考えたこと2

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2025問題 その3
団塊の世代が75歳になるのが、2025年。
その時に医療費が増えて、社会保障がたちいかなくなる、というのが2025問題。
これで、書くのは3回目。

だいたい、2025年から2035年あたりまでが、日本医療のピークになるらしい。
ピークというのは、このままの制度では医療費が増えてどうしようもなくなる、ということだ。

医療現場でも省力化や効率化が必要になる。
高度成長期に作られた制度は、低成長、長寿化、人口減の時代には適応できない。
それは、誰が聞いても当たり前のことだが、自分のことになると、簡単には認められないんだろう。

AIやロボットはどんどん導入される。
医師の仕事も変わっていく。
いろんなところで議論されているが、一つ抜け落ちているのは「尊厳死」の問題ではないか。

人生で「死」をどう扱うのか。
欧米では、自分で食べられなくなったら、「胃ろう」などせず、自然に亡くなるのが当たり前であり、栄養物を直接胃に流し込むような処置は虐待だと思われているということだ。
それが国民のコンセンサスになっている、とも言われているhttps://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20120620-OYTEW61295/。

翻って、日本ではどうか。
患者を生かすことが医療の努めというふうになっている。
それがこの問題を大きくしているのだろう。

そこの議論をせずに、医療費の問題を考えるのは全く片手落ちだと思う。
医療の問題ではないのだ。

「死」の倫理的な問題なのだ。
これを医師に任せても無理だろう。

それこそ、本来は宗教家の役目だが、葬式仏教になってしまった仏教家には望むべくもない。
「死」を商売のネタにして、堕落してしまった。
介護施設だって、「胃ろう」を商売のネタにしているのかもしれない。

いい加減に国会で超党派で「尊厳死」を議論する会でも作り、国民に意識させるべきだと思う。

2025年問題は、尊厳死問題でもあると思う。


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