考えたこと2

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トンネルの中のライト
会社に入って、最初に実験部署に配属された。

この部署は出張が多く、それも車で移動するというものだ。

名神高速の吹田PAで待ち合わせして、そこから何台かの車で東京を経て茨城まで行く。
当時は、東京から地道で行かないといけなくて、12時間くらいかかった。

朝の7時に出発して、夜の7時に着く。
後に高速道ができ(つくば万博の時)、少し短縮されたが、それでも混むと10時間以上かかった。

初めての出張の時は、道もわからないので、ベテランの人とペアになる。
ぼくはMさんと一緒に行くことになった。
昭和54年の5月。

緊張しつつ、ハンドルを握って、吹田PAを出発した。

車が天王山トンネルに入って、ライトをつけた。
充分に前の車が見えていたので、スモールライトだけをONにしたら、Mさんが言った。

「何でスモールだけつけるんや?」
「え、前は充分見えてますから」

そう答えたら、Mさんが言った。

「君が見えることも大事や。でも、他の車がこの車を見えるかどうかやで。」

そう言われて、ヘッドライトをONした。

ヘッドライトは自分が見るためのものであるが、同時に他人に見えるためのものでもある。

今でも毎朝、毎晩通勤で走っているが、トンネルに入ると時々その時の事を思い出す。

今乗っている車は自動的にヘッドライトがつくような設定にしてある。

時々、ライトをつけずに走っている車もある。
自分が見えているからだろう。
昔に比べてトンネルの中は明るくなった。

そういう車を見ると、なるほど、自分が見えるためにつける、ということがよくわかる。

場合によっては、コンマ数秒で、10メートル以上走る速度だ。
判断は早い方がよい。
もし、ぶつかられる時でも、それにそなえることができる。

ライトは人のためならず。

Mさんに感謝。


| | 考えたこと | 20:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
時間
時間は無情だ。
容赦なく過ぎ去っていき、年をとる。
年をとれば、いつかは死ぬ。

しかし、時間は平等でもある。
だれでも同じように過ぎ去っていく。
どれだけの金を積んでも、時間は待ってくれないし、戻ってもくれないし、早く過ぎてもくれない。

アインシュタインは時間も相対的なものだ、と言ったが、今のところその相対性を感じることはほとんどない。
なぜ、時間がそんなに気になるのか。
それは人間が死すべき運命だからだ。

でも、ふだんはそれを意識することもない。
しかし、何かあれば、否応なくそれを意識させられる。

そんな出来事が先日あった。

飼っていた犬が死んだのだ。

もう少し早く気がついて、点滴に連れて行けばよかったのだが、それが送れて水を吸収できなくなった。
腎不全ということだ。

最期は水を無理やり飲まそうとしても、飲まない。

点滴をしても、おなかが膨れるだけで、吸収しない。

万策つきて、亡くなった。

こんなことが時間を意識させる。

ぼくは、残り時間がどれくらいあるのだろうか。

どんなふうに、死ぬのだろうか。

死を意識するからこそ、生を意識できる。

合掌。



| | 考えたこと | 01:38 | comments(0) | trackbacks(0) |