考えたこと2

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人生は木の枝
人生はifの重なり。

数々の「もしも、あの時こうしていたら…」とか、「もしも、あの時こうしていなかったら…」とか、そんなことが連続している。

ちょうど、無限に枝分かれしている木の枝を辿っていくようなものである。

現在は、無限の枝分かれした木の枝の先の一つにある。

小学校の頃に、学校に行く道を変えていたら、交通事故に遭っていたかもしれないし、ボールに乗って転んだ時間がちょっと違っていたら、クルマに轢かれて死んでいたかもしれない。

それらは偶然の産物だが、そうではなくて、自分で選んだifもある。

もしも、あの時にこのクラブに入っていなければとか、あの時にこの会社に入っていなければとか…。

どれだけ自覚的にifを選んできたかで、その人の人生の価値が決まるのではないか。
無限にあるifの中で、自分が選んだと思えるものが多いほど、結果はどうあれ、いい人生ではないか。

なぜなら、選択には責任が伴い、自分で選択したということは、自分の人生に責任を持つということであり、結果はどうあれ、自分の責任でifを選択するという道は、シンドイけれど満足できるものであるはずだ。

それと、無限に枝分かれした木の枝の根本は一つである、ということも真実だろうと思う。
自分の誕生は選べないし、それはifではない。

もしも、そこに選択があれば、違う木になっているからだ。
それは現在の自分にはつながらない。

子は親を選べないし、親も子を選べない。

そう考えてみると、親子というのは貴重な関係なのかもしれない。
文字通り、かけがえがないのだ。

これはifではなくて、運命とでもいうべきものだろう。

そんなふうに考えると、現在の自分というものが不思議になる。

この不思議というのは、生きるということの奥深さにつながるような気がする。


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