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2006.04.30 Sunday
人生は木の枝
人生はifの重なり。
数々の「もしも、あの時こうしていたら…」とか、「もしも、あの時こうしていなかったら…」とか、そんなことが連続している。 ちょうど、無限に枝分かれしている木の枝を辿っていくようなものである。 現在は、無限の枝分かれした木の枝の先の一つにある。 小学校の頃に、学校に行く道を変えていたら、交通事故に遭っていたかもしれないし、ボールに乗って転んだ時間がちょっと違っていたら、クルマに轢かれて死んでいたかもしれない。 それらは偶然の産物だが、そうではなくて、自分で選んだifもある。 もしも、あの時にこのクラブに入っていなければとか、あの時にこの会社に入っていなければとか…。 どれだけ自覚的にifを選んできたかで、その人の人生の価値が決まるのではないか。 無限にあるifの中で、自分が選んだと思えるものが多いほど、結果はどうあれ、いい人生ではないか。 なぜなら、選択には責任が伴い、自分で選択したということは、自分の人生に責任を持つということであり、結果はどうあれ、自分の責任でifを選択するという道は、シンドイけれど満足できるものであるはずだ。 それと、無限に枝分かれした木の枝の根本は一つである、ということも真実だろうと思う。 自分の誕生は選べないし、それはifではない。 もしも、そこに選択があれば、違う木になっているからだ。 それは現在の自分にはつながらない。 子は親を選べないし、親も子を選べない。 そう考えてみると、親子というのは貴重な関係なのかもしれない。 文字通り、かけがえがないのだ。 これはifではなくて、運命とでもいうべきものだろう。 そんなふうに考えると、現在の自分というものが不思議になる。 この不思議というのは、生きるということの奥深さにつながるような気がする。 |
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