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2011.01.24 Monday
こいしさん
「こいしさん、こいしさん、ピアノを届けに参りました」
ピアノの空箱を持って来てくれ、という頼みに応じて、ご近所にピアノを買ったという見栄をはる「こいし」を手伝う「いとし」。 おなじみ、「いとこい」の漫才。 身体の弱かった兄のいとしが2003年に亡くなって、もう「いとこい」の漫才は終わった。 そして今日こいしさんが亡くなった。 享年83歳。 昭和30年代のいとこいのテープがあるが、すごいパワーだ。 若々しかった。 あの頃は、いとしがツッコミでこいしがホケだった。 いつごろ入れ替わったのだろう。 ウチにはたくさん漫才のテープが置いてあるが、その中で小学校低学年の息子が気に入ったのがいとしこいし。 大人に「しぶいなあ」と言われていた。 子供が聞いてもわかる漫才だった。 今の漫才のように、最初からテンションを上げない。 徐々に上がっていく。 昔は10分くらいもらえたので、そんなことができたのだろう。 今の漫才師は5分のネタでやらないといけないから、仕方ない。 身近なことをネタにした。 娘の結婚、仲人、ジンギスカン、迷子の犬、レンタルビデオ…。 ダイマル・ラケットに次いで、戦前の漫才師がいなくなった。 こいしさんは、戦争に行って帰ってきた。 家の前にふと現れて、いとしが「帰ったか」と言ったら、「帰った」と言ったという。 そんなに感動的な場面ではなかった、と話していた。 漫才のような大衆芸能は、消えていくものだという考え方がある。 そのときに大衆に愛されれば、それでいい、ということだ。 語り伝えるものではない…、という。 ぼくらは、今の漫才の前の音曲漫才はほとんど知らない。 かろうじて、小学校の頃、寄席中継で見たが全く面白くなかった。 そういうものだ。時代が違う。 それでいいのだと思う。 昭和から平成にかけてのしゃべくり漫才。 まだ残っているが、もう50代以上だろう。 あのゆっくりしたテンポで、君、ぼくという、標準語で話す。 まだまだ、たくさんの日本人が覚えている。 その間は、ぼくらの中で生き続ける。 あの漫才、おもしろかったなあ…。 夢路いとし、喜味こいし。 天国でまた兄に会って、今ごろ、 「来たか」 「来た」 と言っているかもしれないなあ。 |
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