考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< October 2005 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
初めての体験
以前ここに書いたお店で、生まれて初めて足の裏のマッサージのコースを体験した。(お店はここです→ http://www.tc-body.com/ )

これはすごい体験だった。

まず、スチームで足を5分ほど温める。
これがまず気持ちがいい。

それから、ベッドに寝て、足のマッサージをしてもらう。

ローションを塗って、足の裏のツボを押していくが、気持ちいいところ、痛いけど気持ちいいところ、痛いところがある。
今日は土踏まずの内側がすごく痛かった。
後で聞いたら、胃腸のツボとのこと。
弱っているところは、痛いらしい。胃腸が弱っているのか・・・。
しかし、痛いところも、後でその部分が楽になったような気がする。

左足から始めて、足の指からかかとまで、順に押してもらう。
両足とも終わった後は、すごく足が軽くなる。

今まで長い間、足の裏は、自分の身体でありながら、借り物みたいになっていたのが、自分の身体に戻ったような感覚だった。

小さい頃は裸足で土の上を歩いたりして、足の裏にもそれなりの刺激があって、それが人間として自然の状態だったんだろうが、大人になるにつれて、靴下をはいて、靴をはいて、足の裏は自然から離れた状態でいたんだろう。
それが、ツボを押してもらうことで、自然の状態になった気がする。

足の裏が柔らかくなって、生き返ったみたいだ。

初めての体験だったが、これは良かった。

お疲れの方、お勧めします。

| | 考えたこと | 22:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
男はつらいよ 寅次郎相合い傘
こないだ、BSで「寅次郎相合い傘」という1975年の作品をやっていた。
浅丘ルリ子が「リリー」という売れない歌手の役で2度目に出た作品。

「男はつらいよ」シリーズは大好きで、全部ビデオを借りて見た。

30年前の作品を見ているという感じはなかった。
調べてみると、浅丘ルリ子が35歳、渥美清が47歳。

この時の浅丘ルリ子は、すごくきれいだ。こんな女優は今はいないだろう。

このシリーズ、決まりきったパターンである。

テキ屋の寅次郎が恋をして、ふられる、それだけだ。
そこに妹のさくら(倍賞千恵子)や柴又の団子屋のおいちゃん、おばちゃん、さくらの夫、印刷屋のタコ社長、帝釈天の御前様などがからむ。

寅次郎は商売柄、いつも旅に出ている。
旅先で恋人を見つけたり、柴又で知り合ったり、知り合い方が毎回楽しみだった。

なんで48作も作られたんだろう?

やっぱり、寅次郎のキャラクターだろうと思う。

旅をしている・・それが一つめ。
恋をする・・これが二つめ。
帰る家庭と暖かい家族がある・・これが三つめ。

ふられるのは、ふられないと、次の恋ができないからだ。

この3つ、揃えるのは難しいと思うが、それが揃っているから、48作も作られたんだと思う。


| | 映画・舞台 | 23:44 | comments(2) | trackbacks(0) |
標準語を話せる?
東京に出張している。
パソコンを持って行ったら、ホテルにインターネットの回線が来ていて、そこにつなぐとつながってしまう。
便利な世の中になった・・・と言ったらいいのか。

根っからの関西人で、残念ながら東京にはあまりなじみがない。

生まれて初めて東京に行ったのは、高校1年か2年の夏休みだったと思う。
以前ここに書いた、「何げないひと言」のK君と、江ノ島に行こう、ということで東京に行った。(彼とは高校は別々だったが、なんで行こうということになったのか、定かではない)
どこに泊まったのかも覚えていない。お互いに親戚のところに泊まったのかもしれない。僕は千葉に親戚がいたので、そこに泊まったような気がする・・・。

そのときに、初めて東京タワーに行ったはず。

江ノ島に行って、あまりの人の多さに驚いたことと、須磨と同じく、あまりきれいな海ではないなあ、と思ったことを覚えている。

一番印象に残ったのは、東京からの帰りに喫茶店で時間をつぶした時のこと。

友達から、関西ではアイスコーヒーのことを「レイコ」(冷コーヒーを略したもの)と言うが、東京ではそれは通じない、ということを聞いていたので、バカにされないように、ウエイトレスさんに「アイスコーヒー」と言った。
ウエイトレスさんが、「アイスコーヒーですね」と言って、下がっていったときに、「おお、通じた」などと当たり前のことを言い合ったのも懐かしい。

その後、レジにお金を払いに行ったときのこと。これは鮮明に覚えている。

560円だった。

書くと難しいが、関西弁では、「ごひゃくろくじゅうえん」のアクセントがほとんど平坦になっているのに対して、東京のレジの人は、「ご・ひゃく・ろく・じゅう・えん」と分けると、「ひゃく」と「じゅう」のところにアクセントがくるのだ。

「これはすごい!」と思った。

東京で2日過ごして、「箸」と「橋」とか、「雲」と「蜘蛛」とか、の違いをわかったりして、標準語も意識すれば話せるのかな・・などと思っていたが、この数字を聞いたとたん、「僕には一生標準語は話せない」と確信してしまった。

数字のアクセントが違う、というのは、きっと法則性はあるにせよ、すごく難しいと思う。
「ごひゃくろくじゅうえん」と「ご・ひゃく・ろく・じゅう・えん」の差はきっとすごい差だ。
数字だから、いろんな組み合わせがあるだろうし・・。

「いち」「に」「さん」くらいならどうにかなるだろうが、「はっせんにひゃくごじゅうに」などという4桁の数字になったらどうなるのか・・・想像を絶するものがあった。

それから後、関西人で、「ボクは標準語しゃべれますよ」という人に何人か会ったが、そのたびに、「ごひゃくろくじゅうえん」を持ち出して、言ってみてもらう。
いまだに、ちゃんと標準語で言えた人はいない。

関西人で、標準語に自信のある方、数字ですよ。
数字はむずかしい・・。

だからどうなんや、という話です。


| | 考えたこと | 22:57 | comments(2) | trackbacks(0) |
方向音痴
方向音痴である。
道が覚えられない。
ちょっと曲がりくねった道を行くと、どっちに向かっているのかわからなくなる。
間違って戻る時には、同じ道を戻らないと、戻れなくなる・・・。

どこでも、一度行ったら、すぐに覚えられる人がいるが、信じられない。
ホテルの部屋などでも、エレベーターを降りると、たいがい遠回りの方に行って、ぐるっと一周回ったりする。

これくらいひどいと、実際に困る事がある。

就職して、販売の実習をやったときに、営業所に行った時のことだ。
何度か、営業所の人と一緒に行った得意先に、一人で行くことになった。
一人で運転して、行くのは行けたのだが、帰り道を間違えて、営業所に戻れなくなった。
当然帰りつく時間に帰ってないし、昼休みにもなるし、仕方なく車を止めて営業所に公衆電話をかけた。(25年ほど前であり、携帯など無い)

「どこにいるねん?」と聞かれても、「さあ?」としか言えず、「何か目印になる建物が見えるか?」と聞かれて・・・何を言ったのか、覚えていない。
結局、公衆電話をかけた店の人に道を聞いて、何とか戻ったおぼえがある。

自分で自信がないから、配達のたびにメモ帳に地図を描いてはいたのだが、それでも迷う。

結局、僕にとっては道を覚える一番いい方法は、言葉で書くことだった。
「・・に出て、二つめの信号を右に曲がり、しばらくまっすぐ。右手にガソリンスタンドが見えたらそこを左折・・」という風に言葉で書くと、覚えられる。
帰りは、右と左を読みかえればいいのだ。

それから、行き方をメモする時には、地図など描かず、字を書くことにした。
これなら、まだましだ。こういうのを生活の知恵というんだろう。
どこか遠いところに行く時には、事前に文章にしておくことが必要だ。

右の脳はパターン認識・感性の領域であり、景色や地図を覚える能力は右脳。左の脳は言葉やリクツの領域であり、字を覚えるのは左脳だという。
どうも、右脳がかなり弱いんだと思う。

昔やった知能テストでも、図形はダメだった。大きな三角形の中に線がたくさん引いてあって、この中に三角形はいくつあるでしょう?というようなヤツだ。
それに反して、同義語とか反対語とかは得意だった。
・・・そういえば、美術もダメだったなあ。音楽は得意だったが・・。

方向音痴の人、地図を描かずに、言葉で書きましょう!

蛇足になるが、僕のような人種にとっては、「カーナビ」というのは神さまの贈り物みたいなものだ。
カーナビを作った人たちにも感謝!

| | 考えたこと | 23:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
できそうで、できないこと2
15年ほど前、近所のスポーツクラブに入って、毎週泳いでいた。

泳ぐのは10年以上ぶりで、クロールで泳ぎはするものの、ちょっと泳いだら頭が痛くなって、休まないといけない・・という状態だった。そのことを水泳部だった会社の後輩に話した。

どうも、頭が痛くなるのは酸欠のせいだろう・・と僕が言ったら、「どうして酸欠になるんですか?」と聞かれ、「息つぎするのが下手で、空気がちゃんと吸えないからだろう。」と言ったところ、彼は「ふ〜ん・・」と言って、「ひょっとしたら、水の中で息を吐いてないのとちゃいますか?」と言う。

この言葉は、晴天のへきれき、というヤツだった。
「えー、水の中で息を吐く?」と言ったら、「そら、そうでしょう。吐いとかないと、吸えないでしょ。」とのこと。

よく考えたら、当たり前のことだが、小学校の頃からプールで泳いでいたものの、それまでそんなことは考えたこともなかった。
その時まで、水の中では息を止めるものと思いこんで生きてきた。

きっと、小学校1年の時に、水の中で息を止めて、ぽっかり浮かぶ練習をした時から、水の中では息を止めるもの、と刷り込まれたんだと思う。

水の中で息を止めずに、吐いて、顔を上げた時に息を吸えば、普通に陸の上で呼吸しているのと同じだ。途中で息を止めるから、呼吸が苦しくなる・・・当たり前だ。

よく、あの時に彼に話をしたものだと思う。
そうでなければ、きっとすぐにやめていただろう。

その後、水の中で息を吐いて、顔を上げた時に息を吸うようにしたら、頭が痛くならず、楽に泳げるようになった。

これは、できそうで、できないことだと思う。

水の中で息を吐くというのは、けっこうこわいことだ。
吐いたら、吸わないといけない。
その時に、水中にいたらどうする・・・と思う。
息ができなくなるではないか。

でも、水泳部の彼にとっては、当たり前のことだったし、あとで考えたら、当たり前のことだった。

でも、できそうで、できないことですよね。

そんなことない・・・ですか。

| | 考えたこと | 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
本当の練習
ずっとギターの練習を続けている。
課題の曲をようやく指が覚えて、だいたいは弾けるようになった。

8月の中旬から課題曲を始めて、約2ヶ月、我ながらよくここまで来たなあと思う。
最初は全く指が動かず、見たこともないようなコードばかりで、どうしたら弾けるのかな・・と思ったが、前にも書いたように、やっぱり練習は大事だ。

ところが、ここまでくると、難しくなった。
今までは、とにかく、弾けるようになりたかったので、うまく弾こうなどという余裕はなかった。ただ、弾くだけだ。
でも、一応弾けるようになると、うまく弾きたいと思う。
弾いている時に、うまく弾こう、と思う余裕ができたのだ。

そうなると、突然、ヘタになったような気がする。
邪心が出るということなのか。
何も考えず、とにかく弾こうと練習していた時の方が、うまく弾けたような気がする。

今まで、練習が大事、と書いてきたが、まだ道は遠い。
弾けるようになって、うまく弾こうと思わず、とにかく思うように弾く・・・というところまでいかないといけないのか。

無心で・・という言葉をよく聞くが、このことなのかもしれない。

そうだろう。
きっと、本当にうまい人は、うまく弾こうと思って弾いているのではないはずだ。

これからが、本当の練習か・・・。

がんばります。

| | 考えたこと | 00:42 | comments(2) | trackbacks(0) |
音だけのイメージ
こないだ書いた、ハイファイセットの「遠くからみちびいて」という曲を探すためにカセットをかきまわしたら、懐かしいテープが出てきた。
昔はMDやCD-Rなどなく、カセットテープだけだったし、レンタルもなかったから、友達から借りたレコードやFMラジオの番組をもっぱらカセットに録音していた。
ラジオから録音することをエア・チェックと言ったが、最近はレンタルが増えたので、この言葉も死語になったのか・・・。

仕事をしてすぐの頃、好きだったFM番組があった。

「愛の街から」という番組。スポンサーは花王。
日曜日の朝10時か、11時から1時間やっていた。FM大阪(その頃は、民放は一つしかなかった。)がFM東京の番組を流していたと思う。
ピアノのイージーリスニングがオープニングテーマで、日曜日の朝にふさわしいさわやかな番組だった。
誰か、覚えてます?

出演者は二人だけ。萩尾みどりと久富惟晴。
萩尾みどりという人は、テレビではあまりなじみがないが、この「愛の街から」の声が印象に残っている。久富惟晴(ひさとみこれはる)という人も本職は俳優だと思うが、渋い、いい声だった。

毎回、二人のセリフと音楽、効果音だけでドラマ仕立てで作っていた。
一話完結で、音楽の選曲が良くて、ストーリーに入り込める番組だった。

ラジオドラマなんて、最近全く聞かないが、セリフと効果音、そしてそのストーリーに合った音楽だけで構成された音のドラマは、すごく印象に残っている。
映像が伴う、テレビや映画のドラマももちろんいいが、音だけのドラマは自分の心の中に情景が浮かんできて、それが直接イメージ記憶されるような気がする。
25年経っても、いくつかのストーリーは覚えているのが不思議。

大阪出身の姉と東京でつき合う男性が、彼女の妹に大阪案内をされる・・・いもうとコントロール。
堅い研究者と婚約しているが、会社のやり手の同僚にモーションをかけられる女性・・・シリーズ結婚まで。
ユーミン特集で、リッチな女性のアンニュイな生活と、マトモに生きたいと思っている男友達の話。

映像の記憶は、すごく情報量が多い分だけ、印象に残りやすいが、純粋に音だけの記憶に比べると残りにくいのかもしれない。
音だけのドラマなど、めったに経験しないので、なかなか比較できないが、そんな気がする。
映画でも、印象に残った場面は、音であるセリフがきっかけで思い出したりする。

カセットが5本ほど出てきたので、もう一度聞いてみよう。

| | 考えたこと | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
できそうで、できないこと
学生時代に、50ccのバイクを通学に使っていたことがある。
ヤマハのFX50というバイクで、よくあるスクータータイプのものではなくて、普通カタチのヤツだった。

その夜は、無性にラーメンが食べたくなり、京都の山奥の下宿を夜の11時頃出て、一人で夜道を走った。
たぶん、12月だったと思う。すごく寒かった。

手袋をしてなかったので、とにかく手が冷たくて、左手をジャンパーのポケットにつっこんで乗っていた。
バイクに乗ったことがない人のために説明しておくと、バイクという乗り物は、右手がアクセルになっていて、ハンドルのグリップ部分を手前に回すと、車でいうとアクセルを踏んだことになる。
手を離すと、アクセルは自動的に戻って、バイクが止まるようになっている。

左手をジャンパーのポケットにつっこんでいたのは、右手を離すとバイクが止まってしまうからだ。

しかし、真冬の夜中であり、右手が冷たくて、感覚がなくなってきた。
そうなると人情で、右手をジャンパーのポケットに入れたくなる。
ちょっとスピードを上げて、右手をジャンパーのポケットに入れた。
しかし、左手ではハンドルを支えることはできるが、アクセルはもちろん回せない。
エンジンの回転が落ちて、バイクが止まりそうになった。

ここで、どうします?

僕は当然のごとく、左手をハンドルから離し、ハンドルの右側を持って、アクセルを手前に回そうとした。
ちょうど、身体の前を横切るように左手がななめにハンドルを持っているような形になっている。

アクセルを回そうとしたとたん、バイクは左に旋回し、一車線の田舎道の路端の溝を跳び越え、藪の中につっこんでいった。
左手でハンドルの右を持って運転するということは、すごく難しいことだった。
当然、僕も一緒に藪の中に入っていって、足と腕を強打し、バイクと一緒にこけた。

やっとの事で、バイクを引きづりだし、それでもラーメン屋まで行って、ラーメンを食べてから帰った。

翌日は大変で、強打した足が痛くて歩けず、腕も捻挫状態だった。

小学生の時代から、自転車には乗っていたし、やったことこそなかったが、左手でハンドルの右側を持って運転することが難しいことだ、ということなど想像すらしていなかったが、これはすごく難しいことだった。
ひょっとしたら、ハンドルを持つだけならできるのかもしれないが、アクセルのグリップを回す、というのが難しいのかもしれない・・・。

それから一度もやってみようとは思わない。
自転車ならアクセルはないから、できるのかもしれないが、やめたほうがいいと思う。

できそうで、できないことの一つだと思う。
人間って、自分ができないことがわからないのだ・・と痛みに耐えつつ、下宿で寝ていた。

あの道にガードレールがあったら、どうなっていたのかわからない。
そう思うと、できそうで、できないことがわからない、ということだけでなく、生きていることがありがたいことだ、と思う。

| | 考えたこと | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
遠くからみちびいて
ある日、急に聞きたくなる曲が出てくることがある。
いちばん印象的な一節が、突然頭に浮かんで、口ずさんでしまう。
そんなことって、ありますよね。

今日は帰りの車の中で、昔のハイ・ファイ・セットの曲が出てきて、頭から離れない。
この曲は、ザ・ダイアリーというLPに入っていた曲。

しっとりしたバラードで、すごく好きな曲だった。
レコードしかないので、長いこと聞いてなかったし、ここ数年、こんな曲があったことすら忘れていたのに、急に最後の一節が出てきた。

 遠くからみちびいて

  淋しくて 死にたいとき
  星の光さえ うすれるとき
  わけもなく つらく悲しいときに
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ
  毎日が苦しいとき
  暗い人影に おびえるとき
  生きていく希望 うしなうときに
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ
 
  じっと 見つめてくれるだけでいい
  手を肩に置くだけで
  もう私は 優しくなれる

  誰の生きかたをみても
  心などは もう 見えないけど
  あなたを見ていると 幸せになる
  遠くからみちびいてくれるのは あなただけ

(訳詞:岩谷時子)

すいません。歌詞はコピーしないように・・・。

若い頃に聞いた音楽は、いったい心のどこに隠れているのか。
それが、ふっと浮かんでくるのは、なぜなのか・・・。

こんな事は、脳をいくら研究してもわからないだろう。
思い出すと、無性に聞きたくなる・・。
事情があって、すぐには聞けないのがもどかしい。

こないだも書いたが、レコードを取りに行こう。

いい曲です。

| | 音楽 | 02:15 | comments(2) | trackbacks(0) |
恋愛適齢期 Something's Gotta Give
2004年の作品。
ダイアン・キートンとジャック・ニコルソンという渋い俳優に、キアヌ・リーブスが入って恋愛模様を描く。

ジャック・ニコルソンも、ダイアン・キートンも、恋愛ものの主役になるには年齢がいっているが、そんなことは全く感じさせない。
笑わせる場面もたくさんあり、また、最後に泣かせる場面もある。

今まで、若い女性としか遊んでいない実業家のジャック・ニコルソンと、バツイチの売れっ子脚本家のダイアン・キートンという取り合わせが新鮮。ダイアン・キートンの年齢を感じさせないキュートさも見どころ。

食事の場面がたくさん出てくるが、いずれも印象的。
こんな感じで食事ができれば・・と思わせる。

ダイアン・キートンが、泣きながら自分の失恋をテーマに脚本を書く場面は圧巻。
こんな演技ができる女優はなかなかいないと思う。

クライマックスは場面がパリ。
人はパリで恋を知る・・・という言葉はなさそうだが、パリの夜景のシーンはすばらしい。

この映画は、サウンド・トラックもすごくいい。
シャンソンあり、ボサノバあり、ジャズありで、音楽でも楽しめる。

ベタベタしない恋愛ものを見たい人には、お勧めします。

| | 映画・舞台 | 23:53 | comments(2) | trackbacks(0) |