り」だけというのはスゴイ略。

わず・・・なうの過去形
それはもう終わった、とかそこにいた、という時に使うのか?

尼・・・amazon
尼崎ではないのか。

これらを実際に使う女子高生のLINEの会話の例が出ているページもあった。

A子「ひまー。誰か こちゃしてー」
B子「 かまちょかよ  鬼うざ」
C子「それなw」
A子(スタ爆)
B子(スタ爆)

通訳すると

A子「ひまなので、誰か1対1のトークをしてください」
B子「かまってほしがる人なのですか。とてもうっとうしいです」
C子「その通りですね(笑)」
A子(号泣しているスタンプを連打)
B子(嘲笑うようなスタンプを連打)

「スタ爆」は「スタ連」とも呼ばれ、トークルームや友だちのタイムライン投稿にスタンプを続けて何度も打つことらしい。
スタ爆された相手は、即座にスタンプであふれた通知欄のスクリーンショットを撮り、「スタ爆ありがとー」とタイムラインに投稿して友情を確認するのが通例とのこと。
これが友情の確認なのだろうか。

まだ2ちゃんねるのネット言葉はわからなくもないが、こちらはより仲間内の隠語に近づいている感じだ。
それだけ閉じた世界になっているんだろう。

だんだん難しくなるなあ。



| | 考えたこと | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
中国の印象
第二次大戦で日本は中国を侵略した。
正確にいうと、第二次大戦の前の日華事変と呼んでいるあたりからだ。
理由をつけてよその国に行って、指導者を担ぎあげて、その国の一部を独立国と称して裏で権力を握った。
それらのことをどれくらいの若い人たちが知っているのだろうか。
日本の陸軍がやったことだ。

中国がオバマ大統領の広島訪問を喜ばないのは、まるで日本が被害者のようになってしまうからだろう。
南京の大虐殺で何十万人も一般人を殺したということを、声高に言っている。
ぼくは何十万人も殺したというのは信じないが、火のない所に煙は立たないから(中国の場合、そういうこともあるが)、全くないとは思わない。
ウソのプロバガンダをやるのは腹が立つが、日本の外交は下手だから言われっぱなしでも仕方がないと思う。
もうちょっと上手になってほしい。

当時、中国には欧米列強もみんな行っていた。
だから、日本は悪くないとは言わないが、中国でやっている歴史教育にもおかしな所はあると思う。
自分たちが世界の中心だ、という考え方を中華思想というが、そういう考え方をするのもどうかと思う。
しかし、日本が中国を侵略したのは歴史上の事実だし、そこは謙虚に悪かったと思う…
というように、中国に対してはある年齢以上の人たちは、悪いことをした、という気持ちは持っているんだと思う。

でも、それが公式な謝罪の対象だとは思わない。
だから、広島でも謝罪は望まない。

法的にはもう終わったことだし、そんなことを言い出したら世界中でややこしくなる。
悪かったと思うことと、謝罪をすることとは違う。
日本の問題は、それをちゃんと教育していないことだろう。
歴史の教科書には書いてはあるが、近代史はちゃんと教えない。

一方で、アメリカの世論調査機関によると、世界40ヵ国で4万5435人に中国への好感を持つか否かを聞いた結果を2015年6月に発表した。
それによると、『オーストラリアでは「イエス」が57%、「ノー」が33%だった。アメリカでは「イエス」が38%、「ノー」が54%、韓国では「イエス」が61%、「ノー」が37%、フィリピンでは「イエス」が54%、「ノー」が43%だった。40ヵ国の中間値は「イエス」が55%、「ノー」が34%だった。ところが日本では「イエス」はわずか9%で「ノー」が89%だから、日本人の中国嫌いは世界で突出している。』とのこと。

今や世界2位のGDPを持つ中国は、世界のほとんどの国で好かれている。
日本だけが嫌っているのが実情だ。
もちろん、中国国内では同じように日本を嫌っている人は多い。
だからおあいこだというのは日本人の論理。

それはそうなのだが、この関係はちゃんと修復したほうがいいと思う。
どうやって修復するのかはわからないが、ホントに何とかしたほうがいい。

あと10年、20年先には中国は大きなパワーを持つかもしれない。
イギリスなどは着々とその時に備えている。
あんなに遠い国でさえだ。

あの賢さを見習わないといけない、と思う。

| | 考えたこと | 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
企業が求めるもの
放送大学のキャリアの教科を見ていたら、1950年代の銀行の採用試験はソロバンの試験をやっていた。
工場の労動者もたくさんいた。

銀行を例にとって変遷をたどっている。
1960年代は人がたくさんいて、紙がたくさんあった。
1970年代になって大型コンピューター化が進んだ。
1990年代の後半に就職者における大卒の数が高卒を上回った。
そして、今の銀行は電子機器があふれ、それを使って仕事をするようになった。
通常業務はATMで出来るようになり、人は減った。

同様に90年代から今まで、製造業でも工場の自動化が進んで人が少なくなった。
もちろんグローバル化でなくなった工場もたくさんある。
そんな風に時代は変わってきたのが事実。

番組ではこれからの社会の変化の5つの要素を紹介していた。
キャリアを考えるには、これらの環境に適応できることが大事だという。
5つの変化は、

1.サービス経済化
時代とともに、第一次産業(農林水産)から第二次(製造業)、そして第三次(サービス業)が順に増えてくる。(コリン・クラークの法則という)
また、売った後のサービスを取り込むなど、業種横断的にサービスが拡大する。
要は、サービスの重要性が増すということだ。
したがって、顧客接点人材の価値が高まる(要はコミュニケーション能力が必要)ということ。

2.ICT化
インターネットの商用化と普及があらゆる産業に影響を与えている。
IoTといった、全てのモノがインターネットにつながる、といったようなところまで来た。
クラウドというような技術も、インターネットというインフラがあればこそだ。
それらによって、AIというような技術革新がまだまだ進むということだ。

3.情報化のスピード
とにかく情報化というものがスピードアップした。
最近の時代の変化は大きい。電話からFAX、そしてメール、今はSNSの時代。
それによって、親と子、上司と部下などの世代間断絶が大きくなる。
NYタイムズによると2011年度の小学1年生は、大学卒業時に65%が今はない職業名になるという。
それもあり得ると思わされるくらい、時代の変化は早い。

4.技術開発の質的変化
企業の技術開発が要素技術から統合技術に変わってきた。
複数の技術分野にまたがるプロジェクトになり、チームワークが重視される。
ここでもコミュニケーション能力が個人のスキルや知識と同様に求められる。

5.雇用のグローバル化
英語や中国語の会話力が必要になってくる。
これは言わずもがなのことだ。
それ以上に、異文化の人たちを理解し、付き合うことができるという能力も大事になる。
そこは日本は今まで単一民族できたから、大変だろう。

それに伴って、企業が採用したい大卒人材の変化が起こっている。
1971年は1位が健康だった。1986年にはバイタリティになり、2001年にはチャレンジになった。
今の1位はコミュニケーション能力のはずだ。
71年のまずは健康で働けること、ということから比べると、大きな変化だ。

講義はリクルート出身の人がやっていたのだが、2011年に680社の企業に対して行った調査結果では、対人、対自己、対課題の3つの基礎力のうち対人基礎力への要求が最も高いという結果を紹介していた。
具体的な内容は、他者に対する気配りができる、チームの和を大切にし他者と連携できる、相手の言いたいことを理解することができる、というような項目が上位。
あたりまえのことだと思うのだが、それができないということだ。

そんな時代の変化で、今はコミュニケーション能力が1位になった。
これは時代の要請でもあるが、この間時代は集団から個人に変化しているもの事実。
大家族から、核家族化、そして家族の個人化という変化があった。
ぼくらは核家族化の世代だが、今の子どもたちはそこから一段進んでいる。
だから、人と関わる機会が減り、コミュニケーション能力が必要とされるようになったとは言えないか。
電話は不特定の人からかかってくるものではなく、電話帳に載っている人からかかってくるもの、という常識の変化は、知らず知らずのうちに世の中を変えている。
マイテレビがあって、マイ携帯を持っている子どもたちは、そういう世界に住んでいるのだ。
それが結果的に、就職の時に今の若者を困らせている。
そういうふうに考えることもできるのではないか。

となると、今の親企業にできることも見えてくるような気がするのだが…。

| | 考えたこと | 19:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランプ現象
アメリカ大統領候補のトランプに関するイギリスのドキュメンタリーを見た。
BS1で、トランプを批判するキャスターがやっている。

スコットランドのゴルフ場開発でトランプがやったことや、女性キャスターに女性蔑視について言われた時などのことを取り上げている。
彼の性格は不安定だ、と言っているのだ。
こういう人物に「核のボタン」を預けられないという。

それでもアメリカでトランプは人気がある。
実際にキャスターが訪米して取材している。
支持者は圧倒的に白人男性が多い。

彼が大金持ちで圧力団体から無縁だということが有利だという。
支持者たちは、ワシントンの政治屋を嫌っている。
彼らがロビイストたちから金をもらって政策を実行した結果、自分たちは貧しくなったと思っている。
トランプは中国からの輸入品に関税をかけるというが、自分のブランドのネクタイやシャツを作っているのは中国製だったりしても、支持者はかまわない。
そんな矛盾があっても、彼はロビイストたちとは一線を隠しており、今の政治のエスタブリッシュメントからは自由だから、何かをやってくれる、と期待している。
とにかく、今の政治を変えたいのだ。

一度目の結婚相手の話など、彼が性格異常であることを匂わせる。
暴力的な傾向がある、ということだ。
彼は借金をしまくるのが得意で、結果として借金が大きすぎて貸した側が潰せないから支援を受ける、という手法で今の財を作ったという関係者も出てきた。

彼の催す集会では、つまみ出される者が多いという。
イスラム人の団体の人が、トランプが言ったことに対して反論を叫び、小競り合いになって警備員らに出ていかされるシーンが映っていた。
ドキュメンタリーは、それでも彼は支持されているということで終わった。

インタビュアーはかなり辛辣なことを言っていたが、イギリスのドキュメンタリーだったから、アメリカ人は気にしていないのかもしれない。

しかし、彼は性格が破綻している、という言葉は説得力があった。
若い頃から暴力的で、アブナイ人間だという。
さすがに、こういうことを聞くと彼が米軍のトップに立つということに危機感を持つ。

国としてはアメリカは豊かだ。
しかし、貧富の差は拡大しており、それを是正しないと前に進めないところまで来ているのかもしれない。
それが今のトランプフィーバーになっているのだろう。

ヒラリーも嫌われているし、どうなるか余談を許さない。
しかし、第二次大戦後に民主主義教育をしたアメリカの理想はどこに行ったんだろうか。
あの独立宣言の言葉はどうなったんだろうか。
ちょっと残念だ。

| | 考えたこと | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
モース警部
イギリスのドラマが面白い。
モース警部のシリーズだ。コリン・デクスターの推理小説の主人公。
孤独な独身でオペラやクラシック、古典が趣味。
警察官にしてはいわゆる教養がある。
独断が多く、自分勝手なところがあり、部下はこき使う。
ちょっとした証拠から、推理をするのが得意。
しかし、思い込みの捜査も多く、間違うことも多い。
赤いジャガーのクラシックカーに乗っている。
部下が子どもが問題があって校長に呼びだされている、と言っても仕事優先だ。
部下に仕事をさせておいて、自分はクロスワードパズルをしたりすることもある。
今ならパワハラ上司と呼ばれるだろう。
上司の言うことも聞かない。

舞台はオックスフォード。
大学の関係者の事件も多い。
必然的にドロドロした人間関係のものになる。

古いイギリスの大学の造りである、広い中庭を囲むように建物が立っている。
中庭は芝生がきれいだ。
ああいうのが中世から続く大学(カレッジ)なのかと思わされる。
景色もドラマの魅力。

アメリカのものと違って、派手さがなく警察ものでもほとんど撃ち合いシーンがない。
カーチェイスもなければ、殴り合いもない。
日常生活が淡々と続く中で、モースの捜査が進む。
出演者の年齢も高めだ。
ゲストも中高年の俳優が多い。

ゆったりしたドラマだ。

このドラマ86年から2000年までの放送だが、とにかくびっくりするのは飲酒運転。
昼はパブで食べるのだが、必ずビールを飲む。
取り調べに行った先でも、ウィスキーを勧められたら飲む。
飲んで愛車ジャガーを運転して帰る。
まあ、警部だからつかまることはないが、当時はだいぶ取り締まりが緩かったんだろう。

たしか、1980年代にドイツではアウトバーンのパーキングエリアでビールを売っていたような気がするから、イギリスも同じようなものだったんだろう。

今の日本の地上波では放送できないだろうなあ。
まあ、最初に製作者の意図を尊重して、オリジナルで放送しています、などと入れたらいいかもしれないが…。

予期に反してアメリカにもファンが多かったらしい。

ぼくが見ているのは何度目かの再放送だが、こういうドラマもいい。

| | 考えたこと | 00:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
フィンガーピッキング
今、レッスンでブルーヘブンというシナトラの古い曲をやっている。
ブルーヘブンというと馴染みがないが、「狭いながらも楽しい我が家…」とエノケンが歌っていた曲。
シンプルな曲だが、コードはわりと凝っている。

先生はいろんなアレンジで弾くのだが、カントリー風にやるとこんな感じ、ということでフィンガーピッキングで弾いた。
懐かしい奏法だ。
ぼくがギターを始めた頃、PPM(ピーター・ポール&マリー)という3人組が有名で、パフがフィンガーピッキングの代表曲。
日本では高石ともやとか、高田渡、遠藤賢司などがよくやっていた。

「当時はフィンガーピッキングができたら一人前っちゅう感じでしたなあ」と先生が言う。
事実、そんな感じだった。
うちの息子たちはギターをやるが、フィンガーピッキングは通らなかった。
そういえば、今のアレンジでフィンガーピッキングが聞こえる曲はほとんどないと思う。
もうその言葉自体が死語になったのかな。
80年代はフォークだけでなく、アイドルの流行歌でも使っている曲がたくさんあった。

「サイモンとガーファンクル以降、減りましたなあ」とぼくは答えた。
ポール・サイモンはフィンガーピッキングの達人だ。
「4月になれば彼女は」とか、「フィーリン・グルーヴィー」とか…。
当時は耳コピなどできず、譜面が載っている雑誌を買って覚えたものだ。

その流れでピックで弾くストロークの話になったが、先生はアリスの「今はもう誰も」が最初の曲だ、と言っていた。
この曲、アリスがやって流行ったが、その前のウッディー・ウーのキーがCのやつだ。
ぼくは「戦争を知らない子供たち」だった。
サビ終わりのFからF#、Gと上がっていくのがかっこよくて、みんな弾いていたと思う。

そんな歌を弾いていた世代ももう還暦を迎える年齢。
先生とぼくは同じ年齢だ。

ギター一筋で生きてきた先生は、何でも弾けるスゴイ人だ。
寡黙な人で、あまり余分なことは話さないのだが、昨日はそんな話になった。
同じ時代を生きてきて、ぼくとはだいぶ違う。
羨ましいとは思わないが、あれだけ弾けたら気持ちいいだろうなあ、とは思う。
若いころはロックをやっていたが、今はガット・ギターをもっぱら練習している。

先生のレベルに少しでも近づけたらと思うが、ムリだろうなあ。

| | 考えたこと | 00:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロボット作り
台湾のASUSというパソコンの会社が家庭用のロボットを発表した。
身長が大人の膝くらいで、Zenboという商品名。
手はなく、動く球体とアーム状の首と液晶ディスプレイがついた頭の部分がある。
呼べばこっちを向いて来るようになっている。
人間と会話したり、写真を撮ったり、見せてくれたり、踊ったりする。
表情は液晶で変わる。

こういう家庭用のロボットは日本の家電メーカーは出さないのだろうか。
日立、東芝、パナソニック、ソニー、三菱など、メーカーはあるのに、どうも元気がない。
ソニーはaiboをやめて、ロボットもやめてしまったようだ。
でも、こういうのはソニーが得意だったはず。

高齢化の面からも、人間とコミュニケーションできるロボットは売れるはず。
ビジネスチャンスはあるはずだ。
コミュニケーションできて、家電をコントロールでき、インターネットにもつながり、聞けばなんでも教えてくれるロボットはきっと必要になる。
一人暮らしの高齢者に売れる。
話すことで認知症予防にもなる。
世界で高齢化率1位を走っている日本だから、こういうロボットの市場は大きい。

でも、そのたぐいのものは、ソフトバンクのPepperくらいだ。
業務用だし、ちょっと値段が高すぎる。

アマゾンもグーグルも動くロボットではないが、アシスタントデバイスとか、グーグルホームとかいう据え置き型の音声コミュニケーションができるものをアメリカで販売しはじめた。
両社ともAIやクラウドに強いから、動きが速い。
音楽のデーターベースを持っていたり、写真のクラウドサービスをやっていたりするから、インターネットにつながったサービスは簡単にできる。

一人暮らしなら、家に帰って「電気をつけてくれ」と言ったらつけてくれたりすると便利だ。
独身者も増えているし、結婚年齢も上がっているから、そういう需要もあるだろう。
家電機器を販売してることは強みになるはず。

こういうところに日本の強みを発揮してほしい。

ソニーの家電コントロールロボットが出たら買うんだけどなあ。

| | 考えたこと | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
CGのサンダーバード
1965年にやっていた、サンダーバードというSF番組がある。
ここにも1回書いた。
それがCG(コンピューター・グラフィックス)になってリメイクされた。

元は人形劇だ。
人形劇といっても、ひょっこりひょうたん島みたいな誇張されたものではなく、天下のイギリスBBCが作った精密な人形を使っている。
サンダーバードというのは国際救助隊のことで、サンダーバード1号から5号まである。
1号は高速ジェット機で、2号はコンテナを積んで運び(重いものを運ぶ割には翼が小さいが)、3号は宇宙ロケット、4号は潜水艇で、5号は宇宙ステーション。
これを5人の兄弟が動かす。
メカが凝っていて、当時のメカ好きの子どもをつかまえたのだと思う。

一時実写の映画があったが、今回はCGになった。
もう4回の放送をやっているらしい。
CG版は「サンダーバード ARE GO」という題名だ。

こないだ見ていたら、中で「FAB(エフ・エー・ビー)」という言葉がよく出てくる。
Webで調べると、実際は1965年版でも使われていたもの。
これは、60年代の流行語「fabulous」、これが「FAB」と短縮されたということらしい。
当時は「了解」というような和訳をしていたとのこと。
もとの意味は「素敵だ」。

しかし、サンダーバードには根強いファンがいる。
何といっても、あの当時のウルトラQやウルトラマンとは一線を画した「メカ」があった。
5人兄弟の叔母のペネロープが乗っていたピンクのロールスロイスも、いろんな仕掛けがあってバットマンカーといい勝負だった。
サンダーバードが人気があったのは、やっぱりあの「メカ」だと思う。
科学好きの男の子が、あのメカにワクワクしたんだろう。
アニメではなく、人形劇とはいえ実写だった。
そこがよかったんだと思う。

今の日本の子供向け番組は、合体ロボなどはあるが、サンダーバードのような「メカ」はあるんだろうか。
ぼくは、ああいう番組を見て、漠然と機械に憧れた。

子供たちの理科離れが、ああいう「メカ」の番組が無くなったことと関係していると思えて仕方がない。

| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
死ぬ時に…
こないだ、若い人と話していて、なんで働くのかなあということ尋ねた。
ちょっと話して、食うためというのは当たり前ということになった。
じゃあ、何のためだろうか、という話になった。
彼は「うーん…、死ぬときに楽しかったなあと思えるようにかなあ」と言った。

そういう答えを聞いたのが初めてだったので、なるほどなあ、と言った。
実はぼくも同じように考えている。
いろんな理由はある。
働いていると、いろんな人に会えるとか、誰かの役に立つことができるとか、いろんな課題を知ることができるとか、目標が持てるとか、世界が広がるとか、能力がつくとか、種々の付属物がある。
働くのはそれらの付属物のためだ。
いや、付属物と言っているが、それらが目的なのかもしれない。

大昔、狩りや農業がみんなの仕事だった頃は「食うため」という目的がほとんどだっただろう。
しかし、時代を経て、それは変化したんだと思う。

「なぜ働くのか」という問いと、「なぜ生きるのか」という問いは同じようなものだ。
年をとって働くのをやめて、初めて「なぜ生きるのか」という問いに変わるのだろう。
とりあえず、働いている間は「なぜ働くのか」という問いになるということだ。

できれば、死ぬ時に思い出すいい瞬間が多ければいいと思う。
それでも、その瞬間を作ろうとして働いたり、生きたりするわけではない。
わかっているのだ。
結果的にそれが多くなれば、楽しかったと思える。

彼がどういう思いで言ったのかはわからないが、ぼくは死ぬ時にそういう瞬間があると思っている。
物理的には瞬間かもしれないが、感覚的にはけっこう長い時間のような気がする。

はたしてどの瞬間が思い出すべき瞬間なのか。

それはその時がくるまでわからない。

| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい野球
大リーグの野球には確率の理論が使われている。
マネー・ボールという本が出て、データーが重視されるようになってきた。
そういうデーター野球で勝つチームが出てきたのだ。

新しい「ビッグデータ・ベースボール」という本によると、その動きが一段と激しくなってきたらしい。
マネーボールの時代よりももっと細かいデーター分析をしている。
その結果、打球の方向と守備位置がマッチしていないことがわかったらしい。

今まででも有名な打者については、「誰それシフト」というのはあった。
強打者の場合だ。
その時には野手がシフトして定位置からだいぶずれたところで守る。
統計的にそこに飛んでくる場合が多いということだろう。

そのシフトを打者ごとにやる。
その戦法によって、'92年以来勝ち越しがなかったピッツバーグ・パイレーツが94勝をあげ、ポストシーズンに駒を進めたとのこと。
このパイレーツはデーター分析官をクラブハウスに招き入れて、選手と議論をさせたらしい。

こういうのはアメリカでも実際にプレーヤーや監督、コーチにやらせるのは難しい。
ずっと野球をやってきた実績から外れたことだからだ。
それも、野球が得意というよりも、コンピューターや数学が得意という人が分析し、そういう人が結果を説明する。
実際野球をやったことがない人が説明したりすると、反発もあるだろう。

一方で、こういう大量のデーターの利用は、アメリカ人が得意とするところ。
しかし、通常のスコアブックならどこに飛んだかというデーターなどわからない。
ライト前といっても、センター寄りなのか、ラインぎわなのかでは大きな違いだ。
結果的にライトが取ったヒット、ということだからなあ。
打球の方向をビデオで見て解析するんだろう。

ピッチャーの投球の種類も入れるとなると、本当にビッグデーターになる。
どんなふうに数値化し、どんなふうに解析するかはデーターサイエンティストの腕の見せどころだろう。

しかし、こういう動きは日本では遅い。
DeNAが参入したので、横浜が進めるのかと思っていたら、そうでもない。
大リーグ以上に現場の壁が大きのかもしれない。

そんなことをしていたら、周回遅れになってしまうぞ。
産業界も同じだが…。



| | 考えたこと | 19:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
狐狸庵交遊録
狐狸庵交遊録 遠藤周作 河出文庫

遠藤周作のユーモア随筆集。
1968年から1988年までの20年間の随筆をいろんな所から集めている。
前半は文章も若くて面白い。
後半はちょっと年をとって真面目な感じ。
1923年生まれだから、45歳から65歳という時期だ。

ぼくが高校の頃だったか、「違いの分かる男」というコーヒーの宣伝があって、そこに顔を出していたと思う。
当時は遠藤周作というと、もっぱら狐狸庵先生というイメージで、何かわからないけれど面白いことを書いているとずっと思っていた。
カトリック信者で、その関係の小説も書いているということはずっと後になって知った。
55年に芥川賞を取っている、純文学の人だったのだ。

ぼくは遠藤周作を読むのはこれが初めて。
最初に出てくるのが吉行淳之介、続いて阿川弘之という面々。
二人とも文庫はだいぶ読んだ作家たち。
吉行淳之介がお金がないとぼやいていたり、水商売の女性にモテたりする様子が書かれている。
阿川弘之は海軍の小説をだいぶ書いていたが、軍艦オタクであることや、仲間ウチではセコいということも書いてある。
どちらも20代の頃によく読んだ作家だが、あの頃読まないでよかったと思う。
作家の実情を知ると、作品は楽しめないような気がするなあ。

柴田錬三郎も中盤で出てくる。
この人は、ニヒルでかっこいい人として描かれている。
誰が書いてもそんな感じになっている。
眠狂四郎や岡っ引どぶを書いた人だから、そうなんだろう。

一番笑ったのは、作家に仲人を頼んではいけない、という話。
自分の息子の結婚式で、むちゃくちゃな挨拶をされたという。
これは声を出して笑えた。

後半は友人や恩師などの話が出てくる。
こちらは狐狸庵というよりも遠藤周作という感じだ。

亡くなったのが96年。

どうも、この先この人の純文学は読まないような気がする。


| | | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
いよいよクロームブック
クロームブックというノートパソコンを愛用している。
デル、HP、ASUS、Acerというようなメーカーがメインで作っている。
何度か書いたが、要はクロームというグーグルのインターネットブラウザだけを使えるパソコンだ。
もちろんインターネット上で扱えるファイルならUSBをつないで見たり聞いたりすることができる。
ワープロも表計算もスケジュール管理もプレゼンもグーグルドキュメントやグーグルカレンダーという、ネット上のアプリが利用できる。
ネットの技術が進み、パソコンは端末として使うだけ、ということになった。
もちろん、できることはかなり制限される。
もともと、インターネットにつながっていないと使えない。
そんな重たいデーターを扱うことはできないし、高度なデーター処理もできない。
しかし、逆に言えばそういうことをしないのなら、クロームブックで十分だ。
検索、メール、簡単な表計算、簡単なプレゼンなどなら、これで十分。
アメリカでは今年の1−3月の売上で、クロームブックがMacを抜いたということだ。

とにかく立ち上がりやシャットダウンが早い。
10秒かからない。
ブラウザだけだから、当然動きは早い。
1世代前のCPUでらくらく動いて、省電力だから電池もフルに使って1日は持つ。
だから、ACアダプタを繋いで使ったことがない。
おまけにセキュリティをあまり気にしなくてもいい。
ブラウザのアップデートだけだから、しれている。
専用のウィルスチェックソフトなど不要。
それで値段が3万〜4万円。
アメリカで売れているという理由がよくわかる。

さらに、今回ニュースがあった。
年内にはクロームブックでAndroidのアプリが動くようになるらしい。
Androidのアプリはキーボードがあったほうがいいものもあるし、クロームブック用に開発も進むだろう。
スマホのアプリが動くというのもなかなかいいと思う。

ちょっとマトモなBluetoothスピーカーをつなげば、音楽も聴ける。(本体にもスピーカーはついているが)
もちろん、ネット上のストリーミングというやつだ。
便利な世の中になったものだと思う。

ぼくは文系大学の持ち歩き用のPCはクロームブックで十分だと思う。
11インチのものなら、2万円台で売っている。
クラウドでデーターは持てるし、データーが無くなる心配もない。

いよいよ、日本でもクロームブックの時代が近づいているぞ。

| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
私はネコ派
海外のドラマのセリフ。"I am a cat person."
「私はネコ派なの」という字幕が出た。
それを聞いて、男はあわてて写真立てを裏返し、ネコと写っている写真を見せる。
写真立てに、イヌと一緒に写っている写真とネコと一緒の写真が裏表で入っていた。

どういうわけか、アメリカのドラマでは女性がネコ派ということが多い。
そのシーンではイヌ派だと思っていたのだが。
catというのは名詞だが、a cat personでネコ好きという意味になる。

そうなると、”a dog person”はイヌ派ということになる。
これらはどちらも英辞郎に用例が出ていた。

こういうやり方なら、いくらでもナントカ派、ナントカ好きという言葉は作れるだろうと思って適当に入れて調べてみたが、用例があったのは“a computer person”くらい。
コンピューター好き、という意味だった。

ネコ派、イヌ派というのは二大ペットについての言葉で、アメリカでもけっこうメジャーな言い方なんだろう。
性格を推し量る分け方でもある。
たしかに、”I like cat”というよりも”I am a cat person"と言ったほうが「ネコ派」というニュアンスが伝わる。
言外に「イヌよりも…」という感じが出るなあ。

となると、前後の文脈はあるが、どんな映画が好きか?と聞かれて、”a comedy person”といえば「コメディー派」ということになり、どんなスポーツが好きか?と聞かれて、”a baseball person”というと「野球派」ということになるんだろう。
恋愛物の映画が好きなら、”a romantic movie person”と言えば通じるような気がする。

意味がわかるから、用例を立てるほどではないが、いくつかの中から「これ」という場合は、こういう言い方もアリということだ。

こういうのが自然に出るようになると、「伝わる英語」になると思う。


| | 英語 | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
同一労働・同一賃金 2
こないだ同一労働・同一賃金の記事を書いたが、この問題の核心をついた記事が出ていた。

それによると、まず日本はパート労動者と正規社員で賃金の差が大きすぎる、ということが書いてある。

「フルタイム社員に対するパートタイマーの時間当たり賃金水準は、ヨーロッパ諸国が70〜80%程度であるのに対して、日本では50%台となっています。」

こないだはバイト社員のことを書いたが、パート社員でも同じことだろう。
正規、非正規の差を詰めることが、とりあえず言われていることだ。

しかしこの問題を詰めていくと、正社員間の問題にも突き当たる。
若い人と年配者での差もあるからだ。
工場で同じラインで働いていて、差がつく。
これは若い時は労働生産性が高いのに、安い賃金で使われるのは歳をとったら上がるという暗黙の了解があったからだ。
まさに、それこそが年功序列賃金の考え方だからなあ。
定年して再雇用の人も大幅に下がる。
まあ、これも年功序列の制度の考え方を延長したものだ。
このあたりをどう解決するのか。

もう一つは手当の問題。
同一労働・同一賃金ということなら、家族手当や住宅手当などのよけいな手当はオカシイ、ということになる。
結婚しているかどうか、子どもがいるかどうかで賃金が変わるのはオカシイ、という事になる。
今までの日本人の当たり前が失われるかもしれない。

出向社員もある。
同じ仕事をしていても、出向者は給料が高かったりする。
こういうのも問題になるだろう、ということだ。

結局、生産性が下がった正社員のオジサンの給料をどうするか、という問題になるということだ。
インターネット以降、特にスキルの差が大きくなってきた。
デジタルデバイドというやつだ。

記事の最後に書いてある。

「もし政府が、本気で同一労働・同一賃金を実現しようとするのではあれば、「これを実現するためなら、既得権者の賃金は引き下げてもよろしい」という法律をつくるしかないと思います。
しかしながら、冒頭の「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」に提出されている資料の中でも、「有利な取り扱いを受けている人の処遇を引き下げて対処することは許されない」旨の記述があります。すなわち、既得権は守りながら改善しましょう、というスタンスです。
国がこのスタンスを変えない限り、「結果は見えた」といえるのではないでしょうか。」

今や労動者の4割が非正規の時代。
そして、デキる若い人たちには給料を払わないと、どんどん逃げていってしまう時代でもある。
国の財政は増税延期でまた苦しいことになる。
年金の制度どんどん見直して、支給を下げないと持たないだろう。
退職金をやめて、長く働けるような体制にして、既得権者の利益を削らないとどうにもならないような気がするのだが…。

どんな答申がでるのか…。

いずれにせよ、同一労働・同一賃金は、長く続いた年功序列、終身雇用、企業内組合という80年代にもてはやされた日本型雇用の終わりを意味するのだと思う。



| | 考えたこと | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
タイピスト
朝のドラマを見ていて、今の小学1年生の6割は、現在存在しない職業につく、という調査結果があったのを思い出した。
主人公は当時女性でも給料が高いと言われていた和文タイピストになる。
時代は五・一五事件のあった年くらいだから、1930年代前半。

和文タイピストは2000文字以上の文字が盤面に並んでいて、そこから文字をさがして一文字ずつタイプする、という仕事。
たしか1980年代、免許の書き換えの時に見たことがある。
もう今は歴史的遺物としてしか、価値はないだろうなあ。

なぜ、清書をするためだけにこんなものを使うのかと思っていたが、今回テレビで初めて理由がわかった。
和文タイプは中にカーボン紙(これも若い人はわからんだろうなあ)が入っていて、一度に5枚も複写できるという機能があったのだ。
清書兼複写という両方の機能を持っていたからこそ(複写目的で)普及したのだろう。

その和文タイピストが当時の花型の職業で、高給取りだった、ということだ。
今から80年ほど前のこと。
Wikipediaによると、1915年に発明されたということだ。
1980年代にワープロが普及して急速に姿を消したということだから、60年ちょっとの命だった。

でも、複写目的で言うと、1950年代に青焼きの複写機ができて、和文タイピストの需要はだいぶ減ったと思う。
需要が減るから給料も下がっただろうなあ。
となると、高給取りだった時期は20年ちょっとだったのかもしれない。
当時はタイピストの専門学校もあったし、その教師という仕事もあったらしいが…。
機器が進むと、職業がなくなる、という実例だ。

そう考えると、目先のことを考えて職業を選んでもどうなるかわからない、ということになる。
今の小学1年生が…、ということも、あながちウソではない。
パソコンができ、ネットワークがつながって、仕事のやり方はだいぶ変わった。
2000年代以降は社会の移り変わりが早くなったと思う。

経理で計算をする仕事はほとんどいなくなった。
各グループで伝票処理などをする庶務の仕事もほとんどいなくなった。
進んだ会社では紙を配るという仕事はほとんどなくなった。
いわゆる「事務」と呼ばれる仕事は大きく変化したと思う。

レジはバイトでもできるようになったし、銀行の通常業務はATMで充分だ。
証券会社もネット証券の時代だし、自動車保険もネット保険の時代。

やっぱり教育が変わる必要があるんだろうなあ。

どんな世の中になっても通用する、人間の知恵みたいなものを重視しないといけないような気がする。

| | 考えたこと | 20:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生の時間
いつ頃から実感し始めたのかは忘れたが、年をとると時間が早く流れる。
何度かここにも書いた覚えがある。
それを数学的に説明した記事を見つけた。

それによると、体感時間の速さは「それまで生きてきた期間の比で表される」、ということだ。
引用すると、

「フランスの哲学者ポール・アレクサンドル・ルネ・ジャネ(1823-1899)は、この人間の時間の感じ方を考察しました。そして、次のように結論づけました。
 人間にとって現在という時間の感じ方は、これまで生きてきた時間との比として感じている。
 例えば、10歳の少年の1年間は、それまで生きてきた10年に対しての1年つまり10分の1と感じているということで、60歳の大人の1年間は、それまで生きてきた60年に対しての1年つまり60分の1と感じているということです。
 60歳の大人の1年は10歳の時の1年の6分の1に短くなったと感じているということです。」

これは納得できる。
10歳のころ、一年は長かった。
小学校4年の時。毎日同じように小学校に通っていたが、一学期の4ヶ月は24ヶ月分、とは長いような気もするが、それくらいだったかもしれない。
個人差はあれ、比で考えるというのは正解だ思う。

ぼくは人生のイベントの密度というようなもので考えていたが、こっちの方が合理的だ。

途中は省いて、日本人の平均寿命を死ぬ時とすると、時間が半分になるのは19歳ということだ。
80歳ちょっとまで生きるとすると、折り返し点は19歳!
なんと早いことではないか。

たしかに自分の思い出を考えてみると、19歳あたりを折り返し点として、まあ30歳代後半くらいまでのものが大半を占めるような気がする。
ここ20年位のことは事実としてはだいたい覚えているが、みずみずしいという感覚はない。
そう思うと、人生の半分は19歳、というのもあながちオカシイとは言えない。

人間を形作るのは幼少期から青年時代の経験だろう。
何事も初めてのものが自分の糧になる。
その時代にできるだけたくさんの経験をする方が、人生が豊かになるような気がする。

できるだけ体感時間を長く生きるためにはどうすればいいのだろうか?
記事の作者は書いている。

「では、どうすればいいのでしょうか。そのカギはジャネの法則の中に見つかります。そもそもこのモデルは、人生の瞬間瞬間で、それまでの人生と対比し続けることが前提になっています。
 私たちは知っています。何かに打ち込んでいる時には時間を忘れてしまっていることを。そうです、瞬間だけを感じて、いや瞬間という時間さえも忘れてしまう時があります。
 それまでの人生と比較しない瞬間をたくさん生きるならば、この計算結果は成り立たないということです。」

そういうことなんだろう。
何かを探すよりも、目の前のことを一生懸命やるほうがいい。

商売柄キャリアについて考えることが多いが、キャリアというのは日夜考え続けるものではない。
節目節目で考えるべきものだろうと思う。
自分の将来について一生懸命考えるのはいいことではないか、という人もいるかもしれないが、そんなことばかり考えていては目の前のやるべきことがお留守になるよ、と思う。

人には「今」しかない。
過去は生きてしまったし、未来は今生きれない。
だから、今目の前のことを、頑張りましょうということだ。

ジャネの法則は正しい。
でも、それを覆せるような毎日を送ることは可能でもあると思う。



| | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
Youtuber
Youtuberになりたいという小学生が多いという記事が何となく心に引っかかっている。
それもあって、Youtubeの広告について書いてある記事を調べてみた。

それによると、今やYoutube上の動画はすごい量になっているらしい。
調査した人がいて、今のYoutubeの動画の量は21億件ほどとのこと。
動画をアップして、広告を入れて、見てもらえたらお金がもらえる。(もちろん、広告を入れないという選択も可能だし、著作権を犯しているものは広告が入れられない)
一生見続けても、全部の動画を見ることはできないレベルだ。

だいたい、1再生で0.1円ということがネット上に書いてあった。
1万回再生してもらっても、1000円ということだ。
まあ、普通の人が普通に撮って見てもらおうとしても、金儲けにはならないだろう。

しかし、Googleはどこにそれを置いていて、どうやってバックアップしてるんだろう、と思う。
管理のコストは膨大だと思うが、利用はタダだ。
もちろん、広告が入るから、無料になるんだろう。

ぼくはネコ動画をよく見るが、再生中に動画の下の部分に広告が入ることが多い。
そういえば漫才の動画は所属プロが流しているものは入るが、テレビの録画を流しているものも多く、それは著作権違反だから広告は入らない。

出てくる広告は、動画でなくても、動画の右側に広告が出たり、再生中に一部分に出たりもする。
5秒後にはこの広告はスキップできます、というものもあるし、それができないのも時々ある。
そういうのを平均して、1再生0.1円で計算しているのだろう。

一方で、広告を出したい業者にはターゲッティングということができる。
Youtubeのページを見ると、こう書いてあった。

「YouTube ではさまざまな方法でターゲットを設定できるため、ご自分のビジネスに合ったユーザーに広告を表示することができます。設定できるターゲットの種類は、年齢、性別、地域、興味、関心などです。」

どうせなら、広告費を安くして、効果は上げたいのが広告主の考え。
それを実現するのが、ターゲッティングだ。
若い人向けの製品やサービスの宣伝なら、若い人だけに見せるようにできる。
テレビのように不特定多数に一斉にやることのムダを省けるというわけか。
よく出来た話。

そういえば、Youtubeを使う時にはGoogleアカウントを登録する必要があり、性別や生年月日、住んでいるところなどを入れるから、その情報の見返りに無料で見せてもらうというリクツになる。
なるほど、あの広告は人によって違うのか…。
仕組みを考えた人はエライと思う。

そういう中で、Youtuberになるのはどれくらいの率かというと、そういう調査もあった。
もちろん、Youtuberになろうとすると、再生回数を増やさないといけない。
つまり、再生回数の多い動画がどれくらいあるかということだ。

調べた人がいて、Youtube上の動画の上位1%の再生回数が全体の93%を占めると推定されている。
結局、個人で上げている動画で再生回数の多いものは1%もない、ということだ。
そういえば、NASAなどの公的機関がYoutube上に上げている動画は、広告は入らないのがほとんどだからなあ。
組織ではなく、個人ということになると、1%くらいという数字になるのだろう。

でもまあ、21億の1%というと、2100万。
一人が200件の動画を上げているとすると、だいたい10万人になる。
それが全世界での値。
今のインターネットの人口は31億と言われているから、0.003%。

最近のネコ動画はロシア語や中国語のサイトも多いから、母集団となる国は相当増えているだろう。
やっぱり、ハードルは高いということか。

プロのスポーツ選手よりはハードルが低いかもしれないが、成功が難しいほど憧れるという法則があるとすると、「なりたい職業はYoutuber」というのもアリかもしれない。



| | 考えたこと | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しい学校
増えすぎた大学を整理する動きが始まった。
4月13日から始まった文科省の会議は「今後の私立大学の在り方を話し合うための文部科学省の有識者の会議」らしい。
何せ、私立大学の4割が定員割れしている現状だから、「大学の統合や連携も含めた経営支援の方法などについて検討を進める」ことになった。

文科省のページを見ると、18歳人口の減少等による経営困難校の顕在化とか、管理運営上の不適切事例等、という言葉が書いてある。
何といっても、私立大学に対して補助金を出している監督官庁だから口を出す権利はある。

検討事項としては主に5項目。
私立大学等の果たすべき役割、ガバナンスの在り方、財政基盤の在り方、経営支援、経営困難な状況への対応、というような事項が上がっている。
まあ、文科省としては私立大学を再定義しよう、ということになるんだろう。

メンバーを見てみると、学長や理事長、教授などの大学・教育関係者が18人、それ以外が3人という構成。
大学関係者以外のメンバーは、ニチレイの相談役、読売新聞の論説委員、公認会計士、ということになっている。
これを見ると、まず思うのは大学関係者が多すぎることだ。
文科省の領分を減らしたくないという意図が働いているということだろう。
あまり大学が減ると、天下り先も減るし、予算も減らされるからだ。

ぼくが大学に転職したころから、私立大学の定員割れは問題になっていた。
もう10年以上前だ。
18歳人口が減っていくのはわかっているのに、大学は増え続けている。
その結果、極論すれば名前さえ書ければ合格できる、ボーダーフリーと言われる大学が増えている。
大学の定員の方が、大学に行きたい人よりも多いんだから、どうしようもない。
需要と供給の法則だ。

ことは教育である。
入試もやっているのに、どうなっているのかと普通の人は思うだろう。
事実上、学校法人の経営優先で入試が成立しなくなっている。
文科省の予定では、そういう大学は潰れていくはずだった。
しかし、経済原理に教育理念は簡単に負ける。
「これでは教育ができないから、ウチは学校閉めます」というような志の高い法人はなかったということだ。

今や多くの下位の私立大学では、事実上学力不問の推薦入試やAO入試が半分以上になっているのが現実。
そういう大学は経済的にも苦しい学生が多いから、奨学金をもらう比率が上がる。
就職先が、借りた奨学金がペイするレベル以下になるから、奨学金が返せない事例が増える。
そんな問題も大きくなってきて、もう放っておけない。
だから、私立大学の経営をどうするのか、破綻したらどうするのか、ということをもう一度(過去にも話し合っている)話しあおう、というのが会議の趣旨だろう。

座長である金沢工業大学の学長は、入れた学生はちゃんと育てよう、という教育をやっている人。
365日開いている夢工房や、24時間の図書館など、ユニークな教育をやっている。
残念ながら少数派だが、だからこそ、座長に選ばれたんだろう。
教員も北陸出身の人で、教育に熱心な人を選んでいるらしい。

去年、G型・L型という分類で、L型大学(グローバルではない大学)はもっと実学を教えるべきだ、という議論があったが、その通りだと思う。
それなら、ボーダーフリーでも構わない。
ただし、教員はちゃんと教えられる人を選ばないといけない。

今度こそ、ちゃんとやらないといけないと思う。



| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
ボランティアについて
95年に考えていたこと。ボランティアについてだ。
これにはちょっと解説が要る。

ぼくは高校3年の夏休みに青年赤十字(JRC)というクラブに入った。
そのクラブに友達がいて、誘われたからだったが、何か放課後ダベる場所が欲しかったというのが本音だった。
いろんなボランティア活動をやっていて(赤十字だから当然だ)、それにはあまり参加する気がなかった。
まことに志の低い、不良部員だったことはこの場を借りてお詫びします。
言い訳すると、全くやる気がなかったのではなくて、そういうことをするのが気恥ずかしかったのだと思う。(他人事のように書く)
そこで、「ボランティアと偽善」というようなことを話していた。
その頃から考えていたのは事実。
そういうバックグラウンドがある。
阪神大震災以降、ボランティアをみんな当たり前のようにやる時代になった。
それはいいことだ。
しかし、何となく心の底にわだかまるものもある。
若い人たちがボランティアを一生懸命やるのは立派だとは思うが、自分の目の前のことはどうなっているんだろう、ということだ。
そこをちゃんとしないと、社会はどうなるんだろう、などと今も余計なことを考える。
もちろん、口には出さないのだが…。
ということで、95年のメモ。


ボランティアについて、まず考えたことは、やらなければいけないからやるのか、やりたいからやるのか、という事です。
やらなければいけないから、やるというのは、危険だと思います。
偽善になってしまい、施しになってしまうからです。
また、ボランティアができる、というのは、その社会が豊かであることが必要です。(食うや食わずの状態では、人のことをかまってなどいられません。)
したがって、その社会を豊かにしている人たちに感謝する部分が無いといけないと思います。
私は、自分のことで精一杯なので、ボランティア活動をしたことがありません。
唯一、落研の時に毎年春・夏に各地の老人ホームを慰問して回った位です。
但し、これは自分が好きでこちらから行かしてもらったという意識で、あんまり、ボランティアとは言えないと思います。
しかし、老人ホームで、バカ受けして、口座の後に年寄りの人たちに礼を言われたりすると、何かいい事したのかなあと思います。
私にとっては、こういう状況が最も意識せず、自然にやっていけることだと思います。
ボランティアは、ちょっとした気持ちで出来るようなものではなく、自分がやりたくて、必死になる様なものだと思います。
私はどちらかというと、ずるくて、自分を守ろう守ろうとしているので、何かに必死になるという事を避けてきたようなところがあり、だからボランティア活動というものとは、なかなか縁がないのだと思います。
でも、何か、会社以外のものを通じて、社会とつながっているというのはいいことですね。
自分でも何かやりたいのですが、私の場合、それはボランティアとはつながらないでしょう。

ということで、今もこの考えは変わらない。

| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |