考えたこと2

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ラーニング・プラトー
何かを学ぶときに、それが身につく段階を表した学習曲線というのがあるらしい。
要は成果は努力に比例しない、という事だ。

やり始めた最初は、習得が早い。でも、少しすると、やっても伸びない時期が来る。
それにめげずに頑張っていると、あるところでぐっと伸びる。

また、伸びない時期が来る。
またまためげずに頑張っていると、またぐっと伸びる。
伸びない時期、というのが成果は努力に比例しない、ということだろう。

その繰り返しが学習というものらしい。

当然、最初は「やっても伸びない時期」が比較的短くて、進度が進めば進むほど、その時間が長くなる。
この「やっても伸びない時期」をラーニング・プラトーと言う。
直訳すると、「学びの台地」になる。

中学2年の時からギターを始めた。
最初は家にあったクラシックのギターで、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」のメロディを弾いて、悦に入ったのが使い始め。

ちょうどそのころから、フォークソングのブームが始まり、吉田拓郎や井上陽水が出てきた。洋楽ではサイモンとガーファンクルがなんといってもバイブル。(ちょっと上の人たちは、ピーター・ポール&マリーやカントリー系の人がフォークのとっかかりだと思う。)

6年間ほどフォークギターをやって、それから、楽器店で新年バーゲンセールのエレキギターを買った。
それからは、当時のニューミュージック(この言葉も今や古くなった)に突入し、ユーミン、山下達郎、ハイファイセットなど(こっそりさだまさしも)を弾いていた。

何度となくラーニング・プラトーになったが、元々練習不熱心なのと、ちゃんと1曲を仕上げよう、という気があまりなく、適当に弾けたらそれでよしとする性格もあって、長い時間をかけて、ちょっとずつ上がってきたと思う。

今のラーニング・プラトーは30歳台くらいから、続いているもの。
要するに、弾く機会も減ったし、向上しようという気がないから、ずっと台地の上を歩いている。

しかし、ぼちぼちもう一段階上に上がろうという気になってきた。
なぜかというと、残り時間があまり無い、という事に気づいたのだ。

約20年越しのプラトーを乗り越えようとすると、けっこうきついだろう。

だから、生まれて初めて、先生について習うことにした。
もうすぐ1回目のレッスンだが、楽しみだ。

はたしてプラトーを越えることができるのか・・・・。

長いプラトーだから、今回は越えられたら大きいのかもしれない、と期待している。

| | 考えたこと | 22:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
僕にできることがあれば・・
数年前から、NHKで土曜日の夜にやっていた、ビバリーヒルズ高校白書(後で青春白書になった)を偶然見はじめて、結局最初のシーズンから最終シーズンまで見てしまった。

最後の方は色々と人の出入りがあって、誰がメインなのか分からない状態だったが、途中までは主人公はブランドン・ウォルシュという「すごくイイやつ」だった。
ミネソタの田舎から、ビバリーヒルズに出てきて、高校に入るところから物語は始まっていた。

ブランドンはマジメな好青年。ジャーナリスト志望で、頭が良くて、正義感が強く、時々優柔不断で失敗するが、本当にイイやつだった。こんなヤツが友達にいたらいいんだけどなあ、という人だった。

・・・別に、この番組のことを書こうと思ったのではない。
この、ブランドンが言う決めぜりふがある。
何度となく番組のなかで彼が言った言葉だ。
それを思い出した。

友達が苦況におちいったり、取り返しのつかない状態になったとき、彼はいつもその事実を知るなり、何をおいてもすぐに会いに行き、そして、友達の肩に手を回したり、手を握ったりしながら、こう言う。

「僕にできることがあれば、何でも言ってくれ。」

だいたいの場合は、彼にできることは、なぐさめることくらいしかない。
相手が望んでいない事すらあったと思う。

でも、彼は、必ず言う、「僕にできることがあれば・・・」。

すごい言葉ですよね。「僕にできることがあれば、何でも言ってくれ」

言い直すと、「言ってくれれば、僕にできることなら、何でもしてあげる」ということだ。(当たり前か)
「僕にできないこと」はできない。
でも、それは、しかたないと彼は思っている。
できることなら、何でもしよう・・とまで思っているかどうかはわからないが、何かを望んでくれるなら、精一杯のことはやろう、と思っている。

・・それは、もし僕にできなくても、相手はそれを許して、文句など言わず、感謝してくれる・・・「信じている」という思いがあるからこそ言える。

それと、自分では勝手にしない、あくまでも相手が望むなら僕はやる、という事だ。
相手に任せるのも、友情のかたち、という思い。
ちょっと冷たいやん、と思う人もいるかもしれないが、僕はブランドンのこのセリフが好きだし、それでいいと思う。

そして、本当にブランドンがえらいのは、その一言を言っても、相手の悲しみや苦況がどうなるものでもない、と分かっていても、「僕にできることがあれば・・」と敢えて言う事なんだろう。

番組のなかで、彼がこの言葉をいうたびに、「ええやっちゃなあ・・」と大阪弁で思った。

「僕にできることがあれば、何でも言ってくれ」 なかなか言えません。

まあ、こんな言葉はいう機会がない方がいいんですけどね。
ドラマのなかでは、どうということのないひと言ですが、僕にとってはすごく印象的なセリフでした。

このセリフが言える相手と、言ってくれるような友達がいれば、それは素晴らしい事ですよね。


| | 考えたこと | 11:43 | comments(2) | trackbacks(0) |
年をとるということ
ホームページの書評で、「ケータイ・ネット人間」の精神分析を読んだときに、

年をとる、ということは「夢のリスト」から一つずつ夢を消していく行為、という部分がある。中にはリストの上位に書いてある夢を叶えられる人もいるが、大勢の人はそんなことはできない。「マンガ家になりたい」とか、「ミュージシャンになりたい」とかいう夢は早々に脱落していく。そういった「夢のリスト」に書き込むものがあれば、まだいい方で、昨今は夢そのものが無くなってきているように思える。

と書いた。

実は、こないだの健康診断で今までで最悪の結果をもらい、他の人は診断結果だけしか入っていない封筒に、診断結果と別に白い紙が2枚も入っていて(精密検査に行きなさい、とか書いてある)あ〜、年とったなあ、と痛感した。
(生活習慣病なので、年齢というより自己責任で、年のせいにしたらダメなんだけど)

最近までは、年齢を重ねることが、マイナスのイメージではなかった。
自分としては、前よりはちょっとましになってる部分もあるし、せっかくここまで来たんだから、昔に戻るよりは今の方がイイ、などと思っていた。

しかし・・・4回目の年男になってみると、年をとったなあ、と思ってしまう。

夢のリスト、たくさん消したが、まだちょっと残っている。

以前、仕事を一緒にしていた若いスタッフに、やりたいことを聞いたら、「いつかは XXX やろうと思ってます。」と言ったので、「いつか」はずっと来ないので、今やった方がいい、と言ったことがある。

人にはそう言うのに、自分ができてないのだ。
今こそ、やらないとね。
小さいことから、始めよう。

それと、夢のリストは減っているが、思い出のリストはどんどん増えている、ということもありますよね。

こないだ、小田和正がコンサートで言っていた「思い出をたくさん作った方が勝ちですよ」という言葉で、なるほど、と思った。

夢が減る分以上に思い出を増やせばいいのだ。
もちろん、夢も増やせればいいですけどね。

どうも、このところ、書いていることが湿っぽくなった。

次は、明るい話題で・・・。

| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
何げないひと言
高校時代の友達のことを書いたので、今回は中学時代の友達のことを書く。

K君は中学の3年間の友達だった。
小学校は違ったし、高校は別々だったので、中学の3年間だけ、どういうわけかよく遊んだ。

どういうわけか・・というのは彼と僕は全然違っていたからだ。

彼は陸上部の短距離のエースで、足が速く、サッカーも得意で、スポーツ万能というヤツだった。
僕は球技は好きだったが、足は遅く、さして特徴のないヤツだったと思う。

バレンタインデーに、K君と一緒に校門を出たら、何本かの電信柱の影に一人ずつ女生徒が隠れていて、電信柱ごとにK君はチョコレートを差し出された、という光景を思い出す。
あの時の女生徒にとっては、僕はさぞジャマだったろうと、今になって思う。

通っていた塾が一緒だったのが、仲良くなった縁だったかもしれない。
いまだに、母親同士が時々会っているところを見ると、親の影響もあったのか・・。
今はK君の事は母親からの情報しかない。住んでいるのも東京だし。

きっとK君本人は覚えていないと思うが、僕には一生忘れられない彼のひと言がある。

学校の帰り道、何げなく一緒に歩いていたときのこと、彼が「おまえな、下向いて歩くな。胸はって前向いて歩け」と言った。
それまで、僕はきっと猫背気味で、ポケットに手をつっこんで、ちょっとうつむきかげんで歩く、うす暗いヤツだったんだろうと思う。

彼のひと言で、前を向いて歩いたら、すごく景色が広く見えた。その時の景色をいまだに覚えている。
学校の近所の大学の敷地内の、体育館の横のところだった。新緑の頃だったんだろう。青葉がきれいだった。

それから、僕は前を向いて歩くようにした。
何となく世界が広がったような、気持ちのいい体験だった。

もしも、彼のひと言がなかったら、ずっとうつむいて歩いていたかもしれない。

K君の何げないひと言は、僕を変えたひと言になったと思う。

ひょっとしたら、自分で気づいて前を向いて歩くようになっていたかもしれないけど、そんなことはどうでもいいのだ。
彼のひと言の価値は、そんな仮定で目減りするようなものではない。

そういうひと言にめぐり逢えたのは幸せだったと思う。

願わくは、僕も誰かにそういう何げないひと言を残していればいいんだけど・・・。
それは、わからない。

K君に感謝である。


| | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
17歳の時間
コンピューターのファイルを検索していたら、数年前、高校時代に書いたクラブの機関誌のメモが出てきた。
それは、実際に戸棚を整理していたら、ワラ半紙の機関誌が出てきて、それを書き写したものだ。

機関誌を見つけたときに、ちょうど高校時代のクラブの友達I君とメールのやり取りをして、そんなものが出てきた、と書いたら、ぜひ教えてほしい、というので、クラブの掲示板に書き込んであげた。

紙上討論会、ということで、K,S,I,Tの4名が討論している、というもの。
ここにさわりの部分を再録すると・・

K:寝ている時は幸福だ。
S:つまりわずらわしい事がない。人間づきあいがなくていい
  オカシイナァ・・・・
  金などよりも人間関係に幸福が存するのでは。
I:幸福とは一瞬のものではないだろうか。
S:信じれる人がいることが幸せだと思う。
K:信じてくれる人がいることが幸せだと思う。
S:雑談しているときは僕は楽しい。
T:過去を回顧できる余裕のある時が幸福やなあ。
全員:論題が悪かったなあ。変えへんか。
   変えよ!変えよ!やっぱりやるんやったらおんなの話やなあ。
   (全員一致)

ここから先はやめておきます。

これを読んだI君は落胆して、こんなんやったんか・・・とがっかりした様子だった。
もっと高尚なハナシをしていた記憶があったんだと思う。
実際にはしていたかもしれないけど、茶色に染まった機関誌には、こんなことしか書いてなかったのだ。

I君とは、よく家の近所の公園のベンチに男二人ですわり、色々なことを話しあった。
あれは20歳の頃だったから、その頃の記憶があって、がっかりしたのかもしれない。

でも、まがりなりにも、幸福について考えていたんだ、という17歳の時間をワラ半紙に残しておいて、良かったと思う。
ガリ版を切って、ローラーにインクを付け、転がして印刷したことを思い出す。コピー機など無かったから。

I君はその後1年ほどで亡くなってしまった。

病状を聞いて、一度勤め先に会いに行って、クルマで新幹線の駅まで送ってもらって、手を振ったのが最後だった。

もう一度、あの公園のベンチでハナシをしよう、と言っていたのに、果たせぬ約束になってしまった。

もし、ハナシができたなら、幸福について、もう一度討論したかった。

僕は、今でも、幸福は人間関係のなかにあると思っている。

そんなことを、テキストファイルを見て、思い出した。
| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
小田和正曰く
朝のニュースで、小田和正のツアーの取材をやっていた。
57歳だったんだ。完全に団塊の世代。もうちょっと若いと思っていたが・・・。
ちょっと髪は薄くなったが、あの声はそのままだ。すごい。

コンサートには、小田和正と同世代以上の人がけっこう来ている。
それらの人たちに向けて、コンサートの中で彼が話しているところが、放送されていた。

人生の価値・・というようなものについて、

「思い出をいっぱい作る方が勝ちですよ。毎日ダラダラ生きてちゃダメ。
 でも、いっぱい作りすぎるとね、死ぬのがつらくなる。その兼ね合いがむずかしい・・・。
 回りの人に助けてもらうのはいいと思うよ、でも、頼っちゃダメだ。
 自分の力でのたうちまわらないと・・・。」

この話の後「そして今は」という曲を歌っていた。今回のアルバムのラストの曲だ。

そして今は (作詞・作曲 小田和正)

遠くの 景色を 眺めるようにして
過ぎてきた ときを ふり返れば

目に浮かぶ ともたち 愚かな 日々
きらめく 笑顔と 涙と

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか
  愛する ひとは そこに いるか

もういちど 生きて ゆくとしても
また 同じ 人生を たどるだろう

ぼくが こうして ぼくで ある限り
ぼくは きっと 自分を 生きるだろう

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか
  愛する ひとは そこに いるか

何を 求めて ここまで 来たのか
まだ 見えない 多分 これからも

ただ ぼくは 何をすれば いいのか
少しだけ 分かったかも 知れない

  そして きみの中に ぼくは いるか
  空は あの日のように ただ 青いか

  ほんとうに きみを 愛せているか
  あの日々は まだ かがやいて いるか
  今も きみの中に ぼくは いるか

この曲には「僕ら」は出てこない。「ぼく」だけだ。
もう一度生きていくとしても、同じ人生をたどる、という自信。
何を求めて来たのかは分からないけど、今は、何をすればいいのか、少しだけわかったかもしれない・・・。

僕はまだ、「何」をすればいいのか、わからない。
この「何」は、自分の人生の目的、というようなものだと思う。
思い出をいっぱい作ったら、その中から見えてくるものがあるのかもしれない。
毎日ダラダラ生きていたら、見えてこないのかもしれない。

エライですね。
勝ち組の人だから・・・と言ってしまえばそれまでだが、勝つには勝つだけの理由と努力がある。
57歳でこのパワー。もっとがんばってほしい。

最近増えてきたけど、思い出をいっぱい作れるように、がんばろう。

いっぱい作りすぎると、死ぬのがつらくなる・・か。
それはそれでイイと思う。
きっと、小田和正もすでにつらくなってるんだと思う。
そうでないと、あんな言葉は言えないだろう。

| | 音楽 | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャンプファイアー
いつから人間は火を使い出したのか・・・。

ここ数年、この季節になると、キャンプファイアーを経験している。
夕方、日が落ちた直後くらいに、積み上げた薪に火をつけて、それを囲んでみんなで座る。

キャンプファイアーが進行するにしたがって、夜のとばりが降りてくる。
時々、積んである薪が崩れたりして、火の粉が上がる。

だいたい、キャンプファイアーをやろう、というようなところは、人里離れていて、人工の光のないところだ。
だから、都会にはない、本当の夜の闇がある。
その闇の中に炎が燃えさかり、火の粉が上がるという光景は、誰の心をも打つと思う。
深遠な気持ちで、僕らはどこから来たんだろう、という問いを思ってしまう。

火を使い出した人間は、今や地球上の主になり、全ての生物の生き死にの鍵を持っている。

あの火を見て、神聖さを感じて、人類はどこから来たのか・・・などと考えたら、あまりアホなことは出来ないと思う。

だから、G8の会議や国連総会で、年に一度は各国代表でキャンプファイアーをやればどうだろうか。

昼間の会議で、熱くなって自国の利益にこだわったりしたことを、スタンツにして笑いとばしたりすれば、翌日にはお互いにまるく収まるような結論が出たりしないだろうか。

・・・そんなに簡単ではないと思うけど、夜の闇の中で、火を囲んで輪になって座るという行為は、人間を深いところで結びつけるような気がする。だからこそ、キャンプファイアーなどという営みがずっと続けてこられたんだと思う。

どうですかね、国連主催のキャンプファイアー。
マンハッタンではできないだろうが、ちょっと離れれば、いいところがたくさんあるのではないか。



| | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
引き出しのたくさんある人生
ある年齢まで生きていると、いろんな人に会って、その人はどんな人か?という引き出しが頭の中にできる。
ステレオタイプ、類型分類・・そんなことだ。

ああ、あれは高校時代のあいつと同じタイプや、とか、おー、あいつと同じ字を書いてるとか、スポーツ得意なんや、とか、意外と優柔不断なヤツや、とか・・・ふとしたことで、あっ、この引き出しや、という感じで分類の引き出しに入っていく。
そういう分類をして、この引き出しのタイプの人だから、きっと気が合うだろうとか、逆につき合わない方が良さそうだとか、人を見て判断して、人付き合いをしている。そうですよね?

誰か、新しく会った人は、だいたいはどこかの引き出しに入る。
たまに、最初に入った引き出しが間違いだった、という事もある。
「それ、取ってきて」というような、たった一言の言葉で、引き出しがころっと入れ替わる、という感覚、ないですか?
あー、そうやったんや、という入れ換えである。
良い方向に行く人もいれば、悪い方向に行く人もいる。

すべてに明確にラベルが貼られているわけではなく、「保留」というのもある。

知り合って間もないときには、みんな保留だが、たいがいはすぐにどこかに入っていく。

長いこと、保留にとどまる人もいる。
そういう人は、魅力がある、ということだろう。
今までなかったタイプの人、ということだから。
そのうち、新しい引き出しを作り、「いいやつ」というラベルをつけて入れるのだ。

たくさんの引き出しを作り、「いいやつ」に類するラベルをたくさん貼れる人生は、すごくいい人生だと思う。

そんな出会いをたくさん持てればいいですね。


| | 考えたこと | 01:18 | comments(2) | trackbacks(0) |
ワンパターンの美学
こないだ、小田和正の「そうかな」を買った。
相変わらず、声が高く、ボーカルを生かしたアレンジで、小田節を聞かせてくれる。

高校の時から、オフコースが好きで、LPはほとんど持っている。
ホントによく聞いた。
小田和正と鈴木康博のコーラスは、当時としては、すごくきれいで魅力的だった。
赤い鳥も良かったが、小田・鈴木のコーラスはモダンな感じがしたし、メロディも斬新だったと思う。

小田和正も、鈴木康博も理科系の人間で、作る曲も、二人ともすごく計算されたコード進行の曲だと思う。何といったらいいのか・・特に小田和正の曲は、図形にたとえると、世の中にたくさんあるただの四角形やただの三角形ではなく、正四角形、正三角形のカタチをしているような気がする。意図的にそうしないとできないカタチ・・そんな気がする。明朝体ではなく、ゴシックだ。

初めて聞いたのが17歳の時だったと思う。あれから30年以上経っても、小田和正は変わらない。
さすがに年で、恋の歌が減って、「僕ら」という言葉が増えたような気がする。
小田和正の「僕ら」は僕より上の、団塊の世代の終わりのほうの事だと思うが、「僕ら」が出てくると何となく僕も入っているような気がして、共感してしまう。

若い頃に書いていた、「僕らの時代」という曲が好きだった。
あれが最初の「僕ら」だったのかな??

この人は変わらない。
いつ聞いても小田和正である。

もう一人、山下達郎も20歳の頃にデビューアルバムを聴き、びっくりしてしまった。
A面、B面をロスとニューヨークのスタジオで録っている。ミュージシャンも指定したらしい。

こんな事を言ったら悪いけど、この人は、このデビューアルバムがベストだと思う。
これを超えたものは無いのではないか。
Windy ladyとか、Last stepとか・・。

山下達郎も、LPの時代はほとんど買った。CDになって、少しごぶさたしたけど。
正統派のポップス、リズム系の曲など、パターンの引き出しの数は少ないと思う。
この人も、変わらない。聞いたら、すぐに山下だ、とわかる。

あまり表沙汰にしていないが、さだまさしも好きだ。
20代の頃はよく聞いた。最近はごぶさたしている。
吸い殻の風景とか、主人公とか、雨やどりなどもこっそりイイと思う。

この人も変わらない。
さだは、さだだ。

みんなワンパターンでやろうと思ったわけではないだろう。
勝手にワンパターンと括ったら、怒られるかもしれないが、誉め言葉としてのワンパターンだ。
自分のやりたいことをやっている、人は人、自分は自分、これが俺の、僕の、音楽という感じ。
実は、変化しているのかもしれないが、僕にはわからない。

| | 音楽 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
プチ人間不信
マクドナルドの成功は、徹底的なマニュアル化で、作り方から、接客まで、誰でもできるようにしたことだ、ということらしい。
確かに、海外でマクドナルドに行くと、妙な安心感がある。
店の中の作りから、メニューの表示など、日本と同じだから、安心できる。

コーラとハンバーガーを頼むのも、メニューを指させばいいから、言葉がわからなくても大丈夫。

フライドポテトをオーダーせずに、最後に店員が何か言ったら、それは「ポテトはいかがですか?」である。
世界中どこでも、ポテトを頼まなかった客には、最後に「ポテトはいかがですか?」と聞くことになっているのだ。

フランスでマクドナルドに行って、ハンバーガーを食べようとして、オーダーしたら、最後に意味不明なことを言ったので、「ウィ」というと、フライドポテトが出てきて、「おー、そうか」ということになった・・という話を聞いたことがある。

その成功にあやかって、どこでも、同じようなことをやるのは世の常だろう。
たくさんのところが、マニュアル化してアルバイトで接客を・・となったんだろうと思う。

マニュアル化された接客、というのは、だれでもがある水準の仕事ができるという意味で、素晴らしい方法だと思うが、その悪影響というのもあると思う。
誰に対しても機械的に同じことを反復する、という行為が、売る側と買う側のコミュニケーションを絶っている、という部分があるように思えてしかたない。
「お持ち帰りですか?こちらでお召し上がりになりますか?」で始まり、「どうもありがとうございました。またお越し下さいませ」
で終わる一連の手順に「バイト、大変やね〜」とか「どれがオススメ?」などという合いの手を入れる隙間がない。
丁寧に扱われている、ということはわかるけど、どこか人間的でないというか、袋をもらって立ち去るときに、心の底に何かざらついたものがちょっとの間残っている、という感じである。

そんなことが重なってきて、レジでの人間関係というのが崩れているのではないか、と思う今日この頃である。

レジでの人間関係って、何や?と言われるかもしれないが・・。

最近レジで並んでいて、よく見る光景は、

何かを買って、レジに持っていく。
レジ係の人が、「いらっしゃいませ」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
黙って買おうとする商品を渡す。
レジ係の人が、レジを打って「XXX円でございます」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
黙って財布からお金を出して、渡す。
おつりがあれば、「XXX円のお返しでございます」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
無言で商品を受け取る。
レジ係が「ありがとうございました」と言って、商品を渡す。 客は無言である。目も合わせない。
無言で商品を受け取って、去っていく。

これでいいんですかね・・・・。

「いらっしゃいませ」と言われたら、せめてこちらも目を合わせて、ちょっと頭を下げるとか、何かあってもイイと思う。
商品を渡すときには、お願いしますとか、これ下さいとか、これです、とか、あるいはレジ係の人と目を合わせて、これです、という無言のコンタクトがあってもイイと思う。
おつりを受け取って、商品をもらうときには、「どうも」「ありがとう」くらいはあってもイイと思う。

僕も必ず上に書いたことをしている、とは言い切れないが、必ず、「どうも」の一言は目を合わせて言うように心がけている。
こんなことを心がけないといけない、と思ったのは、レジに並んでいて、無言の光景を見るようになってからだ。

これは、マニュアル化された接客に慣れてしまったための現象なのかもしれない。今の中年以上は、昔の市場での買い物などを知っているので、僕と同じようなことを思っているかもしれないが、若い人はどうなんだろう?

レジに並んでいて、無言の光景を見ると、人間不信になる。
そんなに大きなことではない、という人もいるかもしれない。
プチ人間不信なのか・・。
でも、こんな事が積み重なっていくと、大きな人間不信になると思う。

既になっているのかも・・。

あんまり説教臭いことは書きたくないのだが、ついつい書いてしまった・・・

こないだ書いた、「この素晴らしき世界」とエライちがいや・・・。




| | 考えたこと | 22:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
脳の能力は無限? 2
ワープロを使いはじめたとき、何だかイライラして、なじめなかった。

何でだろう?と考えたら、ペンを使って紙に書く方が早かったからだ。
今までの考える速さで考えていたら、ワープロ操作が遅くて、書く方が追いつかなくなる。

えーと、キーはどこだ?、変換はスペースキーで、漢字を選んで、間違えたらバックスペースか・・・などと考えていたら、その時に書こうと考えていたことが止まってしまっていて、やっと書く方が追いついたら、何を書こうとしていたのか、思い出さないといけなくなる。
だから、その頃はどうしてもワープロで書かないといけないことは、紙に書いて、それを打ったりしていた。
考える速さで書けないと、ちゃんと書けないのだ。

ちょうどその頃、コンピューターなど素人の弟と正月に会って、彼がコンピューターを買って、ブラインドタッチをマスターしたという。「えー、ほんまかいな」と聞いたら「2週間頑張ったら、全然違う。簡単やで。」という返事。

こっちは数年間キーボードを触っててできないのに、素人が2週間でキーボードを見なくても、ワープロが打てる??

弟には、負けたくない。
一念発起して、ブラインドタッチのソフトをコンピューターに入れて、毎日20分練習を始めた。
たしかに、2週間したら、違ってきた。
だんだん、キーボードを見なくても打てるようになってきた。
それと同時に、日本語変換のソフトも良くなって、変換精度が上がってきたというのもあったんだろう。
書く速さを、キーボードが抜いた、という感覚になった。

そしたら・・・今度はペンで字を書くのが、イライラしてできなくなった。
考える速さが、キーボードを打つ速さに慣れてしまったんだと思う。
ちょっとしたことでも、キーボードで打つようになった。

しばらくして、完全にブラインドタッチができるようになってしまった。
毎日仕事で使うと、カッコや数字など、見なくても打てるキーが増えてきた。
こうなると、完全に考える速さはキーボードの速さになった。

紙にペンで書こうとすると、もー、なんでこんな遅いねん!という気になる。どうしても書かないといけないときは、すごくキタナイ字になる・・早く書かないと、書きたいことが書けないのだ。考えることに追いつけない。

だから、何かを書く時の、脳の考える能力は、書く速さに制約を受けているんだと思う。
書く速さが早くなると、制約が取れて、脳は速く考えられる。

こんな事があったので、脳の能力は無限大、という速読の宣伝もひょっとしたら本当かもしれないと思う。

ちなみに、ブラインドタッチを覚えてから、回りの人たちに、だまされたと思って2週間頑張ってみたら、全然違うで!、と言ってきたが、いまだに、ホントでした、という人に会わない。
僕の場合は、相手が弟だったから、意地になってやったんだと思う。
そういう意味では、弟には本当に感謝している・・本人にはまだ言ってないけど。

いつか言わないと・・・

| | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
この素晴らしき世界
ライブハウスに行った。
音楽はいい。

ステージよりも早めに行って、ショーの始まりを期待しながら、気のあった人たちと飲んで食べる。世間話に花が咲くが、今から音楽を聴こう、という気持ちがそうさせるのか、あまり仕事のボヤキなどの話は出ない。
ピアノがあり、ドラムスがあり、マイクが立てられたステージのそばにいるだけで、気持ちが前向きになるんだろうか?

ショーが始まって、ステージ上の歌手とバックのプレイヤーの音がライブハウスの空間を満たす。
ボーカルの気合いが伝わってきて、バックのリズムに合わせて、自然に身体が揺れる。

ああ、音楽はいいなあ、と思う。

一緒に口ずさんで、手拍子する。

このエネルギーは何なんだろう。

何が人を音楽に向かわせるんだろう。

2回のショーを見終わって、気持ちのいい充実感を胸に、ライブハウスを後にする。

印象に残ったのは、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。

WHAT A WONDERFUL WORLD
(George Weiss / Bob Thiele)

I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colours of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces of people going by
I see friends shakin' hands, sayin' "How do you do?"
They're really saying "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world

Oh yeah

この素晴らしき世界

緑の木々だって、赤いバラだって
僕らのために咲いていると思う
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

青い空、白い雲
明るく楽しい日、暗く聖なる夜
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

虹の色がすごくきれいな空
通っていく人たちの顔も同じように美しい
友たちが握手をして、「初めまして」と言う
本当は「I love you」と言ってるんだ

赤ん坊の鳴き声が聞こえる、大きくなっていくのを見ている
彼らは僕が知ってることよりもたくさんのことを学ぶだろう
僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・
そう、僕は思うんだ、この世界は素晴らしいと・・

こんな意味だろうと思うんですが。

なんという事のない歌詞だ。

でも、あのメロディで、この歌を聴くと、何とも言えず胸に迫るものがある。特に、ルイ・アームストロングの枯れた声で聞くと、よけいにそう思う。(ライブの歌手はルイ風に歌ってくれた)

これが音楽のチカラなんでしょうね。

こういう事があると、心のモヤモヤがリセットされたみたいになる。
音楽のある、この素晴らしき世界。
生きててよかった、と思える数少ない瞬間ですよね。

| | 音楽 | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
フォーチュンクッキーの言葉
欧米の中華料理屋にあって、日本の中華料理屋にないものの一つがフォーチュンクッキー。(おみくじ入りのクッキー)
おいしいものではないが、何となく楽しみである。

貝殻のようなかたちで、クッキーというよりも、煎餅のような生地で、中が空洞になっており、その中に紙切れが入っている。
その紙切れに、お告げが書いてある、というもの。

運試しというか、おみくじというか・・・。
なぜ日本の中華料理屋にはないんだろうか。
食事の最後に出てくる。
さあ、今日は何を書いてあるんだろう?と思いつつ、割って中の紙を見る、という楽しみ。

2000年に2週間ほど出張したときに、3回フォーチュンクッキーを食べた。
その時の紙切れを3枚とも財布に入れて、長いこと持っていた。
昨年あたりに、財布から出して、どこかにしまったつもりが、今は見つからない。

その時の彼の地での仕事はすごく面白いものだったが、相手の対しての信頼関係を持たないとうまくいかない、というものだった。何せ、一方的にこちらが教えてもらう、という立場だったし・・。

偶然なのか、それとも、もともとフォーチュンクッキーのようなお遊びには悪いことなど書いてないからだろうが、すごくその時の思いにぴったり来る言葉が3回とも出てきた。

Nothing in the world is accomplished without passion.
情熱がなければ、何一つできないよ。

There is no wisdom greater than kindness.
親切にすること、それが一番の知恵。

You should be able to undertake and complete anything.
キミはなんだってできるハズ。(←これで意味はあってるのか・・?)

小さい紙切れだったが、一緒に行っていたH君に見せて、「お、ええヤツがでた!」と喜んで、クルクルと丸まっているのを伸ばして、財布に入れたのが懐かしい。

4年間ほど、ずっと財布に入っていたのだが、ボロボロになってきたので、内容をちゃんとメモして、「これは、大事な紙だから・・・」とどこかに置いて、それがどこなのかわからなくなった。きっとどこかにある。

中華料理屋のフォーチュンクッキーのお告げは、誰がしているんだろう。
僕のイメージでは、ベストキッドというカラテ映画に出てきた、パッド・モリタという俳優がぴったり来る。
あのおじいさんが、チマチマとお告げを紙に書いて、まるめて、顔を上げてにこりと笑う・・・という感じ。

それが、誰にせよ、フォーチュンクッキーの神様には感謝している。
下らないことかもしれないが、3つのお告げは本当に大事なことだし、たくさんのフォーチュンクッキーの中からよりにもよって僕のところに来た、ということに運命を感じるのだ。

大げさだけど、そんなちょっとしたことで、二度と戻れない時間を大切に切りとることができたし(その出張は、すごく思い出深いものだったが、僕もH君も写真など撮らなかった)、これらの言葉がことわざ辞典に載っていたとしても、全く覚えてなかっただろうから。

情熱、親切、自分を信じること・・・いきづまったときには思い出さないと。


| | 考えたこと | 10:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
メールの文体は?
携帯のメールの文体、どうしてます?

話し言葉に近いような書き方のものがよくテレビなどで出てきます。
実際、電話で話す代わりに使っている場合、そうなるんでしょう。
「まじ?」とか「うそやろ」とか・・。

チャットのように、書いたものでリアルタイムでやりとりする、というような場合は、まだましですが、書いたものと話したものの決定的な差は、書いたものは残る、ということです。

話したものは音となって空中と頭の中に飛び去ってしまい、残りません。だから、くだけようが、少しくらいため口であろうが、かまわないと思うんですが、メールは書いたものなので、こちらは消せても受けた側はいつまでも残しておけるんですよね。

たかが数行のマジ?とか、うそやろ、とかいうメールは、もはや書き言葉ではなく、しゃべりの代わり、という事なら、そんなものを保存する必要もないのでしょうが、どうせ書くなら、ちゃんと書きたい、という事もあります。

活字信仰というか、書いたものは話したものよりも大事、という感じがあるんですよね。
無いですか?

やっぱり話す時は話す、書くときは書く、というのが本道のような気がします。

こうなった原因の一つは携帯での通話料がメールに比べて高いからで、それはドコモをはじめ、電話会社が何とかしてくれなくては・・と思いますが、いくら人間がコミュニケーション好きな動物であるとしても、そうまでしてコミュニケーションするよりは、何を言うのか、何を書くのか、もうちょっと考えたらどう?と思っています。

そのうち、メールの文体の文学も出てくるんでしょうが、ちょっとね・・・・。

何より、話し言葉の断片みたいなメールが相手に残るというのが、一番イヤなんですよね。

時代遅れの考えなんでしょうか。



| | 考えたこと | 01:11 | comments(4) | trackbacks(0) |
コメディ女優
日本に、コメディ女優、という人はいるだろうか・・・?

アメリカの女優で、シェリー・ロングという人がいる。
この人はコメディ女優で、大、大、大ファンだ。

ハロー・アゲイン、うるさい女たち、マネーピットの3本を見た。
マネーピットはちょっとブラックユーモアで、今ひとつだが、ハロー・アゲインとうるさい女たちは、すごく面白かった。

こういう、コメディエンヌという部類の日本の女優は誰かいるのかな。

コメディだから、笑いはとるが、すごく上品で、知的な感じがする。

最近の映画はあまり見ないが、昨日シェリー・ロングが主演している、中古のビデオを買ってしまった。
もう日本では販売してないものらしい。

解説を見ると・・「ガールスカウトの隊長に立候補したビバリーヒルズの金持ち奥様のズッコケ奮戦ぶりを描くコメディー。」とのこと。

めちゃ楽しみだ。
最近はネットで色々なものが見つかってしまうので、困る。

「うるさい女たち」と「マネーピット」はまだTSUTAYAを探せばあるのではないかと思います。
うるさい女たち、はオススメです。

| | 映画・舞台 | 01:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
気づいたら変わっていた・・・
人は誰でも、自分が基準で、他人を見るときには、自分を投影して見る事が多いと思う。

その投影先が、ある日、気づいたら変わっている、というのが結婚式。

若いときは、結婚式に出たら、当然新郎に自分を重ねて見ている。
どうやって新婦と知り合ったのかとか、どんなつきあいをしていたのか、とか・・・。
花束を渡したり、ロウソクに火をつけたりする、その役目を自分に投影して見ているのが当たり前だったし、それが結婚式だった。
おー、こんな友達がいたのか、とか、学生時代はこんな事をやっていたのか、とか・・。

数年前に、呼ばれていった結婚式で、親戚多いから、大変やろなあとか、まだあと1人、結婚がまだの兄弟がいるのか、とか、ぼんやり考えていて、最後の花束贈呈の時に、あんなところで司会が盛り上げて、花束をもらうのはかなわんなあ、と思ったときに、気づいてしまった。
えー、いつの間にか親の立場で結婚式を見ているではないか!
なんでやねん、という驚きがあった。

どこで変わるんでしょうか。
投影先の変化というのは、意識しない間に起こってしまっている。
気がついたら、変わっていた・・・というヤツだ。

だから、どうなの?ということだが、やっぱり年を重ねたということなんでしょうね。

新郎だった自分が記憶の彼方に遠ざかり、ふと気づくと、親の自分がそこにいる。

毎日の暮らしの中で、徐々に変化は起こっているのでしょう。
気づかないうちに、少しずつ、意識を変えていくのだ。

そんなことの積み重ねが、人生の年輪、というものなのかもしれない。
年輪でいうと、たくさん日が当たって、輪と輪の間が離れた部分が、気づいたら変わっていた瞬間なのかもしれないですね。
たくさん、成長したという事か。

それが、中年という、最も人生で豊かな年代なのでしょう。
・・・あ、これも自分を基準に中年を美化しているということか。

それでいいのだ。
そういうふうに考えないと、自分が好きになれないし、自分を好きになれない人生は、よくないですよね。

僕より若い人は、若く、僕より年上の人が年寄り。
いつも僕は真ん中である。

ただ、真ん中がずれていっていることには気づかない。
それが長生きの秘訣かもしれません。




| | 考えたこと | 01:10 | comments(2) | trackbacks(0) |
コトバのちから
土曜日の朝である。
休みの日だというのに、起きてしまった。
何やかや、考え事をして、頭の中が一杯で、眠れないので起きてしまう。

肩こりもひどいし、定期健康診断の結果も今ひとつだったし・・・。

とりあえず、トースターでパンを焼いて、新聞を読む。

今まで知らなかったが、倉本 聡が、三井住友の全面広告をシリーズ物で書いているようだ。

あまり気分の良くない寝起きだが、読んでみた。
お札の話だった。

http://www.smfg.co.jp/ad/pdf/SMFG_vol4.pdf

上のページに宣伝そのものが紹介されています。一度見てみて下さい。

銀行の宣伝で、お札の話、よくできている。
何となく気分のすぐれない、朝一番にこのような文章を読んでみたら、わけもなく感動した。

ほんの数百字のコピーだが、そういうコトバが胸に迫る、ということがある。
読む人の心のあり方にもよるんだろうが、なぜか新聞の上の文字が生きていて、それが組み合わさってコトバになり、そのコトバが胸に飛び込んでくるような、そういう文章、そういうコトバがあると思う。

そんなコトバにどれだけ出会えるだろうか・・・。

この広告を、夜になって、読んだら、また違うのかもしれないけど。

それはそれで、かまわない。
コトバは生きているし、読み手との関係で変わるものだから。

倉本 聡という人は、すごい脚本家なんでしょうね。
今まであまり意識したことは無かったが・・・。


| | 考えたこと | 07:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
脳の能力は無限?
昨日の新聞の全面広告に、速読術が出ていた。
最近よく見ますよね。

一度、NHKの番組だったと思うが、漫才師が速読術を訓練して、実際に早く読むことができるようになった、というのを見た。
その時は、速読をやるためには、目のトレーニングが必要であり、速読技術を習得した人は、本の上に顔を持っていって、目を見開いて、本をじっと見て、すごい早さでページをめくっていっていた。目をレンズにして、本の写真を撮っているようなイメージだったと思う。

書かれている文字を一行ずつ読むのではなく、ページ全体をみて、一気に文字列を読み込む、というような説明だった。

速読者は、すごい顔で本を見ていて、なんか疲れそうな読み方やなあと思ったのだが、漫才師が少し目の訓練をして、かなりの速読ができるようになっているのを見て、ほー、すごいなあと感心したことを覚えている。
あの番組がきっかけになって、速読が広まったのか? あれ以来、宣伝をよく見るようになった。

よく言われていることだが、人間の脳の能力はすごく高くて、今の人間はその数割しか使えていないとのこと。

速読の一つの疑問は、そんなに早く、たくさんの文字を脳が理解できるのか?ということだ。

速読教材の会社のホームページによると、脳の文字処理能力は無限大であるとのこと。
3〜6秒で文庫本1ページ分の文字を読み込んでも、脳は十分理解可能らしい。ほんまかいな。

宣伝のコピーには、確か、10分で文庫本1冊が読めた、というような体験談があった。
そんなに読めたら本代がたくさんいる、と思うが、よく考えたら、10分で読めるのなら、本屋で立ち読みで読めてしまう。
そうだ・・・本屋が自分の本棚になったようなものだ。

しかし、今まで、本屋で目をギョロ目にして、猛スピードでページをめくっている人は見たことがない。やっぱり立ったままでは速読は難しいのかもしれない。

また、集中するから、血圧の高い人には良くないかもしれない。

コンピューターでも、処理をたくさんすると、CPUのチップが発熱し、冷却ファンが回り出すくらいだから、速読していたら脳の血管がやられた、ということもあるのだろうか・・・。(速読関係者の方がいたら、ごめんなさい。)

でも、数時間かけないと読めない本が1時間で読めたとしたら、これはすごい。
本当に脳にそんな能力があるのか・・・興味が出てきた。

速読の教材のホームページにこんな記述があった。

速読を実現するためには、心身共にリラックスしていながら、意識は静かに冴えた状態を保つ必要があります。「読もう」という気持ちが強すぎると、視野が狭くなると同時に理解のスピードが遅くなります。しかしリラックスしすぎると、文字を単に眺めるだけになってしまいます。「読もう」とする集中状態と「文字を受け止めよう」とするリラックス状態、表層意識と潜在意識、そのような「リラックスと集中のバランスをコントロールすること」が、速読術を修得する上で、非常に重要になるのです。
(http://www.srr-lab.com/Tools.htmより)

まるで、宮本武蔵の武道の本のようだ。
無我の境地・・・読もうとするのでもなく、リラックスするわけでもない。その中間点。表層意識と潜在意識のバランス。リラックスと集中のバランスをコントロールする・・。

すごいですね。
速読道とでも言えそうな感じだ。

だんだん、興味がわいてきた。
資料請求をしてみるべきか・・・・。

しかし・・・布団で寝ながら読むのには向いてなさそうだ。
だいいち、布団で横になって読むのに、そんなに早くページがめくれない。

いったん、速読術をマスターしてしまったら、どうなるのだろうか。
早くしか読めないのだろうか。
それとも普通に読むこともできるのだろうか。
普通に読んだら、ゆっくりすぎて、脳がわからなくなったら、ちょっと困る。

速読術そのものでなく、速読術をマスターした人についても、興味が出てきた。
どうなるんだろう???


| | 考えたこと | 23:54 | comments(5) | trackbacks(0) |
ディープインパクト
やりましたね。
ディープインパクト
火星の景色を見たときもそうでしたが、今回も言葉がありません。
4億3100万キロ離れたところの、たった6.5kmの大きさの彗星にインパクターを当てるんですよ!すごいとしか言いようがありません。

NASAのホームページで、衝突するところの動画を見ましたが、本当に信じられません。宇宙を漂っている石のかたまりみたいなヤツがだんだん迫ってきて、当たっています。

http://deepimpact.umd.edu/gallery/animation.html

NASAのコントロールルームで、みんなが抱き合って喜んでいるところを見て、どれだけの人がどれだけ苦労したかは知りませんが、うらやましくなりました。
あれだけ喜べるような瞬間が得られる仕事ができたら、いいでしょうね。

NASAは予算が削られている、という話を聞きますが、それでも太陽系の起源を調査するという、こんなプロジェクトは続けてほしいものです。

以前、国産ロケットはなぜ墜ちるのか、という本を読んだときに思った事をもう一度書いておきます。

宇宙というのは人間の存在の根源であり、それだからこそ昔の哲学者や科学者は宇宙について考えてきたのだと思う。
宇宙について興味を持つ、ということは自己の存在について神秘的な思いをはせることにつながり、それは今の日本人にものすごく必要な部分ではないかと思う。
橋や道路に使うお金を少しでも宇宙開発に回して、日本人としての誇りと夢を育てられるような宇宙開発のビジョンを育ててほしいと思う。

「思う」ばかりで何か変ですが、これは正直な気持ちです。
お金はかかるけれど、価値がある事だと思います。

| | 考えたこと | 23:36 | comments(2) | trackbacks(0) |
サンダーバード
1960年代後半に小学生だった人なら、きっと見ていたのが、サンダーバード
国際救助隊(International Rescue)である。

英国BBCが制作した、モダンな人形劇。

何といっても子供の心をとらえたのは、出てくるメカである。
サンダーバード1号から5号まであり、ロケット型の1号、災害発生地にものを運ぶコンテナを内蔵した2号、宇宙に行ける3号、水中専用の4号、そして宇宙ステーションである5号。これらのメカに、トレーシー一家の兄弟5人が乗り込んで、世界各地で発生した災害を救助する。とにかく、かっこよかった。
それ以外にも、地底を掘り進むジェットモグラ、隊長の姪(だったかな)のペネロープ(黒柳徹子が吹き替えしていた)御用達の乗用車であるペネロープ号など、みていてわくわくするようなメカが満載だった。

客席は空いていたが、見に来ていたのはほとんどが40代以上だった。

今回の映画は実写+コンピューターグラフィックスで、思わず、「おー、このコクピットはこうなっていたのか!」と声が出そうになる場面がたくさんある。

ストーリーとしては、今回、一番下の弟がまだ国際救助隊に入っておらず、勉強中の身であるのだが、その彼が友達とガールフレンド3人で、国際救助隊を亡き者にしようとする敵と戦う、というもの。
アクション場面も面白く、良くできたストーリーだったと思う。

これはオトナの童話。
昔見た人、ほんとに声が出そうになりますよ。

きっとこのコンピューターグラフィックスを担当した人たちも、昔サンダーバードを見ていて、今回はみんなで、ああでもない、こうでもない、などと言いながら楽しんで作ったに違いない。
そんな仕事ができたら、それはすごくハッピーな事だろう。

続編ができそうな終わり方だったが・・作ってほしい。



| | 映画・舞台 | 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
おもちゃとテレビ
いつの頃からか、おもちゃを作っている会社が大きくなった。
調べてみると、日本玩具協会が出来たのが1967年だから、それまでは本当に小さいメーカーが地道におもちゃやプラモデルを作っていたのだろう。
輸出や輸入の統計も1980年〜1990年代からしか出てこなかった。
1970年代くらいから、おもちゃ産業は隆盛し、テレビゲームの登場などと相まって、どんどん大きくなったんだろう。

何でこんな事を書いているかというと、十数年前に長男と一緒に久しぶりに見た、子供向けのテレビ番組で驚いたからである。

昔のことばかり書いているようだが(やはり老化の始まりか・・・)、僕らが小学校の頃に見たアニメや実写の子供向けの番組で、おもちゃのメーカーがスポンサーになっていたものなどほとんどなかったと思う。

アトムは明治製菓で、マーブルチョコレートの中に入っているシールを集めるのが楽しみだったし、エイトマンは丸美屋のふりかけと結びついている。おなじみの「のりたま」だ。エイトマンふりかけもあったと思う。

鉄人28号はグリコだった。これは主題歌にも「グリコ、グリコ、グリコ」と3回連呼されていたので、印象に残っている。

手塚アニメは明治製菓が多かったと思う。悟空の大冒険も明治製菓だった。特製の如意棒がほしくて、お菓子を買って、応募券を集めて送った覚えがある。この手のものは当たったためしがない。あれは欲しかった。

ジャングル大帝はカラーのアニメで、当時カラーテレビが出始めた時だった。これはサンヨー電機がカラーテレビのコマーシャルを入れていたと思う。

定かではないが、魔法使いサリーは文具のメーカーだったか?誰か覚えてます?

宇宙少年ソランは森永製菓だったハズ。

おばけのQ太郎は不二家だったらしい。パーマンも不二家だった。不二家といえば、ポパイもそうだったのではないか。ペコちゃん、ポコちゃんが出てきていた。

というようなわけで、子供番組といえば、だいたいはお菓子の関係のスポンサーが多かったと思う。

そのころは、おもちゃのメーカーは、テレビのキャラクターをひっそりとプラモデルで作ったりしていたんだろう。精度も悪かったし、アニメに出てくるようなものをそのままプラモデルの金型にするのは技術的にも難しかったと思う。
このころのプラモデルは自動車や飛行機などの実在するものがまだまだ多かった。第二次大戦で活躍した零戦やユンカースなどという戦闘機もプラモ屋のショーウィンドーには並んでいた。(もちろん、プロペラ機です)

NHKでやっていたサンダーバードはバンダイからたくさんプラモデルが出た。1号〜5号、秘密基地まで。ひととおり作った。そういえば、去年のリバイバルの映画は良かった!これはまた別途書く。

話がそれてばかりだが、十数年前に子供と一緒に1990年代の子供番組を見て驚いたのだ。
日曜日の朝7時くらいの枠でやっている、スーパー戦隊ものだ。ゴレンジャーに起源を発するものだろう。

一年目は、ほ〜、なるほど、という感じだった。
テレビ番組の中に出てくる変身装備や武器(ベルトや剣が多い)が、すぐにコマーシャルで流れて、子供が欲しくなるようになっている。おもちゃ売り場に行けば、ちゃんとテレビで出てきた時から売っている。
パターンは決まっていて、まずは変身のための道具、次に武器、大きめの武器(5人揃って使う)、一人ずつの乗り物、そして合体のロボットとなる。時によっては、2つめの合体ロボが出る。
そして、1年で終わり、1月の後半くらいから新しい(といってもパターンは同じ)番組が始まる。
ちゃんと、クリスマス・正月近辺に一番大きな合体のロボットが出るようになっているのだ。

2年目からは、これは番組ではなく、宣伝だとわかった。
通販こそしないが、あれは30分のおもちゃの宣伝番組と言ってもよいのではないか。
毎週新しいおもちゃが出てくるわけではないが、毎回ヒーローたちがそれらを使い、敵をやっつける。
おもちゃ売り場に行くと、同じものを売っている。
すごいシステムだ。

おもちゃメーカーがスポンサーになっていなければ、どのおもちゃをどのタイミングで作っていいかわからないし、放送されてから、ライセンスを取って、作るまでに時間がかかるだろうが、スポンサーになればそんな手間もいらない。
極端に言えば、おもちゃを作っておいてから、ストーリーを決めることすら可能だと思う。
よく分からないけど、放送倫理とかには引っかからないのだろうか。まあ、長年やっているのだから、法律には触れないのだろう。

ミニ四駆が流行ったときには、ミニ四駆のアニメをやっているし、ベーゴマが流行ったときには、ベーゴマのアニメを、カードゲームが流行ったときには、カードゲームのアニメをやっているのだ。

テレビゲームもセットになっている。人気のあるアニメはテレビゲームになるし、それはその番組の中でコマーシャルされる。

おもちゃだけではない。主題歌もビジネスである。
名探偵コナンの主題歌(オープニング&エンディング)には、コナンの名前は出てこない。
「真実はいつもひとつ」「身体は子供、頭脳は大人」の決めぜりふも出てこない。
歌はしょっちゅう変わっている。コナンの場合は、主題歌のCDのコマーシャルが流れている。
音楽番組に出してもらわなくても、確実に週に1回流れるのだ。
スポンサー料を払っても、十分見合うんだろう。

僕らは今でもアトムの歌とアトムが結びついている。「空をこえて ラララ 星の彼方〜」という主題歌は永遠のものだ。
今、コナンを見ている子どもたちが大人になって、昔話をするときには、主題歌は出てきにくいだろう。「どの歌が好きだったか」というような話題で盛り上がれるかもしれないが・・。
いつから主題歌がビジネスになり始めたのかは知らないが、多くのアニメの主題歌はおもちゃやゲームと同じく、音楽ビジネスに入ってしまった。

こんなふうに、子供番組の商品化をするというのは、いいことなんだろうか。
昔から、キャラクタービジネスというものはあったが、ここまで進んではいなかった。
子どもたちは、テレビを見て、テレビに出てくるモノを買うという行為は当たり前だ、と刷り込みされていくような気がする。
子どもに持ってほしい、未来に対する夢や、理想というようなものが、手塚アニメを筆頭とする昔のアニメにはあったと思うが、番組そのものが商品化されたようなもので、そういうものを伝えるという事ができるんだろうか。

最近感じることだが、資本主義が進み、消費すること自体の価値が上がり、なぜそれを作るのか、なぜそれを消費するのかという意味が薄れていっているような気がする。とにかく、消費することはよいことなのだ

結局、テレビがモノを売るための媒体としての色を濃くしてきている、ということか。
これでいいのかな、と思う事が増えた今日このごろ。
おかしいのは自分の方なのか・・・。

| | 考えたこと | 20:00 | comments(0) | trackbacks(0) |