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2014.04.26 Saturday
グローバル化
何でも専門家が言い出してから、10年位したら一般的に実感ができるようになるのだと思う。
ぼくは以前の会社で海外関係の仕事もしていたので、グローバル化については早めに実感した。 1980年代、日本の自動車産業が相次いでアメリカ生産を始めた。 それに連れて、部品も海外生産しないといけなくなり、ぼくは現地の設計支援の仕事を日本でしていた。 あの頃は本当によく働いた。 というのも、日本の夜中がアメリカの朝だからだ。 夜中まで残って、電話会議をよくやった。 設計の意図を電話で説明する。向こうは早朝だが、アメリカ人はなぜか朝に強い。夜にも強いのだが…。とにかく彼らは無理がきく。やっぱり狩猟民族なんだろうと思う。 毎回、終わった後自腹でタクシーで帰ったりしていていた。 その頃、日本人は戦後立ち直り、世界一のものづくりをして、そのやり方をアメリカに広める宣教師みたいなものだと思っていた。 バブル景気の80年代。 世の中は浮かれていたようだったが、ぼくらはただただ忙しかった。 日本で開発するのでも大変なのに、アメリカで日本と同様のモノを作って入れなければならない。 あの頃、銀行や証券会社は儲かっていたらしい。 銀行は競ってゴルフ場や土地に投資していた。 土地転がしと言って、何も生み出さない土地に馬鹿みたいにお金を入れ、あっという間に土地の値段は上がった。 バブルに踊っていたのだ。 今でも、年配の社員が、自分の娘が金融関係に勤めたのだが、ボーナスが俺より多い、と苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを思い出す。 バブルが崩壊して、モラル・ハザードだと言われたが、あの時銀行の連中は誰も責任を取らなかったし、今でも金融関係は給料は高い。 有望な先を探して投資することもあまりせず、国債ばかり買っている。 何か間違っているのではないかと思う。 今頃になって、グローバル化が本格化してきて、みんながグローバルを意識せざるを得なくなった。 家電量販店や土産物屋では中国語や韓国語が飛び交ってる。 地方に行くほど、アジアを意識せざるを得ない。 しかし、ここに来てグローバル化の真の意味がわかってきた。 ダイヤモンド・オンラインで「領域を超える経営学」 という本を紹介している。 そこでは、こんなふうに語られている。 「もちろん、それぞれが生まれ育ってきた背景があり、年収のみを基準にして一概に言うことはできません。しかし一方で、日本という国に生まれただけで、ほとんど努力をせずに怠惰な生き方をしている個人が、あがき苦しむ途上国の数十億の人々よりも豊かな暮らしを享受できるのは、果たして当然であるべきことなのでしょうか。 世界的な価値連鎖が進む世界は、先進国で豊かさを享受しているものの、日々の努力を怠り、競争力のない個人にとってはこのうえない脅威なのです。」 「先進国に生きる個人は、世界的な価値連鎖の時代の到来に備えて、いますでに持っている特権を最大限に活用して、自分の未来を防衛する必要があります。逆に言えば、そうした時代は、努力をし、能力もあり、しかし不当に搾取され、貧困にあえぐ途上国の人々にとっては、成長と繁栄の未来なのかもしれないのです。 世界的な価値連鎖の時代は、いわば平等で、よりフラットな世界とも言えます。しかしだからこそ、現代で不平等の利益を享受してきた私たちのような先進国の人間にとっては、可能性である以上に、大きな脅威でもあります。 先進国に生きる個人は、こうした時代が訪れることを現実的な未来として捉え、与えられた猶予を最大限に活用し、「より平等な世界」でも生き抜ける力を蓄え、実力を身につける必要があると、私は考えています。」 製造業が安い労働単価を求めて、アジアに出て行っているのはもはや中小企業でも当たり前になった。 それは取りも直さず、労働単価というものが世界中で同じになるまで続くのだろう。 世界は均一になろうとしている。 グローバル化は厳しいものだ。特に先進国にとっては。 しかし、理想の社会は平等なものであったはずだ。 日本の若者は、残された時間を使って力をつけていかないといけない。 チンタラした平和主義や平等主義で生きていけるほど世界は甘くない。 お題目だけ唱えていたら、平和と平等は手に入るかもしれないが、食っていけない。 それに日本の教育はついていっていないと思う。 そこを何とかしないと、これからの世代は大変だ。 |
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