考えたこと2

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平成最後の日
今日は平成の最後の日。
民間企業にいたときは、ほとんど和暦など使わなかった。
学校法人に変わって、役所に出す書類がみんな和暦で、ちょっとビックリ。
文科省はぼくの退職時、和暦で紙はB版だった。

平成になったときはよく覚えている。
あの小渕総理(このときは幹事長だったらしい)が、墨で「平成」と書いた紙をかざしている姿だ。
小渕氏は早くに亡くなったが、これで国民の目に焼き付いたと思う。

平成になったのが1989年1月8日。
まだバブルの頃だ。
日本中が浮かれていたと思う。
意味もなく地価が上がり、ゴルフの会員権が途方もない値段で取引され、サラリーマンが600万もする車に乗っていた。
今の若い人には想像もできないだろう。
マンションを買うための抽選をするだけで、ビルの周りを何周も行列ができていた。

金融機関の新入社員のボーナスがバカ高かった。
ぼくのいた会社の年配の人の娘が、自分よりボーナスが多かったとこぼしていたのを思い出す。
理系でもどんどん採用され、社員になった。
バブルが崩壊して、その人たちの多くは辞めたという記事もあった。

30年前というと、32歳。
まだ会社に入って10年目。
実験から設計に移って3年目だから、ようやく図面のイロハがわかって、雲形定規を使って構造図面が描けるようになったくらいか。
社内のデーターベースの整備も考えないといけないと思っていた頃だ。
今考えると、あの頃CADを勉強しておけばよかったのだが…。

平成に入って、10年ほどは景気が良かった。
そのせいで、仕事はムチャクチャ忙しかった。
毎日終電か、自腹のタクシーだった。
今だったら、完全なブラック職場と言われるだろう。

平成の初めは、まだ一人1台のコンピューターではなかった。
手書きでやっていたから、効率も悪かった。
ネットワークがちゃんとつながったのは、平成5年あたりだったか…。
平成の30年はほぼパソコンの普及の歴史でもあると思う。

ぼくが学校法人に転職したのが2004年だから平成16年。
ということは、ぼくの会社員人生は昭和10年間、平成15年間が民間企業、残りの10年間が学校法人ということか。
民間企業で25年間充電したものを、10年間の学校法人で放電したという感じだなあ。

学校法人の10年間は、時計の針がだいぶ逆戻りして、本当に呆れた。
メールを読めない人がいるとか、ディスプレイに紙のポストイットが貼ってある人とか、そんな人を相手にして、仕事をした。
まだ学生の方がマシだ。

学校法人に変わって、3年目から今のキャリアの仕事を始めた。
結局、それまでの民間企業の経験や、学校法人の経験を生かして、学生の相談に乗るという仕事が最後のキャリアになったということだ。
企業の人事担当にも700人以上は会った。

さあ、これでいつまで続けられるか…。

今日で平成も終わり。



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