考えたこと2

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67歳
今年の誕生日が来て、67歳になった。
67年前にこの世に生まれたということだ。
といっても、生まれた時のことなど覚えていない。

今の最古の記憶は、長いこと住んだ実家に引っ越す前の幼稚園くらいの時だ。
当時は車も少なく、道で遊べた。
たぶん、舗装はしてなかったと思う。
近所の友達と三輪車で遊んだこと、木製の電信柱にとまって鳴いていたアブラゼミを、虫取り網で捕まえようとしたことなど。

そういえば、木登りして、降りられなくなったことも覚えている。
あれはいつのことだったか…。
なぜそれを覚えているのか、わからないことばかりだ。

生まれた家は祖父の家の隣にあった。
祖父は小学校1年の時に亡くなってしまったが、よく覚えている。
日本刀が好きで、よく刃を手入れしていた。
そんな時代だったのだ。

祖母は犬や猫を飼っていた。
当時のことで、犬は外でつないで飼っていたし、ネコは外に出放題で、いつ帰ってくるのかわからないという感じだった。
ペットフードなどなく、余ったご飯などを食べていた。
人間と共生するという感じではなく、犬は番犬、ネコは気ままにやっていた。
冬に祖母の家でこたつに入ると、ネコが入っており、足が当たると怒るわけではなく、譲ってくれた。
夏はエアコンなどなく、近くの川に祖母が連れて行ってくれて水遊びをした。
冬は今より寒くて、舗装されていない道路の水たまりが凍って、それをパリンと割って歩くのが楽しかった。

幼稚園の時の写真が残っているが、当然白黒の小さな写真。
劇か何かの写真もある。
覚えていないが、そんなこともやったのだろう。
ワンマンになる前の、車掌さんがいたころのバスに乗って通っていた。

小学校は楽しかった。
もちろん、楽しいばかりではなかったが、それ出会った話などしてくれたのを覚えている。
あれは本当の話だったのだろうか。

騎馬戦は男子だけで、女子だけの種目もあった。
男女の区別はあたりまえだった。
その当時、違和感を感じていた生徒はいたんだろうか。

給食を早く食べて外で遊ぼうと、ゆっくり食べようと、かまわなかった。
掃除は放課後だったし、夕方の4時まで遊んでもよかった。
今の小学校とはだいぶ違う。

卒業して、隣の中学校に行った。
中学の3年間は、剣道部に入って2か月ほどでやめ(裸足で外を走るので、足が痛かった)、中2で物象部というところに時々行った。
物象部というのは物理気象部の意味だと思う。
上級生がアマチュア無線をやっていて、ぼくも興味を持ったが、コイルのインダクタンスなどの試験問題があって諦めた。
あの時、頑張って試験を受けていたら、人生変わっていたかもしれない。

アマチュア無線の興味が失せたのは、その頃からギターを始めたこともある。
「白い色は恋人の色」というハワイの姉妹、ベッツィー&クリスの曲を、単音でポロポロ弾いたのが最初だったと思う。
当時としては珍しく、家にガットギターがあった。
父が趣味で時々弾いていたらしい(というのは、あまり弾いているのを見たことがない)。
母はそのせいで、カルカッシの教則本(クラシックギターのバイエルみたいなもの)を練習していた。
でも、ほとんどほったらかしで置いてあったから、ぼくが使ったということだ。

ギターを始めたが、中学3年の時に試験の成績がよくて買ってもらったのはバンジョーだった。
まだ置いてあるが、牛革の代わりにプラスチックが張ってあるもの。
バンジョーはギターと違って、表面が木ではなく、共鳴して大きな音が出る。
裏の蓋を外して、軽くして使っていた。

当時はカントリーミュージックも盛んで、バンジョーは花形だった。
それで、「フォギーマウンテンブレイクダウン」を弾きたかったのだが、熱意が続かなかった。
バンジョー自体がポップスでは使われず、興味がそっちに移ったからだ。
もったいないことをしたと思う。

中学3年になる頃には、5th Dimensionやキャロル・キングを聞いていた。
最初に買った洋楽のシングル盤はアンディ・ウィリアムスで、邦楽は「涙をこえて」だった。
当時、NHKでやっていた「ステージ101」という番組でやっていたもの。
まだそのレコードは置いてある。

たしか、小遣いは小学校の学年×100円だったと思う。
どうしてもほしいもの(主にプラモデルだった)があれば、母と駆け引きをしたと思う。
何かして、小遣いをもらう、ということだ。

中学校に入って、小遣いがいくらになったか、覚えていない。
でも、シングル盤(400円)を買ったら、そんなに残らなかったと思うから、千円足らずだったのか。
B面という言葉も、意味が分からなくなった。
CDシングルのC/Wのことか?と言われて、こちらが分からなかったのはもうだいぶ前のことだ。
2曲入りのCDシングルでメインの曲についてくる(Coupling With)曲のことだった。

そんな小中学校を過ごして大人になった。

長くなったので、とりあえずここまで。



| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) |