考えたこと2

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インドネシア日記
出張で行ったことがある。
書類を探していて、偶然1997年の日記を見ていたら、こんな文章があった。
今から15年前。ちょうど40歳の時。
当時のインドネシアの状況を思い出して、一人考えてしまった。

文中のAB3というのは、インドネシアのポップグループのことです。

以下抜粋。

テストもうまくいったし資料も出来たので、今日は休み。昼から買い物に連れていってくれるとのこと。AB3のカセットを買うことにする。それから何かいいものがあれば子供に買って帰ろう。日曜日はさすがに車は少ない。この家の近所も朝7時前だが静かで、にわとりや山羊の鳴き声が聞こえてのどかな雰囲気である。ウオークマンでFMを聞く。局によっては英語の曲ばかり流しており、日本のFMを聞いているような感じだ。DJも英語を喋る人もいるので、それを聞いているとまるでFM802を聞いているのと同じである。選曲も良く、結構楽しめる。

昨日の夜のダンスミュージックというプログラムはなかなか良かった。88.7MHz、87.6MHzがお勧め。ただ、どうも1時間おきにニュースをやるのだが、ニュースのときは全ての局が同じになる。ということは、ニュースは一つしかないということで、このあたり、もう少しジャーナリズムが発達しないと中産階級の台頭ということが難しいのかもしれない。

こちらに来て昨日初めて子山羊を見たが、かわいいものである。何でも子供はかわいいのかも知れないが、親についてぴょんぴょん飛んで走る姿を見ると、ほほえましい。また、工場のそばでは昨日の昼過ぎから牛が出てきた。えさを食べさせに連れてきているとのこと。路肩の草を食べていた。山羊などは中央分離帯の草を食べていたりして、時々道路を横切るので、注意が必要である。

そういえば、昨日の帰りにアジズさんから賄賂のことを聞いた。この国ではまだ賄賂の風習がのこっており、いろんなところで横行しているらしい。アジアで3番目に賄賂の多い国だ、とのこと。1番は中国で2番がフィリピン、3番がインドネシアとのこと。何でも大企業の会計では人件費が5%で、インビジブルマネーが25%と言っていた。インビジブルマネーというのが使途不明金と同じかどうかはわからないが、大変な金である。アジズさんとしては、こういう状況は良くないので、何とかしたいがまだまだインドネシアは建設途上なので仕方ない、という感想。僕もきっといつかはいい状態になるでしょう、と気休めかもしれないが言っておいた。いろんな意味で南北問題は難しいと思う。

上海から帰ったときも後で南北問題の本を買って読み、この問題は大きいなあと思ったが、のどもと過ぎれば熱さ忘れるで、すぐに頭から無くなっていたが、今回インドネシアに来て、やっぱりこれらの発展途上国の今後を思うと、どうなるんだろうと思わされる。この国の人たちの消費文化への欲求が満たされるときには、この星の資源やエネルギーはどうなるのか、文明が進歩する、先進するということは本当にいいことなのか、ものが売れたり、安く作れるからと言ってどんどん南の国々に北から投資をし、資本主義の枠の中に入れ、消費文化を教え、物を買わせ、エネルギーを使い、自然を破壊して、一体この星はどうなっていくのだろう。上海から帰ってから読んだ南北問題の本には、東西のイデオロギー問題が終わった今、世界にとって最も重要な問題は南北の問題であり、環境汚染、人工問題、食料危機等も南北の問題となってくると書いてあったと思う。それは実感である。本当にどうしていったらいいのか、一人が考えてもどうにもならないとは思うが、世界的に何らかの指針が必要で、そのためには国という枠組みを越えて真剣に考えるような事が必要だろう。でもそんなことはきれい事で、今は北の国々が競って安い人件費で物が作れ、たくさんの人がいるので市場がある、という事で南の国々に進出してきており、このままいくとエネルギーや食料はえらいことになるだろう。日本ももっと自分の国の食料やエネルギーについて考えるべきだと思う。今の老人ばかりの政治家にそんなことが考えられるとも思えないが。本当にこの問題を考えると、くらい気持ちになる。誰か、真剣に考えてくれて、何とかしてくれないかなあ、ということしか思い当たらない。

本当にアジアやインド、アフリカの国々が今の先進国並の生活を始めたら地球は持つのだろうか?地球を滅ぼすのは資本主義と消費文化ではないだろうか。今は資本主義が社会主義に勝ったということになっているが、新しい座標軸を考えないと世界はやっていけないのではないかと思う。豊かさを知らなければ、貧しさには気づかない、ということが北のエゴだとは思うが、本当に何十億という人が消費文化に染まってしまったらおしまいだと思う。何か新しい宗教が必要なのかもしれない。

昼飯にそうめんを作ってもらい、ブカシのスーパーマーケットに行く。チリソース、パイナップルジャム、ウーロン茶、ジッポー(ライター)、KENDO(KENZOのまがい物と思われる)のシャツ、AB3のカセットを買う。ジッポーが3千円、シャツは千円、カセットは400円。安かった。帰ってからまたAB8の家の向かいのスーパーでアイスクリーム、唐芥子付きのポテトチップ、豆、かっぱえびせん(うどん状の物を固めたもの)を買う。物価は1/20と聞いていたが、特に食料品は安い。スーパー内のファストフードショップで飲み食いすれば、百円足らずで腹いっぱい食べられそうだ。

AB3を聞きながらこれを書いている。We are oneという曲が何となくこの国の人の気持ちをあらわしているような気がする。(それとSTAY WITH MEという曲だけ英語なのでそれしかわからない)歌詞の一部は以下のようなもの。

We are all people with a past
A past rich in variety
Where differences blend in harmony
A precious past so deep in us
The past will always stay with us
To guide us through the changes time compels

We are one
As we share new experience
We are one
With dreams of sweet glory
We are one
In facing the future
Challanges and promise awaits us

というようなもの。

色々な民族が集まって、国を作り、新しい経験を共有し、一つになってこれから挑戦していこう、その向こうには成功が約束されているはずだ、というメッセージソングである。建国途上の国の人々が何とかいい国を作ろうという気持ちと、工場で見たローカルの人々が重なって、何となくジーンと来てしまう。元々メッセージソングは好きだが、単純な僕は簡単に感激してしまう。単純過ぎる、そんないい奴ばかりでもないし(犯罪の増加率もすごいらしい)、日本人から金をだまし取ろうとする奴もいるらしいし、きれい事では生きていけないが、こういうメッセージソングは今の日本からは出てこないような気がする。ラブソングや世を嘆く唄、世の中を皮肉った唄はあるが、これほどストレートなメッセージソングは70年代で無くなってしまったのかもしれない。こういう唄を聞くと音楽はいいなあ、と思わされる。



| | 考えたこと | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
上を向いて歩こう
朝のドラマの最終回で、歌っていた。

この歌の作られた頃の背景が、よくわかる。
この曲は永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九が歌った。
六、八、九ということで数字の順番になっているのだ、と聞いたことがある。
坂本九という芸名が決まった由来。

リリースされたのが、1961年。
ぼくが4歳の時だ。
だから、物心ついたときから、「上を向いて歩こう」のメロディは知っていた。

今日のこの歌のバックでは、回想のシーンが流れていた。
戦後の焼け跡から立ち直る、昭和20年から30年代のことだ。
もちろん、立ち直ってこんな時が、こんなに早く来るとは思っていなかった。
これから高度成長が始まる、という時に出たのがこの曲。

作られて50年経っても、歌われている。
メロディが魅力的だし、アレンジも未だに斬新、歌詞がわかりやすいとか、いろいろな要因があるのだろう。
アメリカのチャートで1位になったのも、この曲だけ。
SUKIYAKIという題名だった。

永六輔がこの歌詞を作って、ジャズピアニストの中村八大が曲をつけた。
この2人は、焼け跡から立ち直った日本人を振り返り、あのときの思いを歌ったのだろう。

しかし、1980年代、90年代にはあまりこの曲を聴いた覚えがない。
これは日本が上り調子で、イケイケドンドンの時代だったからだ。

でも、リーマンショック以降どんどん下向きになって、またこの曲が聴かれるようになった。
それに拍車をかけたのが、去年の震災。
1年半経って、未だに片付かない瓦礫や、決まらない都市計画、戻らない人口など、戦後の日本の問題がここで集約されて起こっているような感じだ。
世界でも、食糧問題や石油高騰、環境問題、ユーロ危機、そして人口問題など、あまり明るい話題はない。

そういう時にこそ、「上を向いて歩こう」というのがドラマのメッセージだったのかもしれない。

しかし、あのピアノの伴奏。

C-Am-Dm7-G7という黄金のコード進行で、すばらしい合いの手だと思う。


| | 考えたこと | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
アンディ・ウィリアムス
訃報が新聞に載っていた。

中学1年の頃、アンディ・ウィリアムスのシングル盤を買った。
「恋はリズムに乗って」という曲。
とにかく、洋楽のシングル盤を買ってみたくて、近所の駅前のレコード屋に行った。
あの当時、洋楽を聴くことが、何となくかっこよくて、全く歌詞がわからないのに聞き始めた時期だった。

アンディ・ウィリアムスは、「ある愛の詩」や「ムーンリバー」で有名な歌手。
1970年当時、円熟の域にに入り始めた。
アメリカではアンディ・ウィリアムズ・ショーというレギュラーの番組があった。
何度かその番組の場面を見たことがある。
もうカラーの時代だったか…。

レコード屋に入って、すごく迷った覚えがある。
もともと、洋楽のシングルを買おうと思っていただけで、何か目的があったわけではない。
当時400円だったはず。
小遣いを持ってレコード屋に行った。
あれでもない、これでもない、とジャケットを引っ張り出しては、元に戻した。

この曲は、発売されてから、だいぶ経っていた。
でも、そんなこともわからなかった。
とにかく、洋楽のレコードが欲しかったのだ。

1960年代から70年代にかけては、そういう時代だった。
アメリカのものは、あこがれの対象。
身近にアメリカに行った、という人などいなかった。

テレビのゴールデンタイムには、アメリカのドラマを吹き替えでやっていた。
奥様は魔女とか、スパイ大作戦などの時期かな。

「おはようフェルプス君…」で始まるスパイ大作戦(Mission Impossible)の、大平透の声がかっこよかった。
1回再生したら、テープは消去される。
「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、或いは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。 .... 成功を祈る」という言葉とともに、テープから煙が立ちこめ、それで終わり。

よく考えたら、1回テープを聴いただけで、よくあんな複雑な作戦を立てられるものだ、と気づくべきだった。

話がそれたが、ぼくの最初の洋盤はアンディ・ウィリアムズ。

冥福を祈る。

| | 考えたこと | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブログ
2005年の5月に始めて、7年半。

2100本ほどの記事を書いた。
全部が全部、くだらないわけでもなく、かといって有意義なわけでもない。

気がついたら、このブログを更新するのが毎日の勤めになっている。

最初はどこまで続くか、わからなかった。
毎日更新するわけでもなく、適当に書いていたが、ここのところ、毎日更新している。
毎日更新しはじめると、意地になって、毎日書かないとと思う。

それがいいことか、どうかはわからない。

そんなに読者はいないと思う。
10人足らずだろう。
こんなものでも、読んでもらうとありがたいと思う。

しかし、このブログの一番の読者はぼくだ。

下手をすると、一ヶ月前の記事を見て、ほー、こんなものを書いていたか、と思う。

書きだすと、書く要領がだんだんとわかってきた。

小林秀雄が言っている、書き始めないと何ができるかわからない、というのは本当だ。

書いているうちに、思わぬ方向に向かっていったりする。

いろいろとご迷惑をかけることもあるかもしれないが、よろしくお願いします。



| | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |
いらっしゃいませ
中学の時、店に入ったら店員が来て"May I help you?"というと習った。

これを「いらっしゃいませ」という意味だという。
全くわからなかったが、「いらっしゃいませ」を"May I help you?"というのだ、と覚えた。

時が経って、これは「お手伝いしましょうか」という意味だとわかった。

この、いらっしゃいませ、という訳はその場面での訳としては正しいのだが、そういう訳は正しいのだろうか。
この場面では、日本語ではいらっしゃいませ、というのだから、英語で同じ場面の言葉はいらっしゃいませと訳す、ということだ。

今はどう教えているのか知らないが、"May I help you?"を「いらっしゃいませ」と訳すのは無理がある。

"May I help you?"は店に入ってきたときに使われる、日本語でいうと「いらっしゃいませ」という言葉と同じだが、意味は「お手伝いしましょうか」という意味だ、と教えるべきだ。

これを「いらっしゃいませ」というのは、かえって英語をわかりにくくする。

日本の英語教育はいろんな勘違いをしているが、この特定の場面で使われる言葉の意味、というのは大きいと思う。

わざと勘違いしているのかもしれないが、やはり正しい訳を教えるべきだと思う。

| | 考えたこと | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
やりたいこと
若い人と話していると、自分は何がやりたいのか、それがわからないという。

それを見つけるために、大学に来たという人もいる。

夢はあるのか。
歌手になりたいとか、小説家になりたいとか、パイロットになりたいとか、政治家になりたいとか、野球選手になりたいとか、あるいはいい人を見つけて大家族で過ごしたいとか、海外に住みたいとか、田舎で農業をやりたいとか、大金持ちになりたいとか、何でもいい。
それもはっきりしない。

当たり前だ。
そんなに詳細に将来のことを考えているわけがない。
自分を振り返ってもそう思う。

そういうことは、切羽詰まらないと、決まらない。
もちろん、自分は〇〇になる、というのが小さい頃から決まっていたり、家が〇〇だから…、という人はそれでいい。
でも、おおかたのサラリーマンの子供はそんなことは決まっていなかった。

漠然と「〇〇になりたい」という夢はあっても、詳細なプランなどない。
そんなことは後回しで、目の前のことで精一杯、というのが学生時代。
楽しいこともあるし、いやなこともあるし、絶望することもあるし、考えることや、やることがいっぱいあった。
人間関係で悩み、将来のことを考え、自分とは何者なのかということを考えた。

ところが、最近はそんなに学生時代が忙しくないらしい。
だから、「何学部に行って、何になりたいのか」などということを考えさせられている。
そうすれば、目的意識ができて、やる気になる、というリクツ。

高校3年生の多くはラーメン屋やファミレス、コンビニ等でバイトをしている。
そんな暇があるのなら、もっと高校時代にやるべきことがあるのではないか。

残念ながら、今の高校の先生はそんなことは考えないらしい。
金科玉条のように掲げている、文部科学省の指導要領にはそんなことは書いてないのだろうか。
書いてないから、考えなくていいのだろうか。

金さえあれば、何でも好きなものが手に入り、好きなことができる…。
先生も内心そう思っているのだろう。
だから、バイトをすることが容認される。

それでは、ものを考えないし、突き当たるべき壁にも突き当たらない。
青春時代は悩み多きもの、というのは過去の話。
どう生きればいいかとか、何をなすべきか、という悩みを悩むことができない。

それもこれも、「目の前のことで精一杯」という状況を作っていないからだろう。

小人閑居して不善を為す。

学生時代が暇であってはいけない。

「自分は何者なのか」「どう生きるべきか」について考えたことがない者は、「何をやりたいか」ということなどわからない。


| | 考えたこと | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
iOS6の地図
アップルにスティーブジョブズがいれば、こんなことにはならなかったのではないか。

最新のiOS6の地図ソフトがあまりよくないらしい。
完璧主義のジョブズがいたら、妥協はしなかっただろう。

新しいCEOが地図ソフトの状況を知らないはずがない。
出したとたん、いろいろと苦情が出ているらしい。
会社の場所が違ったり、同じところが2つあったり、かなり品質が悪い。

まあ、それでも別にユーザーは困らない。
ブラウザにグーグルマップをブックマークすればいいだけだ。
おそらく、アップルの社内でもそういう結論になったのだろう。
だから、不完全な商品でも出したのだと思う。

アップルの客は基本的にアップルファンだ。
忠誠心が高い。
MacもiPhoneもiPadも、買うのはアップルだから。
同じような商品をほかの会社が出しても、ほとんど動かない。
でも、アップルが出せば、喜んで買う。
そういう「よい顧客」を持っている。

でも、それに甘えていては、だめだと思う。
特にジョブズが亡くなってから最初の製品だ。
ジョブズのやり方を踏襲すべきだったろう。

きっとあせりがあるのだろう。
ジョブズが亡くなっても、アップルは大丈夫…。

そのあせりが信頼を失わせる結果にならなければいいが…。


| | 考えたこと | 20:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
何を言っているのかわからない
若いタレントたちが出ているドラマの台詞が聞き取りにくい。

正直、何を言っているのかわからない。
声は聞こえるのだが、クチャクチャクチャという音になる。

ところが、海外ドラマの吹き替えは聞こえる。
アニメも聞こえる。
要はプロの台詞は聞こえるのだ。

小さな声でも、滑舌がよければ聞こえる。
大きな声でも、滑舌が悪ければ聞きとれない。

テレビドラマに出るのに、そういう訓練はしないのだろうか。

今や日本の芸能界では、プロとアマの差はほとんどなくなった。
それはアマがプロ並みになったのではない。
プロがアマ並になったのだろう。

今は功成り名遂げて、舞台でもちゃんとできるという俳優がテレビドラマに出るという時代ではない。
とりあえず、バラエティによく出て人気も出たから、ドラマでも出るか、という感じだ。
だから、プロとしての道を歩んでいない。
単なるバラエティの賑やかしが、いきなりドラマで台詞を話す。
クチャクチャクチャという台詞になっても、許す。
演出や監督も慣れっこになっている。
どんどん広告が減って、予算はないし、自分たちの給料は下げられないし、下請け孫請けでやっているから仕方がない。

今や若い人はテレビを見ない時代。

ニコニコ動画やYoutubeを見て過ごす。

テレビというメディアも先が見えてきた。


| | 考えたこと | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
小6 小数が苦手
こないだ、読売新聞の記事に、「小6 小数が苦手」という記事が出た。

それによると、小学校6年生の半数近くが、小学校5年までに学ぶ「少数のかけ算・割り算」の意味を理解していないとみられる、ということだ。

2007年度から2010年度までの4回のテストの結果を比較調査してわかったとのこと。

問題はこういうやつ。

下にあげた4つの式で、□は0でない同じ数を表しています。
計算の答えが□の表す数より大きくなるものを、下の?から?までの中から全て選んで、その番号を書き入れましょう。

? □X1.2
? □X0.7
? □÷1.3
? □÷0.8

この問題の正答率が45.3%だった、ということらしい。

答えは?と?だが、問題の書き方がややこしいのは事実。
意味がよくわからない、ということで、間違えた小学生もいるのではないか。

でも、算数をやる、ということは、こういう抽象的な問題を考えるためだ。
世の中のどこにも、1はない。
もちろん、2も3もない。
数字は頭の中にあるだけだ。
算数、数学というのは、頭の中だけで作られた学問。
それをがりがりやる意味は、抽象的な考えを身につけること。

実際、この問題が半分以下の正答率、というのは驚異的な数字ではないか。

しかし、文科省はもっと大事なことを忘れている。
小学校6年でわからなかった¥この計算を、大学までわからずに、中学も、高校も卒業する生徒がいる、ということだ。

もちろん、小学校で計算ドリルをアホほどやらせて、身につけることは大事。
しかし、そこでも落ちこぼれた生徒を中学、高校で救うという事も考えなくてはいけない。

算数ができない、ということは、抽象化ができない、ということであり、それは手に触れるもの以外の意味はわからない、ということに通じる。
たとえば、世界平和とか、天下国家とか、税と社会保障の一体改革とか…。
大学で扱う、ほとんどのものは答えのない抽象的な問題。
それを考えられる尺度というのは、もちろん国語力もあるが、算数も寄与していると思う。

結局、そのツケを大学が払わされているのだと思う。

今、全国の大学で、この問題をテストしたら、どうなるのだろう。



| | 考えたこと | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
ABC予想
京大の望月教授という人がABC予想という問題の解決をした可能性がある、ということらしい。

ABC予想という言葉すら知らなかったが、これが解決すると、フェルマーの最終定理も証明できるらしい。(もう証明されているが…)

望月教授はプリンストン大の数学科を19歳で卒業!して、23歳!でプリンストンの数学博士を取って、32歳で京大の数理解析研究所の教授に就任した、とのこと。

アメリカの大学は19歳でも卒業できるのか。
そして、23歳で博士になれるのか。
よっぽどスゴイ天才なのだろう。
よく日本に帰ってきてくれたことだ。

ニュースから引用すると、「ABC予想は1985年に欧州の数学者らによって提唱された。AとBの2つの整数とこれらを足してできる新たな整数Cを考え、それぞれの素因数について成り立つ関係を分析した理論で、整数の方程式の解析では「最も重要な未解決の問題」とも言われる。

英科学誌ネイチャーによると、望月教授はまだほとんどの数学者が理解できていないような新たな数学的手法を開発し、それを駆使して証明を展開している。そのため「論文の正しさを判定する査読に時間がかかるだろう」という。一方で望月教授は過去に優れた実績を残しており、「証明は間違いないのでは」とする数学者のコメントも引用した。

望月教授が開発した手法は将来、この予想以外の整数論の問題を解く強力な道具になるとも期待されている。」ということらしい。

この、「まだほとんどの数学者が理解できていないような新たな数学的手法」というのがすばらしい(と思う)。
果たして、この人の天才を日本の大学が育てられただろうか…、と思うのはぼくだけか。

望月教授のホームページを見たが、何のことやらわからない。
研究テーマは「双曲的代数曲線の数論」ということらしい。

ABC予想という簡単そうな名前に対して、「双曲的代数曲線の数論」という言葉が対応する。
ホームページには宇宙際幾何学者と書いてあった。
この宇宙際、というのは英語では「Inter-universal」と訳されていた。

こういうことをわかりやすく説明するのは至難の業だ。
もともと、難しいことをやっているのだから、簡単に言え、と言われてもできないだろう。

でも、早くそういうことができる数学ライターが現れて、高校程度の数学の知識があればわかるように説明してくれないか…。

それがわかったから、どうというものではない。
でも、それがわからなかったら、少し寂しい。

何年かかけて、正しいと証明されたら、そんな本を誰か出してくれないか…。


| | 考えたこと | 00:14 | comments(1) | trackbacks(0) |
Webでできること
ぼくがインターネットに最初に接続したのが、1980年代。
当時は個人でインターネット接続をする、というのが珍しかった時代。

会社ではまだコンピューターをつないで、みんなでファイル共有したり、グループウェアを使ったり、会議室の予約をしたり、そんなことはやっていなかったと思う。
パソコンといえば、単独でワープロを使うものだった。
今からは想像もできないが、そんな時代があったのだ。
したがって、ワープロ専用機、というものがあった。
文豪とか、書院とかいう名前で結構売れていたと思う。

しかし、今はWebの世界で何でもできてしまう。
メールに始まって、今や生鮮食料品以外、買えないものはほとんどない通信販売、新幹線や飛行機の予約、宿の予約、コンサートなどのチケット予約、銀行の決済や振り込み、フェイスブックやミクシーなどを使った友達との交流や情報収集、ブログなどの発信、役所の資料などの閲覧、図書館の本の検索や配達、楽曲のダウンロード、写真の共有、ピザの宅配など…。
極端な話、クレジットカードとWebにつながったパソコンがあれば、家から出なくても生活できる。
おまけに、これから投票や医者の診断などもできるようになってくるし、本も電子化される。
行きたいところを探すこともできるし、スマートフォンがあればナビもできる。
冷静に考えれば、ぼくらが小さい頃に夢見た未来を超えているのではないか。

それも、サービス自体はほとんど無料だ。
テレビやラジオ、新聞などに回っていた広告費がそれらを支えている。

グーグルのアプリを使えば、めーるだけでなく、だれかとカレンダーで予定を共有することも、ドキュメントを作ってそれを共同で校正して閲覧することも、プレゼンを行うことも、全て無料でできる。

生産側の立場で言えば、誰がいつどんな製品を買ったか、という情報を(プライバシーの問題はあるが)得ることができる。
これがわかれば、広告の概念が変わる。
みんなに宣伝する必要はない。
その人に宣伝すれば充分だ。
無料のメールを使えばよい。
もう、そんな時代が来ている。

工場の中の機械もネットワークにつながって、メンテナンスが必要なら、勝手に機械が呼ぶこともできる。
何をいつ、どれだけ作る、という情報を入れれば、それを制御することもできるだろう。
逆に、どの製品がどれだけできたか、ということを離れたところでもオンラインでわかるようになる。
また、CGを使えば、製品ができる前にカタログだってできる。
リードタイムの短縮やムダの排除なども、以前に比べると簡単だ。

つまり、消費活動にも、生産活動にも、Webは使われるようになり、劇的に生産性を上げることができるということだ。
便利になった、と手放しで喜んではおれない。

余った人間はどうなるのだろうか。

それが、高度情報化社会の人材育成というテーマになる。
でも、そんなことを小学校や中学校、高校では全くしていない。
教育には変えてはいけない部分があるのは承知しているが、変えないといけないところは変えないといけないだろう。
どちらかというと、そんな事を全く考えていないのが、学校関係者。

IT化、IT化と言ってきたが、今まではゆっくりした流れだったと思う。
でも、それは指数関数の最初の部分。
インフラが整ったら、爆発的に進む。
どれだけの先生がそんなことを理解しているだろうか。
これだけ社会の変化が激しいのに、先生は旧態依然としている。

子どもの小学校の先生の顔を思い浮かべてみてほしい。

これでいいのか…。



| | 考えたこと | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
ペットボトルのお茶
知らない間にお茶の種類が増えた。

もともと、たくさんあるものなのだろうが、ここで言っているのは清涼飲料水としてのお茶だ。
何せ、自動販売機でお茶が売れる時代。

昔はお茶は買うものではなく入れるものだった。
わざわざお金を出して買うものになるとは…。

コカコーラが出たときは、これこそお金を出して買うものだった。
アメリカの飲み物。
炭酸が入っていて、衝撃的な味だった。

それに比べて、お茶はお茶だ。
いつも飲んでいる味。
最初に出たのは何だったか…。

どうも1996年に「おーいお茶」を伊藤園が出したのが最初らしい。
それから出るわ出るわ…。

現在のブランドを調べてみると、お〜いお茶、胡麻麦茶、サントリー 黒烏龍茶、伊藤園 カテキン緑茶、ヘルシア五穀めぐみ茶、爽健美茶、伊右衛門、サントリー ウーロン茶、蕃爽麗茶、十六茶、ヘルシア緑茶、綾鷹、ポッカ やすらぎ気分のコーン茶、茶の間、あなたのお茶、匠屋 緑茶、神戸茶房、健康ミネラルむぎ茶、サントリー やさしいウーロン茶、葉の茶、太陽のマテ茶、日田天領水 食物繊維入りのお茶、キリン 生茶、POM / ポン 日本のお茶、アイリスオーヤマ とうもろこしのひげ茶、2つの働き カテキンジャスミン茶、六条麦茶、とうもろこしのひげ茶、キリン 香ばし麦茶、伊藤園 韃靼そば茶、健茶王、京都宇治 辻利、伊藤園 ウーロン茶、食後の品格、神戸居留地、信州安曇野の水、森永 やすらぎ茶房、茶流彩彩 さんぴん茶、天然ミネラルむぎ茶、天然美香ジャスミン茶、天地人、杜仲源茶、美山名水、宝積 グァバ茶、宝積 杜仲茶、豊年 有機栽培緑茶100% お茶、北海道とうきび茶、霧の紅茶、明治 お茶一献、明治 お茶一番、明治 深蒸し茶、京都宇治抹茶入り緑茶、極烏(ごくう)、恵比寿茶房、恵比寿茶房 玉露入りお茶、比寿茶房 玉露入りお茶 濃い旨み、香ばしいそば茶、香りとコクの抹茶ラテ、香檳(しゃんぴん)烏龍茶、黒豆玄米茶、黒豆黒茶、黒豆入り発芽玄米茶、旨み緑茶、脂さっぱり 息すっきり、元気っち!、小林製薬の杜仲茶、純 発酵ウコン茶、匠屋、世界のKitchenから、赤ちゃんの十六茶、素材活力、一(はじめ)、烏龍茶です、燕龍茶 レベルケア、海東銘茶 有機烏龍茶、丸宗、京・丹波の黒豆茶、伊藤園 カフェイン少なめ ほうじ茶、伊藤園 黒豆むぎ茶、ポッカ 烏龍茶、ポッカ 静岡茶、ホワイトノーブル、マルサン とうもろこしのひげ茶、マルサン 緑茶、もてなしの紅茶、ユウキ とうもろこしのひげ茶、茜茶、ハイピース 世界各国のお茶、ハイピース 北陸のお茶、ハイピース 有機飲料、ハウス 健康茶、ビーンスターク、フェリーチェ、フラバン茶、プリオ / PRIO、ベビーのじかん、サントリー 烏龍妃茶、サントリー 烏龍涼茶、サントリー まろやか緑茶、ホーマー / HOMER、ポッカ ほうじ茶ラテ、スターナイン 緑茶、チェリオ 烏龍茶、チェリオ 有機栽培茶葉使用のお茶、チェリオ 有機緑茶、チェリオ 緑茶 玉露入り、つやひめげんまいちゃ、デーリィ、煌(ファン) 烏龍茶、聘珍茶寮(へいちんさりょう)、大山みどり、大象 とうもろこし ひげ茶、大和園 香り茶、陽気なマテ茶、龍泉洞のじっ茶ばっ茶、龍泉洞の烏龍茶、龍泉洞の緑茶、緑の効茶 杜仲、霊芝烏龍茶、日田天領水のお茶、濃い杜仲茶、2つの働き カテキン烏龍茶、MEGMILK 石臼挽きの抹茶ラテ、アイリスオーヤマ 桑の葉茶、アサヒ 一級茶葉 烏龍茶、あずき美人茶、アイリスオーヤマ 100%プーアル茶、POM / ポン 烏龍茶、あなたのブレンド茶、あなたの烏龍茶、あなたの濃いお茶、あなたの濃い烏龍茶、あなたの麦茶、エルビー 烏龍茶、エルビー 奥美濃白川産 緑茶、からだ巡茶、キリン エコシリーズ、キリン からだ想い茶、キリン 烏龍茶、サーフビバレッジ とうもろこし ひげ茶、サッポロ 烏龍茶、サンガリア 氷晶、グルコケア 緑茶、こどもブレンド十六茶、これお茶、これ烏龍茶、オアシス ダッタンそば茶、オアシス 黒豆茶、おいしいお茶 玉露100%、おいしいお茶 玉露入り、おいしい烏龍茶、おいしい麦茶、オーサワジャパン 有機ほうじ茶、オーサワジャパン 有機緑茶、オムコ東日本 燕龍茶(ヤンロン茶)、お茶です、お肉を食べたらマテ茶、カゴメ 烏龍茶…。

こんなにある。

もともと日本人はお茶好きだから、こんなに増えたのか。
それとも、作るのが簡単だから、こんなに増えたのか。

ウーロン茶だけでも、相当な種類がある。
とうもろこしのひげ茶というのもある。

こんなに増えてどうするのか、という気もするが、お茶の国日本の面目躍如だ。


| | 考えたこと | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
Low & Order
法と秩序、という意味。

このorderは本来命令、という意味。
法とそれに基づく命令だから、秩序、という意味になるのだろう。

同名のテレビドラマが20年間アメリカで製作された。

これは、アメリカの法と秩序を保つためのシステムを描いた番組。
平たく言うと、警察と検事局が主人公となる。

犯罪が起こったとき、それを取り締まるのが警察の役割。
そして、それを法にしたがって、罪に問うのが検察の役割。
それを判断するのが裁判所の陪審員。
アメリカの法システムについて知るためには、この番組を見ればよい。

警察に引っ張られたら、弁護士を呼ぶ権利がある。
検察官は容疑者と取引をすることができる。
取引に応じて証言をすれば、罪が軽減される場合がある。

そんなことをこのドラマを通してアメリカ人は学んでいた。

日本では警察のドラマは多いが、検察が出てくるドラマは少ない。
出てきても、警察と検察の関係はあまりはっきりしない。

このドラマの冒頭のナレーションは、「刑事法体系には等しく重要な二つの独立した組織がある。犯罪を捜査する警察、そして容疑者を起訴する検察。これは彼らの物語だ。」というもの。

「一般市民が陪審員をやる」という制度が、いきわたっていることも影響しているのだろう。

1時間のドラマで、前半が警察、後半が検察という進行。
パターンは決まっている。
たいがい有罪になるが、時には負けることもある。

日本でもこういうのをやればいいと思う。

フィクションだが、制度は現実に近い。

そんな風にして、市民を教育しているのだ。

それが民主主義を機能させるのだと思う。

あのバラエティばかりのテレビ番組では、アホになってしまうぞ。



| | 考えたこと | 21:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
安倍元総理
安倍晋三といえば、2006年9月から2007年9月まで総理をした男。

2007年の9月に突然辞任を宣言した。
いろいろと閣僚のスキャンダルもあり、もういやになった、という感じだった。
やっぱり二代目はひ弱やなあ、という印象。

所信表明演説で「職責を全うする」と言った、2日後に辞めた。
一国の総理としては、あまりに無責任。
辞任にもそのタイミングがある。

国会議員も辞めるのかと思ったら、とどまっている。
それどころか、次の総裁選に出るときた。
だれか諫める人はいないのか。

常識で考えたら、もう二度と出馬はない。
国会議員も辞めるべきだろう。
CNNに「プレッシャーに耐えきれなかった」と書かれている。

厚顔無恥と言うしかない。
周りの連中もいい加減だ。

国民のレベル以上の宰相は持てないというが、本当に厳しい。

維新の会もどうなるかわからないし。

困ったものだ。



| | 考えたこと | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャプテン・アメリカ
しばらく前から、アメリカン・コミックス(アメコミ)のヒーローの一人として、映画化されたりしていたが、このいかにもアメリカ、アメリカしているヒーローとは何なのか、調べてみた。

このヒーロー、Wikipediaによると「ナチスの脅威に対抗するために米国で秘密裏に遂行された超人兵士製造計画「スーパーソルジャー計画」により誕生」「キャプテン・アメリカはなんら超人的な能力を持っていないが、超人兵士血清の効果で、貧弱な青年から、発達し調整された人間の「完璧」なる見本に変貌を遂げた。」とある。

第二次大戦が舞台で登場した。
ナチスに対抗するため、という。
星条旗をデザインした服を着て、盾を持っている。
盾の真ん中には、星のマークが書いてある。
この盾は地球上にこれだけしかないという金属でできている。

飛び道具も持たない、空を飛ぶこともできない。
ただ、人間自体が血清のおかげで強くなった。

そんな設定のヒーロー。

今日WOWWOWでやっていた映画を途中から見たが、アメリカらしい映画だった。

ナチスが悪者ということになっているが、今やドイツは同盟国なので、架空のヒドラ(ヒットラーに音が似ている)という組織を作って、そこにレッド・スカルという悪役を設定している。

一時の日活の無国籍映画みたいな感じ。
なんだかよくわからないが、ケッタイな映画になっている。

こういう映画が作られるのは、アメリカの調子が悪いとき。

映画自体はおもしろいのだが…。

しかし、人間味あふれるキャラクターではある。


| | 考えたこと | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
デミング博士
朝のドラマを見ていると、青森からの集団就職の学生が出てくる。
昭和30年代〜40年代のことだ。
彼らは、田舎では食えないから、口減らしのために家を出て、就職した。
上野の駅で、はい、おまえはこっち、おまえはあそこ、というような周旋屋がいたらしい。
そんなふうに、将来を決められた若者がいた。
何割の集団就職者が定着したのだろうか。

でも、実際そんなふうにして、職を得た人たちが、昭和40年代〜50年代に日本の高度成長を支えてきた。
立派だと思う。
日本の産業は、品質保証がすごかった。
トヨタやホンダの車は、とにかく故障しないというのが売りだった。
広いアメリカ大陸でエンストしたら、死ぬこともある。
だから、故障をしてはいけない。

それを支えていたのは、そういう現場の人たち。
QC(クオリティ・コントロール)の7つ道具を使って、品質を管理する、QCサークルというような工場内の組織ができた。
その当時の現場の人たちは、暗算もでき、統計も理解し、平均や分散という概念も理解して、品質を管理することができた。
職場から次々とQCの講習会に出席し、そういう知識を身につけたメンバーが増え、そして現場で創意工夫提案活動をして、どんどんラインを改善した。

デミング博士、という人がいる。
Wikipediaによると、「第二次世界大戦時にアメリカの生産性向上に尽力したが、それよりも日本で行った業績でよく知られている。彼は1950年から日本の企業経営者に、設計/製品品質/製品検査/販売などを強化する方法を伝授していった。彼が伝授した方法は、分散分析や仮説検定といった統計学的手法の応用などである。デミングは、日本がイノベーティブな高品質製品を製造し経済力を高めるのに多大な貢献をした。日本の製造業やビジネスに最も影響を与えた外国人であった。このため、日本では以前から英雄的な捉え方をされていたが、アメリカでの認知は彼が死去したころやっと広まり始めたところであった。」「日本の製造業者はデミングの技法を広く適用し、これまでにない品質と生産性の向上を達成した。品質向上とそれに伴うコスト削減により、日本製品が世界を席捲することとなった。1950年の講演は本としても発売されたが、デミングはその印税の受け取りを辞退した。そこで日科技連はデミングの友情と業績を永く記念するため、その印税を基金とし、デミング賞を創設した。」とある。

本国よりも日本で有名な人だったらしい。
日本の恩人と言っても過言ではない。
歴代のデミング賞の受賞をみると、そうそうたる企業が並んでいる。(最近は海外ばかりだが…)

デミング博士を有名にしたのは、日本企業の躍進だった。
ぼくのいた会社でも、そういう人たちがいた。
現場の力だ。

そしてついに本国でも有名になった。

こういうのを見ていると、科学技術に国境はない、ということがよくわかる。

そういう歴史を知っている人がだんだん減ってきた。

| | 考えたこと | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョブズの亡霊
巷ではiPhone5の記事でいっぱいである。

肯定的な記事もあるだろうし、否定的な記事もあるだろう。

しかし、Webで見ているだけでは、インパクトが少ない。
画面が縦にちょっと長くなっただけ、という感じ。
アイコンが並ぶ姿は相変わらずだし、ディスプレイが高解像度になったといっても、元々の画面が小さいのであまり関係ないし、処理が早くなったといってもキャリア(auやソフトバンクなど)の状況によって変化するだろうし、取り立ててびっくりするような変化はない。
相変わらず、四角いスタイル。

12日に発表しているところを見た。
新しいCEOが出てきて、説明しているが、どうもピンとこない。

ジョブズと同じような格好で出てくるから、よけいにダメなのではないか。

この際、ジョブズの路線は離れた方がいい。
同じ路線で勝てるわけがない。
何せ相手はもうこの世のものではないし、あの世の亡霊と戦っても負けるだけだ。
完全に成功者、というレッテルがジョブズには貼られている。
それに比べて、どうしても見劣りする。

ジョブズが生きていたら、今回の製品を出しただろうか。
そういう疑問がわき起こる。

どうしても、見ている方は「ジョブズなら…」という意識が取れない。

ジョブズなら、アンドロイド陣営を見て、ストップをかけていたのではないか。
ジョブズなら、この製品の良さをもっとアピールできたのではないか。
ジョブズなら、もっと他の製品との連携を宣伝したのではないか。
ジョブズなら…

スティーブ・ジョブズは天才だった。

その天才と比較されるのが今のCEO。
同じようなスタイルではダメだ。
ジョブズを想像させないような、そんなスタイルで出てこないと、苦しいのではないか。

エディ・マーフィーと一緒に出てきて、コントをするとか。
スーツ姿でばっちり決めて出てくるとか。
出てこない、という手もある。何もCEOがプレゼンしないといけない、という法律はない。
アップルの社名をオレンジに変更するとか。
何でもいい。
今のアップルなら、どんなことでもできるはず。

そうでないと、やっぱりジョブズがいないと、アップルはダメだ、という事になってしまう。

ぼくは、以前Macを使っていた。
もう足を洗ったが、そんなパフォーマンスをしないと、アップルはダメだと思う。

| | 考えたこと | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギターポリッシュ
アマゾンで”Smith pro formula polish.”というピンク色の液体を買った。

このポリッシュ、とても具合がいい。
いろいろ使ってきたが、これは汚れは落ちるし、つやも出るし、においはいいし、言うことがない。

なぜこのポリッシュはピンク色をしているのか、成分は何なのか、興味がある。
Webサイトを見ても、「特徴は、天然の素材により塗装を絶対に傷めないことや、抜群の汚れ落ち、及び、艶だし効果などがあり、大切な楽器をいつも新品のような状態に保ちます。 」としか書いていない。
何を混ぜたら、このピンク色になるのか、どうして手垢や汗のあとが簡単にとれて、使用後のつるつる感が出るのか、不思議である。

このSmithというのは、Ken Smith Basses Lt’dの略で、元々はベースの会社。
エレキベースを作っているようだ。

その会社が作っているのが、このピンクの液体。

プラスチックのボトルに入っているが、どうも中身が何でできているかはわからない。
成分は秘密のようだ。

このピンク色がいったいどうしてできるのか…。

魔法の液体と言っていい。


| | 考えたこと | 01:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
ロディック
ロディックというテニスプレイヤーが、今やっている全米オープンで引退した。

アメリカ人の選手であり、当地でファンも多かったのだろう。
最後の試合は負けたが、だいたいはライン際に立つストロークプレイヤーなのに、前に出るというようなプレイもやってみせた。

インタビューを見たが、ロディックは子供の頃母の車でテニスをしにいったことなどを思い出して、涙が出そうになった、と言っていた。

この選手はとにかくサーブが速かった。
日本で言えば松岡修造みたいな選手。
もちろん、ロディックの方がだいぶ上だ。

でも、あと一ひねりがない。
サーブが速いだけではなあ。
もちろん、世界22位だから、かなり強い。

しかし、フェデラーやナダル、ジョコビッチ、マレーなどの一流選手に比べると、ちょっと見劣りする。

これで男子のアメリカのトッププレイヤーはいなくなった。

いずれまた出てくるだろうが、しばらくはヨーロッパ勢が優勢。

ロディックの最後の試合は、観客も涙していたという。

それだけアメリカでは人気があった。

長い間ごくろうさま。


| | 考えたこと | 21:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
病院のIT化
数年前に脳梗塞をやって、それから4ヶ月おきくらいに病院に行っている。
薬をもらうためだが、今日は検査もやった。

脳のMRIと頸動脈のエコー。

便利になった。
終わって10分ほど待てば、先生が呼んでくれて、画像が見られる。
紙などない。現像も要らない。
コンピューターの画面に映る。
管理も要らない。ファイル名をつけて、ハードディスクに入れておくだけ。
デジカメの技術の進歩で、こういうことが可能になった。
さらに、データーベースの技術の進歩で、大量のデーターがあっても、管理できるようになった。
これら医療用のデーターがこんなに簡単に見られるようになったのは、医療用として開発されたものではないからだろう。
みんなが使う商品から、逆に戻っていったのではないか。

昔なら、事務の人が現像を待って、フィルムを持って走ったりしていたはず。
患者もだいぶ待たされたはず。
場合によっては、結果は別の日に、ということもあったはず。
それがIT化ですぐに見られる。
人が持って運ぶことなどしなくていい。
現像の時間も人も要らない。
古い画像を管理する人も要らない。

あらゆるところで、こういうことが起こっている。
これがIT化の現状。

結局、人間が働くところがなくなっていく。

この流れは止められない。

国が規制緩和などをして、新しい産業を興し、雇用を生み出さなくては…。


| | 考えたこと | 00:03 | comments(2) | trackbacks(0) |
学びの真実
海外ドラマを見ていると、時に驚くような表現がある。

「ぼくらは運命の糸で結ばれている」という字幕が出たとき、原語ではどうなっているか。
それが"We are made for each other."。

意訳だが、とてもよくできている訳だ。

We are tied by string of destiny.
これは運命の糸で結ばれている、という意味だと思うが、こんな英語はないだろう。
何となく、格好悪い。

運命の糸で結ばれる、というようなややこしい比喩の場合、たいがい原語は簡単な英語だと思う。
結局意味は簡単なものだからだ。
ぼくらはお互いのために作られている、という表現が、運命の糸で結ばれている、と訳される。

言い得て妙。

こんな発想の違いも、言葉を習う楽しみ。

実際、英語を学ぶということは、言葉というものを知る助けになる。
英語でなくてもよい。
外国語であれば、役に立つ。

外国語を学ぶことは、日本語を知ることになる、というのは直接の目的ではない。
でも、日本語を深く理解するためには、外国語を学ばないといけないと思う。

福沢も漱石も鴎外も外国語が堪能だった。
川端康成は英文科だし、小林秀雄は仏文科だった。
そうだからこそ、日本文学ができたのではないか。

そもそも、外国語を習うのは、読んだり、書いたり、話せるようになるというのが目的なのだろうか。

それはちょっと短絡的すぎると思う。

目的、という言葉は学ぶという言葉にはそぐわない。
世の中は、目的という言葉にあふれている。
何のために、何をするか。
曰く、何かの資格を取るために、何かを学ぶとか、この学部にいけば、これになることができるとか、そんなことは本当はどうでもいい。

本当は学ぶことに目的などない。
学んだ結果をどうするかは本人が決めることだ。

それが真実だと思う。

でも、その真実は学ぶ前にはわからない。

この年になって、それがやっとわかった。


| | 考えたこと | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
マドンナ
マドンナとは、聖母マリアのこと。

でも、マドンナと言えば、「男はつらいよ」である。
主人公の車寅次郎(渥美清)が、次から次へとふられる相手がマドンナ。

シリーズ全部で40人ほどの女優が出ている。
今の時代、本来の女優というような人は数えるほどしかいない。
でも、昭和の時代の女優はあこがれの人だった。

吉永小百合、浅丘ルリ子、十朱幸代、池内淳子、大原麗子、長山藍子、竹下景子、若尾文子、樫山文恵、八千草薫、太地喜和子、いしだあゆみ、樋口可南子、秋吉久美子など、そうそうたる顔ぶれ。

当時の女優は、バラエティ番組などには出ない。
女優気質というものがあった。

監督が脚本を読んで、誰に役を当てるかというときに、その女優がどんな生活をしていて、どんな考えを持っているかという先入観をもたれたら困る。
過去の作品が勝負だろう。

女優はもともと夢を売る商売。
マドンナはあこがれの対象になるが、それは映画の中の話。
彼女らは、ぼくらに夢を与えてくれた。
だから、ごちゃごちゃした私生活は知らせない。
そういうのが女優気質。

そしてこのシリーズのマドンナ役は、その女優のいいところだけを撮っている。
マドンナの一番きれいな場面を閉じ込めた映画だ。

今朝、マドンナの大原麗子を見た。
1978年の作品。32歳のマドンナだ。

ぼくも年をとった。
大原麗子が生きていれば66歳。
残念ながら2009年に亡くなった、昭和の女優。

本当に魅力的な人だった。
あらためて、彼女が孤独死した、というのが信じられない。
でも、ちょっと影のある女優だった。
あの声と、ちょっとアンニュイなところが、本当に人を惹きつけるものがあった。

スクリーンの中の大原麗子は生き生きとして魅力的だった。

その姿を永遠に残したこの作品。

あらためて、映画はすごいと思う。


| | 考えたこと | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
ノンバーバルコミュニケーション
ノンバーバルコミュニケーションというのは、言葉意外のコミュニケーションのこと。
これが結構大事だ、という。

一度書いたが、メラビアンという学者が調べた結果、人が話をしている時の情報は、顔の表情55%、声の質や大きさ、テンポが38%、そして言葉の内容がたった7%ということらしい。
確かに、「これはペンです」という言葉も、にやにや笑って話すと、どうも嘘くさい、ひょっとしたらペンのような何かかと思うし、深刻な顔で言ったら、誰かの遺品かもしれない、と思う。
表情や声によって、伝達される情報は多い。

特に携帯メール世代の人たちは、あの短い言葉の断片みたいなメールでたくさんの事を伝えようとする。
そうなると、絵文字や顔文字が必要になる。
もっと字数を多くすれば書けるのだが、その代わりに絵文字で済ます。

携帯電話が生まれた頃は顔文字が主流だった。
海外のように顔が90度回転しているものもあっただろう。
そのうち、日本の顔文字がでてきた。
たくさんあって、どれがどんな顔だかわからないものもあるが、バリエーションが増えてきた。

さらに、それでは飽き足りなくなって、オリジナルの絵文字ができた。
電話会社、電話機によって、いろいろと違うが、最新のものは絵が動くタイプが増えた。
背伸びしたりかがんだりしているものや、くるくる回っているものなど、いろいろある。

そのうち、絵文字だけで会話ができるようになるかもしれない。

しかし、実際に絵文字が増えたという事実は、それだけ言葉でのコミュニケーションの能力が落ちたということだろう。

これは何離れというのだろうか。

言葉離れとでもいうのか。

もっと言葉を信頼して、意味をすべて伝えるような言葉の使い方をしてほしい。

このごろ、ぼやいてばっかりだが…。



| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
買ったらしまいの時代
消費者の目線の話が続き。

最近は学校に持って行く雑巾までスーパーで売っている時代。

ぼくらが小学校の頃は、母が縫ってくれていた。
みんなの持ってくる雑巾は大きさもまちまちで、縫い方もいろいろあって、面白かった。
昭和40年代は、雑巾は作る時代だった。

でも、いつの間にかあっというものが売り場に並ぶようになった。
息子が幼稚園の時、お絵かき用の汚れてもいい上っ張りを母が作ってくれた。
しかし、そんなものも、もうスーパーに並んでいた。

ビデオが壊れた時、修理に持って行った。
8ミリビデオなど、何度も壊れて、何度も持って行き、しまいにもう修理できません、と言われた。
生産終了後、何年かたち、部品保存期間が過ぎたのだ。

VHSに至っては、修理するより買った方が安い、と言われる始末。
確かに、本体が安くなって、新品が買えてしまう修理代だったが、それでも一度は修理した。
古い方がしっかりしているとわかっていたからだ。
新品のビデオはシンガポール製で、軽い軽い製品だった。

セーターの毛糸もほどくのを手伝った。
小さくなったら、ほどいて編み直しをするためだ。
でも、いつしかそういう景色もなくなった。

そういう時代が1990年代に訪れた。
買ったらしまい、の時代だ。
大量生産、大量消費が礼賛され、自分で作るより買った方が安いという時代。

だから、カップルの間で、手編みのマフラーが珍重されたのだろう。

今はもう休み時間に編んでいる女子もいない。
買った方が早くて安いからだ。

教育ですら、商品になった。
だから、受験に損な世界史は履修しない。
消費者の立場で考えている。
学校の先生まで、そう思ったから、世界史の先生は文句も言わない。
一億総消費者の時代。

便利になったのは間違いない。
何でも早く、安く手に入る。
24時間売っていて、なんでコンビニみたいな狭いところに、自分のほしいものが置いてあるのか、という疑問すら持たない。
それが当たり前だから。

ぼちぼち便利さと引き換えに失ったもののことも考えた方がいい。


| | 考えたこと | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
地動説
ガリレオがひょっとしたら、太陽が止まっていて、地球が動いている、と考えたのは今から400年ほど前。
望遠鏡を使って、天体を観測し、物理学の基礎を作った。

それまでは、人間はそんなことを考えたことがなかったか、それとも太陽が動いていると思っていたのだろう。
だれでも、自分が中心にいて、止まっており、それから回りを考えるというのが自然だ。
だから、地球は止まっている、という考えはまっとうなものだと思う。
ぼくも、もし小学校の理科で、地球が丸くて太陽の回りを回っているということを習わなければ、そんなことは考えもしなかっただろう。

しかし、はじめてそれを唱えたガリレオは偉い。
地球が動いている、ということを言った。
ただ、そのときはニュートンもいないし、万有引力の法則もわからない。
どうも地球は球体であり、それが太陽の回りを回っているらしい、という想像は本当にすごいと思う。

いくら、観測結果がそういうことを示しても、直感的にそれを理解するのは大変なことだ。

おまけに、命がかかることでもある。
教会は天動説であり、それは教義だから、それに反することを吹聴したら教会に対する反逆罪になる。
今と違って、当時の教会は権力のかたまりみたいなものだから、ただでは済まない。
「1616年 第1回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から、以後、地動説を唱えないよう、注意を受ける。」とWikipediaに書いてある。
幸い、ガリレオはこの件で殺されることはなかったが、それでもいろいろと大変な目にあったらしい。

「ガリレオへの刑は無期刑であったが、直後に軟禁に減刑になった。しかし、フィレンツェの自宅への帰宅は認められず、その後一生、監視付きの邸宅に住まわされ、散歩のほかは外に出ることを禁じられた。すべての役職は判決と同時に剥奪された。『天文対話』は禁書目録に載せられ、1822年まで撤回されなかった。
死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者のトスカーナ大公は、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、正式な許可に基づく埋葬は1737年3月12日にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で行われた。」

こういう勇気のある科学者がいたから、ぼくらは無邪気に地動説を信じていられる。

ガリレオの裁判は2回行われたが、そのとき自ら地動説は放棄する、ということを宣言させられたらしい。しかし、その宣言のあと、「それでも地球は動く」と言ったとか…。

天才はぼくら凡人がどう転んでも考えつかないことを考える。
そういう人たちがたくさんいて、はじめて今の科学技術がある。

今小学校で「理科離れ」ということが起こっているらしいが、残念なことだ。

以前、長男の同級生に、地球が回っている、という事を知らない子がいたらしい。
その後どうなったのかはわからないが、本当にもったいないと思う。

この宇宙がどうなっているのか。

そういうことに興味を持たずに生きていくのは、面白くないだろう。

ガリレオが墓の中で、「それでも地球は動く」、と言っているぞ。


| | 考えたこと | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
罪の意識
またまたCNNの話題が続く。

こないだ久しぶりにCNNのサイトを見ていたら、面白い記事に当たってしまったので、悪しからず。

スタンフォード大学のベッキー・ショームバーグという人が「日常生活の中で罪の意識を持ちやすい人は、良いリーダーになる素質がある」との研究結果を報告したらしい。

へー、とびっくりした。
日本でリーダーシップというと、統率力とか、信頼感というようなキーワードが出てくる。
「罪の意識」というのは、ちょっと意外。
それがある方が、リーダーシップを発揮する、ということらしい。

続いてこう書かれている。

「罪と恥は似ているようだが、心理学的にはまったく別の概念とされる。「恥の意識は問題を回避したり他人を責めたりする姿勢、罪の意識は問題に立ち向かったり自ら責任を取ったりする姿勢につながる」と、ショームバーグ氏は説明する。」

なるほど。
そう言われれば、日本は「恥の文化」であり、西洋は「罪の文化」と言われている。
恥対罪では、罪が勝つという図式。(もちろん、そんなに単純なものではない)
確かに、恥は相対的なものであり、罪は絶対的なものかもしれない。
なぜなら、日本には絶対的な尺度などないが、西洋には神がいるから、絶対的な尺度がある。

「グループ活動で会話をリードしたり、課題への取り組みを主導したりする力を相互評価した結果と、性格テストの結果を照らし合わせたところ、罪の意識を持ちやすいグループはリーダーとして行動する傾向が強いことが分かったという。」

そういうこともあるかもしれない。
日米の政治家をみていると、よくわかる。
日本の総理大臣は、どうもリーダーシップがあるとは思えない。
オバマ大統領は(本当はよくわからないが)、日本の歴代総理よりはマシだろう。

これは文化の違いなのだ。
日本は「恥の文化」であり、アメリカは「罪の文化」。
野田総理が悪いのではない。
恥の文化が悪いのだろう。

「罪の意識を持ちやすい人は、周囲の人々や組織への責任感が強く、会社から課される責務を明確に意識し、全体の利益を優先する傾向がある。時には相応以上の課題を背負い込んでしまうこともあるが、同氏らが行った別の研究では、ストレスを抱えにくく、所属する組織への愛着も強いとの結果が出ているという。」

なるほど。
責任感が強いというのは、当たっているかもしれないなあ。
ただ、何に対する罪の意識かというのがわからない。
やっぱりアダムとイブまでさかのぼる「罪」の意識なのだろうか。
とにかく、罪は絶対値だというのが強い。
だからこそ、「会社から課される責務を明確に意識」することができるのだろう。
恥はこういう時に弱い。
とりあえず、対面が繕えればそれでOKだ。
あとはどうでもよい。

ここまで来ると、太刀打ちできない。

日本には議会制民主主義は似合っていないのかもしれない。

だから、どうしたらいいのかはわからないが…。



| | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
食料高騰
今日もまたCNNのニュースの話題。

「7月の世界の食料価格は前月から10%上昇し、中でもトウモロコシや大豆などの穀物価格は25%も上昇し、過去最高を記録したことが世界銀行の最新の報告書で明らかになった。」とのこと。

人口が70億人を超えて、その人達が食べようとすると食料の値段が上がる。
需要と供給の法則だ。
先進国では食料を無駄遣いしているから、よけいに大変だ。
日本でもコンビニの弁当や惣菜で、期限が切れて捨てられているものがたくさんある。

そして、「世界最貧国の一部で食料価格の国内価格が急騰しており、アフリカのモザンビークでは直近の四半期にトウモロコシ価格が113%上昇し、南スーダンでもソルガムの価格が220%も上昇したという。」という記事だった。

ぼくらの飽食が直接関係があるわけではないが、回りまわってアフリカの国の食糧費が倍以上に上がっている。

宇宙船地球号の定員は何人くらいなのだろう。

Wikipediaによると、世界の人口が10億人になったのが1802年。20億人は1927年、30億人は1961年、40億人は1971年、50億人は1987年、60億人は1998年、そして70億人は2011年ということになっていた。

この増え方はすごい。10億人から10億人増えるのに、125年かかっているが、そこから10億人ずつ増える期間は、34年、10年、16年、11年、13年となっていて、30億人を超えてからは約10年ちょっとで10億人増えている。

世界が豊かになり、人々が健康になり、そして食べ物や水が足りていれば、どんどん人口は増える。
しかし、ずっとこのペースで増え続けるわけにはいかない。
もうその兆候は出ている。
それが食料の高騰だ。
足りなくなってきたぞ、ということになる。

世界にどれだけの食料の余裕があるのか、わからない。
でも、飢餓のリスクはどんどん増えている。

これからは農業の時代だ。


| | 考えたこと | 00:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
オフィス犬
ロンドンの職場にはオフィス犬がいるらしい。

職場の士気が上がったり、ストレスが軽減するという効果があるという。

CNNによると、「ロンドンのある建築事務所には、ジャック・ラッセル・テリアの「タイガー」がいる。「ストレスの大きいこの仕事に、犬が癒やしをもたらしてくれる」と事務所長。気難しい業者との電話の後でタイガーに話し掛ければ、気持ちが和む。打ち合わせに訪れる顧客は話をしながらタイガーをなで、靴の上で眠るタイガーにほほ笑む。中にはえさを持参する顧客もいる。」とのこと。

西洋人は本当に犬が好きだ。
どこにでも連れていくし、しつけもしっかりしている。
家族の一員として扱い、犬もそう考えていると思う。

みんながみんなそうではないが…。
一方で、パリの街角は犬のフンだらけということも言われていた。

しかし、西洋では人と犬の距離は近い。
最近は日本でもそういう家庭が増えてきた。
でも、さすがにオフィスで飼うというのはまだまだないだろう。

ストレスがたまる会話のあとで、犬に話しかける、というのはわかる。
犬は文句も言わずに聞いてくれている(だろう)。
犬といると癒される、というのもわかる。
なぜ癒されるのか、というと、やっぱり言葉を発しないからだろう。
何があっても、文句は言わない。
そして、よく訓練された犬なら、従順に従う。

小さな会社なら、犬もありかもしれない。
オフィス犬の日本版だ。
もしも事務所で犬を飼ってもいい、ということなら…。
なかなか日本の貸事務所なら、動物はダメだろう。
自社の事務所ならOK。
しかし、小さなところなら、借りているところが多い。

だから、まだまだオフィス犬は日本では難しい。
そのうえ、前にも書いたが、日本人はまじめだ。
ユーモアとかリラックスの重要性とか、そういうことはまだ足りない。
ぼくはオフィス犬に賛成するが…。

しかし、ネコはどうなんだろうか。
オフィスキャットだ。
これは、ネコは身が軽すぎるし、人見知りもするし、話しかけても知らんふりをするし、難しいかもしれない。

犬は組織で動くが、ネコは家族だけだ。

ぼくはネコが好きなのだが…。




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小学校
「分数ができない大学生」という本が出たのは、調べてみると1999年。

当時は会社勤めをしながら、ほんまかいな、と思った。

アマゾンで商品の内容の欄を見ると、「信じられないでしょうが、大学生の10人のうち2人は小学生の算数ができません。基礎科目全体の学力の低下を指摘し、わが国の教育を蝕んでいる問題の一つ一つについて明確にしようとする試み。」と書かれている。
残念ながら新品は入手できない。

だが、ちくま文庫で「新板 分数ができない大学生」が出ている。
これには「小数や分数の計算にも四苦八苦する大学生たち―「ゆとり教育」に警鐘を鳴らし、学力低下論争の口火を切った話題の書。その後の教育論議に大きな影響を及ぼし、「ゆとり」是正の先鞭をつけることとなった。あれから10年、学力低下問題の解決に程遠い現状を目の前にして、本書の問題提起は、いまだ色あせていない。」と書かれている。

確かに、日本の学生の算数のレベルは落ちているように思う。

ぼくらが小学校の時は、先生が「アメリカ人は暗算が苦手で、お釣りの計算の引き算ができない。だから、商品の値段に足す形で計算するんや」と習った。
当時のアメリカのドラマをみていると、商品は7ドルで、「8,9,10」と言いながら、3ドルのお釣りを返すような場面をよく見た。
それで、ぼくらは無邪気にも、日本人は計算が得意だ、などと思ったものだ。

また、折にふれて先生が、「日本には資源もないし、お金もない。人しかいない。」というような事を言っていた。

きっと当時の小学校の先生は、敗戦後の実体験があって、本気でそう思っていたのだろう。
その先生方は昭和ヒトケタの生まれだった。

それから高度成長が始まり、名実ともに日本は大国になった。
ソニー、ホンダなどのブランドが世界のブランドになり、Made in Japanは信頼のブランドになった。

バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画で、タイムマシンで戻った過去ではMade in Japanの製品はダメだ、と言っていたのが、現代ではMade in Japanだから大丈夫、という意味の会話があった。
20年ほどでそれだけの変化を遂げたということだ。

その変化に立ち会えたぼくらは、幸せな世代だったと思う。

しかし、それから数十年。
その高度成長を体験したぼくらの世代が先生になり、育てた学生が計算できなくなった。
教えていないのではない。
教えているのに、その十年後には計算ができなくなっている。
きっとその時はできたのだろう。
こないだ、そういう話をしていたら、「そらそうやなあ。小学校でちゃんと教えんとなあ。すべての基礎やからなあ。」ということになった。

当たり前の話だが、そういうことだ。

文科省は10年間何もしなかった。
だから、悪化する一方だ。

「人しかいない」国がこの状況。

これでいいわけがない…。





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