考えたこと2

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「仰天」大学
産経新聞に大学関連の記事が出ていた。

こないだ書いた、文科省の大学の学部等の設置後アフターケアのことだ。

英語のbe動詞、物理・科学・生物の授業で元素記号、というような「極めて初歩的な学習内容」ということと、入試が成立していないこと、教員の適性の問題などが指摘されている。

「極めて初歩的な学習内容」と入試が成立していないことはセットになっている。
入試が成立していないから、学力が不足している学生を入れざるを得ないということだ。
まあ、それで定員割れ等を起こしていると、教員が集まらず、定年後の教員がたくさんいるということになるから、苦しい学校はみんなセットということか。

もちろん、「補助金など多額の税金が使われていることを考えても、文科省と大学には、高等教育の場にふさわしい教育を行う責務がある。」という指摘は正しい。
大学は責めを負うべきだし、これで補助金をもらっているのはオカシイ。
文科省の指摘も正しい。

しかし、何度も言うが、高校の3年を修了した時点で、そういう学生がいるということが問題だと思わないのだろうか。
大学もバカではないので、be動詞をわかっている学生ばかりなら、そんな授業はやらない。
元素記号の意味を知っている学生ばかりなら、そんなことは教えない。
現実にそういう学生が一定数いるから、それを教えざるを得ないのだ。

文科省が大学に指摘をするのはかまわない。
というか、どんどんやったらいいと思う。
補助金も差し止めすればいい。

でも、それと高校3年生のレベル低下は別の問題だ。
それこそ、be動詞の授業をやっている学校に聞けばいいのだ。
中学でやっているはずのbe動詞を、なぜ大学でやりなおさないといけないのか。

本当の問題は、小学校から始まる。
そこで積み残した問題がずっと大学まで続く。
いくらでもやり直すチャンスはあったのに。

この記事の見出しで、「仰天」大学 役割問い直し質向上図れ、と書かれている。
しかし、本当の問題を解決するためには、初等、中等教育の質の向上を図らないといけない。

それを文科省はわかっていないといけない。

わかっていて、知らんぷりをしているのかもしれないが…。



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