考えたこと2

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地上波に思う
年末で息子たちが帰ってきて、付き合いで地上波を見た。
「運動神経悪い芸人」という枠ができている。
ナイツの塙とか、麒麟の川島、フットボールアワーの後藤などがその枠に入っている。
12月30日のゴールデンアワーに放送しているのだから、かなりの視聴率が見込めるコンテンツということだ。

それらの運動神経が悪い芸人がハンドボールやソフトボール、卓球、水泳、バスケなどをやる。
まあ、本当に下手なのだろうが、それにしてもこれはわざとだろう、という感じ。
あまりにも下手すぎて、笑ってしまう。

昔と違うのは、その「運動神経悪い芸人」たちがお互いにそのVTRを見て、何のてらいもなく笑って、ツッコミを入れているところ。
別に運動神経が悪くても、それがどうした、という感じだ。

昔はシャベクリやコントをやって笑わせていたが、今は「運動神経が悪い」ことを売りにしている。
どちらかというと、悪い意味で生まれつきの才能であり、芸ではない。
ぼくらの若い頃は、それは恥ずかしいことだった。
今はそれをネタにして、ギャラがもらえるのだ。

面白くないことはないが、何だかなあ、という感じ。
誰かが、何かをできないことを笑う、というのは感覚的に抵抗がある。
だからこそ、本人たちがそれを笑い飛ばさないと、笑えないのだろう。
あの番組、運動神経が悪いということを、当の本人が恥じていたら成立しないと思う。

でも、笑いとしてはイージーで、あまり上等なものではない。
考え抜いたネタで、演じているわけではないからだ。
脚本もなく、ぶっつけ本番。
衣装はジャージだから、安い。
借りるところも、体育館とか、運動場でOKだ。

やる方も、もともと運動神経が悪いのだから、やりやすい。
いつもより、ちょっと派手にその悪さを目立たせればいいだけだ。
場合によっては、本気でやるだけでもいい。

何人か有名な芸人が入っているが、それ以外はギャラが安い芸人で済む。
事前の打ち合わせもほとんど要らない。

要するに、すぐに作れて、笑いが取れる番組が作れるのだ。
こんなことをやっていて、いいのだろうか。

何回か書いたが、大宅壮一はテレビが出てきたときに「一億総白痴化」と言った。
低俗なテレビを見るくらいなら、本を読めという意図だったのだろう。

でも、その大宅壮一もあの番組を見たら腰を抜かすだろう。
貧すれば鈍するで、テレビ局もスポンサーがなくなり、金をかけずに番組を作らないといけないから、こんな番組を量産する。
テレビに出る方も、ほとんどが30代、40代以上だ。
若い人たちはテレビを見ない。
見ないから、スポンサーがつかなくなる。
悪魔のサイクルに入っている。

こんなことをやっていて、いいのだろうか。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
役人の権限
ツイッターにこんなツイートが流れてきた。

ーーーーー
厚生省に電話をしました
「国際線国内線で席の左右前後2列のかたが濃厚接触者となります」
「どうして飛行機だけなんですか」
「え…、貴重なご意見として…」
「電車やバスやタクシーに濃厚接触者の規定がないなら飛行機に規定をつけないでもらえませんか」
「貴重なご意見上申させていただきます」
ーーーーー

こういう意味がわからない規制がいろいろとできて、自由を束縛している。
ツイートした人が言っているように、なぜ飛行機だけなのか、全くわからない。

最初は恐る恐るやっている感じだったが、役人は権限を行使しはじめると、それに慣れる。
ある種の中毒性があるのかもしれない。
そうなると、やりたい放題だ。

こういうことが起こらないように、憲法で基本的自由の尊厳を謳っているのではなかったか。

今は感染だけがクローズアップされて、感染者のどれだけが実際に発症しているのか、そのうちのどれだけが重症なのか、どれだけが死亡したのかという数字が発表されない。
感染してもほとんど無症状なら、それも報道すべきであり、それらを鑑みて感染対策はなされるべきだろう。
それらの数字を専門家はどう考えているのか、ということも発表されない。

「感染拡大しないように気をつけよう」「家の中でもマスクをしよう」などというのは、それらを判断して言っているのか、それとも一般論として言っているのか、全くわからない。
一般論なら、耳にタコができるくらい聞かされた。
ぼくが聞きたいのは、専門家の数字や諸外国の対応などに基づく意見だ。
マスコミの御用「専門家」など害毒だろう。

この状況でも、安全保障の時には声高に「憲法を守れ」と言っていた憲法学者たちも何も言わない。

飲食店の営業を制限したり、学校行事を取りやめたりして、その効果がいったいどれだけあったのか。
そんな検証も見たことがない。
逆に、人流抑制はほとんど効果がなかったという結果なら、実際にそういうデーターがある。

特措法の目的は、ちゃんと明記されている。
「国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすることを目的とする」ことなのだ。
今の政府や役所がやっていることは、この目的に反していると思う。
感染を防止すると称して、経済を破壊している。

今の首相を見ていると、新しい資本主義とやらは統制経済に見える。

専門家は、もっと科学的な説明をすべきだ。
できないのなら、専門家とは言えない。ただの物知りだろう。

こんな国で「私権制限」の法制化などやるべきではないぞ。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
自動車部品産業
半導体不足が言われているが、その一因は自動車業界にもある。
自動車がコンピューターになっているからだ。
アクティブセーフティなど、運転席から見える情報でハンドルやブレーキを操作するという高度な技術を駆使している。
そこには半導体が使われる。

それでなくても、昨今の車は車の中にたくさんのモーターが入っており、それらを駆動させるためにも半導体が使われる。
さらに、EVになると、もっとたくさんの半導体が使われることになる。
アメリカのクアルコムという会社は、スマホ等で使われる半導体の大手だが、自動運転などを視野に入れて事業拡大をしているらしい。

電子部品業界が、自動車部品に参入してくるということだ。
この手の部品は付加価値が高く、儲かると読んでいるのだろう。

家電大手だったソニーやパナソニックも、自動車関連の部品作りに参入した。
パナソニックは電池で、ソニーはセンサーで参入している。
ソニーなど、自前で車を試作しているくらいだ。
日立はもともと自動車部品をやっていて、こないだポルシェのパワー半導体を受注したというニュースがあった。

自動車の値段はどんどん上がっている。
昔の軽自動車は余裕で100万以下で変えたが、今や高いのになると200万を超える。
大衆車だったカローラでも、200万以下は難しい。
エントリーモデルでも諸経費を入れると200万を超える。
昔は余裕で100万円台で買えた。
高付加価値でハイブリッドになって、高くなった。

トヨタが元気な間に、自動車部品の裾野を広げ、もう一度電子産業を振興してほしい。
80年代に隆盛を誇った電子産業は今は見る影もないが、頑張って欲しいと思う。

一方でホンダは飛行機やロボット、再利用可能な小型ロケットにも進出するという。
日本の得意な、部品数が多く、信頼性の高さを生かした事業だと思う。

自動車産業も、本格的にシェアリングが始まれば、市場は縮小する。
自家用車の稼働率はたったの3%。
都市部で自家用車を持つというのは、非常な贅沢になってきた。
若い人たちは、カーシェアリングを使って自家用車は持たないという選択も増えている。

ぼくの若い頃は、オーディオやクルマは憧れだった。
毎日インスタントラーメンをすすって、2トラ38(ツートラサンパチ)のオープンリールのデッキを買うなどという記事も出ていた。
そういう時代だった。

もちろん18歳になったら、免許を取ってクルマがほしい、という時代。
山下達郎が新車のプレリュードで竹内まりやをひっかけた、などと深夜放送で(嘘か本当かわからないが)言われていた。

今は当の女子大生に聞いても、クルマは中古の軽のトールワゴンでいい、という時代。

ぜひともトヨタやホンダが元気な間に、部品産業の裾野を広げ、新しい分野を開拓してほしいと願う。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
ブリヂストンのリストラ
タイヤの大手のブリヂストンが事業の再編を発表した。
基本は本業に集中するために、収益率が低い事業を売却する、という方針。
防振ゴム関係を中国の企業に、自動車部品などの化成品は投資ファンドに売却する。
国内外の拠点22箇所を譲渡して、従業員7886人に転籍を求めるという。

さすがブリヂストンという感じ。
ミシュランと世界で闘っている会社だけのことはある。
ドライな経営判断だと思う。

ドライというのは、国内の従業員2773人も含めて、7886人が会社を変わるということだ。
日本では従業員に会社を辞めさせる(この場合は転籍ということだが)というのは、感情的に嫌われる。
経営者としては、最もやりたくないことだ。
それでも、今やらざるを得ないというのは、強い経営判断があったのだろう。

社長の石橋秀一氏は、創業者の一族かと思ったら、そうではない。
偶然創業者と同じ名字だったということだ。
となると、創業者でもないのに、この再編を発表したというのはスゴイことだと思う。
いろいろ批判はあっただろう。

入社後30代で当時買収したアメリカのファイアストンの立て直しに行って、10年以上アメリカで暮らしたという経歴だから、米国式の考え方を学んだのかもしれない。

さらに、先日の発表では「タイヤ工場など世界で約160ある生産拠点を2023年までに19年比で約4割減らすと発表した。タイヤは汎用品の拠点を重点的に減らすほか、非タイヤ事業では事業売却などに伴う拠点の削減も見込む。タイヤ事業では中国勢などとの価格競争が厳しく収益が悪化。20年12月期は69年ぶりの最終赤字に転落しており、生産体制を抜本的に見直す。」とのこと。

不毛な汎用品でのシェア拡大をやめて、高付加価値の製品だけにして儲けようという戦略に見える。

同業他社も、この発表を聞いて焦っているのではないか。
長い目で自動車産業を見たら、シェアリングによって台数は減る方向にいくだろう。
だからこそ、高付加価値のものだけが生き残るという考えに立ったと思われる。

本当に自動車業界も大変な時代になってきた。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
民主主義の危機
オミクロンに対して、過剰だと思われる対策が出ている。
ナミビアから帰ってきた人たち飛行機便では、前後の席の人だけでなく搭乗員全員を濃厚接触者として扱うという。
濃厚接触者になったら、いろんな自由が制限される。
また外国人は入国できないという鎖国の指令も出ている。

すでに海外渡航していない人でもオミクロンの感染者が出ている現在、外国人の入国禁止に大きな意味があると思えない。
自然感染の広がりがわかりにくいということは、感染しても発症せず、ほとんどが軽症か無症状だということだろう。
ウィルスが弱毒化しているということだ。

こういう点で、専門家は意見を述べないのだろうか。
今こそ、過剰な対策をやめてもいい、と政府や役所に対して言うべきだと思う。
そういう意見はネット上にはたくさんあるが、テレビや新聞には載らない。
恣意的にそういう意見を載せていないのだろう。

ウィルス関係のニュースがなくなると、それでなくても視聴率や読者が減っているマスコミが困るからだと思う。
大多数の国民の意識は、マスコミにひっぱられて、コロナは怖いという意識であるか、特に勤めている人たちは「コロナ自体よりも、コロナの「感染者」になることが怖い」という意識になっていると思う。
それらがどうしてできるのかが問題だ。

もちろん、法的根拠があるから自由を制限することもできるし、いろんな要請を出すことができる。
要請に従わなければ、罰則も与えることができる。
しかし、今回の感染症対策で、どういうふうに法律が適応されたのかは、ちゃんと検証されるべきだ。
法律がないから、政令や国との誓約などでやっている部分もある。

今回のオミクロンで海外から帰国した人たちは、事実上「14日間自宅待機する」という誓約書を書かないと、入国できないということであり、ほぼ強制的に誓約をさせられている。
14日間は確認の電話が入ったりして、それに出なかったりすると、誓約を破ったということで居住エリアや氏名も公表される。
要は晒し者にされるということだ。

世の中はコロナやオミクロンが危ないから、安全サイドに振ることについては当然という雰囲気もある。
実際にコロナ、オミクロンに対して厳しい処置をすると支持率は上がる。

しかし、日本は法治国家なのだ。
私権の制限にどういう根拠があるのか、専門家の依拠したデーターは何なのか、責任を持てる発言なのか、そもそも専門家としての適格性はどこにあるのか、事後になるがそういうこともはっきりしないといけない。
そしてそのことをちゃんと意識して悪かったことを反省して対応しないといけない。

それをほったらかしにしてきたのが、今の日本だ。
それは民主主義の危機だと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
年賀状
今年は昨日まで年賀状めんどくさいと思っていたのだが、思い立って今日郵便局に買いに行った。
同じ思いの人も多いようで、買うのに行列ができていた。

キャノンのホームページから素材を取ってきて、ワープロではがきサイズの用紙に貼り付け、裏面が完成。
宛名は喪中欠礼の分を抜いて、印刷して完成。
やる気になったら2時間ちょっとでできる。

メールやSNSもあって、今の時代、年賀状でもなあと思う。
それでも、結局考えてみたらみんなSNSはやっているのだろうが、ほとんどの年賀状の宛名の人のアカウントなど知らない。
年賀状で繋がっている友人とは年賀状を出すしかないのだ。

ぼくらの子供の世代は、もう年賀状は出さない。
この習慣も、高齢者がいなくなると、なくなるだろう。

今の就活生に、封筒の宛名書きなどを教えていて、これは意味があるのかと思う。
ぼくらがそれを知っているのは、使っていたからだ。
彼らはおそらく仕事で封書を使うというのは、ごくごく稀だろう。
そう思うと、それを知らなくてもいいのにとは思う。

だいたい、メールすら使わないから、書き方を知らない。
宛名という概念がないのだ。
たしかに、メールの送受信の画面で誰から送ってきたかはわかる。
そのメールを2次利用するということを考えない。

これは普段Lineなどのチャットで連絡をしているからだろう。
誰が誰に送っているかは送受信の画面でわかる。

さすがに、メールで時候の挨拶などは要らないと思うが、いきなり用件で始まるのも無粋だ。
この「無粋」というのも、なかなか通じない。
要は、かっこよくない、という感じなのだが…。

というわけで、年賀状は将来は消え去る運命だろう。

海外のクリスマスカードも減っている由。

「メリクリ」とか「あけおめ」とか、そういう新語が登場している時代。
それらの言葉も長い時間を経て変わっていくのだろう。

そんなことを考えて、年賀状を出すことにする。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
グローバルダイニングの訴訟
東京商工リサーチが実施したアンケートの結果、忘年会・新年会を開催しない企業が増えて、8割になっているとのこと。
10月の調査よりも10ポイント増えている。

実施する企業も、コロナ前と同じ形式でやるというところは21%で、やっても2次会は自粛とか、リモートでやるとか、開催前にPCR検査というような制限をつけているらしい。

ぼくは18日に元の会社の人たちと飲んで、昨日はギター教室の忘年会をやった。
あと2回ある。
それぞれ、仕事関係、大学関係の仲の良い友人とだ。

もといた会社も、まだまだ自粛らしい。
宴会を期待していた外食業界には本当に気の毒だ。
もっとひどい時に、飲み食いしていた国会議員や医師会長など、本気で腹が立つ。
自分たちが飲み食いするのなら、自粛などやめろと言えばいいのだ。

事なかれ主義で、自分たちの権威をひけらかしたい政治家や役所、さらにそこに利権も加わっている一部の「専門家」、医師会など、この経済的打撃の責任をどう取るのか。
コロナ禍が終わったら、じっくり検証をしてもらいたい。

グローバルダイニングが東京都を訴えている裁判に注目している。
いろんな記事が出ているが、ぜひ社長には頑張ってほしいと思う。
今回の理不尽なコロナの過剰な対策や煽りをちゃんと司法の場で検証してほしい。
誰が、どんな責任で、何をやったのか、その一部でもいいから、明らかにしてほしいものだ。

原発の時にも思ったが、本当にいい加減な「専門家」やマスコミが好き勝手なことを言って日本のエネルギー政策を無茶苦茶にしてしまった。
もちろん政府の責任もある。
でも、あれらの「専門家」やマスコミの醸成した空気が、未だに日本を支配している。

今回のコロナ禍も同じことだ。

本当に何とかしてほしいと願う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
講談社とアマゾン
講談社とアマゾンは長らく緊張関係にあったらしい。
日本では、書籍や雑誌の流通システムは取次の会社を通していたが、最近は取次が中抜きされるようになったきた。
さらに、書店の数が減って、アマゾンが通販で存在感を持ち、出版社からアマゾンが直接読者に販売するというルートも増えた。

出版社の中では、講談社はかたくなにアマゾンとは一線を画してきた。
しかし、今年の9月についにアマゾンと直接取引に踏み切ったとのこと。
講談社も、長いものには巻かれろということになったのだろう。

誤解を恐れずに言えば、日本独特の流通形態が外資によって効率化されたとも言える。
以前は注文しても1〜2週間待たされる状況だったのが、アマゾンなら翌日に届くという例もある。
取次を中抜きすることで注文する方も良くなったのだ。

知らなかったが、週刊誌の電車の中吊り広告も減っているらしい。
そう言えば、以前より見る機会が減ったように思う。
主要4誌(週刊文春、週刊新潮、週刊ポスト、週刊現代)はすでに中吊り広告を止めたとのこと。
なぜかというと、みんなスマホを見ているからだ。
一部の電車では動画コンテンツを流しているということもある。
こんなところでも、アナログからネットメディアへの動きがあるということだ。

大手の出版社の業績も好転している。
引っ張っているのは、電子コミックを中心とする電子書籍。
流通経路が決まり、海賊版も減ったのかもしれない。
息子が大学生の頃は、よく家のパソコンでコミックを見ていたのを思い出す。

今回の講談社のアマゾンとの直接取引は「講談社現代新書」「ブルーバックス」「講談社学術文庫」のすでに発売しているものだけだという。
しかし、いずれは全面的になるのだろう。
それだけ出版社の今までのビジネスは、ピンチになっているということだ。

たしかに、ネット上には無料の文字や写真が溢れている。
それらを見たり読んだりしていたら、本など買って読む暇はない。
特に、雑誌などは多くは広告がらみの記事も多い。
趣味の雑誌など、新製品の紹介とか、こんなふうに使っているというようなものだから、完全にネットで代替えできる。
よく考えたら、雑誌の役割の多くの部分はネットに取られる運命なのだ。

ぼくはSNSでヤマハやローランド、コルグなどの楽器メーカーをフォローしている。
新しい製品が出たら教えてくれるし、Youtubeで気になる製品のレビュー動画を探せばすぐに見つかる。
なかには金をもらってやっているような怪しいやつもあるが、それはチャンネル登録者数や「いいね」の数などで判断できる。

そう思うと、雑誌の生き残りはとてもむずかしい問題だろう。

出版業界は頭が痛いだろうなあ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランプの功績
トランプ元大統領の話題が続く。
ネットの記事にあったが、トランプ元大統領の一番の功績は「2対1ルール」だという。
そういえば、以前に聞いたことがある。

2対1ルールとは、新しい規制を1つ作りたかったら、いらない規制を2つ廃止しろ、というルール。
ほっておいたらどんどん規制を増やすのが役人の傾向。
それでたくさんの規制ができて、時代の変化についていけず、新規の事業や仕事の効率化が進まない。
そのために、規制を減らそうというのが2対1ルールだ。
結局、1つ増やして、2つ減らすのだから、トータルでは1つ減になる。

トランプ氏が大統領になって直後に出した大統領令だった。
これはすごい。
昔からある規制のおかげで、なかなか前に進まないことがたくさんあると思う。

セルフのガソリンスタンドは、消防法の規制を緩和することで設置できるようになったし、コンビニの出店が住宅の近くにもできるようになったのも、「第1種低層住居専用地域」への出店規制の緩和があったからだ。

これからの日本では、労働者の数が減り、生産性を上げて仕事を進めないといけない。
そのためにも、技術の進歩等で可能になったり、社会情勢の変化で不要になったり、あるいは新しい事業のジャマになる規制はどんどん撤廃すべきだと思う。
もちろん、その規制ができた経緯はしっかり調べて、それをやめるについては考えないといけない。

日本の役人は真面目だから、何か問題が起これば、どんどん規制を作る。
でも、作った規制はほとんど見直されないのではないか。
そして、その規制が新しいことをやる時のジャマにすらなっているのが現実だと思う。

昔アメリカやヨーロッパに出張したとき、ガソリンスタンドで自分でガソリンを入れるのにびっくりした。
もう40年ほど前の話。
なんでアメリカやヨーロッパでできることが、日本でできないのだろうと思っていた。
それを「おもてなし」という言葉で言うには、あまりにも無駄だ。

日本の美徳のようになっている「おもてなし」という言葉で、実際にはたくさんのムダができているのかもしれない。
そしてそれが無駄な仕事を増やし、人を増やして、結局は給料を下げているのかもしれないと思う。

アメリカでは2017年から2019年の間に、新設1つの規制について、8個の規制が廃止されたという。

日本の給料が上がらない原因の一つは、多すぎる規制ではないか。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
トランプ人気
日本では想像もつかないが、アメリカではまだまだトランプ元大統領の人気は強いらしい。
Forbesの日本版の記事があった。

アメリカの国民の25%もの人が、次の大統領選にはトランプ氏が出馬すべきだと言っている。
バイデン大統領の人気はやはりちょっと不調のようだ。
たしかに、見るからに元気がない。
メディアの露出度も低く見える。

バイデン大統領と比べると3歳若いとはいえ、もう75歳になるトランプがそれだけ人気があるというのにはビックリする。
また、今回の調査の質問が、次期大統領選挙出てほしい人は誰か?という質問だから、大統領としてのトランプの存在感は大きいということだ。

共和党員に関しては49%がトランプ出馬を推している。
無茶苦茶なことも言うが、とにかくバイタリティはあったから、人気があるのだろう。
確実に一部のアメリカ国民の気持ちを代弁している部分があるからこそ、強いのだと思う。

金にものを言わして、トランプ氏は自前のSNSを立ち上げる予定だという。
メディア業界には評判が悪く、今のところ全ての主要なSNSから追放されているトランプ氏だが、ネット上でも存在感を示そうとしているのだ。

日本の結果の決まったかったるい選挙より、アメリカの選挙の方が面白い。

三権分立を徹底して、行政の長を直接選挙で選ぶという方式。

首相と大統領とどちらの制度がいいのか、わからない。
議会制民主主義の日本では、議員を選挙で選ぶだけで、首相はその議員が選ぶ。
あまりとんがった人(トランプ氏のように)は選ばれにくい。

一度大統領制をやってみてもいいのではないか。

と言っても、そう簡単には変えられないが…。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベースマン
昨日は1年ぶりに会社の先輩、後輩とやっているバンドの練習を再開した。
先輩1人と後輩1人とぼくで3人。
去年の12月以来の練習。

古希の先輩は声が出ないと反省していた。
音源とコード譜だけみんなで共有して、いきなり合わせようという方式だから、なかなか大胆な計画。
後輩が音源からドラムを抜き出すというiPadの無料のアプリで、曲のドラムに合わせてやれた。
なかなか秀逸なアプリだ。
楽曲のドラムだけを抜き出すというのは、どうやっているのかわからなかったが、また調べよう。

1曲めはアリスの「今はもうだれも」。
この曲はコーラスが難しい。
メロディーの下の音程が取りにくくて、苦労していた。

ぼくはベースを弾きながら歌おうとしたのだが、歌えない。
慣れないベースを弾くので、曲のビートがずれてしまうからだ。
やはり歌いながら弾くためには、楽器に慣れないといけない。

でも、えらいもので1時間ほど経つと、結構聞ける曲になったと自画自賛。
後で録音を聞いて、がっかりしたが…。

2曲めはジローズの「マイ・ハート」。
1968年の曲で、英語の歌詞が日本語感覚で作られており、ひとしきり文句を言う。
あの頃は英語というだけでカッコよかったのだ。
こちらはドラムが入ってないので、iPadのドラム音源はなし。

「マイ・ハート」も歌が問題だが、演奏はまずまず。
ちゃんとベースが入ると、音楽に厚みが出る。

今回の2曲はどちらも簡単な循環コードがメインで、C-Am-Dm7-G7(1-6-2-5)か、C-Em-F-G7(1-3-4-5)だから、ベースラインは比較的簡単。
それでも、歌うとズレる。
やはりベースが狂うと、音楽にならないという感じだった。

次回は2月くらいを考えており、それまでに課題曲を1曲増やして、次は頑張ろうということになった。

ベースもビートが決まると楽しい。
次回も頑張ろう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
モラトリアム
年の瀬になると、何となく気がせく。
就活生で、今の時期に決まっていない4回生はなおのこと気がせいて、滅入ることになる。

ずっと相談に来ていた学生が、このところホテルを受け続けていたが、進路の相談に変えた。
面接まではいくのだが、選考に落ちて、もう疲れたということだ。
負の連鎖に入ってしまって、通らないから焦って受け、焦って受けるからうまくいかないという状況。
特にホテルの業界はインバウンドの需要がなくなり、採用は細々とあるものの、苦しい。
アピールポイントが「中国語が日常会話レベル」ということだから、インバウンドがなくなったのは相当きつくなる。

自分がやりたい仕事と、やれる仕事が一致しない面もある。
俗にいう「向いていない」ということだ。

これはインターネットが使えるようになったことで進んだ。
文系についてはほぼ全ての企業が「学部学科不問」になったから、よけいにややこしくなった。
日本企業のゼネラリスト志向もそれに輪をかけている。
学生にとっては、目の前にほぼ全ての業界からの求人が見える。
当然、憧れもあって、それに従って受けることになる。

ぼくらも含め、周りもそれを「向いていない」という理由では止めにくい。
実際にどんな人が求められているかわからないからだ。
結果的に今回の学生のように、それで疲弊する学生も少なくない。

だからこそ、自己理解をしてから受けようということになっている。
自分がやろうと思って力を入れて取り組んできたことや、やるべきと思って取り組んだこと、興味を持ったことなどを振り返る。
挫折体験、成功体験なども思い出し、友人の評価なども参考にする。
その上で、自分の強みは何かを考える。

そして最も大事なのは、自分がどうあると望ましいのかということを知ることだ。
残念ながら、そこまで思い至る学生はほとんどいないが…。
もともと人生に意味などないが、キャリアを考える上では、この「自分の存在の意味」はとても大事だと思っている。
それらを考えれば、自ずと自分はこういうことが得意だから、こういうことをやりたいということが見えてくる(はず)。

これらを総称して自己分析と呼んでいる。
それができていれば、明らかに「向いていない」仕事はやめとこう、ということになるはず。
しかし、言うは易く行うは難しだ。
自己客観視は難しい。

もともと、一生をかけて、考えることなのだろう。
自分を振り返ると、20歳のころにはそんなことは考えたこともなかった。

その学生にはいったん休憩しよう、と言った。
目先を変えてうまくいくこともあるし、ホテルだけが仕事ではないということも伝えた。
もともと、ホテルの仕事のごく一部しか見ていないのだ。

年末年始、就活を離れて、来年どうするかを考えよう。
それを考えているうちに、何か思うこともあるだろう。

気楽な年金生活者やマスコミ、専門家会議、医師会、首相まで「オミクロンが怖い」などと言っているが、多くの若い人たちがこういう時間を過ごしている。

あの連中はわかっているのだろうか。
| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
データセンター
GAFAに代表されるコンピューターの先端企業。
彼らはデーターを貯める、というインフラの領域に入っている。
21世紀はデーターの世紀とも言われている。
そのデーターを貯めるためにあるのが、データーセンター。

いろんなセンサーが発達し、そこでとれたデータを自動で送信して貯めるというようなシステムが簡単にできるようになって、大量のデータが集まる。
それ以外にも個人が作り出すデータの量も膨大だ。

スマホ経由で、個々人の位置情報も入ってくる。
ナビから、クルマの移動も把握できたりする。
それらのデーターは膨大なものだ。

そして、それらを解析する技術としてAI(人工知能)ができた。
貯める意味が大きくなったということだ。

あの膨大なデーターをどこにどうやって貯めているのか、不思議になる。
みんながビッグデーターなどと言っているが、それらを使えるのは貯めるインフラがあるからだ。
もちろん自社で貯めている場合もあるが、バックアップなどの手間を考えるとクラウドのサービスを使ったほうがよい、という決断がどんどん増えていると思う。

CO2削減という観点で見ると、電力に比例してCO2消費が増えていくということになる。
だからこそ、単位電力あたりたくさんのCO2を出す石炭火力が目の敵にされているのだ。
いくら日本の燃焼効率の高い石炭火力でも、CO2は多めに排出される。

ちなみに、再エネはCO2を出さないが、太陽光は夜間は発電しないし、風力は風が吹かないと発電しない。
今の技術ではそんなに大きな電気を蓄電することができないので、バックアップの電力がなければ停電してしまう。
みかけはクリーンだが、電力供給という観点からはまだまだ難しいのが現実だ。

現時点で一番CO2に関してクリーンで、使い物になるのは原子力だと思う。
イギリスでは風が吹かなかった時には、石炭火力発電所を動かしている。
脱炭素の旗を振っているイギリスでさえバックアップが問題なのだ。
しょっちゅう停電するような危ない電力など、データーセンターでは使えない。

また、データーの保管そのものの電力も必要だが、それに付帯する冷却設備などの消費も大きい。

2035年までの予想では、人類が作り出すデーターは2000ゼタバイト以上だという。
1ゼタバイトは、1テラバイト(1000ギガバイト)の1億倍だから、とにかくすごい量だ。
これらのデーターを保管するためのエネルギーは天文学的数字になるらしい。

脱炭素というのなら、現時点では原子力を使うしかないと思う。
軽水炉ではなく、新しい原子炉を使って、安全に原子力を使うことが必須だろう。

早く日本でもそういう取り組みをするべきだと思うのだが…。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
寿退社
寿退社という言葉も死語になったようだ。

国語の先生が、高校3年生に「寿退社」の意味を聞いたら、「定年まで勤め上げて退職すること」だと言った、という記事があった。
なるほど、そういう意味に取るのが自然か。

結婚して、退職するという常識はもう今の女子学生にはない。
産休や育休の制度もあり、結婚しても働き続けるのが前提。

まあ、企業の側もいつまでも「定年まで面倒を見る」ということはできないだろう。
いずれ、寿退社という言葉もなくなる日が来る。

ということは「永久就職」という言葉もきっともう通じないだろう。
「永久就職」はよほどいいところに就職した、という意味かと思われるのか。

昔は「花嫁修業」という言葉もあった。
お茶、お花などの習い事や、料理学校に行くなど、そういうことが「修行」だった時代。
当時の結婚適齢期は20歳前半だと言われていたと思う。

今はそんなことを言えば、「女性蔑視」だと言われる時代。
時代はどんどん進んでいく。

今や専業主婦の世帯数は、共働きの世帯数の半分程度。
1980年とは全く逆転した。

ある意味、二人で働かないと食えないということもある。
ここでも、結果的には貧しくなった{特に若い人}ということが現れているのだろう。

この調子で行けば、まだまだ日本は貧しくなるだろう。

新しい意味の寿退社という言葉が懐かしい、という日が来ると思う。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
日経新聞の学歴フィルター記事
日経新聞に「採用の学歴フィルター「親ガチャ」逆転を阻むな」という記事があった。
ハナマルキャリア総合研究所の代表である上田晶美氏の署名記事。

読んでいて、ちょっと驚いてしまった。
新卒採用時の企業の「学歴フィルター」について書いている。
学歴フィルターというのは、この場合学歴(入学難易度を表す大学の偏差値)によって受ける学生を選別する、ということ。
主に大人数を採用する大企業で、採用予定者を大学別に設定して、効率化を図っているということだ。

今回、マイナビという就職支援の会社のメールで、題名のところに誤って偏差値別の大学群を表す言葉を入れたまま発信してしまった。
そのことを言っているのだろう。
おそらく、マイナビのメール発信担当者はエライことになっているとは思う。

上田氏は学歴フィルターに対して、「一般企業なら何をしてもいいという意見は通らない。特に大企業には公共性が問われてしかり。会社員が大半を占める我が国において、就職に関する機会の均等化は必須であろう。」と書いている。

驚くべき意見だ。
自社の採用に対して、こんな事を言われたら、人事担当者はたまったものではない。
大企業といえども、公共の利益のために、採用活動をやっているのではないからだ。

人事担当者も、全ての学生を面接できれば学歴フィルターなど要らないが、面接のキャパシティーを超える応募者があった時に、何らかの手段で応募者を減らさざるを得ない。
それがエントリーシートの場合もあれば、学歴フィルターの場合もあるということだ。

もちろん、それを大手を振ってやっているわけではない。
だからこそ、隠してやろうとしていたのだろう。
しかし、そういうことをやるからといって、非難するにはあたらないと思う。

上田氏はこうも書く。

「ある教育機関の調査によれば、小学5年時の偏差値と高校3年時の偏差値は相関関係が高いという。小学5年生の偏差値は家庭環境に大きく左右されるものであり、それは「親ガチャ」に他ならない。
「親ガチャ」を逆転できるのは就職である。そこに学歴フィルターが大きく影響しているとなると、格差の固定化を助長していることになりはしないか。」

「親ガチャ」というのは、生まれもった環境や能力によって人生が大きく左右されるということから、「生まれてくる子供は親を選べない」ことをランダム要素の強い「ガチャ」になぞらえて言っているものだ。

問題はあるにせよ、これだけ大学の偏差値というものが世間で通用しているというのは、それが何らかの意味を持つからだ。
だからこそ、やむを得ずそれで応募者を減らすことの何が悪いというのか。
上田氏も就活の関係者なら、その意味を感じる場面もあったはずだ。

企業はたしかに「何をしてもいいという意見は通らない」と思う。
しかし、採用活動の目的はできるだけいい人を取ることであって、それは公共の利益のためにやっているのでない。
自社の利益のためなのだ。
そのために、法的に許されていることは何をやってもいいのは事実。

今回、それが誤って外に出たのはあくまで人為的ミスだろう。

大手を振って言えるものではないが、それがわかったからと言って「就職に関する機会の均等化」を振りかざして非難するのはおかしい。
採用活動というのはもともと客観評価ではない。
税金が入っている大学の入試ではないのだから、機会を均等にする必要もない。

日経新聞の編集者はいったい何を考えて掲載したのか、理解に苦しむ。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
おかげさま
「おかげさま」という言葉がある。
感謝を表す言葉で、昭和の時代劇にはよく出てくる。

最近はあまり使う場面がないが、何かうまくいって、他人からそのことを言われた時に「おかげさまで」などという場合が多い。
自分の努力だけではなく、「何か」の力だということを伝えているのだろう。
それはある種宗教的なものだ。
西洋で言うと「神のご加護で」というようなニュアンスのように思う。

こないだチャンスの神様のことを書いたが、人生も終盤になると、「運と縁」というものが大事なのだと思わされることが多い。
ぼくが今の仕事を続けられているのは、本当に「運と縁」のおかげだと思う。

最初に入った会社の仕事は、振動騒音の実験だったし、そこから設計に行って、さらに技術企画という部署で図面の仕事をした。
そこから学校法人に転職して、PC教室の仕事を経てキャリアの仕事になった。
どの部署も、自分からやりたいと言って変わったわけではない。
行った先である意味やった結果がこれだったということだ。

二度目の退職をして、今の仕事を初めた。
これが最後の仕事だと思う。

振り返れば、やっぱり「運と縁」だ。
結果論とも言える。

自分のキャリアを考える時に、一番大事なのは目の前の仕事を一生懸命やることだ。
それが結果的に自分をいい方向に向かわせてくれるのだと思う。

逆説的だが、チャンスの神様を捕まえるには、変わることばかりを考えていてはいけないのだろう。
その時期が来るまでは、目の前の仕事を一生懸命やることが必要なのだ。

そうすることが「おかげさま」を招くのだと思う。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
気がかり
春から夏にかけて、相談を重ねた学生がいる。
最初は友達と2人で来て、話をした。
あだ名の意味がわからなくて、なんでそういうあだ名なのか?と聞いたら、友達の方が知り合ったときは違う名字だったことを話してくれた。

わりと地頭のいい学生で、奨学金をたくさん借りているから、いろいろ法律を調べたと言っていた。
イザとなったら自己破産できる、ということも知っていた。
しかし、それにはデメリットもあるよ、と伝えたが、借金がチャラにできるならいいとも聞いた。

スーパーでアルバイトをして、そこで仕事に熱中して留年してしまった。
もう一人の友達は留学して留年だった。
どちらも5回生。

留学した友達は夏に地元の企業で内定したとのこと。
大量の奨学金を借りている学生は、なかなか内定が出ず、いくつかお祈りメールをもらって、相談に来なくなった。
もう4ヶ月ほど音信不通。

大学に入ってから、きっといろいろあったんだと思う。
それ以上細かいことは聞けない。

今日別のスタッフに聞いたら、何とか卒業はできそう、ということだ。
それでも、この秋学期の頑張り次第という。

来年の3月の卒業式までに、また相談に来てくれることを望む。
残念ながら、ぼくらの仕事は本人がその気にならないと始まらない。

気がかりが一つ増えた。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
リモートワーク礼賛?
コロナでリモートワークがあっという間に広がり、それをしない会社はダメだという人も増えた。
特にネット上ではそういう意見が主流のような気がする。
日経ビジネスに「「オフィスに戻ってこい」という企業から優秀な社員が消える理由」という記事が出ていた。

書いたのは山口 周氏という人。
Wikipediaによると「日本の著作家・パブリックスピーカー・経営コンサルタントである。本人は「ナレッジキュレーター」と名乗ることもある。株式会社ライプニッツ代表」ということだ。
電通などで働いた後、今の仕事をやっている。
株式会社ライプニッツを調べると、社員5人であり、もともとフリーで活動している人たちが仲間になったという感じ。

要するに、山口氏はもともと一人でやるのが好きなんだろうと思う。
「どこでもオフィスの時代」という本を出しているらしい。

ぼくはリモートワークは認めるし、それも必要だし、便利だと思うが、だからといってオフィスが不要だとは思わない。
どういう働き方を望むかや、仕事の有り様によって、オフィスの必要性は違ってくる。
最近多いのが、アフターコロナで、オフィスなど不要だという意見。
それはあまりにも短絡的な意見だと思う。

彼はこう書く。

「新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)により、リモートワークがここまで大々的に社会にインストールされた今、自由に動いて自分にとってしっくりくる「場所」を見つけられた人と、そうでない人とでは、クオリティー・オブ・ライフ(人生の質)に甚大な差が生まれてくるでしょう。会社という組織レベルでも二極化が進みます。

 パソコンに向かって一日仕事をしていても、終わって外に出たら自分が100%気に入っている風景が目の前に広がっている。そんな生活をしている人で構成されている組織と、そうでない組織とでは、生産性にものすごい差が生まれます。

 グロス・エンプロイー・ハピネス、つまり従業員の総幸福量が高いかどうかが、企業の生産性に大きく影響する時代が到来しつつあります。

 そういう時代において、社員全員が「なんとなく」毎日オフィスに集まっている組織は、本当に大丈夫なのでしょうか?」

彼にように優秀で、自分の好きな場所で働ける人は、そういう会社で働けばいい。
だからといって、それをしない会社はだめになると言い切れるのだろうか。

オンラインで失われるものもあるということだ。
それは会議の後の無駄話だったり、ちょっとした相談だったり、今そこにいるからこそできる話だったりする。

実際、対面の相談は時間延長になりやすい。
オンラインの相談は終わりやすいのだ。

太古の昔から人類は顔を突き合わせて生きてきた。
その名残か、やっぱり顔を突き合わせていると、余計なおしゃべりをしてしまったりする。

オンラインでできる「場」と実際に対面でできる「場」は本質的に違うのだろう。
彼のように、自分一人で考え、やってきた人はそういう「場」を必要としないのかもしれない。
でも、多くの一般人には、そういう場も必要なのだと思う。

それは古い考えなのかもしれないが…。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
名門女性誌
女子大生のバイブルと言われた女性誌が不調らしい。
月間の女性誌は2020年に3年連続2桁減。
「ミセス」「andGIRL」とかが休刊し、「HERS」月刊間をやめ季刊誌に変更。
「JJ」は月刊をやめて不定期刊行になった。

なかでも、「JJ」はドル箱事業だったとのこと。
女子大生の媒体接触率は100%近い時期もあったらしい。

例によって2010年くらいから広告主離れが加速し、出せなくなったとのこと。
知らなかったが、ファッション誌は1号あたり数千万円の制作費がかかるらしい。
カメラマンやヘアメイク、スタジオなど経費が大きいのだろう。

これも例によって「JJ people」というWebマガジンになった。
毎回SNSのインフルエンサー1人を特集している。
結局出版業がWebの人を紹介する事業になったということだ。
「JJ」の資産である、インスタグラムやツイッターのフォロアーをどう生かしていくか、ということだろう。

Youtubeの動画コンテンツで広告費を稼ぐ手もある。
キャバクラ嬢向けの「小悪魔ageha」(そんな雑誌のジャンルがあるとは知らなかった)は、雑誌からWebコンテンツに変更し、キャバ嬢のメイクなどをとりあげて、動画配信して儲けている。

若い人たちはアルバイト等で儲けたお金を使うのにシビアだ。
欲しいものはたくさんあっても、一人ずつ違う。
多様化した欲望に対応できるのは、Youtubeやインスタグラムなどの画像メディアなのだろう。

本屋がどんどん潰れ、雑誌を買うのはコンビニになった。
窓際に雑誌を並べて、立ち読みする客を見せていたコンビニも、雑誌の売上の減少が続いているらしい。
要するに、日本中で書籍の売上が減っているのだ。

窓際を日用品にしたり、イートインにしたりする店舗も多い。
雑誌離れが起こっているのだ。

たしかに、昔買っていたギターマガジンも今は買わない。
定期購読する雑誌はなくなった。
そういう情報はネットで見られるようになったからだ。

今はYoutubeで自分に合ったギター講師を見つけることもできる。
お気に入りのメーカーをSNSでフォローしておけば、新製品の宣伝はすぐに見られる。
新製品は、1ヶ月もすればレビュー記事が出る。
メーカー側もユーザー確保のためにメルマガを出したりしている。
大手の楽器店は、ECサイトになって、中古も新品も探すことができる。

そういう時代に、わざわざ雑誌を買わなくてもいい。

「Seventeen」は年間数回の発刊で、読者のターゲットも中高生と若い。
だから、デジタルシフトも早かった由。

ファンのコミュニティを作るために、毎週のようにライブ配信を実施して、コスメの紹介企画などもやっているらしい。
セブンティーンモデルが歌って踊る、有料公演もやる。

結局はどういうコンセプトでネットメディア化するかだろう。

出版業界の生き残りも厳しい。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:03 | - | - |
英語の謝罪
日本語と英語で、謝罪をするということはだいぶ違うらしい。
「それは英語じゃないだらふ」という本の著者が解説している記事を読んだ。

謝罪コンサル(こういう言い方が正式なのかどうかはわからないが)の言うことには「謝罪会見の時には、謝罪の言葉を述べて1分間は頭を下げておくこと」が推奨されるらしい。
日本ではまず謝罪の意思を表現することが大事なのだろう。

記事では、日本語は「秘すれば花」の言葉だとすれば、英語は「細部に至るまで言語化」するのを好む言葉らしい。

「日本人の英語をネイティブが聞くと、何か物足りなくて不安に陥り、ぎこちない空気が流れる理由はここにあり。そのすれ違いが起きやすい「謝罪パターン」を見ながら、謝ったあとにどう説明するか、表現リストをぜひご覧ください。」

記事にはこう書いて、英語ではどう謝罪の文章が綴られるかを紹介している。
例文を見ると、

Sorry, I'm so late. The traffic was really heavy this morning.
(すごく遅れてしまいすみません。今日は道がすごく混んでいたのです。)

I’m awfully sorry for the slow service. Unfortunately, we are short-staffed this evening.
(サービスが遅れて大変申し訳ありません。あいにく今晩はスタッフの人数が足りないのです。)

というような感じ。

日本の謝罪会見で「この度の不祥事は誠にすみませんでした」などと言って、長い間お辞儀しているのとはだいぶ違う。
要するに、英語では単に謝罪するだけでは不十分なのだ。
なぜこういう事になったのかを言わないと、謝罪とは見なされないということだ。

「謝罪の場合には、このちがいが大きく表れます。日本語なら「すみませんでした」で通用する状況であっても、英語では「理由」などを付け足さないと、ことば足らずの印象を与え、最悪相手の心証を悪くしてしまいます。」

英語は本来そういう言葉なのか、ヨーロッパ、アメリカがそういう文化なのかはわからない。
そういえば、若い頃に「英語で簡単に”sorry”と言ってはいけない」ということも聞いたことがある。
「すみません」ということで、自分の非を認めることになるから、ということだったと思う。

だからこそ、謝罪の場合もなぜその事態が起こったかということを説明しないとダメなんだろう。

どちらがいいのかはわからないが…。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
宴会今昔2
以前宴会今昔という記事を書いたが、ぼくが会社に入った頃の宴会は、単にみんな集まってワチャワチャ話しながら料理を食って、酒を飲むという感じだった。
最初に乾杯の音頭こそあれ、最後は適当に幹事が締めて終わり。
式次第などなく、幹事の仕事は宴会場の手配と会計だけだった。

ところが2010年代くらいから、宴会には式次第やアトラクションというような計画ができて、幹事の仕事は大変になったと思う。
今日ホテルの宴会場のHPを見ていたら、こんなコピーがあった。

「盛り上がる!「お笑いパック」
幹事さん安心してください!絶対に盛り上がるテッパンの宴会ノウハウ「お笑いパック」が無料です。笑いは宴会の最高のスパイス!

感動DVD無料作成
大切なあの方に最高の花道を!無料で感動DVDをお作りします。思い出の写真とメッセージを胸にしみるメロディに乗せて。宴会場は感動の嵐!

備品・制作物全て無料
追加費用一切なし!パソコン・プロジェクター・スクリーン・吊り看板や演台・マイク…宴会に必要な備品は全部無料でご用意します。案内状の宛名作成も無料です。」

ここまで来ているのかとびっくり。
もちろん庶民的なホテルで、3時間飲み放題付きで¥4500円。

最後の職場の宴会は2014年の忘年会だったが、その時は幹事の人たちがアトラクションでクイズを用意していた。
みんなに画用紙を配って解答させたりするもので、結構凝っていたと記憶している。

そういう宴会はそれなりに楽しいのだが、そこまでしないと間が持たないのだろうか。

そういえば、ぼくが学校法人に行って、最初に宴会の幹事をやった時に、メンバーが揃っていなかったのだが、開始時間になって「それでは乾杯の練習1回目」ということで乾杯して始めた。
それはぼくのいた会社では当たり前の風景だったが、学校法人では驚くべきことだったようで、回りの人から「普通の会社ではこんなのアリなんですか?」と聞かれ、こちらの方が驚いた覚えがある。

どちらが当たり前なのか、未だにわからないが、これでは宴会は仕事の延長になってしまう。

「職場の仲間=気の合った友人」ではないが、ある意味そういう付き合いができるのが理想だと思う。
それは間違っているのだろうか。

単に飲んで食っておしゃべりを楽しむ。
そういう宴会は会社ではできなくなっているのだろうか。

そうだとすると、みんなリモートがいい、という気持ちもわかる。

しかし、それは生産的な組織ではないように思うのだが…。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
ギロビッチ博士再び
16年前にギロビッチ博士という記事を書いた。

ギロビッチ博士は行動経済学者。
「人間は行動した後悔より行動しなかった後悔の方が深く残る」という大和証券のCMで知った。

そして、このCMで行動経済学というものを知り、本を何冊か読んだ。

竹内まりやの曲に、「チャンスの前髪」というのがある。
この歌詞で「チャンスの女神は前髪しかないから」というのが出てくる。
だから「通り過ぎたら手に入れることは無理よ」ということになる。
まさに「石橋たたかず渡ってしまうのも時には明るい未来につながるはずね」なのだろう。

ここで出てくる神様は、ローマ神話の女神フォルトゥーナのことで、フォルトゥーナには前髪しかないから、後からではチャンスを掴めないということからきている。
西洋には、そういう言い伝えがあるのかもしれない。

日本にも「後悔先に立たず」という諺はあるが、今ひとつ前向きな感じがしない。
類語辞典で調べてみても、前髪をつかみに行くというような意味の諺は見当たらない。
農耕民族だからだろうか。
積極的に動くよりは、動かずに後悔することも、ある意味良しとしてきたのだろう。

でも、時代は30年以上低成長が続き、これからマイナス成長もあり得るという時代。
高度成長の時代のように、チャンスをのがしても待っていたら報われるという時代ではない。

もっとギロビッチ博士の言っていることは、みんな知るべきだ。
Take a chance, make your choice.

チャンスの神様は前髪しかないのだからなあ。

迷ったらやってみよう。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本私大連の反論
予想通り、ガバナンス改革会議の提案には私大連が反対の声明を出した。
当然のことだ。
自分たちの権限が縮小されることに賛成するわけがない。

さすがに、日大の件もあり「学校法人には公正さと透明性の高いガバナンスが求められる」という文言は入っている。
しかし、自浄作用がない以上、今回の荒療治は必要だ。
なぜなら、ことが「教育」という国家百年の計に関わることだからだ。
ことは単に学校法人のガバナンスだけのことではない。
税金が投入されている非営利の法人が、真面目に仕事をしていないのだから、外部に権限を持たせて監視することは必要だろう。

私大連の反論の文書には、こう書いてある。

「今日の学校法人には、公正さと透明性の高いガバナンスが求められていることは、論を俟ちません。学校法人のガバナンス改革に関しては、これまでも私立学校法等において、役員の職務及び責任の明確化や情報公開、理事・監事・評議員会に係る制度の整備、権限・役割分担の明確化による管理運営制度など、度重なる改正が行われてきました。令和元年には、監事の責任の強化、中長期計画の作成の義務化、財務情報の公表の義務化等が法制化され、令和2年4月から施行されたばかりです。それらの検証のないままに、今回、学校法人のガバナンスの基本構造を変更するという極めて重要な議論が拙速に進められたことは誠に遺憾であります。」

日大の件は、ガバナンス改革前からずっと理事長が居座って、周囲もわかっていながら続けてきたということではないか。
その間に形だけ改革したということになっていたから、理事会が放置されていたということであり、それが私大連のいう「検証結果」そのものだと思う。

第一ガバナンス改革会議には5人も大学関係者が入っているのだから、今回の改革案は大学関係者も同意のことだ。
おそらく、会議のメンバーである学長や教授も、学校法人の理事会には不信を持っていたのだろう。

しかし、結果として、きっと今回の提案は骨抜きにして葬られることになるとは思う。
そうなった時は、やっぱり日本の教育は変わらないということだ。
監督官庁である文科省が、天下り先を確保するためにそれを変えたくないからだ。

きっとそうなると思うが…。

望みは持とう。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
呪術の国日本
1月に、タイから帰ってくる会社の先輩と一緒に飲み会を計画していた。
ご存知のように、オミクロンの対応が始まり、帰国は難しいのではないかということになった。
メールで打診したところ、どんな手を使っても帰国する、ということだったので、まあ様子を見ようと思って宴会場は予約したままウェイティングにした。

しかし、このオミクロンの一連の対応を見ると、日本に科学はあるのかと思う。
あのWHOでさえ、日本政府が外国人の新規入国を1カ月停止したことを疑問視している。
岸田首相は勝手に最悪を想定して、何の根拠もなく停止を決めた。
さらに、航空会社に新規の予約停止を要請したことで、年末帰国ができなくなるという騒ぎになり、たった3日で撤回した。
これはちょっとひどすぎるのではないか。

ところが、テレビ等のマスコミはそんな対応をほとんど問題にしない。
菅元総理をあれだけボロクソに言っていたマスコミが、一体どうしたことなのか。
野党もほとんど何も言わない。

こんないい加減な対応を、ほとんど何の批判もなくできてしまうのは、国民がオミクロンを怖がっているからだろう。
オミクロンは感染力が強いということしか報道しないからだ。
だいたい、感染者というような数字を軽々しく出すのがおかしい。
発症社、重傷者、死者をセットで報道すべきなのだ。

オミクロン発祥の地である南アフリカでは、普通に生活しているようだし、WHOも死者は確認できていないという。
南アフリカでは一日1万6千人も感染しているのだが、死者はゼロ。

マスコミも専門家会議も医師会も、コロナ騒ぎが続いたほうがいいのだろう。
ニュースがなければ、コロナを煽っておけばいいからだ。
地上波テレビがそれだけ苦しいということだろう。
フジテレビが希望退職を募るくらいだから。

だから、コロナ、オミクロンに対して、過剰な対策をしても批判は出ない。
子供の自殺が増え、サービス業で失業が増え、学生のアルバイトがなくなり、授業はオンラインになり、ホテルや観光業は大打撃。
こないだ書いたように、コロナの死者対策の費用対効果は最悪。
経済を破壊し、人のつながりも破壊している。

ゼロコロナと言っていた立憲民主党は落ちて当然だが、まともな判断をした菅元総理が退陣に追い込まれ、呪術的な対応をした岸田総理は批判されない。

これではまるで、竹槍でB29を落とそうとした戦前の日本そのままだ。

日本は呪術で洗脳されているのか。






| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
学校法人の非常識
民間ではあり得ないことが起こった。
東京福祉大の元総長が強制わいせつ罪で実刑判決を受けたが、総長に復職したという。
普通の会社なら、そんなことは起こらない。

文科省は学校に経緯の報告を求めているらしい。

懲役2年の実刑判決を受けても、もう10年が経過しており、刑の効力は消滅しているとのことで、法的には問題ないという。

総長は学校法人の理事長も兼務しているということだ。
結局、法的に問題がなければ、かまわないということで理事会が承認したのだろう。
この学校法人には、法を超える倫理はない、ということだ。

今回は文科省も「トップへの権限集中を是正する」という再発防止策を学校側に指摘している。

日大の件といい、今回の東京福祉大の件といい、ガバナンスが機能していないのは明らかだ。

ぼくは受刑者の権利を束縛するつもりはない。
だが、70歳を超えて、2年の強制わいせつ罪の受刑を終えた老人が10年を経て、まともな経営判断はできないと思う。
それは多くの理事も同じだろう。

大学側は「卓越した人格と学識を持つ中島氏の強いリーダーシップを求める声が学内で自然発生的にあがったため」「余人をもって代えがたく、宝の持ち腐れになってしまう」と言っているらしい。

この大学は3年間で1600人の留学生が所在不明になったりしている学校。

いったいどこが「余人を持って代えがたい」のだろうか。
もしそうだとすると、東京福祉大学はよほどの人材不足なのだろう。

こんなことがまかり通るのなら、昨日の理事会の改革案は是非とも通すべきだ。

こんな時こそ、首相権限で突破しよう。


| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
私大理事会改革
私大の理事会改革の記事を読んだ。
これができれば、割と大きな一歩になるだろうと思う。
そういう意味で、大学が反発するのはさもありなん、ということだ。

学外の評議委員会に権限を持たせ、理事会の権限を大幅に縮小するという素案。
役所のいわゆる専門家会議なるものは、だいたい御用学者や文科省の誘導に従う人を選ぶのが通例らしいが、よく意見を出したというか、よほど日大がひどかったということか。

理事会のメンバーが評議員になるのをやめて、今まで諮問だけだったのが、理事の解任などの権利を評議員会に持たせる、という案だ。
今までは評議会は外部諮問機関だったが、今回の案では理事会以上の議決権を持つ、ということになる。
これでは、学校法人の理事会は信用できないと言っているのと同じ。
実際、日大を見ているそういう意見になる。

ぼくが学校法人で見聞きした範囲では、それは当たっている。
要は、理事会=仲間うちのいい加減なもの、という認識だ。
非営利法人の理事会など、だいたいそんなものだろうと思っている。

民間の株式会社もいい加減なものだが、いい加減なことを続けていると利潤がなくなるし、だいいち株主総会という場もある。
非営利の人たちは、民間企業を悪しざまに言う人が多いが、それら2点の違いが民間企業の方をまともにしているのだ。
これが資本の原理。

日大のケースでいえば、それを告発する人すらいなかったし、大学教授たちもわかっていて従っていたのではないか。
日本最大の大学がこのていたらくだから、こういう案が出たのだろう。

案を作ったのは、学校法人ガバナンス改革会議。
メンバーは公開されている。

安西 祐一郎 独立行政法人日本学術振興会顧問、学術情報分析センター所長
石井 尚子 桜通り法律事務所弁護士
岡田 譲治 公益社団法人日本監査役協会前会長・最高顧問
久保利 英明 日比谷パーク法律事務所代表弁護士
酒井 邦彦 TMI総合法律事務所顧問弁護士
戸張 実 日本公認会計士協会常務理事、戸張会計事務所所長
西村 万里子 明治学院大学法学部教授
野村 修也 中央大学法科大学院教授
八田 進二 大原大学院大学教授
増田 宏一 日本公認会計士協会相談役
松本 美奈 ジャーナリスト、一般社団法人Qラボ代表理事
本山 和夫 学校法人東京理科大学会長

大学教授は法人にいじめられている面があるので、アンチだろう。
文科省はそのあたりの読みを間違えたのかもしれない。

今回の日大に事案は、長年理事長に居座って、学校を私物化したということだから、言い訳もできない。
この改革案がそのまま通るとは思わない。
文科省の省益にも反するからだ。
この改革が通れば、文科省の役人を私大が受け入れるというようなことはだいぶ減るだろうから。

さあ、どうなるだろうか。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
年を感じること
先日同期入社の友人が亡くなって、知り合いではないが中村吉右衛門も亡くなって、今度は会社の上司が亡くなったという連絡があった。
こういうことで自分の年を感じる。

よく知っている人が死ぬというのは、やはりこたえる。
別に連絡を取り合っているわけでもないし、知らなければ知らないまま過ぎていくのだが、やはりいろんなルートで連絡が来る。
そうすると、あの人も亡くなったのか…、と思うことが増える。

若いころはそんなことは考えない。
まずは、忙しいからだ。
やることがいっぱいあって、余計なことを考えていられない。

加えて、現役の人としか付き合わないし、平和な日本では周りでばたばた死ぬことなどない。
知り合いで亡くなった人といえば、同級生で4人くらい。
仕事の先輩でも数人程度。
どこまでを知り合いというかということもあるが、寿命が長いこの国では60歳を超えてもそんなものだ。

でも、定年を迎えるくらいの年になると、まず第一に暇になる。
小人閑居して不善をなすというが、不善とまではいかなくても、あまり前向きで生産的なことを考えなくなるのだろう。
前向きで生産的なことを考えるためには、やはり社会で現役でいないといけない。

それは仕事でなくてもいいのだろう。
ボランティアでも何でもいい。

昭和の日本の男性は会社人間が多いから、そうなると弱い。
でも、会社以外でつながりを作るために、シニア向けの大学に行っている人もいるし、習い事を始めた人もいる。
畑をやっている人もいるし、クラシックカーいじりをしている人、ゴルフ三昧の人もいる。
人それぞれ、対策をしているのだ。

ぼくのギター教室もそういうものだ。
月に2回習いに行って、2回教える方の教室をやっている。
今は教える方は月に2回だが、仕事ができなくなればもっと増やしたいと思う。

しかし、それもいつまでできるかわからない。

そこから先のことは考えるのをやめよう。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
コロナの値段
今日の日経に東大の教授が「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」を算出した記事を書いていた。
その結果は米1億円、英0.5億円、豪10億円に対して日本は20億円。
死者数が少ない割に経済的損失が大きいということだ。
アメリカのアメリカの20倍、イギリスの40倍になっている。

鳥取県では死者5人に対して、域内総生産が約7%落ち込んだ。
額にすると1500億円。死者一人あたり300億円だ。
こんなことをやっていて、地方創生などできるわけがない。

マスコミや医師会、専門家会議、厚労省などの影響は大きい。
特にマスコミはコロナに対する恐怖を煽り、いまだにそれが続いている。
尾身氏も有名になって、オミクロンというのは尾身クロンのことだ、と勘違いしている人もいるらしい。
コロナで理事長をやっている病院が何億も儲かった。
特にあの人たちはコロナが収まったら困るからやっているのだろう。

もういい加減に経済を何とかしないといけないと思う。

これからまだ経済困窮で自殺が増える。
子供の自殺も不登校も最多を記録した。
テレビしか見ない高齢者がコロナを怖がって、現役世代や子供を犠牲にするという図式。
そういうことは、コロナと関連付けてはほとんど報道されない。

アメリカやイギリスでは、もうマスクもせずにスポーツ観戦したりしている。

日本はいつまで続けるのだろうか。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
これで最高学府と言えるのか
「これで最高学府と言えるのか」という社説が日経新聞に出ていた。
日大の理事長の件で書いているのだが、多かれ少なかれ弱小私大の理事会はそんなものだと思う。

もちろん、日大は大きな大学だが、旧来の大学の序列で言えば日大の大部分の学部は偏差値50近辺。
実際には一般入試で入る学生の比率は少なく、系列化も進んでいるようだから偏差値的には学生の偏差値はもっと低いと思う。

偏差値が全てではないが、偏差値で表されるものは多い。
やはり学生の質や先生や職員の質、理事会の質なども、大まかに言えばそれと相関があると思う。

規模も関係する。
日大は大きくなりすぎたのだろう。
そこで理事長がずっと居座っているというのは、どう考えてもよくない。
アメフトの不祥事から、理事会や学校の対応が疑問視されていたのは事実。
ウミがあぶり出されたという感じだ。

中高が先にできていて、大学が後でできたところなどはさらにいい加減だと思う。
学校法人の理事会が中高卒業生で占められていたりすると、大学に対するコミットメントがないから、そうなりやすいのだと思う。

ぼくのいた学校法人も、大学の問題点や課題など、よくわかっていないと思われる人が理事長をやっていた。
「いったいどこの儲けで成り立っているのか」と民間から転職した大学職員としては思う。
下手をすると、傾いた高校以下を生きながらえさせるために、大学の利益を使っているのではないか、とさえ思えることもあった。

教員や職員は教育産業であり、少なくともいいことをしている、という意識がある。
でも、実際には文科省から補助金をもらって、かろうじて成り立っているところも多い。
それを当然と思っている。
納税者の立場には立っていない。

さすがに大きく定員を割ると補助金は出ない。
しかし、それがインセンティブとなって、定員割れを防ぐためには、何でもする。
入試の科目を減らし、推薦入学を増やし、AO入試を増やしたのが、今の弱小私学。

そして、本来大学で学ぶことができない学生が入ってくる。
学生のレベルに合わせて、カリキュラムを変えればいいのだが、そんなことは古い大学のセンセイにはできない。
それができたとしても、「なぜ大学でBe動詞を教えるのか」などと文科省から文句が出る。
完全に悪循環だ。

今の文科省を変えないと、この状況はなくならないと思う。
ことは大学生だけでない。
それにつながる小学校、中学校もだ。
本気で国の義務教育を考え直さないといけない。

その罪に比べたら、日大の汚職事件など小さなことだ。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
鬼の平蔵
中村吉右衛門が亡くなった。
火付盗賊改方の長谷川平蔵を演じた。
鬼平といえば、中村吉右衛門。

ぼくが繰り返し見ているのは1989年に始まったもの。
時代劇専門チャンネルで土曜日、日曜日にずっと繰り返しの放送がある。
何度見ても、面白い。

これこそ、池波正太郎が生んだ日本のハードボイルドだ。
盗人を捕まえる鬼平が、盗人あがりの密偵を使う。
初代の鬼平だった松本白鴎版ではあまりそこは描かれなかった。

まだ世間が密偵というものを快く思っていなかったのかもしれない。
でも、中村吉右衛門版は鬼平と密偵が主役と言ってもいい。
それほど、密偵の役割は大きいし、鬼平と密偵の絆が強く描かれる。

鬼平以外の中村吉右衛門は殆ど知らない。
渥美清の寅さんみたいなものだ。
あれほどのはまり役はない。

若い頃は悪さもしたという役柄がぴったりくる。

吉右衛門の鬼平は2016年に完結した。
これもはまり役だった密偵の彦十(故江戸家猫八)は、もうこの世を去って出ることはできなかった。
最後の場面は、いつもの店で密偵たちと鍋を囲んでいた。
おまさ役の梶芽衣子は出ていたなあ。

時代劇はなくならないのではないか、と生前言っていた。
ぼくも、ややこしい設定がない分、人間模様が描きやすいのだと思う。

吉右衛門の鬼平は、本当にかっこよかった。
あれこそ、鬼の平蔵。

ご冥福を祈ります。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) |