考えたこと2

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アナログ時計
イギリスの中学校で、アナログの時計を読むのが苦手な生徒が増えたため、デジタルに変えるという記事があった。
アナログ時計というと、腕時計などはまだ主流。
子供たちはデジタル表示になれてしまって、文字盤の時計を読みにくいらしい。
イギリスでそうだということは、日本でも同じ様なことが起こっているんだろう。

駅の表示などは、どちらかというとデジタルが増えたような気がする。
メインの時計はアナログだが、電車の到着表示などは数字のデジタル表示になっている。
インターネットが発達して、時間を知るコストが下がったのもあるだろう。
ネットにつながっていれば、特定にサイトから時刻情報は取れるから、アナログのメカは不要になる。
また、そっちの方が正確だ。

スマホの表示もデジタルの方が場所をとらないから、デジタルの人が多いと思う。
わざわざアナログにしている意味はあまりない。

となると、あの長く親しんできたアナログの時計の文字盤はなくなる運命にあるんだろうか。
1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒、というのはそう簡単には変わらないだろう。

それでも、だいたいの世の中が10進法だから、どこかの国がうちは1日を20時間にする、と言い出すかもしれない。
日本だって、明治までは時刻の表示は違ったのだから、ないとはいえない。

1日は20時間、1時間は100分、1分は100秒、というやり方でも理論的には問題ないだろう。

そう思うと、明治の人は時刻の表示が変わって、面食らっただろうと思う。
時刻だけでなく、暦も変わったのだ。
卯の刻とか、子の刻とか言っていたのが、数字の時間に変わる。
おまけに、それまでは太陰暦だったが、太陽暦になった。

こういうのは感覚と結びついているから、慣れ親しんだものと決別するのは大変だったろうと思う。
それこそ、民主主義では無理だ。
上からの指示でないと、誰も聞かない。

要は、西洋に合わせる、ということで、無理やりやるしかなかった。
そのおかげで、ぼくらは違和感なく生きていける。
世界で旅行ができるのも、そういうことが整備されたからだ。
時刻が違うと、飛行機の切符など、ややこしくてかなわない。
時差の上に、時刻のシステムまで考えて換算しないといけなくなる。

何でも民主主義ではいけない、ということだ。
上からバッサリやらないといけないこともある。

アナログ時計も、同じ運命をたどるのかもしれない。


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