考えたこと2

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経験重視?
学力重視か、経験重視かという入試の話がある。
どちらが個人の努力に依存するか、という観点で見ると、圧倒的に学力重視のほうだろう。

どんな経験をするか、というのは暗に学力以外の経験という意味がある。
そういう類の経験のほうが親に依存するからだ。

ぼくらは受験戦争という言葉を知っている。
そういう時代に受験をした世代だ。
四当五落という時代だった。
この意味もわからなくなっている。
睡眠時間が4時間なら合格、5時間寝たら落ちるということだ。

でも、やることが勉強であり、教科が決まっていたから、それをやればよかったのだ。
範囲も、やることも決まっているし、学校以外にそれを支援する(お金は要るが)場所もあった。

その反動で、受験が厳しいということになって、大学がたくさん作られた。
その時期と相前後して、少子化が進んだ。
今はどこでもよければ、大学に入れる時代。
受験者数のほうが、総定員数よりも少ないのだ。
受験戦争世代にとっては夢のような時代だ。

文科省は天下り先を増やすために、大学数を減らすことには消極的。
ほとんど潰れた大学などない。

そのおかげで、入試は多様化し、推薦入試だけでなくAO入試などというものもでき、早期の入試をやることによって、人数を確保しようとする大学も増えた。
おまけに、AO入試は一般入試扱いにしたものだから、いくらでも受験生を取れる。

AO入試は当初の志は良かったのだが、そんなこんなで今は見る影もない。

それでも、思い出したように出てくるのが、「経験重視」や「人物重視」という考え。
よほど公平な学力で選びたくない人たちが言っているのだろう。

なぜ客観的な指標を無視して、主観的な指標を使おうとするのだろうか。
学ぶために必要な知識を持っているかどうかは、どうやって判断するのか。
どの経験を重視するのか、その信憑性はどうやって担保するのか。

経験や人柄などというわけのわからない(いくらでもごまかせる)主観的なもので「試験」をしてはいけない。

それは教育の崩壊だと思う。




| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) |