考えたこと2

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グローバル人材
グローバルという言葉が定着して久しい。
一般的にはヒト、モノ、カネが国境を超えて自由に行き来する状態を、グローバル化した状態、と言うと思う。
そして、そういう状況に対応してビジネスをやるために、グローバル人材の育成ということが言われている。

人材関係のコンサルタントをやっている、河合薫さんという人が日経ビジネスに記事を連載している。
その記事を読んで、ぼくも同じ思いを抱いた。

文科省を筆頭とした教育関係者は、まず語学と言っている。
英語が話せないといけない、というワケだ。
だから、小学校から英語を必修にしたり、大学では英語で授業をやることを推進したりしている。
それがイケナイと言っているのではない。
河合さんはこう書く。

「TOEIC が高得点だからといってビジネスシーンで英語が使えるとは限らない。ビジネスで使う英語力は入社後に研修やOJT で磨くことになる。(電気機器F社)
 正直、この結果をみてホッとした。私自身、英語よりも「伝える中身」を持つことの方が重要だと思っていたし、企業の方たちと話すと、海外で仕事経験のある人ほど、「英語ができるに越したことはないが、できるからといってグローバル人材にはなり得ない」と考えている人が多い、という印象を持っていからだ。
 と、こういうことを書くと、すぐに、
 「何、分かったようなこと言ってるんだ。英語ができないことには、海外で仕事なんかできないぞ!」
 「コミュニケーションを取れなきゃ、信頼だってされない」
 「スピードが要求される今の世の中で、英語ができないことで失うものの大きさが分かってない!」
 などと、口をとがらせる人たちがいる。
 なので、何度も書くが、英語ができて悪いことなど1つもない。海外で仕事をするのに英語はできた方ほうが楽だし、いろいろな意味で、最初のハードルが下がる。だが、昨今の英語至上主義は、ちょっと異常だ。」

ぼくもそう思う。
英語が出来たほうがいいのはわかっている。
でも、いくら英語ができても、ビジネスで話す内容がなければ、通訳にしかならない。
だから、必要条件として英語力がいるのだろう。
極論すれば、英語はカタコトでもいいのだと思う。
それよりも、向こうが知りたい内容、こちらが伝えたい内容を持っていることがまず求められる。
いくら挨拶が上手にできても、俗語を知っていて打ち解けて話ができても、内容がなければ相手にされない。
英語は手段なのだ。
目的がなくて、手段だけ持っていても意味がない。

そしてこう書く。

「大反発をくらうこと覚悟で、意地悪な言い方をすると、「それって仕事ができないことを、ただただ英語ができないからと言い訳にしているだけじゃないんですか?」などと言いたくなるほど、今のグローバル人材育成の流れは、英語力が特化されて、短絡的になっていないかと思うのである。
 米メジャーリーグで活躍した野茂英雄さんは渡米する際に、「ところで野茂さんは英語が話せるんですか? メジャーリーグのベンチで英語が話せないとイジメに遭うかもしれませんよ」と記者から質問された。
 それに対して彼は「僕は英語を覚えるためにアメリカに行くわけじゃない。野球をやりに行くんです」と答えた。
 そして渡米後、アメリカ人にとって最も有名な日本人になるほど、彼は大活躍した。
 世界で使えない人は、日本でも使いものにならない。「日本でしか通用しない人」と思われている人は、実際のところ、日本でも通用していないんじゃないだろうか? 
 もし、ホントにグローバル人材が日本にいないとするならば、日本中が使えない人たちであふれているか、もしくは、英語がたまたまできないというだけで、グローバル人材という枠からはじき出されてしまっているか、そのどちらかだ。
本当に日本で働く以上に求められることとは?
 ただ、1つだけ日本で働く以上に、繰り返すが、「日本で働く以上に」、必要なものがあるとするならば、「たった1人でも、完全なるアウェーでも、どうにかしてその場で、限られた資源の中でベストと思える答えを探り出す力」。自律性(autonomy)だ。
 自律性は、「自分の行動や考え方を自己決定できているという感覚」で、自分を信じることで、目の前にあってできることを1つひとつ進め、自分の強みを進化させる動機付け要因となる。自分を信じる力は、何ごとにも優るエネルギーを引き出す。
 誰も助けてくれない。たった1人。その状況でも、「これでよし」と自分の行動を決められる「自律性」なくして、世界では太刀打ちできない。」

全くその通り。
「日本でしか通用しない人」と思われている人は、実際のところ日本でも通用していないんじゃないだろうか、というのは本当にそうだと思う。

今の、英語が出来ないといけない、というのは英語が出来ないことを仕事ができないことの言いわけにしているのだ。
もともと、国の役人というのは、あまり海外での仕事はない。
内向きの仕事ばかりだろう。
だから海外に出ていくためには、英語ができないとイケナイと短絡的に考えるのだろう。

ぼくらの先輩は、アメリカやヨーロッパに出て行った。
そして欧米から技術を輸入したり、製品を輸出したりした。
彼ら先輩は英語が堪能だったろうか。
失礼かもしれないが、大多数はそんなことはなかったと思う。
でも、熱意を持っていたり、技術を持っていたり、売るべき製品を持っていたりした。
英語はカタコトでも、やる気があったのだと思う。
そうしないと、日本は食っていけない。
そういう使命感もあったかもしれない。
そういうふうにして、日本は輸出大国になれた。
あの先輩たちの苦労は語学だったろうか。
きっとそうではない。
たしかにそれは障害になったかもしれないが、単に障害だっただけだ。
伝えようという思いとその熱意で乗り切ったのだと思う。

そういう世代の人たちは、今の英語の教育については何も言わないのだろう。
出来たほうがいいに決まっているからだ。
でも、大事なことを伝えていない。
語学より大事なことは、仕事に対する熱意であったり、使命感であったりするということだ。

そういうことを忘れて、グローバル人材には英語だという。

そんなことを本気で思っているのだろうか。

そんなことを本気で思えるのは、日本でも通用しない人たちだと思う。

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