考えたこと2

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プロ野球と柔道
プロ野球機構が飛ぶボールを使っていたのを隠していたらしい。
コミッショナーが知らなかったというのも、情けない。
元は外交官で、単に野球が好きということでコミッショナーに就任したように思える。
本当に知らなかったのか、それとも知っていて知らないふりをしたのかはわからないが、事の重大さを認識していないのは確かだ。
もう惚けているのだろう。
70歳を超えて、公職に就くのを禁じたらどうか。

また、日本柔道連盟の会長もこの6月に続投を表明した。
こちらの方は、柔道をずっとやってきた柔道家。
理事がみんなで今の体制を継続しようと思ったのだろう。
女子柔道のセクハラ、暴力問題、助成金の疑惑など、こちらも情けない状態だ。
理事会のメンバーを一新してもっとまともな人を会長にしてほしい。
柔道家ではなく、組織経営が出来る人を据えるべきだ。

日本のスポーツ関係の団体、いや、全体に非営利の団体はモラルがないところが多いように思う。

公益法人や学校法人、NPOなどの組織は、ガバナンスが出来ていない。
ヒト、モノ、カネの動きがいい加減にされている。
早い話が、誰が本当の責任者か、分からないということだ。

これは公益に資する方たちは悪いこともしないし、賢い人ばかりだ、という思い違いに基づいて法律が出来ているからだと思う。

いい加減に気づいたらどうか。
学校のイジメの問題も、高野連の野球留学の問題も、仕組みが悪いのだ。

ぼくは素人だから、法律のどこがどう悪いのかは知らない。

しかし、何度も校長が頭を下げたり、そこそこエライ人が謝ったりしているが、いっこうに止まる気配がない。
問題の根はどこにあるのか。

世の中いい人ばかりではない。
そして、いい人がいいことをする保証もない。
いい人は「いい」と思っていることがどれほど「よくない」ことか、考えない。

何だかわからないが、法律を変えるべきだ。

「いい」人が「いいこと」を出来ないようにしてくれ。


| | 考えたこと | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
ライン疲れ
若い人の間ではラインというのが流行っているらしい。

ラインというのは、スマートフォンのアプリ。
画面の左右に吹き出しのようなものが出て、そこにメッセージが入る。
いろんなメンバーでのラインを作れるらしい。
要は仲間別にラインを作ることができる。
学校のサークルのラインがあり、クラスの友だちのラインがあり、…という具合。
またこのラインは電話番号を使うので、メールと違ってアドレスを変えたのでつながらない、という事もない。
キャリアを変えても、電話番号は持っていけるからだ。

メールは出してしまえば、見たかどうかはわからない。
しかし、ラインではメールと違って、相手が読んだか読んでないかがわかる。
それが、見た方にも見られた方にもプレッシャーになる。
ラインに書き込んだ方は、自分のメッセージが読まれたことがわかり、返事がまだだということがわかる。
ラインを見た方は、それがわかっているので、見たら返事を出さないとイケナイという気分になる。
それがライン疲れという症状になるらしい。

要はメッセージを見たら返事を出さないといけない、ということだ。

しかし、たわいもないメッセージで、無視したっていいと思うメッセージにも、返事をしないといけないと思うと、疲れる。
「今日は○○に来ています」
「それがどうした」
「今日の晩ご飯は○○」
「あ、そう」
というようなやりとりは、しにくいらしい。
相手が傷ついたり、怒ったりしたら困るからだ。

そんなに疲れるのなら、ラインをやめたらいいと思うのだが、そうもいかないらしい。
やめること自体がストレスになるのだろう。

「大学生750人を対象にジャストシステムが実施した調査で、対象の7割が「既読が表示されると、返事をしないと相手に悪いと感じる。」対象の4割が「LINEトーク利用で疲れを感じることがある。」このような結果が出たそうです。」という記事があった。

フェイスブックとかラインとか、ソーシャルネットワークというようなものが流行っているが、こんな所に日常の下らない事を書くことの弊害は、もっと取り上げられてもいいと思う。

池田晶子が「考える日々3」で書いている。

「先日のニュースなど、近所でおいしいキムチを作るおじさんがいるので、このことを全国の皆さんに是非とも知らせてあげたい。で、その情報をインターネットテレビなるものに作成して流している人のことを、これまたテレビで放映しているわけである。
 そうまでして、そうするべきことなのだろうか。自分たちがいかに無内容なことをしているかということを、今やそこにいる誰もがわからなくなっているのだ。これは驚くべきことである。
 情報伝達機器が発達するほど、伝達される情報の無内容が露呈してくるというのは、皮肉なことだ。当然といえば当然である。伝えるべき内容を発達させずに、伝える手段ばかりを発達させてきたからである。そもそも「何を」伝えたいのかという然るべき問いを、なぜ所有せずにいられるのか、それが私には不可解である。「便利になる」、大変けっこうなことである。しかし、便利になるほど人が馬鹿になるのは、どういうわけなのだろう。」

状況はもっとひどい。
キムチを作るおじさんどころの話ではない。

そうまでして、そうするべきことなのだろうか…。

| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |