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2019.01.05 Saturday
マツダの哲学
マツダの社長が、自動運転に否定的なコメントをしている記事があった。
クルマには運転する喜びがある、ということだ。 本当のクルマ好きは自動運転など望んでいない。単なる移動手段だと思っていない。 乗ること自体が喜びなんだ、という哲学。 「だから、マツダは便利ばかりの車を作ってはいけないのよ。」という。 「事故が想定される時だけ自動運転の役割が発揮されるのが、究極だ」ともいう。 そういう思いをぼくは共有する。 人間が犯すミスをクルマが防げれば、それがベストだと思う。 やっぱり、クルマを操って走る喜びはあると思う。 しかし、それでもマツダは大丈夫?だろうかと思う。 ぼくらは、クルマにカリスマを感じているが、これから死んでいく存在だ。 今を生きている若い人たちとは価値観が違う。 圧倒的に、クルマは道具であって、動けばいいと思っている若い人は多い。 今の大学生など、欲しい車はない。 強いて言えば、中古の1Boxだったり、軽だったりする。 そんな時代にクルマのカリスマ性が売れるのだろうか。 さらに、シェアリングの問題もある。 自家用車が無駄な資源になっているのは事実。 稼働時間は数パーセントしかない。 クルマを所有する喜びや、運転する喜び、メカに感動する喜びなどの移り変わりを考えているか、ということだ。 マツダが、比較的小さなメーカーであり、逆に生き残ろうとすると、そういう特徴を前面に押し出していく、という戦略もわかる。 でも、そこにどれだけの顧客がいるのだろうか。 今、クルマの未来はCASEと言われている。 CASEとは、コネクティビティのC、オートノマスのA、シェアードのS、エレクトリックのEをつなげたもの。 要するに、クルマがいろんなものにつながり、自動で走り、みんなにシェアされ、電動化する、ということになる。 そこに、どう運転の楽しみを入れていくかということだ。 ドイツのメーカーはそちらの方に動き出しているようだ。 トヨタはいろんなところと提携して、そちらに舵を切りそうだが…。 ぼくはマツダの価値観はすばらしいと思う。 どこまで本気かわからないが、それで生き残れたら、いい会社だ。 それで潰れても、ぼくらにとっては素晴らしい会社だとは思うのだが…。 |
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