考えたこと2

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読みたい本
ステファニー・プラムのシリーズ9作目が出ていた。
知らなかったが、本屋でジャネット・イヴァノビッチを見つけて、あれ?という感じだった。
これは、ひょっとしたら、と思って見たら、やっぱり最新作だった。

8作目まで読んでしまって、次に何か面白そうなシリーズはないか…と探していたが、なかなか見つからず、うろうろしていたら、見つかった。

亡くなってだいぶたつが、山本七平の新書の新刊(以前出たものを再販)もこないだ見つけた。

岸田秀の文庫の新刊も一月ほど前に買って、置いてある。

ちょっと前に、ランチタイムの経済学という本を読んだが、すごく面白かった。それと同じような類の本で、ヤバイ経済学という本が新聞の書評に出ていて、これまた面白そうだったので、買ってしまった。

少し古いが、アシモフ(SF作家)のエッセイ集も文庫で出ていたので、読もうと思って買ってある。

田辺聖子が川柳作家の伝記を書いているが、それが文庫で上下二巻の大作。田辺ファンとしては、読まないわけにはいかないだろう…と思って、置いてある。

電車通勤をしなくなってから、読む量が減った。
その分を休日の喫茶店とかで補おうとしているが、なかなか足りない。

でも、面白そうな本を見ると、ついつい買い置きしてしまう。

実際、文庫は別だが、最近の本は、買いそびれるとなかなか手に入らなくなる。

…という言い訳をしつつ、読んでいない本が増えていく。

仕事を辞めたら、読もうと思うが、その頃にちゃんと目が見えて、理解できる頭が残っているんだろうか。

やっぱり、先延ばしはよくないですね。



| | 考えたこと | 21:46 | comments(2) | trackbacks(0) |
RPG
RPGと書くと、ロール・プレイング・ゲームと読むのが一般的になったほど、RPGは世間に浸透している。
テレビゲームが出てきてからの言葉だ。

ゲームをする人が、ゲームの中のキャラクターになりきって、冒険したり、戦ったり、探したりする。
キャラクターに自分の名前を付けられたりするので、やっている方は、まるで自分が仮想の世界を生きているような感じになるのだろう。

以前、会社の後輩で、ドラゴンクエストとかいうRPGソフトが出ると、すぐに買って、何日か徹夜してゴールまで行った、というヤツがいた。
毎回、発売のたびに、徹夜をするとのことで、よくやるなあ、と思った。

この手のゲームは苦手だ。とにかく、めんどくさい。

一度だけ、何とか殺人事件というのをやったことがあるが、容疑者が何人もいて、彼らを聞き込みするのだが、大したことを言わない。
警察署に連れてきて、尋問するとちょっと言うことが増える。
でも、何度連れてきても、言うことは同じだ。

メニューを見たら、殴る、というのがあって、容疑者を連れてきて、尋問の時に殴ってみたら、「すいません。隠してました…」とか言って、話を始める。
これや、ということで、片っ端から連れてきて、殴りまくったら、しまいに誰も何も言わなくなった。

どうやって、ここから進んだらいいのかわからなくなり、アホらしくなってやめた。

だいいち、ちゃんとやろうと思うと、メモを持っておいて、証言を書きとめていかないといけない…。

何でそんなことまでしてゲームやらなアカンねん…と開き直ってしまう。

僕には向いてない…というのが結論。
それ以来、その手のゲームには興味が無くなった。

RPGが好きな人は、すごいと思う。
こんなにめんどくさいことをやるくらいなら、仕事している方がマシだ。

生きていること自体がロール・プレイングだから、それで充分。

ゲームではなく、人生の方を面白いと思えないと…。

でも、それはそれで、難しいです。
| | 考えたこと | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
ビートルズ
ビートルズの来日は1966年だった。
東京オリンピックと同じだと思っていたが、2年ずれていた。
小学校の4年か…。

実は、来日した時のことは全くおぼえていない。
マッシュルームカット(おかっぱ頭)の写真はおぼえているが…。
ポール・マッカートニーの顔が印象的だった。

ビートルズを聴きはじめたのは、高校に入ってから。
当時、休みの日に3本立ての映画館によく行っていたが、そこでレット・イット・ビーの映画を見てからだ。
アップルレコード本社の屋上で、ゲット・バックをやっているところがすごくかっこよかった。

赤と青の2枚組ずつのレコードを買って、これは文字通りすり切れるほど聞いた。

Please Please Me, A Hard Days Night, Help, In My Life, From Me To You, Can't Buy Me Love Ticket To Ride, Yesterday, …前半の曲はいずれもシンプルできれいな曲が多い。

後半は、Penny Lane, Lucy In The Sky With Diamonds, All You Need Is Love, Hey Jude, Get Back, Come Together, The Long and Winding Roadなど、ポールらしい凝ったベースラインの曲が目立つ。

彼ら4人がいなければ、今の音楽はどうなっていたんだろう。

この当時、エルビス・プレスリーもいたし、ビーチ・ボーイズもいた。
でも、今聞いても、ビートルズはすごいと思う。彼らは別格だ。

ほとんどの曲をジョン・レノンとポール・マッカトニーの二人で書いているが、どの曲をどちらがメインで書いたのかはわからない。

解散後、二人とも曲を書いているが、何となくビートルズ時代の曲とは違うような気がする。

あの時代、ビートルズにはオーラがあったんだろうと思う。
メンバーとプロデューサーたちの相乗効果で、あの時にしかできない曲ができた。

ジョンが撃たれ、ジョージが病に倒れ、今はポールとリンゴだけが生き残ったメンバーだ。
ジョンの死は決定的だった。(死はいつも決定的だが…)

もう二度とビートルズはできない…と思った人は多かったのではないか。
ジョンの死は、もう一度、和解して、ビートルズの4人がレコーディングできるのではないか、という一縷の望みを持っていた人たちの夢を砕いた。

今年はビートルズ来日40周年の年。
http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/profile/index_j.htmというページに書いてあった。

「ビートルズは解散後も世界中に多大な影響を与え続けている。
ビートルズに触発されて生まれたアーティストは数知れず、ビートルズによって音楽の世界は無限に広がった。
音楽にとどまらず、ビートルズという存在そのものが与えた影響も見逃すことはできない。
物ではなく心のありかたに真実を求め、愛を歌い、新しいことに挑戦した4人の姿は、ビートルズを知った人たちに少なからず影響を与え、その影響は音楽というジャンルをこえたさまざまな形で開花している。
そしてビートルズが送り続ける愛のメッセージは、これからもいっそうの輝きと重要な意味をもって永遠に伝えられるのだ。」

そのとおりだと思う。

20世紀で最も偉大な音楽家は、ビートルズだ。



| | 音楽 | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
男たちの旅路
鶴田浩二といえば、東映のヤクザ映画というイメージだった。
どちらかというと、あまり好きではない部類の人だった。

就職してからだったから、1979年だったと思う。
新入社員の実習で、営業所に手伝いに行っている時に、そこの所長代理さんが、「男たちの旅路」というドラマをいたく気に入っているというのが、そのドラマの名前を聞いた最初だった。

その時は何とも思わなかったが、その後、再放送で、「男たちの旅路」を見たのが最初だった。

主人公が、鶴田浩二。
特攻隊の生き残りで、役柄はガードマンの指令補。
他に水谷豊、桃井かおり、柴俊夫、清水健太郎、岸本加世子など。

戦前の価値観と、戦後の価値観とのぶつかり合いを描いたドラマだった。
山田太一の脚本が素晴らしい。

その後、何度か全シリーズの再放送もあり、全部見た。

訥々と語る言葉の重さ、大人の分別、自分の過去を否定せず(当時は否定するのが風潮だったと思う)今が良いということに反発する強さ、本当にはまり役だった。

こんな役者は、もういなくなったと思う。

鶴田浩二といえば、吉岡指令補。

これは死ぬまで変わらない。


| | 考えたこと | 01:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
言霊信仰
以前、井澤元彦という人が書いた、「言霊」という本を読んで、すごく面白かった事を思い出した。
言霊(ことだま)は日本人が持っている、言葉に対する信仰であり、口から出た言葉が力を持っている、ということ。

第二次大戦のころ、「日本は戦争に負ける」という事を言うことがタブーだった、という事を聞いたことがある。
勝つとか負けるとか言うのは、単なる意見、見解であって、そうでなければ、そうではない、と反論したらよいだけのことだが、それを言うことが罪になる、という事は、日本人が言霊信仰を持っているからだ…という事だった。

「戦争に負ける」という言葉を発することで、その言葉の言霊が、日本の戦争を負けさせる力を出す、ということだ。

今朝やっていたアメリカ映画で、ノーヒット・ノーランを達成しそうな状態になった時に、そのことを口に出してはいけない、という感覚は、言霊に通じるものがある…と思った。

そういう時に出る言葉は、「もうちょっとで、ノーヒット・ノーラン。できるかな?」というような言葉であり、その、「できるかな?」という言葉の言霊が悪さをするように思える。アメリカでも、言霊はあるのか。

野球のノーヒット・ノーランなら、縁起かつぎの言霊信仰もあっていいと思う。

しかし、日本では野球だけでなく、いろんなところで言霊信仰が生きているように思える。

「このままなら、潰れてしまう」というような言葉は、どうしても言うのが、はばかられる事が多い。
それには理由があり、単なる意見なのだが、それを言うことはまるで潰れることを願っているように思われる…という感じ。

やっぱり、言霊パワーは生きている。
そう簡単に、なくなりはしない。

でも、アメリカにもありそうなことがわかって、今日はちょっと面白かった。

人間は言葉というものを持ちはじめて、もうだいぶ経つと思うが、まだまだ言葉というものの持つ力を使いこなせていないのかもしれない。



| | 考えたこと | 01:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
サマーリーグ Summer Catch
久しぶりに映画を見た(といっても、映画館ではない)。
サマーリーグというヤツ。

才能はあるが、自滅してしまう大学出身のピッチャーの家族・友情・恋・そして成功を、西海岸の避暑地で開催されるサマーリーグを舞台に描く…というお話。
最終戦で、ノーヒット・ノーランをかけて…というパターン。

ストーリーは単純で、楽しめる映画だった。

スポーツが舞台になっている映画はいい。

陽だまりのグラウンドもよかったし、ラブ・オブ・ザ・ゲームやメジャーリーグ、前に書いたオールド・ルーキーもよかった。

アメリカ人がいかに野球を愛しているかがよくわかる。

フェア・プレイとか、アメリカン・ドリームとか、自分を信じることとか…野球を通じて表現されると、よくわかる。

ノーヒット・ノーランを達成しかかっている時には、スタンドで見ている観客が、そのことを口にしてはいけない、という場面が出てくる。
へー、そうなんや、と感心した。

はっきりとそういう観客の約束事がある。

口に出して、言葉にすると、逃げていくという感覚は日本的なものかと思っていたが、そんなこともないのか。
野球というものを通すと、日米の文化の違いや共通点がわかって、面白いと思う。

単純に楽しみたい方、いいですよ。


| | 映画・舞台 | 11:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
結果論
2002年の2月16日にこんなメモを残していた。

「人間には元々やりたいことなどなく、やってきたことを自分で評価して満足できるかどうかだけ。」

どんな心境でこれを書いたのかは思い出す術もないが、どうなんだろう。
やりたいと思って、始めたものはどれだけあるのか…。

ギターを長いこと弾いているが、これは偶然家にギターがあったから…という部分が大きい。
やりたい、と思って始めたバンジョーは途中で挫折し、ケースに入って押し入れの中にある。

小学校の頃、手塚治虫や石森章太郎にあこがれ、マンガ家になりたい、と思って、自由帳にマンガを描いていたが、結局それで終わってしまった。
仕事は、やっているうちに面白くなったものもあるし、イヤだったものもある。
でも、やりたいと思って始めたものではない。

本を読むのも好きだが、これも、小学校の頃、親に買ってもらった本を寝る前に読み出したのが最初。
全く読まない時期もあったが、最近はコンスタントに読んでいる。
読書がしたい、と思って始めたものではない。

パソコンで音楽をやりたい、と思った時期もあった。
出始めのパソコンを給料をはたいて買って、2曲ほどデーターを打ち込んだ。
1曲は、踊るポンポコリンだった。データーを数字で入れて、音が出た時はうれしかったが…。
やっぱりコンピューターはコンピューターだ。
2曲打ち込んだだけで、めんどくさくなって、そのパソコンは使わぬまま十年ほど前に荒ゴミになった。

落語も、中学の頃、笑福亭仁鶴が出てきて、大ファンになり、落語をやりたいと思った。
この経緯は前に書いたが、落研で4年間堪能し、それ以降やっていない。
だいたい、一人ではできないのだ。

してみると、やりたいことなどない、というのは言い過ぎか。
やりたいことはある。

でも、自分にとって大切なのは、やりたかったことよりも、自分がやってきたことのような気がする。
ほとんどの人はそうではないか。

やりたかったけど、やめてしまったものも含めて、やってきた事の連続が今の自分という物語になる。

このメモを書いた自分は、やりたいことができていなかったのかもしれない。
やりたいことができなくても、いいではないか、というのが、これを書いた動機だろう。

今やっていることを一生懸命やって、それで満足できれば、いいんだ、という事を言いたかったんだと思う。

本当にやりたいことをやって、満足できる人生を送れる人は、ほんの一握りしかいない。
やりたいことができていなくても、今やっていることを頑張れば、満足できるから…ええやん、ということだ。

自分探し、という言葉があるが、この言葉はキライだ。

自分は作るもので、探すものではない。
今は適当にやっていて、いつか本当の自分を捜し当てるなんて、おかしいと思う。

今を頑張るしかないのだ。
歌の題名ではないが、「結果論だよ人生は」というところだろう。



| | 考えたこと | 01:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
人生と季節
書くことが見つからず、昔のメモを見た。

「人生を80年とすると、20年ずつ春・夏・秋・冬という感じになる」というのを発見した。

生まれてから、学校時代が春。これから芽が出て、大きくなるぞ、という季節。

社会人になって、仕事にも慣れ、一人前になる時期が夏。

もうぼちぼち、日が暮れかけて、夕方になってきたなあ、というのが秋。

つぼみになって、今までの蓄えを凝縮して次の世代を見る、というのが冬。

20年ずつを春夏秋冬に割りふると、こんな感じになる。

今49歳だから、ちょうど秋の真ん中か…。
10月、という季節。過ごしやすくて、ちょうどいい季節ではある。
空は澄んで、暑くもなく、寒くもなく、生きやすい季節。

そんな感じ…ではないなあ。

でも、秋は収穫の季節でもあるから、今まで生きてきた経験を集めて、集大成する時期なんだろう。

実際には、日が暮れかけて、まだ道は遠いという感じか。

そんな悪いことばかりでもないのだが…。

花の中年、という言葉はないのか。
今の時代、ないやろなあ。

みなさんの季節はどこですか?


| | 考えたこと | 00:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
人は一本の管
昔、何かの生物系の本で、人間は一本の管である、という説明を読んだ覚えがある。

生きていくためには、外部からエネルギーを摂らないといけない。
エネルギーを、食物というカタチで取り込んで、摂取し、残りかすを捨てる、という一本の管が人間だ、ということになる。
口から、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸を通って、肛門にという消化管がそれだ。

そこに、唾液や胃液、胆汁、膵液などを出すための仕組みがひっついている。

取り込んだエネルギーを燃やすために酸素が必要だ。
だから、肺があって、血液を回す仕組みがある。これが心臓だ。

エネルギーを溜めておいたり、外部から身を守るための仕組みや、解毒作用、水分の排泄作用などその他の器官がある。

それらを司っているのが、脳だが、この部分は考えるための部分ではなくて、生きるための本能の部分だろう。

エネルギーを取り込むためには、食べ物を見つけなければならない。
そのために目や耳、骨や筋肉がある。これも脳が補助している。

こんな風に考えると、人間の基本装備で一番不要なものが、大脳新皮質とかいう部分になるのだろうか…。
とりあえず、エネルギーを取り込んで、物質交代するというところにはかかわっていなさそうだ。

脳の「考える」ための部分は、生きるために必須の部分ではないということだ。
しかし、その部分が、人間を生物として、それ以外の生物の中で特徴づけている部分である、というのは象徴的だ。

「人はパンのみにて生きるにあらず」というのは、この生物的特徴を表す言葉とも思える。

生きる意味とか、目的とか、生きがいとか…。
何のために働くのかとか、仕事を選ぶとか…。

正しく考える事は難しいが、生きていく上での基本装備ではないところでやっているので、まだまだ生物的に慣れていない部分なのかもしれない。

あと何千年か、何万年か後、もし人類が存続していたら、だいぶ慣れているんだろうか…。

| | 考えたこと | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
電子辞書
ずっと使っていた電子辞書が壊れた。液晶画面がまだらになって、何が書いてあるのかわからない。
6年ほど前に買ったものだったので、この際、買い換えることにした。

電気屋さんに行くと、たくさんの種類がある。

百科事典が入ったもの、家庭の医学が入ったもの、学習参考書が入ったもの、発音するもの、カラーのもの、引いた単語の履歴が残るもの、単語帳を内蔵したもの、海外旅行用に数カ国語の会話が入ったもの…。

辞書を引く、という行為の意味も変わってくるだろう。
ぶ厚い本を繰って調べる、という事ではなくて、キーボードで調べたい文字を打ち込む、という事になるのか。

本の辞書と電子辞書の大きな違いは、辞書なら、回りの単語も一緒に視野に入る、ということだろう。
視野に入ることで、周辺の知識が増す…ということだ。見たことある、と思える単語が増える。
さらに、線が引けたり、書き込みができたり、ページを破って食べることもできる。

一方、最近の電子辞書は、単語を入れたら先頭一致で似たような単語を表示したりできる。
画面も大きくて辞書よりも見やすい(特に老眼には良い。字が大きく表示できたりする)。
それと、本の辞書にはない機能として、英和辞典から和英辞典に飛んだり、国語辞典に飛んだりできる。一つの言葉を辞書から辞書へ、横断的に引けるということだ。類語辞典がついていれば、類義語も出てくるし、反対語辞典がついていれば、反対語も調べられる。
また、成句だけ見たい、という場合は、成句のキーを押すと成句がずらずらと出てくる。
これは明らかに本の辞書よりも見やすい。
おまけに、軽い。本を何冊も持って歩くことを考えると、絶対こちらの方が便利だと思う。

だいたい、本の類はアナログがいいと思っているのだが、電子辞書だけは、もう乗り換えだと思う。
あの小さな入れ物に、辞書が10冊以上入っているというだけでもびっくりだが、一つの言葉を横断して辞書で調べられるというのは、すごい。
これは辞書の革命だろう。

もうあのぶ厚い本には戻れない…と思う。


| | 考えたこと | 01:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
シナモン
昔から、シナモンの香りが好きだった。
正確には、ニッキの香りかな。

http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/05/05/0529.html
で調べてみると、ニッキとシナモンは同じようなものらしい。

以前は日本語でニッキ、英語でシナモンと言うのだと思っていた。
このページによると、昔は違うものだったが、今は同じようなものとのこと。
同じ香りだから、同じだろうと思う。

浅田飴にはニッキとクールがあったが、やっぱりニッキだ。
今ではパッションとかいろいろ種類が増えている。

シナモンという香辛料は、今ひとつ日本では人気がないようだ。

シナモンパイ、最近はパン屋さんでも売っているが、これはシロップがかけてあって、ネトネトのやつが好きなのだが、あまり売っていない。アメリカにシナボン(CINNABON)というチェーン店があって、ここのシナモンパイは一つ食べたらお腹いっぱいになるくらいのもの。

http://www.cinnabon.com/experience/products/classic.html

調べてみるとシナボンは日本にもあった。しかし、関西ではUSJのお店が閉鎖され、りんくうアウトレットに一店あるだけらしい。

店に近づくと、シナモンの香りがして、うれしくなる。
ただ、カロリーはめちゃくちゃ高そうなので、こんなものばかり食べていると、確実に成人病になりそうだが…。
日本のシナボンがどんどん閉鎖されているところをみると、やっぱり日本人はシナモンが嫌いなのか…。

というわけで、最近はもっぱらシナモンシュガーをトーストにかけて食べている。
マコーミックというアメリカの会社の製品。ビンに入っている。
近所のスーパーにあった。

薄い茶色の粉末で、シナモンと砂糖を混ぜてある。
これを焼きたてのトーストにふりかけて食べる。
簡単だが、おいしい。

味付け海苔をトーストにのせるのは、あまり評判がよくなさそうだったが、こちらは正攻法の食べ方だと思う。

ニッキやシナモンの香りが好きな人は、一度おためし下さい。



| | 考えたこと | 15:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近のいい曲
最近といっても、若い人から見ると、かなり古いんだろうが…。

この頃は、子供の影響でテレビの歌番組がついていることが多くなったので、新しい曲を聴く機会が増えた。

いいなあ、と思った曲がある。

まず、ナチュラル・ハイという女性二人組の歌う、「No Piano No Life」。
これは歌詞もいいし、題名通り、ピアノの演奏もいい。

小学校の頃の帰り道に、ランドセルを背負って歌ったら、なぜか寂しくなかった。
ピアノを始めた頃の、つたない音のメロディー、あの頃から変わらない気持ちで…。
心うらはら、すれ違いの恋、どうすることもできず終わった…。
恋が終わって、悔し涙をポロポロ流した時も、歌えば時間を忘れられた。
ピアノに想いをぶつけて、夢中でつなぐ音を愛したい…。
ゆずれない心の音を奏でたい…88鍵からから響くメロディー…。

ピアノを演奏して歌う気持ちが素直に歌われていることと、大人になる切なさみたいなものがミックスされて、聞いていて切なくなる。
明るいスイングの曲調だが、妙に悲しい。
だれか、No Guiter No Lifeという曲を作ってくれないか。

続いて、ケツメイシというラップのグループの「さくら」という曲。
これは去年流行った曲だが、あらためて子供にTSUTAYAで借りてきてもらって聞いた。
「トゥルリラ」というリフレインが印象的だ。
このグループは「涙」という曲も良かったが、この「さくら」というのもいい。
「花びら舞い散る、記憶舞い戻る…」という歌詞が「さくら」という曲の題名と合って、すごくいい。

日本語のラップというのは、以前アメリカでラップが流行り始めた頃にコピーバンドみたいなのが出てきて、何となくいまいちだと思っていたが、このケツメイシというグループを聞くと、日本語のラップもアリだなあ、と思う。

最後に、前にも書いたが、スキマスイッチの全力少年という曲。
これは、歌詞も曲もいい。

試されてまでも、ここにいることを決めたのに 呪文のようにしかたないとつぶやいてた…。
ガラクタの中に輝いていたものがいっぱいあったろう…。
よどんだ景色に答えを見つけ出すのはもうやめだ。

まぎれもなく僕らはずっと、全力で少年だった。視界はもう澄み切ってる…。

これも大人になる切なさが歌われている。
怯えてたら何も生まれない、という言い切りで、少年に戻って、世界を開くんだ、という無邪気さがいいんだろう。
世の中はそんなに甘くないが、せめて歌の世界では夢を…とおじさんは思ってしまう。

No Piano No Lifeを聞きながら、これを書いているが、才能があるアーティストが出てくるのはいいことだ。
70年代の音楽が最高、と思ってきたが、そうでもない…と思う。

そう思えるのは、いいことだ。


| | 音楽 | 02:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
基本に忠実に
ゴールデンウィークは、ちょっとブログもお休みしました。
間があいてしまいましたが、また書きます。

こないだから、ギターの練習をしすぎて、左手の薬指が痛くなっていた。
練習を休んで、ちょっとマシにはなったのだが…。
やっぱり、メジャー9thというコードを押さえると、薬指が痛い。

前回、レッスンに行って、先生と話をして、先生が弾くのを見ていたら、わかってしまった。

コードを押さえる時、薬指がきつい確度で曲がらないように、ギターのネック(ボディから伸びている部分)を基本のカタチで持てば痛くないのだ。
基本のカタチというのは、ネックを握るように持たず、つまむように持つ、という事だ。
そうすると、難しいコードを押さえる時に、きつい角度で指を曲げずにすむ。

何事も基本というのは大事だ。
今までやってきた人たちが、積み上げた経験が「基本」というものだろう。

なぜそれが基本になったのか…正確に弾くこと、無理なく弾くこと、早く弾くこと…そして長く弾き続けることも入っているということだ。

あらためて、基本という事の重要性がわかった。

身体を使う事は、特に基本が大事だ。
基本を大事にしなければ、ケガをする。

ギターを弾くという、さほど筋肉を使うわけでもない事でも、基本を踏み外すと身体を痛めてしまう。
我流というのは、いつまでも続かない。
いつかは基本に忠実にしなければならなくなる。

基本に忠実な上での我流は個性になり得るだろうが、基本を無視した我流は、時間に耐えることができないと思う。

それができるのは天才だけか…。

凡人は、基本に忠実にやるしかない。




| | 考えたこと | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |