考えたこと2

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TVer見逃し配信サービス
若い人たちは、番組を見逃してもインターネットなどで見ているようだ。
アニメーションやドラマなど、特定のサイトで見られるらしい。
時に、外国語の字幕が入ったりする。

なるほど、そういうことか。
海外のサーバーでやっているから、止めようがないということなのかもしれない。
そういうのがYouTubeやその他の動画サイトに上がっても、法的には止められない。

どうせ、そういうものがインターネットに上がって見られるくらいなら、民放のテレビ局が一緒になって見逃し配信サービスをやってしまえ、というのがTVerというサイト。

TVerは参加しているテレビ局が、オンエア後から1週間に限って無料でテレビ番組を配信するサービス。
全ての番組を網羅しているのではない。
局によって、番組数も違うらしい。

極論すれば、今や見ているサイトが違法かどうかすら認識していない、という時代。
そうなってしまったら、テレビ番組の放送というのは、何をやっているのかわからない。
見たい時にインターネットで番組が見られるようになって、テレビを見なくなると、ネットで広告を飛ばして見る。
広告主はみんなが同時に見ざるを得ないから、広告料を払っているんだろう。
ネットで見られるくらいなら、直接インターネットで広告したほうがマシだ。
その点、TVerはちゃんと広告が入る。それを見ないと、前に進めないようになっている。

民放のビジネスモデルは、もう瀬戸際にきているんだと思う。
だから、ひな壇に安いタレントを並べて、クイズとも言えないような問題を出したり、ビデオを見せたりしてコメントさせるような番組ばかりになった。
それ自体、必要があるのか、というような番組だ。
バラエティといえば、そうだろう。
あんなものを流すくらいなら、海外ドラマを吹き替えで流したほうがよっぽどマシだと思う。
しかし、局にとっては海外ドラマを買うよりも、安い番組になっているんだろう。

インターネットは既存のビジネスを潰していく。

民放のテレビはどうやって生き残るんだろう。


| | 考えたこと | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポーツのビッグデーター
ミズノが、野球のバットのスイングを解析する、スイングトレーサーという装置を開発して発売した。
センサーにはセイコーエプソンのものを使っているらしいが、解析のソフトはミズノ独自のものらしい。

これで、スイング速度とか、ヘッドスピード、インパクト加速度、バットの回転などが解析できる。
そして、それらをクラウドでビッグデーター管理することで、例えば自分が全国の高校生の標準からどれくらい離れているかなどがわかるようになる。
こういうコンセプトの商品らしい。

だから、毎月の使用料を取る。
選手個人なら、980円、複数の選手のものが見られるコーチ用は2980円ということだ。
これらを見るためはスマートフォンを使う。
センサー用のアプリを入れないと見れないし、そこで課金すれば簡単にお金は集めることができる。
仕組みはできているのだ。

ここから、新しいビジネスが始まる。
自分にあったバットはどんなものか、ということがわかる。
それを訓練するにはどうしたらいいか、などがわかる。
今まではバットを売って終わりだったのが、スイングセンサーとバットを売ることが始まりになる。
こういうビジネスの形が新しいビジネスになる。

今までモノを売って終わりだったのが、モノを使うところまで入って、そしてレベルアップをするためにはどうしたらいいか、というところまで進む。

ソニーがテニスラケットに付けるセンサーを売っていたが、おっつけそういうビジネスに発展するだろう。
自分に最適なガットの張力はどれくらいがいいかとか、最適なラケットはどんなタイプかというようなことだ。
それは、ソニーにはできないかもしれない。
ラケットのメーカーにノウハウがあるからだ。

当初はプロなどでデーターを蓄積するのかもしれない。
そして、マニアにおりてくる。

野球ではプロ野球や高校野球の強豪校、少年野球のチームやなどがユーザーになるだろう。
少年野球などは、そういうのを使っている、ということが選手集めの売りになるかもしれない。

大リーグにも売り込んだらいいと思う。
アメリカは野球の統計が進んでおり、野球は統計のゲームになっている。
でも、まだバットという道具を使ったビッグデーターというのは出ていないと思う。

こういう、モノとネットをセットにしたような形は日本が得意なのではないか。

どんどん新しいビジネスが生まれれば、また日は昇るかもしれないぞ。

| | 考えたこと | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
親日嫌露
親日の国というと、トルコ。
世界で好きな国は?と聞くと、いつも日本が1位になるらしい。

好きな理由は、いろいろある。
建国の父と言われるアタルチュクという人が、明治維新をモデルとして改革を行い、「日本」という名前を国民が知ったということ。
日本がロシアのバルチック艦隊を破って日露戦争に勝ったこと。
日本に漂着したトルコの船の船員を助けて厚遇したということ。

何せ、小学校でトーゴー元帥(日本海海戦の時の司令長官)のことを習い、自分の子供にトーゴーと名付ける人がいたくらいだ。
イラン・イラク戦争の時に、空港に取り残された日本人を助けてくれたのはトルコの飛行機。
昔助けてくれた借りを返した、ということだ。

一方、トルコはロシアと仲が悪い。
ロシアはずっと南下したかったが、それを食い止めたのがトルコ。
そして、NATOにも加盟している。

そういう状態で、ロシアの爆撃機を撃墜した。
これは、もめるだろう。
どんな事情があるのか、よくわからない。

イスラムの国であるトルコの、ISに対する事情と、ヨーロッパの国々のそれとはだいぶ違うのかもしれない。
民族紛争のこともあるし、歴史的なこともある。
そういうところが、日本人のぼくらにはわからない。

ニューズウィークによると、ロシアのシリアでの攻撃相手は、トルコが支援しているトルクメン人だった、ということだ。
それがトルコの敵意を煽った。

いろんなことが絡まっている。
イスラムということで、十把一からげにしてはいけないのだろう。

島国で育ったぼくらは、そういうところがわからない。

ちょっと勉強しないとイケナイ。


| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
オプジーボ
製薬業界では、新たな薬の開発にしのぎを削っている。
特にガンについては、いろんな薬が開発されていて、まだまだ高価だけれど決まった種類のガンには効く薬も出てきた。

小野薬品がオプジーボというガンの薬を発売した。
従来の考え方とは違う製品で、画期的だと思う。

もともと、人間の身体には免疫という機能がある。
身体の外から異物が入ってきたりしたときに、それを攻撃する機能だ。
それが働かないから、ガン細胞が増殖する。

もともと、DNAが間違って転写され、自分の身体にとって悪いものになるというガン細胞は、日々作られているらしい。
それでも、通常の場合は免疫機能がちゃんと働き、それらの細胞を潰してしまう。
笑うことは免疫機能を高めるので、笑いの多い生活を送ると、ガンになりにくいというのも聞いたことがある。

現在の抗がん剤というのは、DNAのコピーを止めて細胞を増殖を止めるという機能が基本らしい。
だから、副作用が大きく、細胞の増殖が速い髪の毛などがなくなったりする。

オプジーボは、従来の抗がん剤のように細胞の増殖機能に影響を及ぼすのではなく、自分の免疫機能がちゃんとガン細胞を攻撃できるようにする薬だという。
増殖するガン細胞は、免疫機能をストップさせる物質を持っていることがわかった。
その物質を排除すれば、免疫機能がちゃんと働き、ガン細胞を攻撃するようになる。
従来の抗がん剤よりも副作用が少ないというメリットもある。

nippon.comというサイトの記事によると、「抗体を用いた「がん免疫療法」は、米国科学雑誌「Science」が選ぶ13年の「Breakthrough of the Year」に選ばれた。ニボルマブは14年7月、「オプジーボ」として、メラノーマを対象に世界に先駆けて日本で承認され、9月には米国でも承認された。肺がん(治療歴を有する進行期肺扁平上皮がん)については、米国では既に試験を終えて優先審査がなされている。」と書いてある。

人間が本来持っている免疫機能をちゃんと働かせる、というアイデアは、日本人のものらしい。
記事によると京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)氏らが発見したとのこと。
もちろん、同時期にアメリカ人も動いているが…。

ひょっとしたら、ノーベル賞候補になるかもしれない。

こういう発見が続くと、あと数十年でガンでは死なない、という時代が来るかもしれない。
高齢者が増えても、働ける時代にならないと、日本は先細りだ。
早く、安く、簡単に治せるようにならないか。

ぼくは血管系の病気で死ぬと思うのであまり関係はないが、ガン家系の人は期待できるぞ。

| | 考えたこと | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
公認心理師
新しい資格ができるらしい。
公認心理師という。

心の不調に対処する人のための資格。
今までは臨床心理士とかがあったが、実は民間資格だった。
これは初の国家資格になる。

実際には臨床心理士という大学院卒を要件の一つとする専門職は、文科省は絡んでいたが、あくまで国家資格ではなく民間のもので、それに類した資格は山ほどある。

Wikipediaによると「日本では、心理士、心理カウンセラー(相談員)、心理セラピスト(療法士)などの心理職には国家資格が存在しない一方、民間の心理学関連資格は多数存在する。「○○心理士」「○○カウンセラー」「○○療法士」など名称は様々であるが、いずれも、学会や民間団体が認定する民間資格であるため、求められる専門性や取得までの難易度は千差万別である。学会が認定する資格の中にも「学会商法」と批判されても致し方のない、安易な認定基準や認定方法の資格が存在しているのが現状である。」と書かれている。

これは事実で、心理学に関しては学会の数も驚くほど多い。
とりあえず、公的な資格が6つ、学会認定の資格が22個、民間の資格は100を超える。
似たような名前の資格がたくさんあり、これだけあれば、やりたければ誰でもできるというレベルだろう。
人文・社会系の学会数でも、心理学・教育学という分野は112の学会があり、経済学や法学に比べて突出して多く、分野で1位だ。

ぼくは大学で臨床心理学に関わったが、外から見ていると学会同士で仲が悪い。

お互いに、信奉する家元のような人がいて、自分たちの理論が正しい、というところは一歩も譲らなかったりする。
本家本元の日本心理学会というのがあるが、これはどちらかというと実験系の学問。
サルの脳みそに電極を入れたり、ネズミに学習させたりするという実験をメインとしている。
当然、日本心理学会が一番大きいと思いきや、今や心理臨床学会の方が一桁多く、2万人以上いる。
民間ではあるが、大学院の専門職として臨床心理士という資格を作った、もと文化庁長官の臨床心理学者、故河合隼雄の力は偉大だったんだろう。

なぜ、心理臨床学会が臨床心理士の資格をだしているのか、臨床心理学会ではないのかと思うが、元はちゃんと臨床心理学会だった。
そこから喧嘩別れしてできたのが、心理臨床学会で、これが今は一番大きい。
だから、名前のねじれが起こった。
今も臨床心理学会はあるが弱小学会になってしまった。

それ以外に、信奉する心理学者を崇拝する会もある。例えば、ユング派ならユング派だけの会もある。
このあたりの会に入っている人は、ちょっと排他的だったりする。
フロイトではダメだ、ユングが正しい…などと宣ったりする。
人間の心の学問だから、合ってるも間違ってるもないだろう、などと言おうものなら、怒られる。

事ほど左様に、まとまりがないのが心理学の学問の世界。
ここまでは、文科省の領分だ。

しかし、心の病が増えてきて、厚労省も黙ってみていられなくなった。
長い間、臨床心理士を国家資格に、という声は関係者から出ていたが、結局は医師会の側の反対意見もあったりして、今回の公認心理師という資格になった。
資格試験は文科省と厚労省が共同で実施する、という珍しいパターン。
臨床心理士という資格はこれで廃れるような気がする。

移行期間の5年間は、いますでに心理の仕事に就いている人は、講習会と試験を受けて公認心理師になれる、ということらしい。
当然、薬の処方などはできず、認知行動療法などを使って、心の問題に取り組むそうだ。

長い間、臨床心理学の先生たちと付き合ってきて、ぼくが抱いた感想を書いておく。

・仲間意識が強く、排他的なところがある。
・コミュニケーションはどちらかというと下手。
・心理学を嫌っている人が多い。(臨床心理学は心理学とは違うと思っている)

まあ、これは学者に当てはまることかもしれないが…。

ということで、ついに心理系の国家資格ができたということで、よかったと思う。


| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
DDoS攻撃
厚労省のホームページのサーバーが3日間にわたってダウンするという事件があった。

正確には11月20日の夜から、23日の夕方まで止まったらしい。
この犯人はアノニマスという団体らしく、ツイッター上に犯行声明が出た。
アノニマスというのは2003年ごろにできた、匿名のハッカー集団。
DDoS攻撃というサーバーに負荷をかけるという手法で、サーバーへのアクセスができないようになった。

アノニマスがなぜ厚労省のサーバーを攻撃したのかはわかっていないらしい。(一説によると、クジラ漁やイルカ漁が原因と言われている)

このアノニマスは中東のジャスミン革命の時など、エジプト政府やチュニジア政府への攻撃をして、革命を助けたとされている。
いくら「いいもん」とはいえ、国際的なハッカーに狙われたら、いとも簡単に国の組織のサーバーが落ちるというのは、ちょっと心配だ。
攻撃の規模が大きかったのか、それともまったく想定していなかったのか、それはわからない。

いずれにせよ、インターネットに依存した仕組みが増えていけばいくほど、こういう攻撃には強くなってもらわないと困る。
アメリカなどはいざとなったら強いと思う。
もともとの仕組みを作った国だから、弱いところも知りつくしていると思う。
おまけに、マイクロソフトやグーグルなどの会社もある。
紛争状態になったら、地域的にサービスを止めることなど、やろうと思えば簡単にできそうな気がする。

ぼくなどは、グーグルに依存している部分が大きいので、即座に困る。
グーグルカレンダーに予定は入れているし、グーグルドキュメントに書いたものは置いているし、Gmailがメインのメールシステムになっている。
これらが全てサービスを中止するとなると、結構つらいものがある。
まあ、個人のスケジュールや書いたものなど知れているが、結構な公的機関でも、そんなサービスを使っていると思う。
グーグルでなくても、同種の日本のサイトのクラウドサービスなど、使い始めている会社も多いだろう。

サイバーテロというのを本気でやったら、どうなるんだろうか。
監視カメラなども今はインターネットで画像を送っていると思う。
銀行の決済システムも、いくら自分は通帳を使ってますと言っても、支店から本店に送るデーターをインターネットで送っていたら、さっぱりわやになる。
自衛隊の連絡も、ちゃんと考えられているんだろうか。
いざという時に、メールが使えないということもあるだろう。

結局は電話かな。
しかし、電話も安くするためにインターネット電話になっていたりする。
アナログの電話はだいぶ減っただろう。

紛争が始まる前に、勝負がつくかもしれないなあ。

セキュリテイは大事だ。


| | 考えたこと | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
動物病院
ペットといえば、イヌという常識が崩れようとしている。
イヌよりもネコのほうが多くなってきているらしい。

ペットフード協会の資料によると、2014年10月時点のネコの飼育数は996万匹。過去3年間で3.7%増えているらしい。
イヌはこの間13%減って、1035万匹になっている。
このペースでいけば、2015年には逆転する公算が大きいとのことだ。
経費の差が大きいということもある。
ネコは70万円、イヌは119万円というのが一生涯の経費らしい。
やっぱり景気の影響もあるんだろう。

医療費もイヌが高く、このままイヌが減り続けると、獣医が食いっぱぐれるという事態になるらしい。
これは意外だった。
動物病院はこれからどんどん流行ると思っていたが、イヌが減ってネコが増えるとそうでもないらしい。
10年後に11000件ある動物病院のうち、3割が廃業する、という人もいる。
業界としては、これを食い止めたいと考えている。
高齢者にペットを飼ってもらおうということだ。

イヌを飼うと散歩するので、飼い主が健康になれる。
そうなると、医療費の削減効果が大きい。

しかし、実際に今ネコが増えている現状で、そんなにイヌを増やすことができるんだろうか。

高齢になってもペットを飼えるように、飼い主が死んだ時の保険なども考案されているらしい。
しかし、小型犬やネコでも基本料金で350万円ほどかかるという。
なかなか難しいだろうなあ。

今獣医になろうとしている人たちはどうなるんだろうか。
たった10年後に3000件ほどが廃業という予想。

そんなことは全く思ってなかった。

先のことはわからないものだ。


| | 考えたこと | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
妥協は大事
元オリンピック選手の為末大がツイートした言葉。

「ベストの選択にこだわる人は、結局選択ができない人生を送る。」

これは本当にそうだと思う。
ベストな選択にこだわる人は、妥協ができない。
だから、妥協の連続の人生で何かを選択することができない。
また、妥協をする人を非難することもある。

多くの人は、それを生活の中で学び、ほとんどの行動について、妥協しているはずだ。
しかし、実生活とあまり関係のないことになると、突然理想を振り回したりする。
妥協ができない、ということは結局選択などできないし、選択するということは敗北を意味したりするのだろう。
それは結局不幸な人生だと思う。
いくら理想を語っても、前に進めないのだから。
いや、本人はそれを良しとしているのかもしれないが…。

全ての仕事にも、それは言える。
モノを設計したり、製造したりするということは、妥協の産物だと思う。
いかに高度に妥協をするか、という観点はあるが、所詮妥協は妥協だ。
そこでベストの選択にこだわっていては、製品ができなくなる。
戦略を立てるときなどもそうだ。
いろんな意見がある。
どんな意見にもメリットとデメリットがある。
議論を尽くすことは大事だが、最後は妥協することが必要になる。

結局世の中の物事には、ベストな選択などないのだと思う。
その人にとって、ベストな選択はあっても、他人と話し合ったら、必ず違う意見が出てくるはずだ。

若い時は、どうしてもベストにこだわる。
これしかない、と思う。
しかし、ふつうは年を経るにしたがって、理想は理想、現実は現実などという区別をする。
それが妥協ということだろう。

結局、ベストな選択にこだわる人は、身勝手な人生を送るんだろうと思う。

現実を理解せず、空想の世界に生きていたりするんだろう。

こういう人が増えると、住みにくい世の中になると思う。


| | 考えたこと | 00:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校事務
ずっと考えていたが、ようやく文科省は学校の事務を活用する方向に舵を切ったらしい。

こないだのニュースによると、「文部科学省の中央教育審議会(中教審)の 分科会は16日、教員が教育に専念できる体制 づくりを目指し、事務職員や専門スタッフを 活用することを柱とする答申案をまとめた。職員の位置づけを明確にし、複数の学校間 で事務作業を共有する「共同実施組織」を法令上明確にすることなどを盛り込んだ。中教審は12月に答申する予定で、文科省は来年に も必要な法令の整備を進める。事務職員は教員の給与管理や設備の保守点 検などの業務を担う一方、学校運営に関わることは少なかった。教員の多忙化が指摘され、事務職員を活用すべきだという声があがっていた。」ということだ。

どんな答申がでるのかわからないが、ぼくは社会人経験者を事務に登用するということがいいと思っている。
学校の運営を先生だけに任せていてはいけない。
保護者との関係や、学校の問題を、社会人の目から見ることが大事だ。
世の中の常識を学校の常識に持ち込まないといけない。

そして、先生の雑務を事務的にまとめてやってしまう。
パソコンが不得手な先生が多いが、そういうのはちゃっちゃとやってしまえばいい。
先生は、生徒に教えることが第一であり、それだけでいいと思う。
忙しいから、イジメに気が付かなかったとか、そんなこともなくならないとイケナイ。
その代わり、もっと子供の教育に集中してほしい。

できれば、中学のクラブ活動も、もっと外部の人を入れてやるべきだ。
クラブ活動も、多くの部分は先生から切り離せばいいと思う。
学校に来て、勉強を教えているのか、クラブ活動を指導しているのか、よくわからなくなっている先生も多いのではないか。
海外の運動クラブは、学外のクラブチームだったりもする。
そういう文化も育てていけばいい。

そして、今は指導できる先生がいないクラブは作らない。
昔はたくさんあった文化系のクラブもなくなっているところが多い。
そういうのは、市井の専門家みたいな人を連れて来て、面白さを伝えればいいと思う。
何であんなに運動部ばかりできるんだろうか。
新聞部や弁論部、哲学研究会、物理現象部、鉄道研究会、演劇部など、復活できないか。

そういう選択肢を増やすことが、個性を伸ばすことに繋がるんだと思う。
多様性も上がり、学校生活の幅が広がる。

と思っていたら、中教審の文書があった。

「教員以外の専門能力スタッフとして、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、医療的ケアを行う看護師、特別支援教育支援員、就職支援コーディネーター、ICT支援員、部活動外部指導員、学校司書、外国語指導助手などの整備が、今後の学校教育推進に不可欠であることを指摘」

と書いてある。
結局そういうことなのかと思う。

もちろん、そういう専門能力スタッフはある程度は必要だろう。
しかし、一番大事なのは、普通の社会人をスタッフに入れることだと思う。

何でそういうことがわからないかな…。



| | 考えたこと | 22:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動運転
クルマの自動運転がこの頃よく話題になるが、アメリカでは既に自動運転の段階を定義している。
こういうのは、アメリカは早い。
これが強みだろう。

SAE(Society of Automotive Engineers)によると、自動運転のレベルは0から5まである。

レベル0はドライバーが全てを運転する、今の普通のレベル。

レベル1は、運転支援システムが走行環境に応じたハンドル操作、あるいは加減速のいずれかを行うとともに、システムが補助していない部分の運転操作をドライバーが行う、という段階。

今の新しいクルマに搭載されているのは、このレベル。
自動でブレーキをかけるとか、レーダーやカメラで前方をチェックしながら加減速をする。

レベル2は、運転支援システムが走行環境に応じたハンドル操作と加減速を行うとともに、システムが補助していない部分の運転操作をドライバーが行う、というもの。

これは、今のいくつかのクルマに装備されている。
レーンをキープしながら、速度を一定に保つ、というようなもの。
ちょっと値段が上がる。

レベル3は、システムからの運転操作切り替え要請にドライバーは適切に応じるという条件の下、特定の運転モードにおいて、自動化された運転システムが車両の運転操作を行う、というもの。

これはまだ市販されていないと思う。
いろいろなところでメーカーによるデモ走行はされている。
リアルワールドでは何があるかわからないので、あくまで人間がいつでも運転できる体勢で乗っているという状況。

レベル4は、システムからの運転操作切り替え要請に、ドライバーが適切に応じなかった場合でも、特定の運転モードにおいて、自動化された運転システムが車両の運転操作を行うというもの。

これはレベル3から一歩進んで、ドライバーの意思を超えてシステムが運転することができる、というようなものだろう。
ここまで行くと、極端にいえば、運転席に座っているだけで目的地に着くというような状態。

レベル5は、ドライバーでも対応可能ないかなる道路や走行環境条件のもとでも、自動化された運転システムが、常時、運転操作を行う、というレベル。

このレベルでは、もうドライバーが要らない。
完全自動運転だ。
ハンドルがなくても構わないというレベル。

グーグルやアップルが目指しているのは、レベル5のクルマだろう。
これはもう、今のクルマという概念のものではない。
移動の道具だ。
スマホでここに行きたい、と指示を出して待っていると、クルマが来て乗せて行ってくれる、というような感じ。
ハンドルも不要だ。運転する必要がない。

それに対して、既存のクルマのメーカーが目指しているのは、レベル4までだと思う。
レベル3でもいいかもしれない。

レベル5を実現するためには、交通法規の問題がある。
事故を起こした場合、誰が責任を取るのかということを決めないといけない。
そのために、クルマのハード面で速度制限されたり、通れるレーンが定められたりする可能性がある。
そうなると、既存のクルマとはちょっと違うものになるのではないか。

個人的にはレベル3で十分だ。

それでも、充分難しい。

 
| | 考えたこと | 20:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
またまた生産性
アメリカの記事。
どうやったら生産性が上がるか、というもの。

アメリカ人はこういうのが好きだ。

1.「ノー」という
たしかに、「ノー」というのは難しい。できれば何でも「yes」と言ってしまいたいが、それでも「ノー」は大事だという。
これはその通りだろう。

2.一人になる
効率を上げようと思うと、他人にじゃまされないほうがいい。
でも、仕事の種類によっては(何かを考えるとか、思いつくとか)誰かと話をする方がいい。
脳を活性化させることが必要だ。
そうでない、作業のような仕事なら、一人がいいが…。

3.朝一番に「カエル」を食べる
これは、締め切りがある場合、朝一番に、嫌なもの、苦手なもの、やる気が起きないものをやってしまう、ということ。
まあ、そうかもしれない。

4.目標を設定する
効率よく仕事をするには、目標を設定するといい、ということ。
まあ、これもそうかもしれない。
設定しないよりは、したほうがいいかも。

5.水を飲む
人間は、水分がとれている時は集中力が高まり、エネルギーも湧き、睡眠の質も向上するらしい。
よくわからないが、そうかもしれない。

6.すぐに終わる仕事を片づける
記事には2分で終わる仕事は、先にやってしまうべきだ、と書いてある。
2分でできるのなら、別に後回しにしてもいいと思うのだが…。

7.メールのチェックは5番目に
5番というのは、要するに後回しにしろ、ということらしい。
メールをチェックすると、やらなければならない仕事が増えるかもしれない。
そうなると、逆によくないと思う。
ぼくはメールのチェックは最初がいいと思うのだが…。
ただ、メールはよく選別して、必要なものを先に見るというのは必要だろう。

8.頭を使わない時間を有効に
頭を使わない時間に好きな音楽を聞いたり、自分の好きなものを読むなど、有効に利用しなさい、ということ。
これはまあ、賛成。

9.好きなアイデアを、あえて捨てる
クリエイティブな仕事をしているのなら、という条件付き。
敢えてマンネリ化を割けるということだろう。
そういうことなら、賛成。

10.仕事にかける時間を短く
これはその通り。
短い時間でやるべく、目標を立てて集中する。
締め切りが迫るほど、仕事の効率は上がる(上がらざるを得ない)。

全体で、3つくらいは反対だった。

これは国の差だろうか…。



| | 考えたこと | 20:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
就活のウソ
まだ、来年の就活の選考解禁時期をめぐる議論が続いているらしい。
経団連は8月を2か月前倒しして6月と言っている。
これで決まりかと思ったら、大学側がちゃんと今年度の検証をしてから、時期を動かしたほうがいいと言う。
有力大学の学長にアンケートを取ったら、元々の4月に戻したほうがいい、という意見も出ている。
まあ、大学の意見はちょっといい加減だとは思う。(前に書いた)

今年の就活の意見として、企業側は内定者を引きとめるために、オワハラと呼ばれる、「就活を終われハラスメント」というのがあったという。
そういうこともあっただろう。
中小、中堅企業は早めにいい学生を取るべく、6月、7月に選考をやり、内定を出している。
だから、その学生に残ってほしいと思って、力が入りすぎたのだ。

当然、大手企業を狙う学生は、内定確保と練習のために、6,7月に中堅企業を受けて内定をもらう。
中堅企業にしたら、いい学生が取れた、と内定辞退を恐れながらも、喜んでいたんだと思う。
それらの学生が8月から9月に大手企業の内定をもらって、一斉に辞退をする。
わかってはいたけれど・・というやつだ。
せっかく採用経費をかけて、十数人採っても、ほとんど残らないということもあったと思う。
だから、今も4割を超える企業が採用活動をやっていると聞く。

一方で、企業側の意見として、あまりにも平気でウソをつく学生が増えた、というのもあった。
「当社が第一志望ですか?」という質問には、「第一志望です」とか、「第一志望群のひとつです」という答えしかない。
そこで正直に、「第二志望以下です」などと言うのは、失礼にあたる。
きっと人事は、今までは一瞬の間とか、目が泳ぐとか、表情などで、ホントのことを言っているか、というのを見ていたはず。

または、「どんなところから内定が出ていますか?」という質問もある。
なければ「ない」と答えるしかないのだが、ここでウソをつく人もいるらしい。

今までは、人事はなんとなくウソをついたらわかっていたんだろう。
きっとウソをつく方にも、ちょっと罪の意識があって、それが見えていたのだと思う。

ところが、今年は平気でウソをつくといわれている。
明らかにウソだろう、という答えを平然と返すようになったということだ。
つまり、罪の意識がなくなった、ということだ。

学生は急な選考時期の変更で、夏の一番暑い時に就活を強いられ、8月選考解禁と聞いていたのに、外資や中小・中堅企業は5月くらいから選考をしているし、どうも世間のやっていることはオカシイ、と思ったのだろう。
こんないい加減なルール、やってられない、というのが学生の本音だ。
だから、平然と、罪の意識なく、ウソがつけるようになったのだと思う。

これが今年の就活の一番の弊害だと思う。
就活を経て、社会に対してウソをつくことに罪の意識を感じない、というのは由々しきことだ。

もう新卒一括採用をやめて、欧米型に切り替えていったらどうか。

旭化成の杭打ちデーターみたいな会社ばかりになってしまうぞ。



| | 考えたこと | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
この程度のテロ?
日本の弁護士が、13日のパリのテロのニュースを見て、「この程度のテロで、国家非常事態宣言ができてしまうんだ」、というようなことを、ツイッターでつぶやき、炎上したというニュースがあった。
弁護士だけあって、フランス憲法の条文を引いて、その条文の内容から「この程度の…」となったようだ。

彼は日本で同じようなことが起こって、非常事態宣言みたいなことをされるのはイヤらしい。
だから、こういうツイートをわざわざしたのだろう。
そういう法制化に反対もしているようなツイートもあった。

もちろん、そのツイートは非難され、炎上中とのことだが、弁護士はもちろん反省などしない。
これはもう、見解の相違というしかない。

今回のパリのテロだが、法律の条文の解釈の問題はあれど、オランド大統領が非常事態宣言をするのは当然だと思う。
銃器を隠し持ってどこかに忍び込み、ターゲットを狙うというテロではない。
堂々と銃器を持って、一般の人たちが集まるレストランやホテル、コンサート会場、サッカー競技場などに行き、無差別に市民を撃ち殺し、爆弾を投げ、警察に反撃を受けると自爆したりした、という。
止めようがないテロだと思う。

セキュリティチェックなど意味が無い。
セキュリティチェックをしているところで発砲し、殺してしまうからだ。
この弁護士は、そういう事態を、非常事態とまではいかない、と思っている。
どこか頭の線が外れているのではないか。

条文の解釈はどうあれ、このテロを非常事態と言わないで一体何を非常事態と言えというのか。

一部の日本の人たちは、安倍首相がフランスに対して哀悼の意を表したら、イスラム国のターゲットになってしまうから、首相は間違っているという。

東大の上野千鶴子名誉教授までが、「国民を守るためには、敵を作らないことが一番だ」から、安倍首相は間違っているという。
本気で言っているのかと思う。
国際社会の一員として、こういう無差別殺人テロを許すなどという常識はないだろう。
それがわからないのだろうか。
早く引退されてはいかがかと思う。

もちろん、シリアで行われているのも、ある意味西側のテロだということもわかる。
イスラムの人たちが、無差別に殺されているではないか、ということだ。
だからといって、今回のテロは許すことなどできない。

たしかに、二人の日本人が犠牲になったのは、日本がISに対して敵対することを明らかにしたからだ。
しかし、「みんな仲良くしよう」と言っていれば、平和になるとでも思っているんだろうか。
そう言っている本人が、安倍首相とは仲良くしようとしていないのに。

ぼくはこの人達は無責任だと思う。



| | 考えたこと | 19:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
戦争はよくないのは当たり前
こないだの夜テレビを見ていたら、戦後70年経って第二次大戦の記憶が風化していくのをくい止めないと…、という番組をやっていた。

それはそうだと思う。

だから大空襲経験者のお年寄りが子供を集めて話をしたり、大学の研究者に資料を託してやっている調査活動を継続させなくては…、と言っていた。

それもそうだと思う。

今やっている活動の中で、その話を聞いた小学生たちが異口同音に「戦争はよくないと思いました」と言っていた。

これもそうだろうなあと思う。

番組はそこで終わった。
よほど戦争が良くないというメッセージを伝えたかったのだろう。

しかし、戦後の教育では一貫して戦争はよくないと言ってきた。
そんなことはわかっている。
三百万人の日本人が死んでいったのだから。
そんなメッセージだけををことさらに伝えてどうするのか、わからない。
一体全体、今の日本に、諸手を上げて戦争に賛成、という人がいるんだろうか。
そんな人はほとんどいないだろうし、いても黙っているはずだ。

本当に伝えていかないといけないことは、何で戦争を始めるような状態になったのか、ということだろう。
どうなったら、人は戦争をしよう、しないと仕方ない、と思ってしまうのか、ということだ。
軍隊を持っていることが、戦争をすることにはならない。
しかし、その軍隊を統制する人がちゃんとしていなくてはならない。
軍需で儲ける会社はあんまり作らないほうがいい。
そして、マスコミは正しいことを報道しなくてはならない…。

実際、第二次大戦の開戦時に日本国民は大喜びし、提灯行列をした。
なんでそんな気持ちになったのか、どういう時代の雰囲気だったのか、そういう体験をこそ、話さないといけないのではないか。
誰かに無理やり提灯行列をさせられたのではない。
自ら進んで提灯行列をしたのだ。

海軍は真珠湾攻撃で対米戦争に入っても、しばらくして講和を考えていたらしい。
しかし、国民があまりにも喜んで、やれやれ、もっとやれ、という雰囲気だったので、そんなことはできなくなった。

その国民の動きを扇動したのは、当時のマスコミだ。
そういう事実を隠して、マスコミはただ「戦争はよくない」というわかりきったことだけを、繰り返して扇動している。
朝日や毎日は連日のように景気のいい記事を書き、ウソを書いた。
そうすることで、売上を伸ばした。
日本のマスコミは終戦の日にそういう特集を組むべきだ。

軍隊を持たないから、戦争が起こらないという子供じみた考えは、今の世界には通用しない。
これは一応、みんなわかっているから、右から左まで自衛隊の存在を認めたのだろう。
核の存在が、冷戦を生み、そのおかげで長いこと戦争が起こらなかったのは事実。
実質的に日本がアメリカの核の傘の下で守られていたのも事実だと思う。

今、「戦争反対」を叫んでいる人たちは、まるでそれに参加しない人たちを「戦争賛成」だと決めつけているかのようだ。
戦争に賛成の人などどこにいるのだろう。
みんな立場としては、戦争などしたくない。
そのためにどうするか、ということを議論したいのに、戦争反対か賛成かという二者択一の問題にすり替えている。
そんなに世の中単純ではないと思う。

人類の歴史は戦争の歴史だという人もいる。
戦争が文明を作ったという説もあるらしい。
それだけ、人類は戦ってきたということだろう。
その時間軸の右端にぼくらはいる。
もう大きな戦争は起きないだろうと思っていたが、そうとは限らない。

民族紛争、宗教、エネルギー利権、覇権主義、イデオロギー…。
火種はたくさんある。

だからこそ、先の大戦はどうして起きたのか、どうしたら防げたのか、だれが拡大したのか、それを手伝ったのは誰か、それを煽ったのは誰なのか、というようなことをぼくらは知る必要がある。

そういうことをちゃんと現代史として教えることが大事だと思う。
その努力をマスコミはしているか。
それはジャーナリストの責務でもあると思う。

戦争が悪い、ということはもうわかったから。


| | 考えたこと | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
血管系
熱の原因は扁桃腺が腫れたことらしい。
本当に大昔、まだ子供の頃、そういうことがあったような気がするが、久しくなかった。

35年働いてきて、一度も腫れたことなどなかったのに、何で今頃と思うが、仕方がない。
自分の身体のことを詮索しても答えがない。
体質が変わった(老化した)ということなんだろう。

扁桃腺が腫れたおかげで、近所の医院で肺のレントゲンも撮ってもらった。
結論からいうと、肺のレントゲンは異常はなかったのだが、肺が黒く映っている写真の左の上のところにちょっと白い部分がある。
先生が、これは動脈硬化です、と教えてくれた。
大動脈が硬化して石灰化すると、こういう風に写るらしい。

2007年〜11年くらいまで、仕事はそんなにきつくなかったが、ストレスだけはたくさんあった。
ストレスを解消するために、一緒にやっていた先生と毎晩電話でぼやいているという状況だったのだ。
あのころにだいぶ進んだような気がする。
だからこそ、2008年に脳梗塞になったのだろう。

毎年肺のレントゲンは撮っているが、自分で写真は見たことがなく、所見も問題ないと書いてあったはず。
今年初めてそうなったとは思えないのだが…。

なってしまったものは仕方がない。
ネットで調べると、ダイエットや血圧をコントロールすること、と書いてあった。
対処療法しかないし、もう60年近く生きてきたんだから、いろんなところが傷んでいるのは当たり前なんだろう。

今の日本人の死に方には大きく2種類があると思う。
一つはガン、もう一つは血管系である。
その両方がない人は長生きするんだと思う。

ぼくは血管系だ。
親父も心筋梗塞だった。(亡くなったのは別の病気だったけど)
血管系の病気のデメリット?は突然来ることだ。
ある日突然、血管のどこかに異常が起きて、最悪は亡くなる。
いや、最悪は身体の自由がなくなって、生きながらえることかもしれない。
脳の血管なら脳出血だし、心臓の近所の血管なら心筋梗塞などで、ほかの所なら吐血したりする。
いずれにせよ、いつ来るかはわからない、血管が詰まったり、破裂したりするというリスクを抱えて生きる。
これはこれでいい、という感じがする。

ガンと違うのはとにかく突然来るということだ。

人は自分の死に方を選べない。
でも、この年まで生きると、多分これかな、というのはわかる。
自分の死に方をある程度予想できるのは、いいことだ。

当たるか、外れるかはその時が来ないとわからないが…。




| | 考えたこと | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
パリのテロ事件
11月13日の夜にパリで起こったテロは、ISの犯行声明が出た。

思い出すのは1986年にフランスに行った時のこと。
あの時も、一部のイスラム系の人たちが空港に爆弾を仕掛けたりして、大変だった。
何度かシャルル・ド・ゴール空港からイギリスに行くために飛行場に行ったが、爆弾騒ぎでチェックインができないこともあった。

公安調査庁のページを見ると、1986年のところに『「アラブ・中東の政治犯連帯委員会」(CSPPA)を名のるグループが,フランス・パリのシャンゼリゼ通りで爆弾を爆発させ,2人が死亡,邦人1人を含む28人が負傷』と書いてある。

当時の飛行場には、マシンガンみたいなでっかい銃器を持った、警察か軍隊かどっちかわからない警備の人たちがたくさんいて、歩きまわっていた。
驚いたが、普通に歩きまわっている様子で、回りの人たちも当然という感じだった。
日本なら、関空に銃器を装備した自衛隊の隊員がいる、というような状況だ。
写真など撮ろうものなら、捕まるのではないかと思った。
そのとき、日本とフランス、いや、西欧との違いに愕然としたものだ。

ぼくが行っていたところはフランスの田舎だったが、そんな町でもイスラムの人がいて、フランス人に催涙スプレーを顔にかけられて、転げまわっているところを見た。
きっとシャンゼリゼの爆弾のことがあったから、イスラムの人に対して嫌悪感があったんだろう。

日本は島国で、なかなか異民族が入って来られない。
でも、地続きのフランスみたいなところは、どんどん入ってくる。
政治的に移民を入れてきたという歴史もある。
そして今、シリアの難民が入っている。
今回のテロのメンバーも、そのルートで入ってきたのではないかとも言われている。

ヨーロッパと北アフリカ、中東の関係は歴史的にもややこしい。
そして、キリスト教とイスラム教という一神教同士の軋轢もある。

ヨーロッパは長い時間をかけて、政治とキリスト教を分離したが、そこにイスラム教の人たちが入ってきて、どうなるんだろうか。
そんな細かいことはぼくらの想像の外だ。

アメリカの9.11もそうだが、これは大変なことだなあと改めて思った。

| | 考えたこと | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
MRJ
今朝のニュースで国産の小型ジェット旅客機MRJの初飛行をやっていた。

飛び立つ飛行機の後ろには、整備をした人や設計した人など、関係者が並んで見送り、名古屋の空港の回りには沢山の人が来ていた。
単なる飛行機のファンもいれば、実際に関係した人、昔関係していた人などがいて、インタビューされていた。

MRJは三菱重工が作っているのだが、実は以前国産プロペラ旅客機のYS-11を作っていたのも同社だ。
日本の航空機製造の歴史は、戦後に一旦ストップする。
アメリカが日本が飛行機を作ることを禁じたからだ。
航空関係の大学の学部もなくなり、航空技術者は職を変わらざるを得なかった。
その多くの人たちが行った先は自動車業界だった。

そういう歴史の中で、YS-11が長らくプロペラ機の時代を支えた。
航空機製造の全面解禁になったのは、ぼくが生まれた1957年。
1962年から73年まで作られ、実機は2006年まで使われていたとのこと。
その、YS-11の製造に関わっていた人も来ていた。
三菱重工のOBたち。
今のMRJの部品を作っている会社の人もいた。

ふわりと浮き上がった機体がみるみる小さくなる。
きれいな離陸だった。
その瞬間、歓声が起き、みんなカメラのシャッターを切った。
感激のあまり、涙を見せるOBもいた。

日本のメーカーはボーイングなどに部品を入れて、実力を培ってきた。
その努力があったから、MRJができた。
日本の製造業の次の飯の種になる。

自動車が3万個に対して飛行機は100万個の部品がある。
すそ野は広い。

ホンダジェットはプライベートジェット、MRJは小型旅客機。

両者とも頑張ってほしい。

| | 考えたこと | 21:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
Lucky guess
「まぐれ当たり」という意味。
直訳は「運のいい推測」という感じだろう。

How did you know that? どうしてそれが分かったの?
Lucky guess? まぐれ当たり?

という風に使う。

時々、物事がうまくいった時などに、あれはまぐれだ、という意味で「フロック」という言葉を聞くが、正しくは"fluke"らしい。ちゃんと発音すれば、「フルーク」だ。
これは、文字通り「まぐれ」という意味。

"Lucky guess"は「まぐれ当たり」だから、ちょっと違う。

たまたまいい具合に推測したのが当たった、という感じ。

"guess"という単語はこの場合は名詞だが、動詞もあって日本語にするときは、ちょっと動きを意識すると感じが出るような気がする。

こういう時に難しいのは、意味は確かに日本語の「まぐれ当たり」だけど、そういう言葉は英語にはなくて、あくまで"lucky guess"という言葉があるということだろう。

何を言っているのか、意味がわからないかもしれないが、日本語と英語は1対1で対応していないということだ。

だから辞書には、一つの単語にたくさんの日本語があったりする。
最初に習った"have"など、やたら多くてびっくりした覚えがある。
なんで持つという言葉が食べるという言葉と同じなのか、ということだ。

初めて外国語にふれるとき、言葉というのは、1対1に対応しないという原則は、とても大事な事だと今は思う。

そういうことを、最初にちょっと教えてくれたら、英語アレルギーは減るのではないか。

話が逸れたけど…。


| | 考えたこと | 00:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
風邪
久しぶりに風邪をひいた。
熱が出る風邪だ。
ぼくは、めったに熱は出ないのだが、十年ほど前に年末にインフルエンザになって以来、時おり出るようになった。
仕事は休めないので、解熱剤で熱を下げて行く。
昼過ぎから、だんだん上がってきて3時ごろにもう一度薬を飲む。
それで何とか持っているが、帰って夜になるとまた熱が出るというのを3日間ほど繰り返している。

とにかく、喉が痛い。
真っ赤である。
唾を飲み込むだけで痛い。
昔から風邪には強いと思っていたが、だんだん弱くなってきたんだろう。
体質が変わったのかもしれない。

風邪は万病の元というが、そうなんだろうか。
風邪をひくと、熱が出る。
熱は体の免疫機能が菌と戦っているから出ると聞いた。
時には風邪をひいて、熱を出し、ちゃんと戦うことができるか、チェックしてもいいような気がする。

無病息災というが、無病よりも持病を一つくらい持っているほうがいい、とも聞く。
自分で体に気を付けるようになるからだろう。

戦中・戦後の貧しい時期を過ごしてきた世代は、強かったといわれている。
ご飯をろくに食べられなかったり、代用食で芋の蔓を食べたとかいう話を聞いた。
少々のことには耐えられるだけの耐性を持っている。
その耐性は世代を下るごとに、下がっているような気がする。
どんどん世の中は良くなったからだ。

ぼくらの小さいころは、今と比べるとまだまだ貧しかった。
自動販売機でお茶や水を売るなど、考えられなかった時代。
運動場で遊んで喉が渇けば、水道の水をガブガブ飲んでいたし、甘味料や着色料は使いまくりだったし、農薬も今よりは使っていた。
それが当たり前だった。
小学校時代、アレルギーがあって、給食を食べられない子供などいなかった。

今はいろんなアレルギーが注意されていて、今日の給食には何が使われているかとか、そういうのも連絡する。
世の中が変わると同時に、人間の体も変わったような気がする。

ぼくらは前の世代に比べると、ひ弱に見えるだろうが、下の世代を見ると、もっとひ弱に見える。
文明が高度化したら、人間の体は弱くなるんだろうか。

未来の人類は、今の人類とはだいぶ違うという説もある。
あまり歩かなくなるから、足は細くなるが、頭は大きくなるとか、言われている。

当たらずとも遠からずかもしれない。

その頃の人類も風邪をひくのだろうか。
それとも、風邪はもう撲滅されているんだろうか。

そんなことを考えていたら、また熱が出てきた。

| | 考えたこと | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
農業の将来
日本の農業の担い手は、今や60歳以上が7割。2人に1人は70代だという。
戸数はこの50年で550万戸から250万戸に減った。
高齢化が著しい。
どういうサイクルで回っているかというと、60歳で退職して農家を継ぎ、80歳でリタイアという動きが一般的だそうだ。
つまり、農業は定年後の仕事、という状況になる。

小学校の頃、消費者米価と生産者米価というのを習った覚えがある。
食糧管理制度というやつだ。
お米は大事だから、高く買って安く売るという仕組みだった。
しかし、お米がたくさん取れて余るようになり、1995年に食糧管理制度は廃止された。
お米を作らない耕地に対して補助金を出すという減反政策も、2018年に廃止が決定した。

TPPの合意で、アメリカとオーストラリアから合わせて年間7万8400トンの輸入枠が新たに設けられるとのこと。
それによって、コメの値段は安くなるかもしれない。

要は、日本の農業は、高齢化と戸数減という状況からどうしていくのか、ということだ。

前にも書いたが、食糧事情を良くするためには、コメを輸出できるようにしないといけないと思う。
たくさん作って、輸出するのだ。
そうすれば、凶作になっても、余裕がある。
和食が海外で広がっているし、日本のおいしい米を高くても買おうという高級志向は出ているのではないか。

戸数減で農家の戸数が減れば、一戸あたりの耕作面積は増える。
まとめて作れば、安くなる。
大規模農業の推進に、株式会社の参入もありだろう。

そういうふうに、政策を誘導していかないといけないと思う。
地方の農家はどんどん限界集落になっていくだろうから、これはチャンスだ。

そうやって、地方の農業を再び振興させないといけない。

それこそが、地方創生だ。


| | 考えたこと | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
フジテレビ
今年の4月〜9月の決算で、フジテレビが営業赤字に陥ったらしい。
しばらく前は、民放のトップだったフジテレビである。

世の中テレビ離れも起こっており、若い人はネットにシフトしていっている。
長らく続いた不景気で、広告にお金がかけられない。
ちょっと景気が良くなっても、もうテレビ広告にお金は戻らないのかもしれない。
ネットの広告の方が効率がいいということがわかってきたのかな。

フジテレビは、一時はバラエティが強かったが、どこの局もバラエティみたいな番組ばかりになって、強みがなくなったのかもしれない。
フジテレビというと、お台場のけったいなビル。
あの目立つビルを建てた頃はまだ調子は良かったと思うが…。
おごれるものは久しからず、という状況。

テレビというメディア自体が、地盤沈下を起こしているのかもしれない。
今やテレビに差し込むスティック状のコンピューターが、売られている。
HDMIという端子があれば、使える。
新しいテレビなら、これによってコンピューターの画面になってしまう。
それによって、YouTube等の動画サイトをテレビで見ることができる。

たくさんの動画が音楽がネット上にはある。
漫才やコント、落語もある。アニメもある。
ドラマも見ることができる。
今やネット上のコンテンツのほうが圧倒的にテレビより多い。

他の局も明日は我が身という感じだろう。

インターネットは全てを壊していく。

| | 考えたこと | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
カレー屋
ぼくはカレーが好きだ。
外食におけるカレーの比率はかなり高い。
近所に行きつけのカレー屋が3つほどあるが、一つはCoCo壱番屋だ。

チェーン店であることは知っていたが、外食のチェーン店でカレー屋は少ないらしい。
一位のCoCo壱番屋が1400店ほどあるのに対して、二位は80店ほどとのこと。
競争相手は少ないのだ。

考えてみれば、カレー屋のメニューは少ない。
もちろん、カレーのメニューは多いがカレー以外のメニューというとトッピングの種類やサラダ程度で、他の料理はほとんどない。
だいたい、カレー以外が多ければ、カレー屋ではないからだ。

その上、カレーと一緒に酒を頼むこともあまりない。
ビールは置いているが、飲む人は少ないと思う。
結局、客単価が低いのだろう。
その代わり、回転が速いというメリットがある。

でも、外食におけるカレー屋の状況を見ると、なかなか難しいんだと思う。
市場規模で見ても、ハンバーガーや回転寿司、牛丼などよりもかなり小さいという。

カレーは好みの幅が広い。
誰もがオイシイというカレーは少ない。
だから、辛さの好みは選べる。
同じ辛いのでも、スパイシーで辛いのか、塩辛いのか、唐辛子の辛さなのか、そのあたりで違う。
気分や体調によって、選ぶことになる。

だから、チェーン店で儲けるのは難しいのだろう。
CoCo壱番屋は、フランチャイズ制をとっており、各店舗に大きな裁量を与えているという。
そこが成功の理由だと思う。
今回、好調ではあるが、ハウス食品の傘下に入った。

最近近所に新しくカレー屋ができた。
今度は本格的なカレー屋だ。
大きなナンが出てくる。
日本のカレーではない。
これはこれでオイシイ。

これでまた行きつけのカレー屋が増えそうだ。


| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
2025年問題
日本にはいろんな問題があるが、2025年問題というのもあるらしい。

これは、2025年に団塊の世代(約800万人)が75歳以上の後期高齢者になるということだ。
この時、医療給付が今の1.5倍、介護給付が2.4倍になるという予測。

国民がみんな平等に毎年1歳ずつ年をとっていくのだから、いずれ来るに決まっているが、そういう数字を出されると実感が湧く。
医療と介護だけで、今から約30兆円増えて、トータル74兆円が必要になるという。
もちろん、そんなお金は出ないだろう。
政府はGDP600兆円などと景気のいいことを言っているが、そんなことが実現するとは思えない。
これからは、人口が減って、マイナス成長にすらなるかもしれないのに、どうやって増やすというのだろうか。

若い人が減って、年寄りが増えて、医療介護にお金がいる、という事態は明らかに起きる。
だから、マイナンバーを導入して、現金だけでなく資産も把握しなければならないんだろう。
給付を減らすためには、自活できる人には自活してもらわないといけない。
今からでもそういうルールを作らないといけないと思うのだが、そんな気配はない。
政治家は年寄りの票がほしいから、そんなことは言わない。

これが民主主義の限界だと思う。
だからといって、民主主義を超える制度があるとも思えない。

しかし、10年経てば2025年はどうしたってやってくる。
その時には、後期高齢者の定義が変わっているかもしれない。
85歳以上になっているかな。
そうすると、2025年問題は2035年問題になり、多くの人が寿命を迎えるから、だいぶ問題は小さくなる。
どうやって、持ちこたえるかということだ。
残念ながら、この問題には対処療法的なやり方しか見当たらない。

ぼくも、人生を一年に例えると、ぼちぼち冬に入ってきた。
全てのものが枯れ、次の春に備えて眠りについたりする季節。
人生には次の春はない。
冬で終わりだ。

どうやって終わりを迎えるか。

それは難しい。


| | 考えたこと | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
アクティブ・ラーニング
大学関係者ではやりの言葉が「アクティブ・ラーニング」。
どちらかというと、中下位の大学でよく言われる。
上位校ではあまり聞かない。

定義は「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れ た教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」となっている。

この中教審の定義のようなアクティブラーニングというものが、実際に存在するのか、効果が上がるのか、それはよくわからない。
一方的に教えるだけ、という授業ではなく、参加型ということなら、少人数のゼミはみんなアクティブ・ラーニングだろう。
とにかく、受ける側が、真っ白の状態で授業に臨まない、ということが大事だ。
すでに何らかの問題意識を持っていて、授業を受け、能動的に関わっていくというカタチ。
それが本当のアクティブ・ラーニングだと思う。

要は、受ける側が前もって何らかの知識を持つ、ということだ。
受ける側が、授業について興味を持って、一般的な知識を持っていれば、それだけでアクティブになれる。
授業の内容について予習をしていれば、なおいい。

ゼミは理想的なアクティブ・ラーニングの場だ。
テーマがあって、みんなで文献や本を読み、毎回誰かが発表し、それについて討議する。
だから、ちゃんとゼミをやっていれば、アクティブ・ラーニングなど改めて強調する必要もない。

もともと、大人数ではアクティブ・ラーニングなどできないと思う。
だから、下位の大学は4年間ゼミというところもある。

でも、皮肉なもので、アクティブ・ラーニングをやりたい学校ほど、やるのが難しい。
受ける側の問題意識が薄いからだ。

そういうところでアクティブ・ラーニングをやると、何にもならない。
どちらかというと、やらない方がマシだ。
教えることに集中したほうがいいと思う。
もちろん、一方通行ではダメだが…。

そのあたりのことを理解して、アクティブ・ラーニングをやらないと却って害になると思う。
まるで小学校の総合学習の時間みたいなことになってしまう。

そういうことを中教審の委員の方々は知っているのだろうか…。
| | 考えたこと | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ワタシワタシ詐欺
オレオレ詐欺の女性版が出たらしい。
ワタシワタシ詐欺という名前。
まあ、いずれ出るだろう、というような予想は立つ。

ついに女性もダマシ役になった。
愛知県内で急増しているらしい。
娘を装って、高齢者にニセ電話をかけ、お金をだまし取る。

ニセ電話をかけるのは、「かけ子」と呼ばれる。
娘を装って電話し、株や不動産などの投資で損失を出してしまったという手口が大半。
やっている連中も、オレオレ詐欺が一般化し、犯人は男という先入観を逆手にとってやり始めたということだ。

ニセ電話詐欺というのは、去年一年間で1万3000件を超え、被害総額は565億円にもなる。

なんで騙されるんだろうか。
銀行のATMでは上限額が決まっているし、そのへんにたくさんポスターも貼ってある。
結構認知度が上がっていると思う。
ATMの画面では注意書きが毎回これでもか、という感じで出てくるし、テレビでも結構やっている。
それでも、この結果。

新手の詐欺が出てきて、また被害額が増えるかもしれない。

犯人グループは分業体制で、電話をかける役、その後の交渉役(弁護士役など)、振り込まれた現金を取りに行く役など、なかなか一網打尽にできないようになっているらしい。
知能犯だ。

しかし、電話がかかってきた時にダマされさえしなければ防げる。
オレオレであろうと、ワタシワタシであろうと、ウソを見破ればいい。
そういう電話がかかってきたら、実際に子供に電話したらいいのだ。
それはわかっているのだろうが…。

そのうち、電話機に娘や息子の声を覚えさせておいて、一緒かどうかを判定するようになるかもしれない。
原理的には可能だ。

実際、高齢になるとダマされるのが実態なんだろう。

自分はダマされないと思っていても、ダマされるのかもしれない。
そうでなければ、あの被害額にはならないだろう。

年をとるということは恐ろしい。




| | 考えたこと | 22:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
モーターショー
東京モーターショーが開催されている。
1995年には361社が出展したらしい。
この時がピークだった。

今年は160社が出展。
ピークの半分にも満たない。
リーマン・ショックの後の2009年には122社まで減ったらしい。
それにしても、出展社数がこんなに減っていたとは驚いた。

世の中デフレで、給料は上がらないし、若い人たちはケータイ代が高いから車が買えないという。
そういう空気が広がっている。
今や国内で売れている新車の半分弱が軽だ。

若い人たちは、車は動けばいいという。
中古のワンボックスで十分。
車をA地点からB地点までの移動の道具だと思っている。
まるで、クラウド上の音楽データーのようだ。
要らなくなればすぐに消すことができるし、レンタカーやカーシェアをすれば、その時だけオーナーになれる。
そういう時代なのだろう。

ぼくらは、それでは寂しい。
クルマは伝説を持った生き物だと思う。
音楽ならレコード盤だ。
丁寧に扱って、針を落とし、かしこまって聞く。

新車が出ると、どんなエンジンで、どんな足回りで、どんな走りをするのかなど気にしていた。
若いころは、世の中を上げて、そうだった。
ぼくらは、今でもそうだ。

だから、361社も出展していたのだろう。
景気の減速に伴って、減っていった。

これからのクルマは、人工知能が運転したり、燃料電池で走ったりするようになるという。
ぼくは、今でもクルマの行く末に興味がある。

だから、社数は減っても、モーターショーは続けてほしい。



| | 考えたこと | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
チューリングテスト
あるコンピューターシステムが人工知能かどうかを判定するテストがある。

それはアラン・チューリングが考案した。
彼は数学者で、チューリング・マシンというコンピューターの元になるような機械を作った人。
第二次大戦中に、ドイツ軍の暗号を破った天才。

まだ人工知能など、夢の夢という時代に、テストを考案していたらしい。

テストの方法は簡単だ。
判定者と、人工知能、そして普通の人間の三者で、お互いに隔離した部屋で会話をする。
会話といっても、ディスプレイに文字が示されるようなもの。
それで、判定者が人工知能に騙されたら、それは本物の人工知能だ、というようなものだ。

要は、普通の会話ができる、ということを人工知能の基準に置いたということ。
そういえば、「2001年宇宙の旅」に出てくる人工知能HALは人間と会話するシーンがメインだった。

普通の会話は難しい。
何が出てくるかわからない。
そして何が出てきても、的確に応答しないといけない。
皮肉や冗談にもうまく反応しないといけない。

「ああ、あれか。あんな面白い番組ないなあ」と言っても、それが皮肉なのか、本気なのかはその番組の内容と、文脈によるだろう。
それを瞬時に判断するのが、知能である、というのがチューリングの考えだ。

そういうのは、単純なプログラムでは無理だ。
人間の思考形態を模したプログラムが必要だ。
それこそ、人工知能。

実際、今の人工知能は、ある機能に絞って使われる。
それで、十分だ。
しかし、グーグルで研究している未来学者が語る人工知能は、脳の神経細胞などをシミュレーションしたようなものになっている。
膨大な知識はインターネットの上にある。
それらを組み合わせれば、人間のように話すことも可能だろう。

マイクロソフトが作った女子高生AIは、LINE上で人気があるらしい。
そこそこ、会話もできる、という。
もちろん、外すこともある。

あと5年もすれば、全くわからなくなるのではないか。

エライ時代になるぞ。



| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう11月
今年も残すところあと2ヶ月。
もう11月になった。今日は文化の日だ。

書くのは毎度のことながら、年をとると月日が経つのは速くなる。
毎年毎年、どんどん速くなる。
人生の最初の20年と、最期の20年なら圧倒的に最期の20年のほうが速い。

最初の20年は新しい経験の連続だ。
生まれて、親と暮らし、学校に行き、いろんなことを習う。
友達も作り、いろんなコミュニティーに属する。
何より、子供から大人になる。

新しい経験の量と時間の速さはきっと反比例するんだろう。
新しい経験がたくさんあると、時間が経つのは遅くなる。
いろいろと考えて、悩み、夢見たり、絶望したりする。
そういうことが、時間が経つのを遅く感じさせるのだと思う。

ということは、年をとっても、時間が経つのを遅くしたいなら、新しい経験にトライすることだろう。

環境を変えるとか、習い事を始めるとか…。
新しい人間関係を築いて、新しい知識や能力を得る。
そういうことが、時間を遅くする。

でも、新しいことを始めるのは、難しい。
今まで興味を持ってきたことや、やってきたことの延長だったりする。

それでいいのだ。
そういうことを意識して生きれればいいと思う。

同じ時間でも、遅く感じれば、長くなる。
自分にとって一生が長い時間になれば、得をした気分だ。

そんな人生が送れればいいと思う。



| | 考えたこと | 17:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
就活前倒し2
こないだの日経の記事に、就活の時期についての有力大学長(国公私立154校)のアンケートが出ていた。
それによると、多くの大学学長が、今年遅らせた就活のスケジュールを、元に戻すことに賛成している。

前にも書いたが、就活の時期を後にしてほしい、というのは大学の希望だ。
でも、経団連に加盟していない、スケジュールを守らない企業がいるから、開始時期を後に送った分だけ就活が長期化した、という理屈。
実際には、中堅・中小の企業は春先から夏にかけて、大手に先駆けて面接などの選考をやって内定を出した。
そして、8月から9月にかけて大手の内定が出て、たくさんの辞退を出した。
未だに採用活動を続けている会社が5割ある、という。
人事も、こうなることは予想できたが、みんながやっているから…、という理由でやってしまったのだろう。

大学が自分たちのやっている教育に意味を見出し、大事だと思うのなら、中堅中小も含めて、全ての会社に対して、就活時期を後にずらしてほしい、ということを強く申し入れるべきだった。
勉強に支障があるから、ということだ。

でも、実際にはほとんどの大学では卒業単位数は3年間で取れるようになっている。
卒業には124単位必要だが、そのうち、卒業研究とゼミの単位を除いた120単位は3年終了時に取ってしまう学生がほとんど。
実質的に、そういう仕組みになっている。

だから、4回生が学校に来ない。
就職担当は学生が学校に来ないと、状況がわからないから、ゼミの先生に聞いたり、電話攻勢をかけて進路補足をしないといけない。

ぼくがその仕事をやっていた頃、4年生の必修を学科ごとに曜日を変えて置いてほしい、とお願いした。
でも、そんなことをしたら、就活のジャマになるということで先生方に蹴られた。
その時にいろんな文系大学のシラバスを調べたが、4年生の必修というのは卒論以外見当たらない。
要はほとんどの文系大学は、4年生を勉強させようなどと思っていないのだ。
4年生はゼミの日だけ学校に来てくれたらOK、ということだ。
そのゼミも、就活があるからといえば免除されることも多い。

勉強に支障がある、というのなら4年生に必修単位をおいて、4年になっても学校にこないといけないようにするだけでいい。
何も経団連にお願いする必要もない。
学校のカリキュラムを工夫するだけだ。

理系はわからないが、文系の大学は実質3年間で、あとは卒論だけというやり方自体がオカシイ。
学長はそんなことはわかっているはず。

今の文系大学では、よほど学生に問題意識があり、勉強するモチベーションがなければ、4年目は学校にはほとんど来なくていいのだ。
それらのモチベーションを3回生までで育てていれば、暇なことはなくなるが…。

多くの文系大学は、4年生に来てもらったら困るんだろう。
教室や食堂が足りなくなる。

だから、就活の時期など関係ない。
申し入れも、実際には意味はない。
いずれにせよ、4年生は学校に来なくていいんだから。

その大学が4年間勉強をさせようと思っているかどうか、だけだ。

本当のことを、学長の誰かがちゃんと言ってくれないか。

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志望動機
就活で一番大事なのは志望動機だという意見がある。
もちろん、そうではないという意見もある。

学生はその業界で働いたこともないし、ちゃんとした就業経験もないのだから、聞いても仕方がないという人もいるにはいる。
でも、そういう人は少ない。
いや、本心ではそう思っている人は多いかもしれないが、やっぱり面接では志望動機を聞いてしまう。
そして、その時の熱意で「ここで働きたい」という気持ちを量って、採用を決めたりする。

グーグルで検索すると、志望動機の書き方についてのサイトはたくさんある。
そこでは、結局は「なぜここで働きたいと思ったのか」ということを考えろと書いてある。
メーカーなら、製品を調べ、ここが素晴らしいとか。
サービス業なら、こういうサービスに共感したとか。
金融なら、日本の産業を支えたいとか。
いろいろな「とか」を組み合わせて、書かないといけない。
もちろん、同業他社のことも調べて書かないといけない。

「貴社が一番です」といっても、じゃあどこと比べて、何が一番なの?と聞かれると撃沈することも多い。
だから、優秀な学生は図書館のデーターベースなどを調べ、新聞記事を検索し、新製品を調べたりする。
そして、自分の価値観や理想と合っているということも、説明しないといけない。
社会貢献したいとか、人を笑顔にさせるとか、地域の産業を振興させるとか、そういうものだ。
また、なぜそれができると思うのかは、志望動機に書いてないといけない。
自分の強みと結びつけるのだ。
そんな苦労をして、志望動機を仕上げる。

中年のおじさんはその熱意を見ている。
でも、きっとそのおじさんたちも、自分たちの入社時はそんなこと考えなかったなあと思って聞いているに違いない。
実際、働いてみないうちから、そんなことを言わすのは酷だとさえ思っているかもしれない。
それでも、それだけの熱意と努力を割いている、ということを評価する。
それだけ頑張って調べるくらいだから、当社に来たいのだろう、ということだ。

中には、自分の会社の新規の取り組みについて考えさせたりする手段にしている会社もある。
てっとり早く、いろんなアイデア(ほとんどは取るに足らないものだろうが)を聞かせてもらえるからだ。
これも、熱心に考える学生は、熱意があるということで、当社に来たいと思っている、と考える。

こんな苦労をして就活し、新卒で就職しても3年で3割以上が辞める。
志望動機を熱心に語った学生も辞めているはず。
人事は志望動機で見せた熱意と、辞める社員の相関を取ってみたらどうか。
意外と熱く語った人ほど、早くやめていたりしないか。

志望動機を熱心に語れば語るほど、現実の仕事とのギャップは大きくなる。
社会貢献など、感じられるのは仕事を始めて数年たってからだろう。
どんな会社でも、最初は補助的な仕事が多くなる。

若い人への権限移譲は大事だが、基本的な仕事ができてからの話。
入ってすぐに権限が与えられるなどと書いてある会社は、疑ったほうがいい。
よほど知識やスキルが要らない仕事でないと、そんなことはできない。

自分の経験でいうと、就職は縁だと思う。
自分の持っている知識やスキルが使えるところであることにこしたことはないが、今も昔も日本の企業は学生のスキルなど、あまり信用していないような気がする。
特に文系はそうだろう。
その証拠に、求人票を見ると、求人対象が全学部・全学課というところがほとんど。
専門性など期待していないのだ。

リクルートかどこかで、志望動機の熱意と離職率を調べてくれないか。

少しは相関があるのではないかと思っている。

| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |