考えたこと2

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Que sera, sera
以前書いた、ケセラセラ。
諸説あるが、一応スペイン語ではないか、とのことだ。

なるようになる、という意味だと思っていた。

Que sera, seraは、英語にすると、What will be, will be.ということになるらしい。
この英語をみると、なるようになる、というふうには読めない。

あるであろうものはある、というふうに読める。

これは、意訳すれば、なるようになる、ということだろうが、そんな気楽なものではない。

起こるべき事は、起こるべくして起こる、という意味にもとれる。

となると、努力しても仕方がない。
起こるべき事は止められないのだ。

悲観的にみると、そうなる。

 ケ・セラ・セラ
 なるようになる
 先のことなど わからない

この歌詞を聴いていると、明るいのだが…。

ちなみに、このケ・セラ・セラという言葉を知っているのは、1960年代生まれがギリギリだろう。
現在35歳や28歳という若い人は知らなかった。

これも、平成の死語の仲間入り。

ドリス・デイ、ペギー葉山を知らないから、ケ・セラ・セラも知らないのは当然か。


| | 考えたこと | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
芭蕉
昨日の日曜版のあたしンチで、芭蕉の俳句が紹介されていた。

 さまざまのこと思い出す桜かな  芭蕉

芭蕉というと、「古池やかわず飛び込む水の音」をまず思い出す。
小学校のころ、2年間だけ習字を習っていて、その時に俳句もならった。
ならった、と言っても、見よう見まねで作っただけだが、五七五の独特のリズムは日本語ならではのものだと思う。

習字の先生は小学校のそばのおじいさんで、習字、墨絵、俳句が趣味だった。
普通の家の座敷に、50センチx30センチくらいの机を置いて、十人くらいで教えてもらった。

行ったらまず、墨をする。
そして、気持ちを落ち着けて、それから習字をする。
どんな文字を書いたか、覚えていない。
小学校2年から4年まで。
やめるときに、金魚の絵をくれた。

あれから40数年、その場所にはもうあとかたもない。

桜の季節になると、どういうわけかいろんなことを思い出す。
それは、桜が咲いて、散るからだろう。
花が散るはかなさが、人に何かを思い出させる。

それは昔も今も同じ。

 さまざまのこと思い出す桜かな

現代の日本では、3月4月は別れと出会いの季節。

この句の気持ちは日本人ならわかるだろう。

| | 考えたこと | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本人の弱点
ものを作るときには、どんなものを作りたいか、定義をする。
定義をしないと、作ることができない。
満たすべき要件の優先順位がある。
背反する性能や、作りやすさなども考慮しないといけない。
それらを形にするのが、ものを作るときの手順。

もちろん、妥協が必要だ。
何度も言ったように、もの作りは高度な妥協の産物。

人間関係の力学も働く。
声が大きい人が勝つこともある。
しかし、ものは正直だ。
できたものが間違いを表している。
もっと、ポテンシャルがあるはずなのに、どうして出せないのか。
それは、どこかが間違っているからだ。
いくら声が大きくても、こうなったら、負ける。
人間関係の力学も通用しなくなる。

だから、もの作りは紆余曲折があっても、正しい方向に行くことが多い。
もちろん、できたものの性能を決めるのは、組織の実力だ。
組織の実力を超えることはできない。

というわけで、もの作りには解答がある。
たとえわからなくても、こうなるはず、という解答がある。

だから、日本は強いのではないか。
答えがあるものには、日本人は強いと思う。
リクツで考えられるものだ。

反対に、答えがいくつもあるものには弱いような気がする。

まとまらないのだ。

人為的に決めるものについては、みんな思い思いの事を言う。

今の民主党や非営利組織のようなもの。

話しあおうとしない。

救いようがないとはこのことだろう。


| | 考えたこと | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
キャロル・キングとジェイムス・テイラー
4月に二人が来日する。

キャロル・キングとジェイムス・テイラー。
この二人は1970年代に活躍した、ウエストコーストのシンガーソングライター。

キャロル・キングの曲をジェイムス・テイラーが歌っていた。
You've got a friend.
この曲は名曲だ。

キャロルも歌っていて、Tapestryというアルバムに入っている。
このアルバムには、ジェイムス・テイラーも参加していて、何曲かギターとボーカルが聞ける。

このアルバムは名盤と言われている。
Where you lead.
あなたが導くところなら、どこへでも行く。
Will you love me tomorrow?
明日も愛してくれる?
So far away.
あなたは遠くへ行ってしまった。

こんな素直な曲があの頃は多かった。

70年代のウエストコースト。
乾いていて、明るかった。

今年、あの二人が帰ってくる。

キャロル・キングは68歳。ジェイムス・テイラーは62歳。
どちらも大台を超えた。

ジェイムス・テイラーは70年当時とはだいぶ違う。
頭がさみしくなった。
でも、声は当時と同じ。

二人で、You've got a friend を歌う。

どうして、大阪でやってくれないのかな…。


| | 考えたこと | 17:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
Lifeline
海外のドラマを見ていて、こんなセリフがあった。

Please show your lifeline.

どういう意味か、わかりますか?

手相を見せてくれ、ということらしい。
言われた女性が手を出していた。

「手相」を辞書で引くと、「the lines on one's palm」と書いてある。
「lifeline」は生命線のことで、運命線は「the line of fate」、感情線は「the line of heart」。
日本では一般的な、知能線や結婚線は辞書には載っていない。

あまり手相というものが一般的ではないのか。

lifelineを見せてくれ、というのは手相を見せてくれという意味になるのかもしれない。

指紋はfingerprintといって、英語でも一般的。
この指紋で個人を特定できるというのは、東洋の知恵だ。

掌紋もきっと役に立つと思うのだが、指紋で代用できるからあまり関係ないのだろう。
そういえば、今は手のひらの静脈のパターンで認証したりしている。

手相が運命を表すというのは、キリスト教ではあまり受け入れられないのかもしれない。
もちろん、手相と運命には何のつながりもないと思う。
でも、それを信じるかどうかというと、宗教が関係してくるだろう。

一人ずつ違う、というところに意味がある。
生命も運命も感情も一人ずつ違う。
手相をそれを結びつけるところが東洋的なのかもしれない。

英語では生命線、運命線、感情線の3つ。

Please show your lifeline.

日本人がこの言葉を言ったら、東洋の神秘と思われるかもしれない。


| | 英語 | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
リスを飼いたい
リスというのは、小動物の中では一番好きな生き物。
ただ、あまり人になつかない。

ひまわりのタネを食べるのだが、ほっぺたの部分にためている。
この姿が何ともいえずかわいい。
実際には雑食で、人間の食べるものなら何でも食べるらしい。
木ぎれなど、かじるものを入れておかないと、歯が伸びてしまう。

しかし、飼うのは大変だ。
まともに育てれば、5年〜8年くらい生きるそうだが、冬眠はさせたらいけないとか、夏はエアコンが必要とか、制約が多い。
そのあたりの温度管理が長生きのためには肝心らしい。
基本的には弱い生き物なのだ。

尻尾はつよくひっぱると抜けてしまって、はえてこない。

気が荒い時期は噛まれたりする。
噛まれると、血が出るほど痛い。

運動量が多いので、50センチ四方くらいのケージを用意しないといけない。

それやこれやで今は飼えないだろう。

しかし、隠居したら、飼ってみたいと思う。

小さい頃からの夢だ。


| | 考えたこと | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
骨格と言葉
骨の分析というのは、面白い。

こないだ見たドラマでは、頭蓋骨の縫合線がまっすぐだから、日本語を話していた証拠、と言っていた。
たぶん、そう言っていたと思うのだが、縫合線が何かもわからないので、確かかと言われると、よくわからない。

しかし、話す言葉によって、口の形が変わるのは本当だと思う。

日本語を話す人は口が丸い。
英語を話す人は、口が偏平だ。

実際に日本語を話していると、それほど口を横に広く開けることはない。
でも、英語を話していると、thの発音など、日本語よりも口を横に開くことが多いと思う。
英語を英語らしく話すには、意識して口を横に開く方がよいのではないか。

アメリカ人を見ていると、どうも口が横に広いような気がする。

顔の中で口は横に広い方が格好がいい。(もちろん、限度はある)
ハリウッドスターでも、口が横に広い人は多い。

ジュリア・ロバーツはその横綱級。
サンドラ・ブロックも表情によっては、大きい。

英語を話していると、横に広がるのだ。

逆も真なり。

口を横に広げると、発音がよくなる。




| | 考えたこと | 22:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
リンボウ先生の文章術教室  林望著 小学館文庫
林望先生というと、一連のイギリスもので有名になったが、実際は書誌学者。
古文書などを解析?する学問らしい。

もう61歳。
何冊か読んだが、「文章術教室」という言葉に惹かれて、アマゾンに勧められ、購入した。

エッセイを書く要点について書いてある。

まず、序文で「文字を惜しめ」ということが書いてある。
余分なことを書かない、というのが大事だ。
普通の人が普通に書いたら、ほとんどが無駄なことになる、と林望先生は言う。

そして、文章の第一要件は「客観性」にあり、というのが第一章。
これは本当にそうだと思う。

人に受ける話をする時に、面白いことがあった、と冒頭に言ってしまってはいけない。
何気なく話を切り出すのだ。
これが客観性というもの。
自分が面白がるほど、他人は面白くない。そこのところを言っている。

第八章は「文章の品格」ということが書いてある。
体言止めを多用してはいけない。
これはぼくもよくやるので、反省した。

そして、流行に流されて、手垢だらけになっている言葉は使わない方がいいということ。
 地球にやさしい〜。
 終わってみれば〜。
 〜と思っているきょうこのごろ。
 〜という部分で〜。
 なんともやりきれない〜。
 ○○にハマっている。
こういう表現は使わないこと。

「なんとかして自分独自の表現で、ちゃんと描写したいという志が、文章に品格をもたらすのであります。」

この本にはカルチャーセンターの生徒や、大学生の作文の添削例も出ている。
たくさんの朱が入った文章は参考になる。
そのために、二色刷でいい紙が使われた文庫だ。

これで553円は安い。

| | | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
紙という媒体
紙を媒体として伝えるものというと、新聞、雑誌、本、ポスター、チラシ、カタログ、バンフレットなどがある。

そのうち、Webでも出されているものというと、…技術的には全部だ。
「技術的には」というのは、全て可能だからだ。
新聞はもう日経が始めたし、雑誌はまだやっていないが、海外では既にやっているし、ポスターやチラシ、カタログ、パンフレットなどはもうWebで見ることができる。

そして本だが、これもキンドルとかiPadというものが出てきて、可能になった。
本の中味(テキスト)をダウンロードで買うことができるのだ。
それを読むための端末が、キンドルやiPad。

本がデジタル情報になると、どういうことができるか?
まず本棚が要らない。
そして、検索することができる。
何より、値段が安くなる。
複数の本を持ち歩くことができる。
百科事典などは便利になるだろう。(もう電子辞書に入っているが…)
線を引いたり、マーカーでしるしをつけるような機能も出てくるだろう。
そして、誰でもが出版できるようになる。
在庫しておく費用が要らないので、古本という概念がなくなる。
ちょうど、今音楽で起こっていることと同じだ。

となると、紙という媒体は残るだろうか。
欲しい本は、紙で置いておきたい…、と思う世代はどこまでだろう。
一定数はいるんだろうか。
今より紙の本は減るから、値段は高くなるだろう。
それだけのお金を出してまで買う人がどれだか残るだろうか。

itunesで音楽を買うように、ibooksで本を買う時代が来る。

ぼくらが生きている間に、どこまでいくのか…。


| | 考えたこと | 19:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
あがた森魚
書くのを忘れていた。

朝のドラマで主人公の夫は大学院でウミガメ型ロボットを作っている。
その大学の教授の役で出ているのが、あがた森魚。

1972年に赤色エレジーでデビューした。
あがた森魚と書いて、あがたもりおと読む。

当時は髪を伸ばして、何となく大正ロマンみたいな感じの歌を歌っていた。
その1曲しか覚えていない。
でも、まだまだやっていたのだ。

オフィシャルホームページまである。
http://www.agatamorio.com/index.html

もう髪もなくなって、伸ばせるような頭ではない。
いかにも大学教授という雰囲気。
浮世離れした感じがよく出ている。

1972年当時は髪を振り乱して、一心不乱に歌っていたような気がする。

それから比べると、つきものが落ちたような感じ。

もう62歳。

人間、年をとったらあんな風になりたいと思わせる。



| | 考えたこと | 13:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
We are the worldish?
2008年くらいのドラマを見ていたら、"We are the worldish?"と聞く場面があった。

聞いた人は30代前半。

「We are the world」というチャリティが実施されたのは、1985年。
アフリカの飢餓と貧困を救うのが目的。
「We are the world」という曲を、たくさんのミュージシャンで歌って、レコードやビデオで収益を上げた。
レコードやビデオの売り上げの印税分6300万ドルは、全て寄付されたとのこと。
6300万ドルというと、約63億円。
すごい額だ。

この言葉をどういう意味で使っていたかというと、「わざとらしい」という字幕。
なるほど、あの時のチャリティに参加したミュージシャンはたくさんいたし、ビデオにもなった。
目的は本当にチャリティか?というようなうがった見方もできる。
わざとらしい、という人もいたのだろう。

メイキングのビデオを、当時よく見た。
あの頃の有名なミュージシャンが総出で、レコードの片面全部の曲をメドレーで歌う。

シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダー、ホール&オーツ、レイ・チャールズ、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、ライオネル・リッチーというようなそうそうたる面々。

何日かにわたって、別々に録っていた。

ぼくもレコードを持っている。

We are the world
We are the children

あのフレーズはあの頃洋楽を聴いていた人なら、覚えているだろう。

それが「わざとらしい」、という意味で使われる。

Is it we are the worldish?
直訳すると、ウィーアーザワールドみたいか?という意味。

それほど、歴史に残るイベントだったという事だろう。
みんなが知っているからこそ、別の意味も出てくる。

しかし、日本では30代前半の人には通じないだろうなあ。


| | 英語 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜咲く
今年は、観測史上一番早く桜が咲いたらしい。
関西地方はまだだが、九州の方ではそんなことになっている。

たしかに温暖化が進んでいるという気持ちになる。

桜という植物がいつ地球に現れたのか?
何でも植物が地上に現れたのが、4億年前。
そこから胞子植物→裸子植物→被子植物とだんだんに変わってきた。
桜は被子植物。
でも、植物の進化はよくわかっていないらしい。
あのダーウィンも避けて通った?というくらいだから。

でも、白亜紀にはもう被子植物がいたらしい。
白亜紀というと、1億4000万年前から6500万年前。
だいぶ幅があるが、その時代にはもう桜が咲いていた可能性がある、ということだ。

動物でいうと、ワニや恐竜などのは虫類の全盛期。
ほ乳類はまだまだ小さな存在だった。

白亜紀の終盤に大絶滅が起こり、恐竜が滅ぶ。
その時に他の動植物も滅んだのだが、桜は生き残ったのかどうか…。
大絶滅の後に生まれていたのかもしれない。

まあ、桜は、だいたい5000万年前くらいから咲いていたと考えられるか。

となると、桜の開花は今まで5000万回はあったということだ。
地球ができてから、たったの5000万回。
今の人類が生まれてから、4万年くらいたっているらしいから、人類よりもかなり古い。

そんなものかもしれない。
植物の進化は化石も少なく、まだまだわかっていないらしいから、覆るかもしれないが、今のところそうらしい。

今年も桜が咲くと、桜の歴史の1/50000000が過ぎたことになる。

ゼロがたった7個。
それを多いとみるか、少ないとみるか、自分とは関係ないとみるか…、いろんな見方があるだろう。

ただ、桜が咲くという事実だけでも、調べてみると面白い。

今年も桜が咲く。

5000万回余。貴重な瞬間だ。


| | 考えたこと | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
ゾメキ
今期も朝ドラが終わりに近づいた。
半年は早いものだ。
過ぎてしまえば、あっという間。

10月に始まった時は、またこれから始まるのか…、と思って見る。
だんだんと話が展開して、気がついたらもう終わる。

今朝のドラマは、一度つぶれたゾメキトキメキ出版の仲間が、主人公の実家の民宿に集まる、という話。
大阪にいる元副編集長が電話で予約を入れる。
そして、偶然「啓さん」が遊びに来る。
またまた偶然、「友近」が夫婦で休みをとって来る。
さすが、ドラマ。
普通なら、そんな偶然あるはずない、と思うところだが、許す。

あとは、編集長とロベルトさんだが、明日の放送で来るかもしれないと思う。

つぶれてしまった出版社だが、個性的な人が集まって、すばらしい会社だったと思う。

何よりも編集長の思い、これが素晴らしい。
面白いのは人、人を描いてみんなに伝えたい、という思いだ。

そして副編集長。編集長の思いを理解し、それを補佐する。
時には、編集長をいさめたり、おさえたり、そして、それでもやる時は「やりましょう」という。

啓さんはゾメキが好きで、自分の編集者としての居場所はゾメキしかない、という。
コツコツと真面目に仕事をこなし、自分のスタイルを持っている。

友近はボーッとしているようで、おさえるところはおさえる。
変わり者のようで、ちゃんと見ているところは見ている、不思議な存在。

ロベルトは編集長の夫。
直情径行で、編集長と一心同体。

そんな仲間がある。
実際にはないかもしれない。
それでも、ドラマではそんな仲間が集まって、雑誌を作る。

そんな人たちのいる会社で、一緒にやりたい。

| | 考えたこと | 01:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホルン
ホルンをやっていた人に話を聞いた。
社会人の吹奏楽団に入ってやっているとのこと。

ホルンは一番難しい、と言っていた。
ハーモニーを作るのが難しいらしい。
ホルンは4人でパートを作る。
ファーストからフォースまで、4つの違う音を出して、音を重ねる。
それが簡単にはハモらないらしい。

金管楽器なので、調節するところがほとんどない。
だから、奏者が工夫して音を出す。
単純な練習を繰り返して、初めてハーモニーができる。
そこが、面白いところとのこと。

どうやって、音を出すんですか?と先生に聞いたら、「気合い」と言われたこともあるらしい。

ふーん、そうだったのか、と驚いた。

前にホルストのジュピターを聞いたことがある。
あの曲はたしかホルンが主役。

もう一度よく聞いてみよう。


| | 考えたこと | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
目標管理
目標管理という言葉がある。

会社勤めをしている人には、馴染みがあるかもしれない。
そうでない人には、馴染みがないだろう。

自分の目標を管理しようということで、今の会社ではそういうシートを作る。
それに、毎年あるいは毎半年、自分で目標を記入して、上司と話し合うという制度がある。
それを一般的には「目標管理制度」という。

そこには、会社の目標、部門の目標を記入する欄があって、それも書かないといけない。
要は、会社や部門の目標にしたがって、自分は何をするのか、ということになる。
善し悪しは別として、今のはやりだと思う。
本屋に行けば、その類の本はたくさん出ている。

半期たって、返す時も上司がコメントを書いて、渡す。
部下から異論がある場合は、上司は話し合わなければいけない。

こんな管理をするのが当たり前なのが、会社だろう。
こんな管理をするのがもってのほか、というのがそれ以外の組織。
公務員や非営利法人などの組織は、こんな管理はやっていないと思う。

会社勤めの人にとっては、「えー、やってないの」という世界だし、それ以外の組織の人にとっては、「えー、こんなんやるの」という世界だろう。

今の日本は二つに分かれている。
外にむいた日本と内にむいた日本だ。

岸田秀は日本は分裂病だといった。
外向きの日本と内向きの日本の2つの顔が入れ替わる。
親米と反米と言ってもいい。

外向きの日本では、海外と競争しており、目標管理のようなシステムを入れて、みんなの効率を上げていかないとついていけない。
内向きの日本では、そんなことよりも身内の和が大事。

いつまでこの二本立てが続くのだろうか。

ぼくは両方を経験して、やっぱり外向きの日本に軍配を上げる。
それがbestではないが、betterだろう。

そう思っているにもかかわらず、非正規社員が増え、その人たちの能力を評価しきれない、という矛盾を抱えているのが今の状況ではないか。

目標管理という言葉一つとっても、全く違う評価になる。

この分裂病は深刻だ。

| | 考えたこと | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
三十六計
「三十六計逃げるが勝ち」という。
これは三十六の計略があるが、あれこれ考えるよりも逃げる方がよい、ということ。

しかし、この三十六計というのはどんなものか、ということは聞いたことがない。
中国の三十六計とは、どんなものか?

ここに載っている。
http://www4.ocn.ne.jp/~tishiki/hyouhou36.html#sono2

いろんな計がある。
さすが、中国3000年の歴史だ。
だましたり、すかしたり、隙をついたり…、その最後が「走為上」。にぐるをじょうとなす。
逃げるが勝ちということだ。

日本でも、逃げるが勝ち、という考えはあったはず。
だからこそ、三十六計逃げるが勝ち、ということわざがある。

玉砕する、という思想はない。

せっかく中国がいい考えを教えてくれているのに、もったいない。

「勝算が無ければ、戦わずして逃げろ。最後の戦略は、これにつきます。逃げるという事は、負けるという事ではありません。勝てないけど負けない、つまり兵力を温存し、次回に備えるという事です。玉砕しては、再起は計れないのです。」

まさに、その通り。

逃げるというのは、負けないための方法。

時には、「勝つことよりも負けないこと」を選択することが大事だろう。


| | 考えたこと | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
あたしンち
あたしンチというマンガがある。

お母さんが特徴的なキャラクター。
人間とは思えない顔をしているが、なじんでくるとこれはこれでアリかと思わせる。

今朝の読売新聞の日曜版に出ていた分は面白かった。

息子が「将来の夢について」という小論文の宿題をやっているのだが、どうすれば「自分」が喜ぶのかわからない、という状態。
そこで、お母さんに聞く。

 母「テディベアの先生になりたいとか言ってたじゃない」

 息子「まーねー」
 「でもそんなこと書いたって先生にわかってもらえないよね?これって進路指導の一環として書かせてるんだよ。」
 「たぶん呼び出されて根ほり葉ほり質問されて、あげくの果てに反対されたりするよね?でもこっちもさーそんなに明確なビジョンないわけよ…」

 母「そんなのテキトーに書いておけば〜?」
 「夢は夢、受験は受験。先生にわかってもらうことはないよ。」
 「学歴は夢がダメだった時の保険でしょ。とにかく大学は有名なトコへ行きなさい。」

 息子「すごいねなんか…お母さん…」

 母「?」

という会話。
結果的に、お母さんの何気ない言葉に、息子が感心するというお話し。

息子(ゆずひこという)は高校生くらいだと思うのだが、ありそうな話。
昔はそんなことは聞かれなかったが、今は高校で学習意欲を上げるために、将来の夢を明確にさせるというような事をやる。
それが受験意欲を高めるという高校の報告があったらしい。
そして、日本中でそういうことが行われている。

自由というのは不自由なものだ。
生徒は、なぜそんなに早く決めないといけないのかがわからないだろう。
まるで、人間には全て夢があって、それをかなえることが当然、と言わんばかりだ。

今の中年の以上の世代はそんなことは考えていなかった。

自分のやれること、やらせてもらえることをやる、という人がほとんどだろう。
それと夢は関係ない。
夢は別のものだった。
夢は、それこそ小学校の時に作文に書くものだった。
夢は、高校時代にダベって話すものだった。
高校生になったら、そんな夢みたいなこと言うてんと、とりあえず現実をみよう、というのが当時の姿。

それが今は正規の授業の中で、進路指導として問われるものらしい。

静かに高校の小学校化が進んでいる。

このままでは、危ないぞ…。


| | 考えたこと | 18:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
Have you ided him?
ドラマを見ていたら、こんな英語が聞こえてきた。

Have you ided him?

"ided"というのは、idの過去形。
idしたか?という意味だ。

アイディーという言葉、今では日本でも通用するようになった。
よく事務所でみんなが首からかけているヤツ、あれをIDカードという。
昔は社員証などと言っていたが、今はIDという方が一般的。
社員証はどちらかというと対外的なものだが、IDというのは社内で個人認証のために使う。
門から入る時や、ある区域に入る時にIDカードをかざしたり、読み取り機に通したりする。
だれが、いつ、どこで、何をしたか、記録に残る。

機密が漏れたら、誰のせいか特定できる。

したがって、Have you ided him?は彼をidしたか?という意味になり、彼を個人として特定したか?ということになる。

英語でもそんなふうに使うのか。

「お茶する」という日本語と同じ発想だろう。

なかなか面白い。



| | 英語 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
異才の人
異才というのは、「普通とは違った優れた才能。また、その持ち主」と書いてある。

往々にして、異才の人というのは異才であるが故に扱いが難しい。
ある才能が優れているのだが、また、それが人から見たら、見え方が違う。
誰もが認める才能なら、天才になる。
異才というのは、これから天才になるかもしれない、という人かもしれない。

変わり者、という評価も得やすいだろう。
そのスタイルや生き方が人と違う。
誰にとっても当たり前の事が当たり前ではない。
その人独自の価値観がある。

したがって、評価が難しい。

しかし、今は異才を生かすということができないと、組織として苦しいだろう。

まさに今求められているのは、異才の人だ。
今までの常識を常識とせず、組織を変えていける可能性を持っている。

そういう人を囲っておける組織でなければならない。
懐が深い、というか、その才を認めるというか…。

それが難しいからこそ、異才の人はなかなかいないのだろう。

いかに異才を見つけ、それを育てるか。
もちろん、ある程度は他の人と摩擦を起こすのは承知の上だ。
それをコントロールしながら、才能を育てる。
これは難しい。

しかし、組織のリーダーはそれができることも能力の一つだろう。

それも、重要な能力の一つになる。


| | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
22分50秒
遅ればせながら、去年オンエアの小田和正「クリスマスの約束」を見た。
ずっと録画してあったが、見るヒマがなかったのだ。

今回は2001年に企画して、その時はできなかった、「大勢のミュージシャンを集めて、その人の曲を1コーラスずつみんなで歌う」ということをもう一度やろう、という事になった。
10年目の再企画。
2001年の番組は見た。
手紙を書いても、誰も来なかった。あれから10年。小田の存在感が増した分だけ、できそうな気がした。

夏、一人ずつ手紙を書く。
そしてメンバーが集まってきた。
2001年は誰も集まらなかったが、今回は集まったのだ。
委員会を作り、みんなで意見を出す。

最初の小田のアイデアから、スキマスイッチの大橋やスターダストレビューの根本が意見を出し、修正される。
「それをやることの意味」は何だろう。
みんなでユニゾンでやっても、かっこよくない。やるなら、かっこいい方がいい。
とにかく、始めよう…。

スタジオでたくさんのミュージシャンが練習する。
ホントにたくさん、よくスケジュールが合わせられたものだ。
何組にも分かれて、リハーサル。

そうして、22分50秒というタイトルのメドレーができた。

感動の22分50秒。
歌い終わった後、みんな涙。

チューリップの財津や山本潤子がいるかと思えば、いきものがかりの3人もいる。
山本潤子が「小田君」と言っていたのが印象的。

あれだけのミュージシャンが集まって、歌ったのはすごいことだと思う。

歌った後、「大勢のミュージシャンを集めて、その人の曲を1コーラスずつみんなで歌う」ことの意味がわかった。

みんなで歌うことは、楽しい。

それでいいのだ。

| | 考えたこと | 01:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
人それぞれ
人それぞれ、思いがある。

確信的なものもあるし、ぼんやりと思っているものもある。

その思いが強い人は、気の毒な人だと思う。

自分も例外ではない。
人によって、こだわる部分が異なるかもしれないが、誰しもあるのだろう。

思いの強い部分というのは、もちろん思い入れがあるところだろう。
思い入れというのは、経験をつんで自信を持っている部分とも言えるが、予断、偏見でもあるだろう。
それが予断になるのか、それとも経験をつんだ意見になるのか、これは難しい。

思い入れの強い部分に触れると、ついつい反応してしまう。
それが正論である場合がある。
そういう場合、これが正しいに決まっている、ということになる。
リクツで考えたらわかる。当たり前だ…。
こういうとき時が、要注意。
世の中に「正しいこと」はない。「正しいと思うこと」があるだけだ。
殺人さえ、時と場合によっては正当化される。
ぜったい合っている、と言い切れることはない。
だからこそ、「人それぞれ」と言うのだ。

誰かが「正義をかざすヤツは要注意」と言っていた。
「正しいこと」と同様、「正義」もいい加減なものだ。

よく子供が小さい頃、「○○戦隊シリーズ」を見ている時、言ったことがある。
悪者はやっつけられて当然、と思っているだろうが、悪者から見たら、正義の味方が悪者になるぞ、ということだ。
悪者にとっては、自分たちが世界征服することが正義。
それを邪魔するものは悪者だ。

中東や北アフリカで起こっているような紛争は、みんなその類だろう。
今や誰が正しくて、誰が間違っているのか、わからない。
真実は見方の数だけある、ということ。

それでも、思い入れが強いところにくると、反応してしまう。

人がそうなっている時は、よくわかる。

でも、自分がそうなった時はわからない。

それがわかるようになるためには、かなりの年月が必要なのだろう。

それも、人それぞれ。

ぼくはもう少しかかる。

| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
3月
3月は年度末の月。

卒業式のシーズンだ。

ぼくは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と5回の卒業式をやった。
実質的には大学は卒業式に行かなかったので、4回だ。
ぼくらの頃は、日の丸、君が代の問題はなく、みんな君が代を歌い、日の丸を揚げ、仰げば尊しを歌い、蛍の光をうたった。

別に何の思いもなく、日の丸は日本の旗だと思い、君が代は国歌だと思っていた。

ただ、オリンピックなどで他国の国歌を聞くと、君が代はちょっと暗いなあ、と思ったりした。

日の丸はよくできた国旗だと思う。
遠くから見ても、すぐにわかる。

イタリアやフランス、ドイツなどは、三色が並んでいて、区別がつかない。

その点、日の丸はユニーク。
シンプルでよいと思う。

でも、その後、日の丸、君が代を強制するのはヨクナイという話になった。
都道府県によっては、自粛したところもあるのかな。

ぼくは子供の入学式に行ったことがないので、わからないが、たしかに小学校の高学年になって、子供が君が代を知らないという状況はあった。
大相撲やボクシングのタイトルマッチ、高校野球の開会式などで流れる歌、ということか。
さすがに、日の丸が何の旗かわからない、ということはなかったが…。

外国に行くと、日本を意識させられる。
ナショナリティというやつだ。

日本というと、だいたいはいい印象。
これは明治から日本人が積み重ねてきた、その結果だ。
日本のパスポートを持っていると、明らかに出入国しやすいと思う。

話はそれたが、卒業式というと、日の丸、君が代。

そういえるのも、昭和30年代の生まれまでだろう。

| | 考えたこと | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
USBメモリ
長男が64MBのUSBメモリを持って帰ってしまったので、新しいのを買った。

¥1280で4ギガバイト。
これはスゴイ。
数年前に64MBのヤツをもらって、大喜びしたのだが、今はもう売ってもいない。
その当時、64MBで3000円くらいしたと思う。

メモリはコンピューターの重要な部品。
しかし、大量に作らないと安くならない、という欠点がある。
価格競争に巻き込まれやすいのだ。

そして、まさに価格競争が起こり、4ギガバイトで¥1280になった。
4ギガバイトというと、4000MBだ。
メガバイト当たりの値段は今や30銭というところ。

一昔前のフロッピーが1MB。
その4000枚分がほんの小さなスティックに入る。
1枚30円としても、1万2千円だ。それが1/10の値段で手に入る。

1MBあれば、新聞の朝刊の全てのテキストが入るという。
それが4000日分だから、10年以上。
すごい記憶量だ。
文字は素晴らしい。

これだけ記憶容量が大きくなると、何をおいておくか、考える必要がある。

数百KBの文書なら数え切れないほど入る。
何をどう整理するか、それを失った時にどうするか、そういうことまで考えないといけない。

写真や音、そして動画を使い始めると飛躍的にファイルの大きさは大きくなる。

デジカメの画像も今では大きくなった。
画素数が増えたからだ。

そういうものを入れておくために、USBメモリの容量は大きくなった。

ひょっとしたら、この4GBのUSBメモリに入れる事ができるテキスト量の方が、ぼくが一生かかって読む本よりも多いのではないか!?

そう思うと、あらためて、すごいことだと思う。


| | 考えたこと | 21:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコの目
ネコの目はかなり暗くても見えるのだろう。

昼間の日差しが強いところでは、ネコの目に瞳の部分は、線のように細くなっている。
それが暗いところになると、すぐに広がって、目一杯になる。
明暗時の比率にしたら、人間よりもかなり大きいと思う。

どれくらいの機能があるのか、わからないがヒトの目をF2.1とするとネコはF0.9と書いてあるページがあった。
人間の倍くらい明るいということだろう。

しかし、色はあまりわからず、赤はあまり見えないらしい。

世界をモノトーンでとらえた方が、狩りをして生きていくのには都合がいい、ということか。

あの、顔のわりに大きな目が、ネコの愛らしさを生んでいるのだと思う。
ブルーやベージュなど、色も違う。

ネコがうたた寝をしている時の目も面白い。
イヌはあまりそんなところを見たことがないが、ネコはしょっちゅうだ。
目を閉じているのか、細めに開けているのかわからない姿。
だいたい、大人で15時間くらい、子猫や老人ネコで20時間ほど寝るらしい。
これはいつ餌にありつけるかわからない、という昔の生活から来ている。
肉食獣は、食べたら動かないのだ。

あれだけ寝られるから、生まれ変わったらネコになりたい、という願望が出てくる。

万年睡眠不足の人間にとっては、憧れの動物だろう。

昔は祖母の家のこたつに入って寝ていた。
時々知らずにこたつに入って蹴ってしまい、ギャーと言われることもあった。
冬はこたつの中が定位置だった。

今はこたつをする家も減り、冬のネコの定位置はどこになったのか。

これからはペット産業の時代、ということだが、ネコはどうなっていくのか。

ペットショップに行っても、イヌの方が多い。

ネコの未来は、ネコの目のように明るいのだろうか。

そうなることを祈る。

| | 考えたこと | 12:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
座右の銘
座右の銘は何か?と聞かれたらどう答えるか。

自分の気に入っているひと言を話す、ということになる。
つね日頃考えていないと、とっさに答えられない。

ぼくは一つある。
これは高校時代から考えていたことだ。

「八方美人」、これである。

八方美人というのは、悪い方の意味だ。
誰にでも節操なくいい顔をする、というような意味。
調子がいいとか、付和雷同とか、そんな意味で使われ、良い方では使わない。

でも、若い人の中には、誰とでも仲良くする、ということでなぜ「八方美人」が悪いことになるのか、わからないらしい。
そのとおりだと思う。

八方美人でなぜ悪い。

八方美人を実行しようとすると、大変だ。
AさんはBさんの悪口を言っているとすると、そこではうーん、そうかなあ、そうかもなあ、というような対応。
Bさんに会っても、Aさんの悪口の事は口にしない。
BさんがAさんの悪口を言ったとすると、うーん、そうかなあ、そうかもなあ、というような対応。
Aさん、Bさんが同席している時は、にこやかに、やり過ごす。

そういう努力をするのだ。
誰にでも、節操なくいい顔をしているわけではない。
ちゃんと戦略があって、戦術がある。

八方美人も楽ではない。

常に本音で接し、ダメなものはダメという対応ばかりしていると、敵が増えるし、大人げない。
笑顔でうまくやりすごす、という知恵は必要だ。

だから、八方美人というのは美徳であると思う。

1番ではないかもしれない。

でも、2番にはなれる。


| | 考えたこと | 21:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
53歳
今日で53歳になった。

毎度言っている事だが、10代、20代の頃は50代になることなど、想像もできなかった。
30代になったころから、ぼちぼち老いを感じはじめる。
意識はしないが、もう昔のようではない、ということだ。

40代になったら、もう中年。
「まだまだ若い」、と思えなくなる。

50代になったら、もう中年と思えなくなる。
ぼちぼち人生のたそがれか、という感じ。

この調子で60になった時は、どうなるのだろう。
60になったら、もう老年、という事だろうか。

そして、70代。
いよいよ、人生も終わりに近づいた…、というか、70代まで生きているかどうかわからない。

80代、この声は聞けるかどうか…。
父が亡くなったのが76だったか。

親父が亡くなった年までは、生きることが想像できるが、それを超えたところは想像できない。

親の年というのは、子にとっては大事なものだ。

亡くなったSさんも、50歳を過ぎた頃、親父の年を越えたと言っていた。

それを意識してしまう、ということだろう。

まあ、平均寿命なら、人生の6合目か7合目あたり。

とりあえず、そこまでいけたというのはメデタイ。


| | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
締め切り
数ヶ月前に原稿の執筆を依頼され、もうすぐその締め切りが来る。

軽い気持ちで引き受けたのだが、刻々と時間がたつ。
もうすぐ締め切りの3月末。

もう書かないといけない。
仕事でやっていることだから、簡単に書けると思ってOKした。
しかし、いざ書くとなると、難しい。

1章でたった5ページ。
それで3章担当するから、15ページになる。

もっと早くとりかかるべきだった。
あと25日になって、あせり始める。

早く書き始めておいたらよかった。
後悔先に立たず。

締め切りが迫ってくるという感覚が少しわかった。

もちろん、本当はこんなものではないだろう。

今週末は真面目にやろう。

| | 考えたこと | 23:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
不完全な記述
楽譜というのは、音楽を表しているのだが、ほんの一部である。

コンピューターで音楽を作ってみて、それがわかった。

コンピューターで音楽を作ることを、通称「打ち込み」というのだが、その専用ソフトで昔、打ち込んだのだ。
打ち込むことによって、音楽には色々な要素があることがわかる。

音符は音の長さを表しているようだが、実際はそれは楽器によるものだ。
ピアノの場合、音をどれだけ伸ばすのかは、弾き手次第だ。
ギターもそう。
どちらの楽器も、同じ弦で(鍵盤で)もう一度同じ音を出すことで途切れるし、そうでなければ、音が減衰して消えるまで鳴っている。
だから、四分音符や八分音符といっても、それは音の長さを表さない。
発音のタイミングを表しているのだ。
スタッカートやレガートという記号があるが、それでもどれだけ音を短く(長く)するかは弾き手次第。
だから、打ち込む時には、音の発音のタイミングと、その音の長さは別々になる。
通常は、1小節を96に分け、四分音符は24、八分音符は12というふうになる。
それで発音のタイミングを決め、そして、その音の長さを入れる。
さらに、音の高さと強さがあるから、結局音符の情報は、音の高さ、発音のタイミング、発音の長さその強さという5つの情報で示される。

そうやって、打ち込んでみると、楽譜というのは案外ラフなものだとわかる。
いろんな記号があるが、それは弾き手の解釈次第だし、楽器が変われば、同じ楽譜でもまったく違う音楽になる。
オルガンとピアノでは、音符は同じでも、音を鳴らす人の解釈でだいぶ違うだろう。

ギターもそうだ。
どのポジションで音を出すかで、響きはかなり違う。
それを表すために、タブ譜というものがある。

結局は不完全な記述しかできない。

それが、楽譜というものだ。

でも、それを数値で入れるとなると、かなり正確になる。

数値化は不完全な記述をはっきりさせる効果がある。

これは、正しいと思う。


| | 考えたこと | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
身体の制約
年をとると、身体の制約が増えてくる。

身体の機能が低下して、今まで使えていたものが使えなくなるということだ。

最近一番気になるのは目。
老眼で近いところが見えない。
昔なら、もう寿命だ。老眼になる前に死んでいたのだろう。

50歳を過ぎたら、あとはついでの人生、とどこかの本に書いてあった。

通常の生き物なら、死んでいる方が多いという。

それはさておき、老眼だ。
どんな制約があるかというと、まず腕時計。
デジタルの時計が好きだったが、字が見えない。
アナログの時計はよくできている。

アナログでも、文字盤が小さいと見えない。
いちいち腕時計を見るのに、老眼鏡をかけていられない。
情けない。

それと、字がきたなくなった。
ちゃんと見えずに字を書いているからか…。
手許が見えない。

もちろん、体力は落ちている。
走ったりしたら、大変だ。
心肺機能が落ちているから、すごい汗が出る。
でも、こういうのは、ふだんあまりやらずに済む。

だから、目が気になる。

その身体の制約とも、うまくつき合っていかなければならない。

年をとるというのは、けっこう大変だ。


| | 考えたこと | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
本を読む楽しみ
本を読む楽しみというのは、いつ頃から始まったのだろう?

本を読まないといけない、という状況は中学から高校にかけてあったと思う。
というのは、少なくともこんな本は読んでおくべきだというような雰囲気があったからだ。
夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外…。

今はそんな雰囲気はなくなってしまったように見える。

では、本を読むことが楽しい、というのはいつ頃か?

小学校のころ、毎晩本を読んで寝ていた。
寝付きが悪いから、本を読むのだ。
だいたい、シートン動物記(狼王ロボ)、少年少女名作全集?(大岡裁き)などを読んでいた。
同じ話ばかり、ローテーションで読んでいた。

中学の時は、あまり記憶がない。
本を読んでいたのだろうか…。

太宰治を読んだのは高校の時。
司馬遼太郎も高校だ。
このあたりで、本を読むことが面白い、と思ったかな。

大学に入って、筒井康隆や吉行淳之介、光瀬龍、柴田連三郎、安岡正太郎などを読んだ。
この時は面白いと思った。

そして、会社に入って、岸田秀、山本七平、山本夏彦、などの評論を読みはじめる。
これはスゴイ、と思った。
外国の翻訳物の推理小説やノンフィクション。
サラ・パレツキー、スー・グラフトン。アミール・D・アクゼル、サイモン・シン。
これもスゴイ。
田辺聖子、佐藤愛子、曾野綾子。
これは面白い。
池田晶子はスゴイ。

いろんな人がいる。

今はちょっと読書ばなれしている。
ここ1年ほど、あまり読んでいない。

でも、読みたい本はたまっていく。

がんばって読まないと…。

| | 考えたこと | 01:06 | comments(0) | trackbacks(0) |