![]() |
2009.10.31 Saturday
本当はわかってない
昨日の続き。
圓楽が「気骨のある落語家」という、気骨、の意味がわからないと次男が言う。 気骨とは…、うーん、そうやなあ…、結局答えられなかったのだが、次男が辞書をひくと「自分の信念を曲げない強い気性」と書いてあった。 「そうそう、そういうことや」と言ったら、「人に説明できないということは、わかってないということや」と言われた。 「お父さんがそう言った」らしい。 まあ、そういうことやな…と思う。 人に説明できて、その意味を知っていると言える。 ただ、漠然と意味がわかっているのは、わかっているつもりということだ。 気骨という言葉、難しい。 意味は何かといわれると、気骨があるということは、気骨があるということや…という繰り返し(トートロジー)になってしまう。 人間、だんだんとアホになっていくのではないか。 文化とは何か?文化とは…、文化ということや。 人間とは何か?人間とは…、人間ということや。 勉強とは何か?勉強とは…、勉強ということや。 人生とは何か?人生とは…、人生ということや… それらに定義を与えていくということが、哲学者の仕事だろう。 ぼくら凡人は、知れば知るほどそれらはその言葉でしか語れなくなる。 そう簡単にひと言でまとめられない、という経験を積んでしまうからだ。 だから、本当はわかっていない、ということになる。 しかし、本当はわかっていない、ということをわかっていることは大事なことだ。 しかし、次男にそれがわかるのは、まだまだ先だろう。 |
![]() |