考えたこと2

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手紙
毎週聞いているNHKラジオの日曜名作座で、先週から代書屋の話をやっている。
手紙にまつわる短編だ。
聞いていると、やっぱり手書きの手紙を書くのはいいと思う。

その影響もあって、今日は久しぶりに手紙を書いた。
写真をゆかりのある人に送るためだ。

それにしても字が下手になった。
98年あたりから字を書くことが減り、ワープロが増え、最近は殆ど書かない。
ここ20年ほどは、文字は打つものになった。

だいたい、封筒の縦書きがひどい。
ただでさえ字を書かないのに、縦書きをするのは本当に嫌になる。
うまく書けないからだ。

小学校のころ、明治製菓の製品を買って、シールを集めて送ったのがおそらく初めての縦書きだったと思う。
その後、中学になったら年賀状を書き始め、ずっと書いていた。
それも2000年くらいには、年賀状はプリンタに変わったし、メールが発達して封書など出さなくなった。

日本は明治以降、郵便の制度を広げてきて、便利になったから未だにやめられない。
ダイレクトメールが届く。
途上国なら、最初からメールと添付ファイルになっているのだろう。

話がそれた。
手書きの文字というのは、それなりの良さがある。
未だに就職関係の提出書類が半分以上手書きなのも、そこを見ているからだ。
字は人を表すということだ。

80年代には海外とのやり取りが多かったが、ヨーロッパやアメリカの人たちでも、時々びっくりするような悪筆があった。
FAXが来て、アルファベットだが、読めないこともあった。
慣れると読めるようになるのだが…。

エラくなると、秘書が書いてくれたりするからいいのだろう。
時々海外の空港で、ボイスレコーダーを持って喋っている人がいた。
出張報告を喋っているのだろうと想像した。
懐かしい思い出だ。

今日は比較的調子がよく、まあまあ読める字が書けた。
何枚かは失敗してゴミ箱行きになったが…。

昼からポストに入れに行くことにする。


| | 考えたこと | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
グーグルのサーバー数
グーグルのサービスがどんどん良くなってきて、それに依存している人の数も増えている。
検索、メール、地図、カレンダー、ニュース、ドキュメント、Youtube、翻訳など。
一日一度はグーグルのサービスを使っているという人が、どれくらい日本にいるのだろう。

それにしても、それらのサービスを世界レベルで提供し、トラブルを起こさないというのは、本当に信じられない。
以前、大学のサーバーの管理責任者になったこともあったが(難しいことはわからないで委託していた)、24時間、365日途切れずにサービスをするというのは大変なことだ。

個人的には90年代後半から検索はグーグルにした。
こんなすごいページがありますよ、と職場で教えてもらって、その時からずっとグーグルだ。
そこからどんどんサービスが増えた。
検索エンジンに関連する広告収入で儲けたお金を、新しいサービスを作り、それらを維持するためのサーバーや発電所などに投資したということだ。

今やグーグルのサーバーの数は90万台くらいだと推定されている。
すごい数だ。
いまこの記事を書いているのも、グーグルドキュメントのクラウド上だ。
そこにこの文章が勝手に保存されていく。
そういう人がたくさんいる。

グーグルはソフトウェアの会社だが、それを維持するために膨大なハードを使っている。
それが、グーグルのインフラを支えていて、それがユーザーにいつでもグーグルのサービスを提供できる。
文字通り、インフラ産業になっているということだ。
それはアマゾンも同じこと。

ここまで、インターネットが発達するとは思わなかった。
まだまだIoTなどの技術は進むだろう。
スマートスピーカーやロボットもインターネットとつながって初めて意味を持つ。
人類がこれほどまでに一度に、記憶を大規模に外部に依存したことは今まであったのだろうか。

ぼくはそれをグーグルに依存しているのが、ちょっと恐い。
いつまでもグーグルが「邪悪になるな」という理念を持ち続けてくれることを祈るのみ。
別に、グーグルがなくなっても、ない時代に戻るだけなんだが、それは想像しにくいなあ。

今でもグーグルクロームを使っていて、ページを示すタブには5つほどグーグルのサービスが並んでいる。
形態はグーグルが開発したアンドロイドだし。
知らないところに行くときは、グーグルマップが頼りだし。

これらが有料になったり、なくなったりしたら、ちょっと困る。

まあ、その時は誰かが変わりをしてくれると思っておこう。



| | 考えたこと | 01:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
内燃機関の寿命
フォルクスワーゲンのディーゼル排気ガスの不正があって、欧州は一気に電気自動車に近づいたように見える。
実際、各メーカーも内燃機関をなくすようなイメージで発表されている。
発表の中では電気自動車と言っているが、よく見ると、そこにはハイブリッド車も書いてあるようだ。

なぜかというと、いきなりバッテリーとモーターだけで走る電気自動車にはいけない、という事情があるという。
少なくとも、今後10年間一番生産されるのは48Vのマイルドハイブリッドだ、という記事を読んだ。

今はクルマのバッテリーは12Vが主流だが、欧州ではそれを48Vにしようとしている。
それはモーターを積んで、エンジンを助けるためだ。
ということはまだまだ内燃機関の寿命はある、ということになる。

確かに、落ち着いて考えてみると、半導体で起きたような爆発的なコストダウンは、バッテリーでは見込めない。
バッテリーはリチウムという希少金属を使っているからであり、半導体のようにどこにでもあるシリコンを使えない。
そして、なかなかリチウムに変わる高容量のバッテリーの材料は出てこないと思う。
リチウムにはイオン化傾向が高いという特性があって、それが決め手になっているからだ。

さらに、今の電気自動車には補助金が出ている。
実際にはかなり値段が高くても、政府のいろいろな補助で安く買えている。
もちろん、電気自動車が主流になる頃(いつかはわからないが)には、その補助金は出ないだろう。
希少だからこそ、補助をしてインセンティブを与えている。

実際、値段が高くなったら、多くのユーザーは電気自動車は買わないだろう。

長い目で見たなら、電池の低コストかも進むだろう。
しかし、まだその目処は立っていない。

ガソリンもまだまだなくならないだろう。
シェールオイルの採掘のコストも下がってきた。

だから、まだまだ内燃機関は残るという予測。

カリフォルニアや中国では電気自走車の規制ができている。
どこまでその規制が効くのか。

自動車メーカーもどうするのか。
これから大変だろうなあ。



| | 考えたこと | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
国家とSNS
アメリカではフェイスブックが個人情報で問題になっている。
8700万人の個人データーが漏洩したということだ。

もともとフェイスブック自体がきっかけではなく、フェイスブック上で後悔した性格診断のアプリが問題になった。
このアプリ自体は26万人の個人情報を規約に基づいて集めたが、回答者の「友達」が8600万人になったということだ。
フェイスブックは2015年に削除を要請し、削除したはずだったが、管理がいい加減で、そのデーターが横流しされた、ということらしい。
そのデーターが選挙に利用されたということも、問題を大きくした。

ザッカーバーグCEOの歯切れが悪いこともある。
なかなか真相が明らかにならない。

でも、今やフェイスブックには22億人の月間利用者がいるらしい。
すごい数だ。
さらに、フェイスブックが買収した企業も合わせると、月間58億人が利用している。
国家の規模を遥かに超えている。

それだけ多くの人が、日々の行動や何らかの個人情報をフェイスブック上で共有している。
よく考えたら、これはすごいことだ。
情報をアップしなくても、自分が気に入って登録しているニュースなどだけでも、個人の嗜好がわかる。
映画や趣味程度ならあまり選挙は関係ないが、その人の政治的スタンスを表すような「友だち」がいたりすると、大きな情報源になる。

昔は選挙カーで名前を連呼し、立会演説会や政見放送で公約を話す、というような不特定多数を相手の選挙運動だったが、今回のような個人情報が漏れれば、当然フェイスブック上で選挙に絡んだ運動ができる。
ちょうど、広告対象が不特定多数から、その製品に何らかの興味を持つ人に変わってきたのと同じこと。
そう考えれば、アタリマエのことかもしれない。

しかし、58億人という月間利用者数は恐ろしい数だ。
世界の人口が70億人くらいだと聞く。
もちろん、のべ人数だろうが、フェイスブックだけでも22億人だから、軽くアメリカの人口3億人の7倍以上。
ザッカーバーグCEOは22億人を預かる大統領のようなものだ。

そういう意味ではアメリカのグーグルやアップル、ツイッター、マイクロソフトなども似たようなもの。

今やぼくらの生活のインフラといってもいい。
それらを支えるのは、アメリカの大手IT企業。
もはやそういう生活は変えられない。
それを止めようとしているのが、欧州のGDPRだろう。

どうやって、このインフラで個人情報を守り、悪用を防ぐかは21世紀の課題だろうなあ。



| | 考えたこと | 00:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
終身雇用制度とは
80年代には、日本の成功の要因としてもてはやされた終身雇用制度であるが、2000年代に入ってだんだんと苦しくなってきた。
労働人口が減少しはじめ、成長が鈍化した今、従来の企業の枠から離れて新しい産業を起こしていくことが必要なんだと思う。
そのためには、やる気のある人が、どんどん新しいことにトライしていけるような体制が必要だ。
規制緩和も必要だし、今の雇用体制を変えることも必要だと思う。

ぼくらは終身雇用制度が当たり前の時代に就職した。
本当に何も考えてなかった。
漠然と会社は大きくなるものだと思っていた。
実際、そうなった。
それは世界史的に見てもラッキーで、毎年すごい成長をしていたからだ。

仕事はどんどん忙しくなり、人は増えたが追いつかない。
目の前の仕事をやるのに精一杯。
ここ20年の低成長からは考えられない状態だった。

低成長の時代と終身雇用制度は相性が悪い。
どんどん会社が大きくなってポストが増えるわけでもないし、成長しない会社に縛られてしまうことになる。
低成長だから、給料も上がらない。
給料が上がらないから、その分残業する。
仕事がなくても、残業をするために昼間はゆっくり仕事をする。
そういう悪魔のサイクルが回りやすいからだ。

若くて能力のある人から見たら、効率の悪い働き方をしているとしか思えないだろう。
それが、終身雇用のせいだとはなかなか気づかない。
そのうち、自分もそういう働き方をすることになる。
みんなが終身雇用だから、辞めていくところがなかなかないからだ。
そんなふうにして、日本の生産性は落ちているんだと思う。

これを守ろうとしているのが会社の人事部と労働組合。
終身雇用、年功序列を維持しようとしている。
人事部は社内にいろんな働き方の正社員ができるとややこしい。
年功序列なら、考えなくてもいいからだ。
組合は、正社員のための組合だから、当然正社員を守ろうとしている。
正社員を守るために、非正規労働者やパートという働き方の労働者がいても構わない。
36協定の特別条項を労使で合意して、残業時間の上限を上げているのも、仕事が増えた時に正社員を増やさず、正社員のパイを減らさないためだろう。

ぼくらが数十年を委ねてきた終身雇用制度というのは、こんなふうに時代遅れになった。

でも、まだ10年は続くだろうなあ。


| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
GDPR
最近のSNSの利用規約はどんどん長くなっている。
IDを取る時に小さな窓で「同意する」をクリックしないと進めない。
他にもそんなものがよくある。

こないだワールドニュースでフランスのニュースを見ていたら、GDPR「EU一般データ保護規則」というのをやっていた。
英語では、General Data Protection Regulationという。
最近ネット上でよく出てくると思っていたら、この5月25日からこのGDPRが適用されることになったからだ。
個人情報を扱う会社に適用されて、高額な罰金も課される。

GDPRのページによると、

・忘れられる権利
データ主体は、データの削除を企業に求めることができます。この場合、オリジナルデータはもちろん、バックアップデータなども全て削除する必要があります。

・データの処理を制限する権利
データの正確性に疑問がある場合や、データの処理への異議がなされた場合、適応されます。この場合、企業はすべての処理を停止する必要があります。処理には、データの転送や保管、削除、加工などが含まれます。また、データ主体からの要請があった場合は、データを保持する必要もあります。

・アクセス権(読み取り可能なデータのコピーを要請する権利
データ主体は、データへのアクセスや訂正、データのコピー取得を行う権利を保証されています。企業は、一般的な機器で読み取れるようなフォーマットでデータを提供する必要があります。

ということらしい。
たとえ合意していたとしても、データー主体(個人)から要請があったら企業は対応しないといけない、ということになる。

それに絡んで、ニュースではフェイスブックの利用規約を印刷していたが、印刷するとA4で154ページにもなり、専門家でないととても読めたものではないということだ。
日本語にすると、もっと短くなるとは思うが、読めたものではないことに変わりはない。

ニュースによると、これらの規約も素人でも読みやすく、わかるものにすることが必要になるということだった。

たしかにSNSに限らず、いろんな無料のサービスに加入しようとすると、規約のページが出てきて、同意しないと使えない。
それ自体は、使う限りは仕方ないことなのだが、いつも「同意する」をクリックする時に不安になる。
ちゃんと読んでないからだ。

でもまあ、みんなが利用しているからいいか、ということでやっている。

実際には個人情報は利用されて、自分の好みのニュースが配信されたり、好みの製品の宣伝が来たりする。
そのあたりも流行りのAIを使ってやっているのだろう。

それが政治的スタンスに利用されたのが、フェイスブックの騒動。
そのせいもあってか、EUが規制を今回強化している。

日本もおっつけそういうことになるのだろうか。

無料で利用したいとは思うが、個人情報は渡したくないというのは、無理な取引だろう。
そこらのさじ加減が難しい。

でも、この際強化したほうがいいと思う。


| | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
部品大国アメリカ
アメリカが中国のZTEという電子機器のメーカーに制裁を下した。
ZTEが北朝鮮やイランに製品を規制に反して輸出していた、ということが原因。
制裁内容は、7年間にわたって、アメリカ企業の製品を使うことも、製品をアメリカに輸出することもできない、というもの。

いろんなところに記事が出ているが、それらを見ると、スマホの部品におけるアメリカ製品の比率はかなり高い。
ZTEというと、世界160カ国で販売されており、アメリカのTop5にランクインする会社。
北朝鮮でもトップシェアだという。
日本でもいろんな携帯キャリアがZTEの製品を扱っている。

ZTEの最新モデルを分解すると、タッチパネルコントローラーチップ、カメラのCMOSセンサー、通信用のパワーアンプなどの部品がアメリカ製だったとのこと。
結局、半分以上の部品がアメリカ製。
つまり、アメリカからの部品供給が止まると、スマホが作れないということだ。

経済がボーダーレスになって、コスト競争力があったり、性能で優位性が強いと、国に関係なく強い部品がシェアを伸ばしていく。
社会主義体制の中国といえども、自習主義経済のもとでは、国境を超えていろんな部品を使っている。
そういう時代になっていることがよくわかる。

したがって、アメリカの制裁は自国の部品メーカーにも影響がある。
部品が売れないからだ。
また、その部品メーカーが、日本の部品を使っていたりすると、日本のメーカーも影響を受ける。
いったいどれくらいの影響になるか、きっと制裁を決定したアメリカがビックリしているのではないか。

そのせいか、トランプ大統領はツイートで制裁緩和を示唆したらしい。

自国の部品メーカーの保護のこともあるが、中国が自前で全ての部品を作れるようになることを恐れているのかもしれない。

電子機器などは兵器にも使われて、安全保障にも関わるから、部品は自前で作りたいだろう。
しかし、中国製のスマホの部品が半分以上アメリカ製とは驚いた。

原理的には世界中がボーダーレスになると、一物一価になるはず。
一番生産に適したところが作るのが、合理的になる。
輸送コストがあるから、1つには決まらないかもしれないが…。

でも、今回のようなことがあると、「国」の意志が出てくる。

国境を超える経済や生産と「国」の関係はややこしい。
いろんな民族がいて、いろんな体制がある以上、国は避けて通れない。

冷戦が終わり、国と国とが戦う戦争はほとんどなくなったが、内戦は増えているという。

1945年に第二次大戦が終わり、長らく平和が続いたが、この先どうなるのだろうか。
| | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本の携帯
谷崎光という作家がいる。
以前「中国てなもんや商社」という本を読んで、面白かった。
レビューを書いたと思っていたのだが、書いてなかった。
とにかく、この人はまだ中国で日本の会社が本格的に商売をする前に、大阪の商社で中国担当になり、一人で中国に行ったりして、えらい目にあったというノンフィクションを書いた。
その次に出た、「北京大学てなもんや留学記」というのも買ったはず。
どこにあるのか、わからないが…。

すごくリアルで、説得力のある中国が描かれていた。
アマゾンで古本は安いから、興味のある人は買われてもいいと思う。
ちょっと昔の中国の話だが、とにかく面白かったし、ためになった。

その人が中国の携帯電話について、記事を書いている。
中国のスマホメーカー、オッポという会社の社長へのインタビューだ。
このオッポはアジアNo.1ブランドの中国メーカーらしい。

日本の携帯電話は中国で惨敗したのだが、その理由を聞いているところが興味深い。
ちょっと長いが、その下りを引用する。

「中国は、世界市場である。

 日本だと官と企業が一体となり外資参入の壁を高くするが、中国では昔は技術が低かったせいもあり、少なくとも未発達分野の初期は外資を歓迎する(もちろんいろんな技術移転の仕組みはつくる)。

 その中で、他国の各社も最初は実はけっこう“外したもの”を出していた。しかし、彼らはそのうち市場を読みとり、どんどん軌道修正をしていった。

 モトローラもノキアもサムスンもアップルも、中国製のスマホが今のように勃興する前に、少なくとも一度は天下を取っている。アルカテルなどの欧州メーカー(当時)もそれなりにファンをつかんでいた。

 しかし日本だけが、「わが日本のすばらしさを知れ」とばかりに、一般の中国人が好まぬ折り畳み式携帯電話をドヤ顔で押し付けてみたり、いらぬ機能ばかりだったりと、かなりトンチンカンだった。かろうじてソニー・エリクソンの音楽携帯が一部で認知されたが、基本、最初から最後まで外しまくって、ほぼ全社が撤退した。」

ということらしい。

結局日本の携帯会社は、中国の消費者のマーケットを読めなかったということだ。
日本では携帯キャリアが主導で仕様を決め、割当に従って納入すれば、全部買い取ってもらえるらしい。
携帯キャリアと携帯のメーカーは村社会を作り、文字通り「携帯社会主義」になっていたのが敗因。
筆者の批判は手厳しい。
未だに、それは続いていて、だから日本の携帯メーカーは海外で弱い。
多くの会社が撤退している。

日本が世界有数のiPhoneの市場なのも、日本の携帯メーカーがダメだからだ、という。
あまりにも携帯キャリア主導で、携帯メーカーが市場を考えなくなってしまった。

そういえば、ぼくのスマホにもいろんなKDDIのアプリが入っている。
みんな消したいのだが、何かを消せばキャリアとの通信がトラブりそうで、消せない。
ホントにうっとうしいと思う。
こういうのが、困るのだ。

一時台湾のHTCのスマホを使っていたが、あれも日本のキャリアの仕様になっていた。
結局、日本のキャリア業界は政府の規制に守られ、電波村を作り、携帯メーカーを巻き込んで、携帯村を作ってしまった。
それが日本の携帯メーカーが世界で負けた原因だという。
その通りだろう。

でも、これから人口が減る日本だけで商売していて、勝てるはずがない。
この状態は何とかしないといけない。

電波は共通財産だという考え方がなく、総務省が電波使用料を取ってキャリアに割り当てている。
今更どうなるのか、わからないが、テレビの電波でもバカの民放連が自分たちの利権を守ろうとして、屁理屈を捏ねているから同じようなものだ。

中国では携帯というハードと電波というソフトは分かれており、ハードを買ってSIMカードを別に買う。
いわゆるSIMフリーというやつだ。
日本は周回遅れで、今頃SIMフリーの格安携帯というのをやっている。
それでも、電波はキャリアの息がかかっており、結局は格安携帯ショップで契約することになる。
中国では、SIMカードを店で買ってセットすれば使えるのだ。

社会主義である中国が自由で、資本主義である日本に政府の規制がある。
それが日本の携帯が世界で負けた理由だ。

残念ながら。

電波社会主義はもうやめよう。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校法人の体質
今回の日大のアメリカンフットボール部の騒動は、私立大学の学校法人の特徴がよく現れていると思う。
今日の会見の様子はお笑いだった。

騒動が大きくなったのは、ひとえに外部よりも内部の意見を尊重するという、内向きの態度だとよくわかった。
危機管理のイロハである、事件が起こった直後の行動だ。
監督は雲隠れし、何のコメントもない。
それがどんどん問題を大きくした。
いまだにそれに対する反省はない。

監督が学校法人の常務理事だったというのが、事件を大きくした原因の一つ。
上には意見ができない、という体育会の風土と重なった。
さらに、学校法人が理事長と仲がいい常務理事の監督を守ろうとした。
危機管理学部を持っている日大なら、専門家もたくさんいたのだろうが、そこから声が上がったかどうかも定かでない。
教授陣が法人の意向を「忖度」したのだろう。
所詮、私立大学に雇われている教授はそんなものだ。
自分が関係なければ威勢はいいが、自分が関わると黙る。
総理の忖度を批判するなどおこがましい。

この問題は氷山の一角だ。
スポーツというものを、学校の宣伝に使い、教育から切り離してしまったツケだ。
だから、スポーツマンシップなど望むべくもない。
宣伝である以上、勝たないとダメなのだ。
もちろん、全部が全部とはいわないが…。

さらに、日大の場合は学校法人の常務理事という権力も絡んだから、どうしようもない。
きっと監督の方針に口出しできるような人はいなかったのだろう。
最初からそうだったのかはわからないが、監督の傍若無人な態度はそれを表している。
とても、スポーツを通じて人格を陶冶する、というような状態ではない。
今日の会見でも常務理事は一時停止という、よくわからない措置だった。

日経の記事に、こんなのがあった。

「上意下達の意識が強いこの国のスポーツ界には、今回のケースに限らず、高圧的に選手を意のままに動かそうとする指導者が少なくない。
 選手が自ら考えることも、意見を述べることも禁じ、ただ服従を強いる。論外ともいえる暴力行為すらしばしば発覚する。こうした関係は徐々に減ってはいるが、典型的なパワハラ体質を持つ監督、コーチとの理不尽な関係は、中学・高校の部活レベルを含めて特に学生スポーツではまだ多くの競技に存在する。」

高校以下の体育系部活でも、そういう問題はあるのだろう。
今だに少年野球チームの体質が古く、古いタイプの練習を強いるから、野球人口が減っているという話もある。
昭和の価値観で続いているのだ。
そういう練習をしてきたダルビッシュや田中が大リーグで怪我をしているのは、偶然ではないと思う。

学生スポーツというものをもう一度考えた方がいい。
教育の一環としてやるのなら、学校法人と監督やコーチは切り離すなどの独立性が必要だ。
現場の自由な声が、まともなスポーツマンシップを生むのだと思う。

この際、スポーツ推薦というような制度も考え直した方がいい。
入ってから苦労している学生を何人か見てきた。
スポーツ推薦をやるなら、それで入学した人たちの基礎学力をチェックし、伸ばしてやるようなプログラムを大学が考えてやるべきだ。
それをセットにしないと、学校の体育会を強くするために、無責任に入れたと言われても仕方がない。

もっとちゃんとやろう。


| | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
経理アウトソーシング
2000年当時、ぼくのいた会社は、人事部の福利厚生がアウトソーシングされて、とても親切になった。
ある日、電話をかけてビックリしたほどだ。
一方で人事、教育、採用、研修といったところは内部に残った。

今は経理がアウトソーシングしやすいと言われている。
本来の管理会計をするためにも、その手前までの事務は外部でやろう、ということだ。
大きな会社はそういうソフトを入れて、アウトソーシングしなくてもコンピューターでできるようにしている。
そこまでの投資ができなかったり、どこまでやれるかわからないという会社なら、アウトソーシングだろう。

簿記のルールに従って、仕分けをして、帳票を作るところまでが事務の仕事だと思う。
会社によって、いろんなローカルルールがあるだろうが、そこをちゃんと伝えれば、アウトソーシングはできると思う。
そういうケースをたくさん知っているアウトソーシング会社なら、かえって合理化できるかもしれない。

実際、経理の業務は電子化によって、激減した。
手書きの伝票を集めて、それを入力して、計算するという仕事がなくなったからだ。
起票者がコンピューターに入力すれば、転記も要らないし、計算も要らない。
集計業務はプログラムがやる。

コア業務の営業や設計、製造というような業務は、部分的には外注できても、大幅な外注は難しい。
逆に、経理のように、ルールが定まっている仕事は、外注しやすい。

日本の生産性が低いと言われているが、高めるためにもアウトソーシングはできる範囲で進めないといけない。

そうして生産性を上げないと、これからの少子化で生き残れない。

グローバルの世界だけでなく、ローカルの世界もそうしていかないといけないぞ。



| | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネットの毒
インターネット上にはたくさんの毒がある。
自由でアナーキーなネットの特性でもある。
それをどうしていくのか、というのが今のSNSのテーマだろう。

しょっちゅう、SNSなどで炎上が起こっている。
それ自体は意味があることなんだろうが、それがまた反対の炎上を呼んだりする。
そして、人々の憎しみを助長する。
それがネットの避けられない運命のように見える。

ネットが生活の中心になっている人たちにとっては、それは大問題である。
匿名性も手伝って、過激な発言になったり、過度に敏感になってさらに別の問題を引き起こしたりする。
だから、炎上も増えてくる。
最後は必然的に罵り合いになったりする。
そして、過度な謝罪で幕を閉じる。
本当に反省したのではなく、そうしないと収まらないからやっているんだろう。

炎上を面白がっている人たちは多い。
一歩引いて、外から眺めるぶんには、面白い部分もある。
芸能人のブログなどの炎上はその類だろう。
どうしてそんな事に必死になるのか、ということだ。
ある意味、健全だとも言える。
そういう人たちがどれくらいいるのかはわからないが…。

ちょっと思想や政治が絡むと、ややこしい。
匿名性は憎悪を拡大する。
実際に渦中にある人同士は、実名でやっておられるのだから、徹底的にやられればいいと思う。
しかし、その周りにいる人の多くは匿名で、それを拡散したり、増長したりする。
何万人もフォロアーがいる人が、ひとことコメントすれば、それは瞬間的に何万人に伝わる。
伝わったフォロアーの何割かが匿名でフォローしたりする。
それを炎上というのだが、あまり度が過ぎると見ていて気分が悪くなる。
やっている人たちは、正義感でやっているのだろう。
だから、余計にシンドイ。

ぼくらは、そんな生活を望んだはずではなかった。
しょっちゅう人と人がいがみ合う姿を見ることが、ネットの目的ではなかったはず。
今までなら知らないうちに、生活できていた。
でも、今ネットをやっていれば、必然的にそれを目にしてしまう。

若い人たちは、SNSに親しんで育ってきた。
それがどんな影響を及ぼすか、わからない。

でも、若い頃から世界の見にくい部分を見なくてもいいと思う。
インフラとなったネットの毒の部分だ。
若い頃くらい、世の中は素晴らしいところだと思ってほしい。

このマイナスは大きいと思うのだが…。


| | 考えたこと | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
新しいチケット販売
テイラー・スウィフトの今年のツアーは、チケット販売の方式が変わったらしい。
去年から一部導入されていた「ファン認証プログラム」が拡大された。
これは、今までダフ屋に儲けをさらわれていた興行主が、対抗措置としてやっているものだ。

「ファン認証プログラム」は、テイラー・スウィフトのサイトに登録して、「ブースト・アクティビティ」に参加することで、チケットの購入優先権が与えられる、というものらしい。
つまり、普段からの熱烈なファンに限って、優先的にチケットを販売しよう、というもの。
ミュージックビデオを見るとか、アルバムやグッズを買うとか、写真を投稿するなどの活動でチケットが買いやすくなる。

一部のファンからは反発の声も上がっている。
いいチケットがほしければ、物を買えということか、というような声。
それでも、関係者は『ファンにとってもアーティストにとっても転売屋をたたけるいい戦略であり、「ソーシャルメディアで不満を言う人々が出てくるでしょうが、あれはもともとネガティブな意見のたまり場です」と CBC News に語っている。』とのこと。
ソーシャルメディアでの不満はネガティブな意見のたまり場、と言い切ってしまうところがスゴイ。

実際、値上げ目的で買うダフ屋は減って、興行収入は増えているとのこと。
テイラー・スウィフトだけでなく、ブルース・スプリングスティーンなどもこのシステムを使っている。

これによって、本当のファンに来てもらえる、という。

まあ普通に考えれば、転売目的のダフ屋はファンサイトで買い物などしないから、いい考えではあると思う。
アメリカ人は合理的だから、日本のAKB48のファンみたいにCDを何枚も買うような人はいないのだろう。
きっと熱烈なファンには、このシステムは評判がいいのだと思う。

熱烈ではないが、一応ファンであり、お金はあってコンサートには行きたい、というようなファンが反発するのかもしれない。

テイラー・スウィフトなら、熱烈なファンだけで、ツアーが埋まるから、それも戦略になるのだろう。

こういうのをジャニーズでやったら、どうなるのだろうか。
毎日ファンサイトでPVを見て、チケットを手に入れようとする人も出てくるんだろう。
CDを何枚も買う人もいるかもしれない。

もともとファンクラブ制をとっているのだから、効果はないか…。

そう考えると、ジャニーズのファンはスゴイと思う。


| | 考えたこと | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
新作落語
桂三枝(現文枝)が主に上方の新作落語をやっているのをたまに聞いた。
ぼくはやはり古典落語が好きだった。
時間の評価に耐えて残ってきた話は、面白みがあった。

ここ2週間ほど、YouTubeで落語を聞いている。
YouTubeはもはや落語ライブラリーだ。
ぼくは高校、大学のころ、テープレコーダーを動かして、落語番組を録音していたのだが、もうそんなことは必要ない。

どの程度のチャンネルが著作権を守っているのかはわからない。
それでも、もう昔のテープはほとんど必要がなくなった。
こんな風に、YouTubeが使われるとは思ってなかったが…。

以前の桂三枝をはじめ、笑福亭仁智、笑福亭福笑、桂小春團治などを聞いている。
本当に面白い。
これなら、落語という芸は、まだまだ時間に耐えて残れると思う。

古典だけだったら、いくら演者が工夫をしても、若い世代が聞くにはしんどかっただろう。
だからこそ、上方落語協会も新作をやっている落語家を会長に選出したのだと思う。

今までは落語家というと、古典を覚えて自分なりにアレンジしてやるだけでよかったが、これからの落語家は落語を作らないといけない。
この世界で生き残っていくのは大変だろう。
落語という芸をつないでいくのは、そういうことができる落語家だ。

いくつかの新作は次の時代にまで生き残るかもしれないし、それは新たな古典になるかもしれないが、あまり期待はできないように思う。

そんな刹那的な笑いの時代。

シチュエーションと「間」で決まるような笑いだ。

古典落語は今の年寄りが亡くなったら、本当に古典芸能になる。

でも、それは世の習い。

若手の落語家に頑張ってほしいと思う。


| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
情けない監督
アメフトでラフプレーを指示したと言われている日大の監督が雲隠れしているらしい。
昨日関学の監督が抗議しているが、これは当然の行為。
日大の監督が謝罪会見をせず、雲隠れというのは、あまりにもスポーツマンシップに悖る行為ではないか。

日大の行為は相手チームのキーマンであるクオーターバックを故意に潰す行為。
完全にプレーは終わっているのに、狙いをつけてやっている。
いくらヘルメットをかぶって防具をつけているからといって、許されるものではない。

ニュースを見ても、大学の常務理事である監督は雲隠れしており、コーチも出てこない。

こんな状態を続けるようなら、廃部もありうるという記事も出てきた。
ラフプレーした選手は、退部の意向を示しているらしい。

監督は「選手も必死。あれくらいやらないと勝てない」と試合後コメントした。
これでは、殺人プレーを推奨しているようなものだ。
犯罪と言ってもいいレベル。

アメリカにはゼロ・トレランスという言葉がある。
不寛容という意味だ。
こういうときにこそ、この言葉を思い出すべきだと思う。

この件、日大の対応も、関東学生アメリカンフットボール連盟の対応も、ホントにお粗末。
対応の遅さといい、処分の甘さといい、これでスポーツマンと言えるんだろうか。

廃部という声もある。
まして、日大の監督は学校経営にも関わっている。
強いスポーツが学校の宣伝になり、それが志願者を増やす効果もあるからだ。
そういう方針で、汚い手を使っても勝てばいいという事になったとしたら、これはアメフト部だけの問題ではない。
理事長とも仲がいいらしいから、世論の声を上げないと何も変わらないだろうなあ。

それにしても、もう少し真摯な対応をすべきだ。

でなければ、本当に日大はアメリカンフットボールをやめたほうがいい。


| | 考えたこと | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
追悼 西城秀樹
西城秀樹が亡くなった。
二度の脳梗塞をやって、最後は心不全。
血管系の病気だった。

ウチは亡くなった父も心臓のバイパス手術をしていて、血管が詰まる。
ぼくも血管系の脳梗塞をやったから、何となくわかる。
心臓がしんどかったんだろう。

最初の御三家、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦が生きているのに、新御三家の一人が亡くなった。
ちょっと早すぎる。
郷ひろみも野口五郎も「言葉がない」というようなメッセージ。

人間の寿命だけは、どうにもならない。

実際ぼくは彼がデビューした頃は、歌謡曲はほとんど聞いてなかった。
出張の行き帰りのフェリーの中で、彼の歌を聴いたくらいだ。

それでも、有名なのはY.M.C.A.だろう。
ワイ、エム、シー、エーというアルファベットを表す振り付け。
カラオケに行って、誰かが歌うと、みんなでやった。
今でもやる。

広島県西条市出身だから、西条という芸名。
ぼくの親父も広島だったから、何となく親近感がある。

2度めの脳梗塞のあと、リハビリを頑張って、復帰したところをテレビで見た。
歌を歌うのではなく、どこかでロケをしていた。
ちょっとまだ身体も、言葉も不自由だったが、かなり復帰していたと思う。
あれが数年前。

ホームページを見ると、今年の4月14日に同窓会コンサートをやっていた。
同年代の歌手が集うコンサート。

リハビリは本当に苦しかったと思う。

ご苦労さまでした。

合掌。


| | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
日大アメフト部
日大のアメフト部のラフプレーは本当にひどい。
あんなことを許したら、スポーツは成り立たない。

今日ニュースを見ていたら、アメフト部の監督は常務理事だという。
道理で、何の会見もなく済んでいるわけだ。
普通の学校なら、監督がすぐに謝罪会見をしているところだが、そういう事情があったのか。

学校で一番偉いのは理事長。
その次は常務理事。
この監督は人事権も持っているという。
それなら、理事長の言うことしか聞かないだろう。
とうぜん、世間の声など耳に入らない。

この監督は選手に出場させる代わりに、あのラフプレーを指示したと言われている。
本当だとしたら、大問題だ。
学校側は、聞き取りの結果、そんなことはないと言っている。
まさか、選手が個人的にやったということにするのだろうか。
何にせよ、あれを見たら、もう日大と試合をしたいという学校などないと思うのだが…。

本来自由である大学という場で、そういう上の指示がまかり通るのが、私立大学の学校法人という組織。
悪い見本だ。
そんなやつがいたら、まともな組織なら告発されるだろうし、言うことを聞かない部下も出てくると思う。
法律とスポーツマンシップを比べるなんてバカバカしいが、日大のスポーツマンシップなど、コンプライアンス以下のものなのか。

日大のアメフト部のホームページを見ると、「今後はこのようなことがないよう,これまで以上に学生と真摯に向き合い指導を徹底してまいります。」と書いてあった。
まるで悪いのは学生、と決めつけている。
そういう指示があったのかな、と思わせる。

無防備な選手に危険なタックルをする選手も選手だと思うが、本当に情けない。

せめて謝罪会見くらいすべきだと思う。


| | 考えたこと | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
笑福亭仁智
上方落語協会の会長に笑福亭仁智が選ばれた。
桂文枝(もとの桂三枝)が8期15年やった後を任される形。
会員の選挙で決まる会長だから、本当に支持されたということだ。

桂文枝の功績は、関西になかった落語の定席を天満に作り、この夏には新開地に2つ目ができることだろう。
この功績は大きいと思う。
でも、記事によると、「体制の刷新を望む中堅・若手の支持を集めたとみられる」とのこと。

桂文枝は人気があり、上方の新作落語主体の落語家。
彼が15年やって、定席を2つ作ったことは大きいと思う。
それでも、若手の落語家はいきづまりを感じているということか。

笑福亭仁智は、上方落語の大御所、米朝、春団治、文枝、松鶴や、それを継いだ中堅の仁鶴や枝雀の次の世代にあたる。
最初は古典をやっていたが、99年から新作に転じていた。

会長になったということで、Youtubeで仁智の落語を聞いてみたら、これが面白い。
眠れない時に米朝や枝雀の落語を聞くが、声を出して笑うことはまずない。
仁智の新作は、やたら面白い。
これなら、若い人でも笑うだろう。

今のテンポの早い漫才に対抗して、落語で笑いを取ろうとすると、新作をやるしかない。
年寄りを相手にするのなら、話は違うが…。

古典落語は、もう話がわからないものが増えた。
芝居の話は元を知らないからわからないし、お茶屋や幇間などの言葉もわからない。
ぼくは落研だったから、大概の噺は意味がわかるが、若い人たちはもうムリだろう。
古典の噺で笑いを取るのは難しい。

古典落語ももともとは新作落語だったのだから、時代の流れだ。
これだけ時代が進むと、時代背景についていけなくなる。

昭和40年代に仁鶴がバカ売れしたことから、上方落語が復活して、枝雀が人気を博し、コンスタントに上方落語が売れる時代になった。
それでも平成になって、ちょっと苦しいという感じだろう。

若手はそういう事を感じている。
だから、仁智なのだろう。

上方に新作落語を根付かせた桂文枝はエラかった。
笑福亭仁智も頑張ってほしい。

| | 考えたこと | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホームドラマ
「へそくり」というのは、今でも若い人たちは使ってる言葉なんだろうか。
ぼくは、自分では使わないが、ドラマなどでよく出てきた。
昔のホームドラマではよく使われた言葉だ。
倹約や内職をして、内緒で貯めたお金、というのが意味。

そういえば、最近ホームドラマというのはあまり聞かない。
中学校の頃やっていた、「ありがとう」というホームドラマはよく見たなあ。
3丁目4番地とかいうのもあった。

画一的な「家族」の像がなくなって、必然的にホームドラマもなくなったのかもしれない。
それとともに、「へそくり」も聞かなくなった。

脚本家の橋田壽賀子が「何でもないホームドラマが生きられない時代になったって思うんですね。だったら、もうやめてもいいなっていう気がします」と言ったのが2015年。
70年代、80年代がホームドラマの黄金期だったという。

たしかに、核家族化が進んで一つの家にたくさんの家族がいる時代は終わった。
それとともに、ホームドラマはなくなった。
ここ2回の東京制作の朝ドラ、「ひよっこ」「半分青い」は田舎からヒロインが出ていく旅立ちのドラマで、そういうシチュエーションが共感されるということだろう。

70年代なら、都会が舞台で、そこにずっといるヒロインとその家族という「ホームドラマ」だったが、たしかにドラマ性としては薄い。
刑事ドラマのように殺人は起こらないし、医療ドラマのように人が死にそうになったりしないし、企業ドラマのように買収されそうになったりもしない。
家族とその周りの状況が変わることで、人間関係の軋轢に悩んだりする。
そんな誰でもに起こりそうな悩みを扱って、ホームドラマは成り立っていたと思う。

専業主婦という、いつも誰かが家にいる状況がなくなってきたのもあるだろう。
今は共稼ぎが増えた。
女性の社会進出がホームドラマをなくしたのかもしれない。

アメリカにもホームドラマみたいなのはあった。
「奥さまは魔女」などはいつも家が舞台。
やっぱり、そういう状態でないと、ホームドラマは成立しないのだろう。
あれは60年代のアメリカだ。

高度成長期、日本は豊かになって、ホームドラマが作られるようになった。
豊かだから、作れたのかもしれない。

今は20年以上続く低成長。
というか、それが普通の状態であり、高度成長期が幸運だったのだ。

その象徴がホームドラマであったのかもしれない。




| | 考えたこと | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
おおらかな60年代
小学校の頃、少年マンガ雑誌には、特集があって、その中でアフリカのホッテントットという人たちが紹介されていた。
お尻が突き出たスタイルで、本当はコイコイ人というらしい。
今は侮蔑的な言葉として、ほとんど使われない。
当時は珍しいという意味で、掲載されていたような気がする。
同じ意味合いの言葉で、ピグミーというのも覚えている。
これもアフリカで、とても身長が低い人たちだ。

あの頃は、侮蔑という意識はなかったと思う。
載せている方も、そういう意識はなかったはず。
ただただ、世界には変わった人たちがいる、という方が強かった。
実際、アフリカの奥地に行って、そういう人たちを見た日本人はほとんどいなかったはずだ。

60年代は、今ならびっくりするような事が平気で行われていたと思う。
それは主に、無知によるものや、みんなの意識の違いによるものなどが理由だった。

そういえば、近所の市場のたこ焼き屋はすごく安かったが、たこは入ってないものもあった。
6個か8個で何十円かだったはず。
今ならクレームをつけるのがアタリマエだが、当時はそんなものだと思っていた。

モノを買ってきて、ちょっと汚れていても、実用に支障がないなら「まあいいか」という感じで使っていたと思う。
まだモノが不足で、供給者の方が強かったのかもしれない。

マンガでは、第二次大戦の終わった後だったが、戦争モノもあった。
ゼロ戦はやと、ゼロ戦レッド、紫電改の鷹などの飛行機ものだ。

プラモデルでも、戦艦や戦闘機は普通にあった。
日本のものだけでなく、外国の戦闘機も普通にあった。
今なら、何か言う人も出てきそうだ。
でも、普通に売られていた。

少年誌の通信販売や通信教育がキワモノだった。
モデルガンや空手があったはず。
今思い出しても、怪しげなものだった。
申し込んで、届いて、「話が違う」と思っても、クーリングオフなどといういいものはなかったし、騙される方が悪い、という意識があったと思う。

誇大広告などやり放題だったと思う。
万事、いい加減だった。

過ぎ去ってみれば、いい加減だけど、おおらかな時代だったなあ。


| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
老化すること
年をとるとだんだんと力がなくなる。
筋肉が落ちてくるということだろう。
今まで回せていたペットボトルのキャップが回せなくなったり、プルトップが引き上げられなくなったりする。
もちろん、新品の瓶のフタも開かない。
生活に必要な力がなくなるのだ。

2030年になると、そういう老人が増える。
人口の1/3が高齢者になるから、必然的に力のない人が増えるだろう。
今からその時の対策をしておかないといけない。

まだぼくはそういう状態にはなっていないが、ビニール袋に入った醤油などをあけるのはしんどくなった。
老眼で切れ目が見えないからだ。
いちいち開けるために老眼鏡を出すのは面倒くさい。
だから、いつも苦労する。
そういう時に、年を感じるのは事実。

ちょっと前から膝が痛い。
今までそんなことは一度もなかった。
整形外科に行ったが、レントゲンを撮って骨はなんともないと言われた。

だいぶ前から物忘れが多いとか、途中で何かあると、何しにここに来たのかな、ということがある。
だいぶボケてきたのだろう。

いろんなことが重なって、だんだんと不安になる。
生きていくのは大変だ。

2030年問題とは、そういう人が世の中に増えるということだ。

これは深刻だぞ。

| | 考えたこと | 23:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜリチウム?
最近、今まで電池で使えなかったものが、どんどん電池で使えるようになってきた。
電気自動車をはじめとして、モーターで空を飛ぶドローンや高性能のスマホや電気掃除機など。
小さなものでは、カイロなども電池式になった。
そのおかげで、いろんなものが持ち運びしやすくなった。

それらの電池はほとんどリチウム電池だ。
なんでリチウムなのか、というと中学の頃理科で習った、イオン化傾向というやつが原因らしい。
イオン化傾向というと、わかりにくいが、「水兵リーベぼくの船」という語呂合わせなら覚えている人も多いと思う。
これは、水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム…という元素の並び。
リチウムは水素やヘリウムの次に、イオン化傾向が高い、ということだ。

イオン化傾向が高い、ということは電子の受け渡しをしやすいということで、それがバッテリーに向いているという。
リチウムイオンというものが、それを実現している。
この順番は決まっており、ヘリウムや水素は気体だから、金属元素では一番ということになる。
だから、リチウム電池なのだ。

またリチウムは軽くて小さい。
だから、バッテリーに向いている。
ただ、それだけ反応しやすいので、急速に反応すると爆発したりする。
だから、時々スマホやパソコンが燃えだしたりする。
扱いには注意しないといけない、ということだ。

なかなか実用化されなかったのは、リチウムと安定して反応する相手の物質が見つからなかったためらしい。
それが見つかったので、実用化された。
もちろん、電気を制御して充電する仕組みなども、一緒に開発された。
ある種危険な物質だが、それを上手に使えるようになった、ということだ。

半導体がシリコンを使うのに対して、電池はリチウムを使う。
シリコンは地球上にたくさんあるが、リチウムは希少だ。
だから、値段はそんなに下がらないだろう。

でも、イオン化傾向はずーっと前から分かっていたのに、最近になってやっとリチウムというものが使えるようになった。
きっといろんな人が、いろんな努力をしてきたのだろう。
そのおかげで、いろんなものがコードレスで使えるようになった。

希少な物質ということだから、なかなか捨てられない。
家にいろんなものがたまってくる。
古いスマホや、古いデジカメなど、リチウム電池が入っているものはどうしたらいいのだろう。

早くリサイクルの仕組みを作って、安心して捨てられるようにしてほしい。

でないと、もったいないぞ。

| | 考えたこと | 00:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
1996年
今日は三宮で宴会。
会社時代の仲間と会った。
いつ頃一緒に仕事をしたのか、確認してみると1996年からだという。

もう20年以上前だった。
バブルの残りがまだ残っていた頃。
どういうわけか、その頃が一番楽しかった時期だ。
39歳の頃…。

メンバーが面白かったということもある。
でも、その時の組み合わせや、仕事の内容など、運の要素の方が大きい。
面白くしようと思って、メンバーを決めていたわけではないからだ。

ぼくにとっては、22歳から25年勤めた会社は、今でもホームグラウンドだ。
神戸の会社で、ほとんどが関西人。
今はだいぶ人が増えて変わったようだが、ぼくがいた頃までは結構アットホームな雰囲気だった。
毎晩10時過ぎまで働いていたが、仕事は楽しかった。
家族もほったらかしで、仕事をしていた。
今となってはどうしようもない。

25年間の中でも、一番忙しくて、楽しかったのは1996年あたりだったろう。
気の合う仲間と一緒に仕事ができた。
その後は忙しくなりすぎた。

仕事は楽しかったといっても、結果論だ。
忙しくて、毎日仕事に行くのは嫌だった。
後から考えると、楽しかったと思うだけだ。

でも、いくつか覚えている瞬間がある。
その瞬間は面白かった。
そのいくつかがあるから、今でもあの頃の仲間を覚えている。

会社を辞めて、そういう仲間たちを失ったのは大きな失敗だった。
でも、それは自分で決めたことだから、仕方ない。

みんなそのうち一人になっていくのだ。

それでも、今日のように当時の仲間と会うと、本当に懐かしい。

いい集まりだった。



| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
これからどうなる?
今後50年、ゼロ成長が続くという記事があった。

これまで「失われた20年」といって、今の10代の人は、生まれた時から右肩下がりで成長を知らないなどと言ってきた。
しかし、それでも「あのころはまだよかった」と言える時代になるかもしれないという。

現在、田舎では商店街が閉まり、過疎地の高齢者は700万人が食料品店を利用できないと試算されている。
過疎が進むと、商圏が小さいと採算が合わず、店が開けない。

実際、都市部でも高齢化が進んでいるところは、高齢者は宅配サービスによって生きているところも多いと思う。
その宅配すら採算的に成り立たなくなると、高齢者は住めなくなり、限界集落化していくんだろう。

そうなると、地方自治体が成り立たなくなる。
前にも書いたが、そうなったらその土地をタダで自治体に寄付することもできない。
自治体は固定資産税がほしいから、寄付を受け付けないのだ。
そんな消極的な策で生き残れるはずもないのだが…。

将来に対する不安から、安定した仕事を目指す人が増える。
だから、公務員になりたいという人が多い。
公務員は税金で雇っているので、税金が必要になるリクツ。
田舎に行くと、立派な建物はたいがい役場だ。
しかし、自治体が潰れていくのだから、それ自体が成り立たなくなる。


記事では、「2015年に1対1だった就労者と非就労者の比率は、60年までに0.8対1になる。つまり生産性が2割程度増えないかぎり、この間の1人当たりGDPを横ばいに保ち、現在の生活水準を維持することすら不可能となる」らしい。

民主主義が先進国で成功したのは、成長を生んだからだ、という意見がある。
国民による自由な選択が、成長を生んだから、民主主義が発達したということだ。
しかし、日本の未来はだれが政権を取っても、苦しいように見える。

老人向けの福祉を削らないと、若い人たちは豊かになれないし、少子化も防げない。
しかし、圧倒的多数派は老人だ。
そこをどう調整していくのか。

果たして民主主義に変わる新たな仕組みがあるのか。
そうしたら、国が儲かる仕組みが作れるのか。

収める税金よりも年金の方が多くなったら選挙権をなくすとか、平均余命との年齢差で選挙権を減らすというような策は考えられているらしい。

どんな形であれ、民主主義には価値があるとぼくは思う。
だれが選挙権を持つかという問題はあるが…。



| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
中村雅俊といえば
中村雅俊といえば、青春モノの「俺達の旅」とか、学園ドラマの主人公のイメージが強い。
「俺たちの旅」は1975年から始まった。
大学生が主人公のドラマだった。
ぼくが大学に入った年だ。

実はこのドラマ、リアルタイムではほとんど見ていない。
下宿したりして、テレビとは無縁の生活だったからだ。
今と違って、当時はテレビは贅沢品。
下宿に1台、というようなものではなかった(テレビがある下宿はほとんどなかった)。
ぼくの下宿は、部屋のすぐ外に共同のガスコンロがあり、向かいが共同のトイレだった。
そんなところにテレビは似合わない。

それでも、家に帰った時、何度か再放送でチラチラ見た。
大学生の何とも言えないモラトリアムな感じが出ているドラマだった。
中村雅俊、田中健、秋野大作というトリオ。
それぞれ個性があって、時代の雰囲気を表している。
なんとなく、反体制という感じのドラマだった。

中村はドラマの主題歌も歌っていた。
この頃の中村雅俊が、ぼくの中の中村のイメージ。
とにかく、若かった。
そのイメージが強かったのか、中年以降の彼をあまり知らない。
歌手はやっていたのかもしれないが、あまりヒット曲はなかったと思う。
役者もやっていたのだろうが、これといって気を引いたものはない。

その中村が、おじいちゃんの役を朝ドラでやっている。
「半分青い」というドラマ。
実年齢が67歳。
そんな年には見えないが、もうおじいちゃんの役にならざるを得ない。

そういう時代になったのだ。
今の若い人たちは朝ドラなど見ないし、80年代の中村の歌も知らない。

でも、ぼくらは朝ドラを見て、「おお中村雅俊がおじいちゃんか」と感嘆する。

そういう年になった。


| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
スマートガン
スマートガンというのは、持ち主を登録しておいて、その人以外は撃つことができないという銃。
これはアメリカの銃規制で出てきたもの。
今の技術なら、わりと簡単に実現できそうだ。

だいたい、銃の問題は持ち主以外が発砲することが多いということで、こういうのが言われているんだろう。
少なくとも、売る時に認証した人でないと使えないということになると、だいぶ犯罪は減りそうだ。

警察への導入は、それでも進んでいないそうだ。
99%の信頼性では、アブナイという。
1%でも、撃つべき時に弾が出なかったら危険だからだ。

技術的には指紋で認証するとか、網膜で認証するとかいろんな方法がある。
GPSをつけて、どこで発砲したかがわかるようにするとか、銃によっては学校や空港で発砲できないようにすることも理論的には可能らしい。

これはいい考えだと思うが、それでも全米ライフル協会は反対している。
90年代にスミス&ウエッソンはスマートガンの開発をしていたが、銃規制に反対する人たちがボイコットの運動をして、廃業寸前にまで追い込まれたらしい。

アメリカ人の銃好きは国民性なんだろうか。
それとも、移民国家だからだろうか。

最近は西部劇を見ないが、昔はよくやっていた。
もちろん、カウボーイが出てくるのだが、みんな銃を持っている。
ちょうど侍が刀を持っているのと同じだ。

日本なんて、少し紆余曲折はあったが、明治の廃刀令でみんな刀は持たなくなったから、平和なものだ。
それでも、昭和のヤクザ映画では、健さんが雪の中番傘で、刀を持って一人で殴り込みというシーンはあった。
まあ、映画だからなあ。

あと何十年かしたら、そういう人たちも減って、銃に対する意識も変わっていくのかもしれない。
アメリカの高校生の意識はだいぶ変わっていると聞く。

しかし、まだまだそうはいかないように思う。


| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
教員審査
4月から、週に1日、非常勤講師の仕事をしている。
以前いた学校法人の人は非常勤講師を称して、「大学業界の恥部」と言っていた。
これにはもちろん、いろんな意味がある。
一つは、専任教員に比べて、べらぼうにコストが安いこと。
さらに、そういう人たちに、大学教育の多くの部分を担わせていること。
要は大学はエラそうにしているが、やってることは搾取に近い、ということを「恥部」という言葉で表現したのだと思う。

実際にやってみて、やっぱり安いと思う。
だいたい、週1コマで月給にして3万円程度。
60歳を超えてやるのなら、我慢できるところだと思うが、若い人がやるにはあまりにも安い。
ましてや、専任教員との格差が5倍とか10倍という事になると、博士号を取った優秀な人などはやってられないという感じだろう。

自分より優秀な人が専任であれば、まだ納得もいく。
しかし、文系の下位の大学なら、専任を選ぶ時には優秀な人ほど敬遠されてしまう。
自分より優れた業績の人は、雇いたくないからだ。
だから、専任教員は優秀な非常勤に比べると、業績などがないことが多い。
そういう実態がわかってくると、よけいにやる気が失せる。

1989年に1万6千人ほどだった非常勤講師は、2016年に9万人以上になった。
約6倍だ。
その間に、大学教員の数は2倍にしかなっていない。

特に人文科学系は今や半分以上が非常勤講師だという。

文科省が本気になって制度改革し、教員審査を毎年やれば、この状態はすぐに回復する。
過去5年間に査読付きの学会誌に論文を2本以上出した人以外は資格なしにすればいい。
若い優秀な教員が日の目を見る。

ただし、潰れる大学もたくさんできるだろう。

でも、それくらいの荒療治をしないと、この状態は変わらない。

文科省にやる気があるかどうか…。

| | 考えたこと | 09:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
労働のコモデティ化
ITの進歩で、労働がどんどんコモデティ化している。
コモデティ化というのは、Wikipediaにはこう定義されている。

「コモディティ(英:commodity)化は、市場に流通している商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとってはどこのメーカーの品を購入しても大差のない状態のことである。」

スーパーのレジは昔はテンキーのブラインドタッチが要求されたが、今ではバーコードを読ませるだけでいい。その結果、アルバイトでもできるようになった。

ファミレスの注文を取る仕事も、ややこしい注文を覚えなくてもよくなった。通信端末をタッチすればOKだ。これもアルバイトでできるようになった。

単なる計算業務、転機業務は仕事自体がなくなった。
ソロバンの達人や電卓の名人は仕事を失った。
起票者が入力すれば、計算は機械がやる。

Uberという会社のスマホと位置情報、決済機能を組み合わせたサービスで、素人でもタクシー運転手すらできるようになった。
クルマとクレジットカードがあって、登録すれば誰でもできる。
そんな仕組みさえ、ITの技術が可能にした。

100円ショップも、外食のファストフードも、今やほとんどがパート、アルバイトだ。
それでも日々の仕事ができるようになっている。
IT以外にもいろんな技術革新があって、今や高校生のアルバイトでもできる。

これはつまり、労働のコモデティ化が起こったということだ。
労働が特別な商品から、一般商品になった、ということになる。
だから、労働の価値が下がり、誰でもできる仕事が増えた。

こういうのをデスキリングというらしい。
スキリングに否定を表すデがついたということで、スキルが要らなくなる、という意味だ。

だからこそ、何百万人といる大学生がアルバイトで、充分に労働力になる。
何百万人といるフリーターやニートの人たちを救うために、大学生のアルバイトを禁止すればいい。
禁止しなくても、とてもアルバイトなどやってられないようなカリキュラムにすればいいだけだ。

これからAIが発達して、こういうことがもっと広範囲に起こる。
銀行ですら、過去の質問と解答をAIに学習させ、コールセンターで使っている時代。
以前はコールセンターの業務にはかなりの金融知識が必要だったが、ここでもデスキリングが起こる。
それが、労働のコモデティ化をさらに促進する。

人に対するスキルはまだまだ無くならないだろう。
物理的な力や技もある程度は必要とされるだろう。

これからは、コモデティ化しない労働を探さないといけない。


| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
年をとるということ
GWに入って、休みが続いている。
この休みに時代劇の小説が5巻ほど進んだ。
読みだしたら、やめられない。
他にすることもないから、文庫本を読む。
ブックオフオンラインで買いだめしてあるのだ。
「居眠り磐音江戸双紙」というシリーズ。
全部で51巻ある。連休に入って7巻読んだが、まだ半分もいかない。

主人公の坂崎磐音という剣客は、スーパーマンのように強い。
1巻が5章くらいで構成されており、1章が1話読み切りという感じだ。
作者は佐伯泰英という人。
今は23巻。まだまだ楽しめそうだ。

年をとると、だんだん難しい本を読む気がしなくなる。
若い頃はそういう本も読めた。
いろんな事に興味があった。
本棚にたくさんそういう本があるが、ほとんど忘れた。

若気の至りで買った太宰治全集など、どうしようかと思う。
それも旧漢字、旧仮名遣いだから、破格の値段だった。
ほとんど新品。
ブックオフに来てもらって、見積もってもらってもいいのだが…。

この休みに子供らが帰ってきた。
次男は就職したばかりで、研修の一環で「7つの習慣」を読まされている。
ぼくも、研修で読まされたので、家にある。
時間がなくて、夜中に大急ぎで読んだのを覚えている。

ブックオフができて、古本の市場が広がった。
アマゾンの中古やブックオフオンラインでさらに入手しやすくなった。
希少性の少ない、文庫本のエンターテインメントはこういうのに向いている。
時代劇の小説など、ピッタリだ。

年をとるということは、読書本来の楽しみに戻るということなんだろう。
もちろん、知的な興味もあるにはある。
でも、もう面倒くさい。
世界や日本の社会のことなど、問題は多いと思うが、自分が頑張っても解決できない。
そんなアタリマエのことを思う。

若い頃からアタリマエだったが、若い頃はそういうことは考えない。
逆に言うと、それが若いということなんだろう。
若いということは、素晴らしい。

高齢化した日本、どんどん年寄りが増えてくる。
これはあまりヨクナイなあ、と思う。

もうちょっと頑張って、難しい本を読もうと思う自分と、いやいや、もうええやん、という自分がいる。

孔子は四十にして惑わずと言ったが、凡人は六十になっても惑う。

| | 考えたこと | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
キディランド3
今日は久しぶりに阪急三番街のキディランドに行った。
だいぶ変わっていた。

昔は大人の男性のコーナーもあったが、それはなくなっていた。
プラモデルやラジコンなどはもうない。

その代り、新しい「ネコ」のコーナーや以前からあった「スヌーピーショップ」、地上から引っ越してきたジブリの「どんぐり共和国」などが入っていた。
文房具の店もあった。
全体に女の子向けになったようだ。
客も7割以上女性だ。

従来からのキティ、ディズニーなどのコーナーは健在。
小さい子向けに、プラレール、トミカ、ベイブレードなどもあった。
一時はテレビゲームが大きな面積を占めていたが、あれは完全になくなった。
スマホの時代だ。

電気屋や時計屋がなくなって、手芸屋やニトリのホームショップなども入っている。
どういうわけか、はしっこのナカイ楽器はずっと前のままだ。
趣味の店からは外せないのだろう。

前回書いたのは2013年。
あれから5年たった。

阪急三番街ができたのが、ぼくが小学校の時。
たしか、あの頃、テーマソングを四方晴美(チャコちゃんハーイ!に出ていた子役)が歌っている、赤いソノシートがあったと思うのだが、ネットを調べてもそのことは出ていない。
ぼくの勘違いだろうか。

誰か知っていたら教えてほしい。

| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
アマゾンプライム
ぼくはアマゾンプライムの会員になっている。
年会費3900円で、お急ぎ便が無料で使えたり、ビデオを見たり、音楽を聞くことができる。
音楽のサービスはなかなかいい。
他にもいろんなサービスがあるが、ぼくは使っていない。
それでも、プライム会員を続けている。

アメリカのアマゾンでは、プライム会員の値上げがされたとのこと。
ぼちぼち、収益を上げようとしているのだ。
安い値段で囲い込んでおいて、便利さが浸透した時点で値上げをする。
アタリマエのやり方だが、これは強い。

アマゾンはどんどん投資をしている。
通信販売のサービスだけではない。
クラウドコンピューティングのサービスもやっているし、アレクサを擁するスマートスピーカーも好調。
グーグルといい勝負だ。

日本でもいずれプライム会員は値上げということになるのだろう。
その時に、どうしようかと思っている。

時々楽天も使うが、やっぱりアマゾンが便利だ。
アマゾンの配送センターは国内に16箇所ほどあり、ロボットが走り回っているという。

トランプさんが言うように、アマゾンのおかげで町の書店を始めとした小売店はどんどん潰れている。
うちの近所に残っていた最後の書店がこないだ潰れて、残っているのはダイエーの中の大型書店だけになった。
あそこが潰れると、もう近所に本屋はなくなる。

本屋がなくなってしまったあと、アマゾンの値段が上がるとどうなるんだろうか。
その前兆が、アメリカでのプライムの値上げなのか。
ひょっとしたら、そういう作戦かもしれない。

どんどん投資して、競争相手を潰してしまって、アマゾンの天下にしておいてから、値上げをする。
それが資本主義。

リアルの店舗はなくならないにしても、アマゾンはどんどん小売業を潰していく。

その結果は、どういう未来になるんだろうか。


| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
Google翻訳
Google翻訳は本当に賢くなった。
中学や高校の英作文や英文和訳の宿題など、これを使えばできてしまうのではないか。
昔翻訳ソフトを一度仕事で使おうとしたことがあるが、場合によっては全く意味が通じなかったり、逆の意味になってしまったりして、とても使えないものだった。

それが、最近はほとんど意味が通じる。
Google翻訳は、「2016年頃から、個々の語句の意味よりも、「語句の並びや語句の組み合わせに重きを置いて、その意味ベクトルをもとに翻訳するシステム」を採用」という記事があった。
それまでは、単語の意味をつなげていくやり方だったようだが、Googleは組み合わせに注目するシステムに変えたらしい。

意味ベクトルというのがいまいちわからないが、言葉が回りの単語で意味が決まる、というのはわかる。
たとえば、「ネジがバカになる」というのはネジの溝が潰れて使えなくなるという意味だが、こういうのが単語の意味からは出てこないものだ。
バカを文字通りに訳していては、翻訳は成り立たない。

ネジとバカの関係から、用法を推定して翻訳する、というのがGoogle翻訳だろう。
ちなみに、「ネジがバカになる」と入れたら「Screws get stupid」と訳され、まだそこまで賢くなっていなかった。

それでも、言葉にはいろんな意味があるから、それが比喩的に使われるときが一番訳しにくいところなんだろうと思う。
それは意味ベクトルとやらを使うことで、クリアできるということだ。

ちなみに、最初の文章をGoogle翻訳で英語にしたものは以下のようになった。

Google translation really got wiser.
If you use this, such as English composition of junior and senior high school or homework of Japanese translation in English, will not it be done?
I used to try to use translation software once at work, but in some cases it did not make sense at all, or it became the opposite meaning, it was something I could not use very much.

ぼくには、こんな英語らしい英語は書けない。
これが、日本語を入力したら、ほとんど秒単位で出てくる。

おそらく、多くの人がもう仕事で使っているのだと思う。
ひょっとしたら、翻訳を仕事にしている人も、第1段階ではこれを使っているのかもしれない。
さすがに、文学作品を訳するとなると、まだまだ使えないだろうが…。

本当に、翻訳の仕事は将来どうなるのだろうかと思う。
Google翻訳はAIで、自ら学んで賢くなっていく。
このまま賢くなると、意味を取り違えず、ほぼ間違いなく訳せるようになるだろう。

翻訳イヤホンも10年以内にはできるという。
たしかに、Google翻訳を見ていると、できると思える。

夢のような時代が来ようとしている。
イヤホンをつければ、意志の疎通ができるのだ。

本気で外国語を学ぶ意味を考えないといけない。



| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
アナログ時計
イギリスの中学校で、アナログの時計を読むのが苦手な生徒が増えたため、デジタルに変えるという記事があった。
アナログ時計というと、腕時計などはまだ主流。
子供たちはデジタル表示になれてしまって、文字盤の時計を読みにくいらしい。
イギリスでそうだということは、日本でも同じ様なことが起こっているんだろう。

駅の表示などは、どちらかというとデジタルが増えたような気がする。
メインの時計はアナログだが、電車の到着表示などは数字のデジタル表示になっている。
インターネットが発達して、時間を知るコストが下がったのもあるだろう。
ネットにつながっていれば、特定にサイトから時刻情報は取れるから、アナログのメカは不要になる。
また、そっちの方が正確だ。

スマホの表示もデジタルの方が場所をとらないから、デジタルの人が多いと思う。
わざわざアナログにしている意味はあまりない。

となると、あの長く親しんできたアナログの時計の文字盤はなくなる運命にあるんだろうか。
1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒、というのはそう簡単には変わらないだろう。

それでも、だいたいの世の中が10進法だから、どこかの国がうちは1日を20時間にする、と言い出すかもしれない。
日本だって、明治までは時刻の表示は違ったのだから、ないとはいえない。

1日は20時間、1時間は100分、1分は100秒、というやり方でも理論的には問題ないだろう。

そう思うと、明治の人は時刻の表示が変わって、面食らっただろうと思う。
時刻だけでなく、暦も変わったのだ。
卯の刻とか、子の刻とか言っていたのが、数字の時間に変わる。
おまけに、それまでは太陰暦だったが、太陽暦になった。

こういうのは感覚と結びついているから、慣れ親しんだものと決別するのは大変だったろうと思う。
それこそ、民主主義では無理だ。
上からの指示でないと、誰も聞かない。

要は、西洋に合わせる、ということで、無理やりやるしかなかった。
そのおかげで、ぼくらは違和感なく生きていける。
世界で旅行ができるのも、そういうことが整備されたからだ。
時刻が違うと、飛行機の切符など、ややこしくてかなわない。
時差の上に、時刻のシステムまで考えて換算しないといけなくなる。

何でも民主主義ではいけない、ということだ。
上からバッサリやらないといけないこともある。

アナログ時計も、同じ運命をたどるのかもしれない。


| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |