考えたこと2

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新作落語
桂三枝(現文枝)が主に上方の新作落語をやっているのをたまに聞いた。
ぼくはやはり古典落語が好きだった。
時間の評価に耐えて残ってきた話は、面白みがあった。

ここ2週間ほど、YouTubeで落語を聞いている。
YouTubeはもはや落語ライブラリーだ。
ぼくは高校、大学のころ、テープレコーダーを動かして、落語番組を録音していたのだが、もうそんなことは必要ない。

どの程度のチャンネルが著作権を守っているのかはわからない。
それでも、もう昔のテープはほとんど必要がなくなった。
こんな風に、YouTubeが使われるとは思ってなかったが…。

以前の桂三枝をはじめ、笑福亭仁智、笑福亭福笑、桂小春團治などを聞いている。
本当に面白い。
これなら、落語という芸は、まだまだ時間に耐えて残れると思う。

古典だけだったら、いくら演者が工夫をしても、若い世代が聞くにはしんどかっただろう。
だからこそ、上方落語協会も新作をやっている落語家を会長に選出したのだと思う。

今までは落語家というと、古典を覚えて自分なりにアレンジしてやるだけでよかったが、これからの落語家は落語を作らないといけない。
この世界で生き残っていくのは大変だろう。
落語という芸をつないでいくのは、そういうことができる落語家だ。

いくつかの新作は次の時代にまで生き残るかもしれないし、それは新たな古典になるかもしれないが、あまり期待はできないように思う。

そんな刹那的な笑いの時代。

シチュエーションと「間」で決まるような笑いだ。

古典落語は今の年寄りが亡くなったら、本当に古典芸能になる。

でも、それは世の習い。

若手の落語家に頑張ってほしいと思う。


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