考えたこと2

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マツダの哲学
マツダの社長が、自動運転に否定的なコメントをしている記事があった。

クルマには運転する喜びがある、ということだ。
本当のクルマ好きは自動運転など望んでいない。単なる移動手段だと思っていない。
乗ること自体が喜びなんだ、という哲学。

「だから、マツダは便利ばかりの車を作ってはいけないのよ。」という。
「事故が想定される時だけ自動運転の役割が発揮されるのが、究極だ」ともいう。

そういう思いをぼくは共有する。
人間が犯すミスをクルマが防げれば、それがベストだと思う。
やっぱり、クルマを操って走る喜びはあると思う。

しかし、それでもマツダは大丈夫?だろうかと思う。
ぼくらは、クルマにカリスマを感じているが、これから死んでいく存在だ。
今を生きている若い人たちとは価値観が違う。
圧倒的に、クルマは道具であって、動けばいいと思っている若い人は多い。
今の大学生など、欲しい車はない。
強いて言えば、中古の1Boxだったり、軽だったりする。
そんな時代にクルマのカリスマ性が売れるのだろうか。

さらに、シェアリングの問題もある。
自家用車が無駄な資源になっているのは事実。
稼働時間は数パーセントしかない。
クルマを所有する喜びや、運転する喜び、メカに感動する喜びなどの移り変わりを考えているか、ということだ。

マツダが、比較的小さなメーカーであり、逆に生き残ろうとすると、そういう特徴を前面に押し出していく、という戦略もわかる。
でも、そこにどれだけの顧客がいるのだろうか。

今、クルマの未来はCASEと言われている。
CASEとは、コネクティビティのC、オートノマスのA、シェアードのS、エレクトリックのEをつなげたもの。
要するに、クルマがいろんなものにつながり、自動で走り、みんなにシェアされ、電動化する、ということになる。
そこに、どう運転の楽しみを入れていくかということだ。

ドイツのメーカーはそちらの方に動き出しているようだ。
トヨタはいろんなところと提携して、そちらに舵を切りそうだが…。

ぼくはマツダの価値観はすばらしいと思う。
どこまで本気かわからないが、それで生き残れたら、いい会社だ。

それで潰れても、ぼくらにとっては素晴らしい会社だとは思うのだが…。



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