考えたこと2

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人物重視
文科省が「人物を重視した評価を入学試験に取り入れる大学などを公募し、1校につき2000万円の補助を行う事業を始める」と発表した。
1校について2000万円の補助を行うとのこと。
これは教育再生実行会議が、今までの入試は知識偏重であり、意欲や適性も含めた人物評価で選抜することを低減したことを受けたもの。

これはごく一部のトップの大学に対するものと考えるべきだろう。

多くの偏差値50以下の私学はすでにAO入試や推薦入試をやっており、ここでは面接が重視される。もちろん、高校の評定平均も見られるが、この数値もいい加減だ。高校の先生もシンドイ学生に下駄をはかせる傾向がある。
まあ、人集めに厳しい大学は、たとえ高校の評定平均が低くても取っているが…。
結局は入学者を増やすためにやっている、という位置づけだろう。
志願者が集まりにくい学校ほど、AO、推薦で早めに確保したいから、どうしても人物重視になるのだ。
すでに、今や入学者の半数以上が「人物重視」で選ばれているのが現実。
今回の文科省の発表に、今さら何を言っているのか、と思っている大学関係者も多いと思う。

一方で、高校サイドではAO、推薦で決まる学生は、秋に入学を決めてしまい、もう勉強しなくなる生徒が増える。
それが一般入試の受験勉強をしている学生のジャマになるとか、高校3年生の2学期から3学期は、一生の間でも一番勉強するときなのに、それをAOや推薦で入学を決めてしまうから、勉強するチャンスを逃してしまうとか、いろんなAO、推薦に対する批判がある。

それでも、その批判が表に出ないのは、高校側も学力の低い学生をAOや推薦でシンドイ生徒を進学させられるからだ。
本来なら就職したほうがいい学生すら、進学させる。全入だから、大学を選ばなければどこかに入ることができるのだ。
経済的にシンドイから就職させてくれ、という親には、みなさん奨学金をもらっていますから、とローンを借りることを勧める。
そんなことを一部の進路指導の先生はやっている。
そんな不真面目な高校と、教育より経営優先で、入学者を確保したい大学の思惑が見事に一致し、入試制度が成り立っていると言える。

以前にも書いたが、その大学で教えることができない学生を落とす、ということが入試の役割の一つだ。
大学にはクラスもないし、担任もない。
大学の先生は、できない学生に寄り添って、できるまでみておいてやることもできない。
できるのは、リメディアルという学び直しのクラスを作って、そこで集団で教えることくらいだ。
そんなことをしても、大学の学びについていけるようになる学生はほんの一部だろう。
だから、自分の大学の教育レベルをよく考えて、そのレベルで教えることができない学生は入試で落とす、という事をやらないといけない。
それが入試をやる大学の責任だろう。
逆に言うと、入れたのならその学生に責任を持ってちゃんと教えることだ。

でも、実際にはそんなことにはなっていない。
多くの私学では経営優先で、学生を入れている。

ぼくは一度「割合の計算ができない学生に学士号を与えていいのですか」と大学の首脳陣に問うたことがあるが、「学士号は専門の領域に対して出すものであり、問題はない」という答えだった。
しかし、世間の考えは違うと思う。
大学を出たら、割合の計算はできる、と世間は思っている。2割引きとか、15%増しとか、そんな計算はできると思っているのだ。
そこの考えが大学の人達と世間では乖離があるのだろう。

企業も文系については、専門性には全く期待はしていない。
だから、学部不問、学科不問で求人を出すのだ。
どちらかというと、基礎学力に期待している。
企業の就職試験も、小学校・中学校程度の計算問題。
それで落ちる学生がたくさんいる。

そのうえ、企業の面接も変わりつつある。
4月6日のプレジデント。オンラインの「人事部が、のどから手が出るほど欲しい学生」という記事にこう書かれている。

『「企業が再び学歴や学力を重視し始めたのは、『人物重視』として採用した学生のあまりの使えなさに、人が人を見る目の不確かさを思い知ったためです。昨今、熱心な学生は就活セミナー等に通い、『エントリーシート上手』『面接上手』になっています。悪い言い方をすれば『ごまかし上手』で、巧妙に企業が欲しい人物像を演じられるのです。こうして入社した学生の中に、使えない人材が散見されました。能力ではなく、入社への熱意に着眼していたので、希望部署に配属されないなどの理由で、やる気が下がればパフォーマンスも下がってしまう」

確かに就職活動を始めるまでよく知らなかった会社に対して、“一生この会社で頑張る”と言っても、入社後にその熱意は冷めてしまうかもしれないが、学力や思考力はそう簡単には落ちない。』

実際はそうなのだ。
「人物重視」というなら、時間と手間のかかる選考をするしかない。
何度かの面接をするだけでは、とてもムリだろう。
高校とも協力して、在学中から動かないといけない。
だから経費がかかる。
そういう選抜のための補助金だと思いたい。

安易な「人物重視」は企業の人事みたいに、「学生のあまりの使えなさに、人が人を見る目の不確かさを思い知る」ことになる。
「人が人を見る目」ほどいい加減なものはないからだ。

だからこそ、学力や思考力を入試で問うのだろう。
そこは譲れないと思う。

入試制度改革をやろうとしているが、偏差値50以下のAOや推薦で入る学生たちの現実をもっとわかってやってほしい。
それが日本の教育レベルの底上げにつながるのだ。

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