ぼくが入社したのは昭和54年。1979年だった。
その当時、ぼくの会社では大卒の新入社員には手厚い研修があった。
全員がその期間、寮に入ったと思う。
4月に入社して、配属先が決まるのが6月、そして本格的に仕事をするのが1月というスケジュールだった。
ウチの父は繊維商社だったが、研修の長さに感心していた。
「会社に余裕があるからできるんやなあ」と言っていた。
今はとにかく「即戦力」が求められるので、入ったらすぐ活用しようという流れだろう。
でも、研修を丁寧にやらないとなかなか使えないと聞くが…。
まず座学で会社の役員や部長の話を聞く。
そして、生産技術実習、販売実習、技サ実習、工場実習、スノー実習と続く。
配属は7月に決まるが、実際に仕事をするのは翌年の1月からだったと思う。
やっている時は、何でこんなことをしないといけないのかなあ、と思ったりしたが、今思えばとてもいい経験ができたと思う。
当時会社はそんなに儲かっていたわけではないが、人材が大事だという考えがあって、文系も理系も工場や販売店、サービスなどを知ってから仕事をさせたのだろう。
メーカーというのは、工場と販売店を知らないと商売できない。
中でも、工場実習は一番きつい。
生産装置やエネルギーの有効活用のために、工場は24時間動いていた。
一直、二直、三直という時間割で、4班が交代で勤務するという体系。四班三交代制と言っていた。
三直が夜勤で、夜の10時から朝の6時までだったかな。一直が朝の6時から昼の2時、二直が昼の2時から夜の10時という時間割だったと思う。
工場実習ではその三交代を経験した。
今は工場もだいぶ機械化され、きつい仕事は機械がやるようになったと思うし、熱効率を上げて、熱を有効利用するから、排熱が少なく、工場内は涼しくなった。
でも、昭和54年当時はまだまだきつかった。
それを実際に体験し、工場の人たちの苦労を知ることができたのは、今でもありがたいことだったと思う。
ぼくは実習の最後は二直だったが、最終日を終えて、夜の工場の明かりを見て、なんとも言えない感慨があった。
こういう仕事、こういう人たちが、生産を支えているのだ、という実感を持つのと持たないのでは、それからの仕事は違うに違いない。
口はばったいことを言うと、大卒としての責任感みたいなものを感じさせられた。
あの人たちが工場で頑張っているのだから、ぼくらも頑張らないと、というような責任感だ。
当時はまだ大卒新入社員というのは、そういう扱いだった。今より少し重かったと思う。
工場実習をすると、工場の人たちにムチャは言えなくなる。製造業だから、工場を尊重するという姿勢を植え付けるのには良かったんだろうと思う。
翻って、その25年後、ぼくの転職した大学は、職員の研修がほとんどなかった。
やらないといけない、という話はずっとあったらしいが、学校法人や他の設置校が絡むのでめんどくさく、やっていなかった。
まあそういう部署すらなかったから、仕方がない。
新任教員は半日オリエンテーションを受けておしまい、というレベル。
後は全てOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング、仕事を通じて覚える)だ。
OJTというと聞こえはいいが、教員の場合は仕事をやってみせる上司もいないから、要はいきなり自分で授業をやって、それで学生のレベルをつかめ、ということだ。
大学の先生は高校までと違って、教育の手法を習っていない。
だから、よけいにどうしたらいいか、わからないのだろう。
気の毒といえば気の毒だが、その教員に教わる学生はもっと気の毒だ。
本来はその大学の教えたいことや教えるべきこと、学生に合わせて授業はどういうやり方をするべきか、というようなことを学科長や学部長がオリエンテーションするのがスジだ。
上位の学校はともかく、下位校はこれをやらないといけないと思う。
ところが、新任の教員にはそういう説明は一切ない。
非常勤はもっとひどい。
とりあえず任せてやらせているだけ。
これはまた、稿を改めて書く。
ぼくは新任の教員に就職の説明をするときに、学生のレベルについて話し、「言葉を知らない学生が多いから、説明の時にはご注意を」ということを言っていたが、学部の教員から、そういったオリエンテーションなどはなかったと思う。
先生という人種は、先生に対して遠慮がある。
というか、極論すると授業は「アカデミック・フリーダム」の範疇で、外部から口を挟むのは失礼だ、という考えすらある。
「アカデミック・フリーダム」とは、
このサイトによると「19世紀初頭のドイツにおける大学改革論議のなかで、アカデミック・フリーダム(学問の自由)という概念が確立した。アカデミック・フリーダムは、大学教師は(自らの知的関心にそくして)何を研究してもよく、その研究成果に基づいて何を講義してもよいという意味の「教授の自由」と、学生は(自らの知的関心にそくして)何をどこで誰から学ぶかを自由に決定できるという意味の「修学の自由」を含意していた。この二つの意味のアカデミック・フリーダムが、ドイツ大学の発展を促したと考えられている。一方、アカデミック・フリーダムが強調された結果、大学が一般社会から遊離し、「学問のための学問」を追求する「象牙の塔」になってしまったとの批判もなされてきた。」と書かれている。
ここに「批判がある」とは書かれているが、それは本当にアカデミックな先生たちの話だろう。
普通の大学には、そんな「批判ができる」という自由な雰囲気はない。
授業改善活動で、授業公開をしていても、見に行く先生はほとんどいないし、行く時にはその先生に断って行かないといけない。
自社の商品(授業)をチェックする、という機能がないのだ。
だから、学長であっても、「こうしなさい」ということを言えない。
ゼミナールの改善もできない。
あ、また話がそれた。
早い話が、学校というところは学生を教育するところだが、その学生を教育する先生を教育するのは不得意だし、事務員を教育研修するのも不得意だ、ということだ。
とりあえずそうまとめておこう。