考えたこと2

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生きづらい?
こんなツイートがあった。

「LGBTQは生きづらい、移民は生きづらい、若年女性は生きづらい。可哀想な人は世の中に山程いるが、生きづらいと言ったもん勝ちなのか?黙って頑張っている人よりも、生きづらいと宣言した者が守られるならば、努力もせず保護される事を望む者ばかりになり民主主義が成り立たなくなるじゃないか。」

ぼくもそう思う。

ツイッターに出てきて、生きづらさを訴えている人たちは、たしかに生きづらいのだろう。
しかし、その裏側には、もっと生きづらい人もいるだろう。

1月に紹介したColaboの不正会計は、さすがに監査を受け、公金の注入はストップした。
生きづらいと言っている人たちの後ろには、公金を狙っている活動家がいる。
いったん法律で保護が認められたら、そこに巣食うのだ。

「どっちのトイレを使えばいいか分からず生きづらいとか言ってるんだぞ。こんな事でいちいち生きづらさを叫ぶ奴等は、今後はもっとしょうもない事で辛い辛いと喚きだすだけだろ。婚活パーティ、更衣室、風呂、スポーツまで。何でこんなアホみたいな悩みに社会が法まで作って理解しなきゃならないんだよ。」

これが「アホみたいな悩み」というと言い過ぎかもしれないが、自分で「生きづらい」と言っている人の話だけ聞いていてダメだと思う。

本当に生きづらい人は、声高にそんなことを宣言するだろうか。
そんなことさえはばかられるのではないだろうか。

何かオカシイ。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) |