考えたこと2

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こいしさん
「こいしさん、こいしさん、ピアノを届けに参りました」

ピアノの空箱を持って来てくれ、という頼みに応じて、ご近所にピアノを買ったという見栄をはる「こいし」を手伝う「いとし」。
おなじみ、「いとこい」の漫才。

身体の弱かった兄のいとしが2003年に亡くなって、もう「いとこい」の漫才は終わった。
そして今日こいしさんが亡くなった。
享年83歳。

昭和30年代のいとこいのテープがあるが、すごいパワーだ。
若々しかった。
あの頃は、いとしがツッコミでこいしがホケだった。
いつごろ入れ替わったのだろう。

ウチにはたくさん漫才のテープが置いてあるが、その中で小学校低学年の息子が気に入ったのがいとしこいし。
大人に「しぶいなあ」と言われていた。
子供が聞いてもわかる漫才だった。

今の漫才のように、最初からテンションを上げない。
徐々に上がっていく。
昔は10分くらいもらえたので、そんなことができたのだろう。
今の漫才師は5分のネタでやらないといけないから、仕方ない。

身近なことをネタにした。
娘の結婚、仲人、ジンギスカン、迷子の犬、レンタルビデオ…。
ダイマル・ラケットに次いで、戦前の漫才師がいなくなった。

こいしさんは、戦争に行って帰ってきた。
家の前にふと現れて、いとしが「帰ったか」と言ったら、「帰った」と言ったという。
そんなに感動的な場面ではなかった、と話していた。

漫才のような大衆芸能は、消えていくものだという考え方がある。
そのときに大衆に愛されれば、それでいい、ということだ。
語り伝えるものではない…、という。

ぼくらは、今の漫才の前の音曲漫才はほとんど知らない。
かろうじて、小学校の頃、寄席中継で見たが全く面白くなかった。
そういうものだ。時代が違う。
それでいいのだと思う。

昭和から平成にかけてのしゃべくり漫才。
まだ残っているが、もう50代以上だろう。
あのゆっくりしたテンポで、君、ぼくという、標準語で話す。

まだまだ、たくさんの日本人が覚えている。
その間は、ぼくらの中で生き続ける。
あの漫才、おもしろかったなあ…。

夢路いとし、喜味こいし。

天国でまた兄に会って、今ごろ、

「来たか」
「来た」

と言っているかもしれないなあ。




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