考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
ライン疲れ
若い人の間ではラインというのが流行っているらしい。

ラインというのは、スマートフォンのアプリ。
画面の左右に吹き出しのようなものが出て、そこにメッセージが入る。
いろんなメンバーでのラインを作れるらしい。
要は仲間別にラインを作ることができる。
学校のサークルのラインがあり、クラスの友だちのラインがあり、…という具合。
またこのラインは電話番号を使うので、メールと違ってアドレスを変えたのでつながらない、という事もない。
キャリアを変えても、電話番号は持っていけるからだ。

メールは出してしまえば、見たかどうかはわからない。
しかし、ラインではメールと違って、相手が読んだか読んでないかがわかる。
それが、見た方にも見られた方にもプレッシャーになる。
ラインに書き込んだ方は、自分のメッセージが読まれたことがわかり、返事がまだだということがわかる。
ラインを見た方は、それがわかっているので、見たら返事を出さないとイケナイという気分になる。
それがライン疲れという症状になるらしい。

要はメッセージを見たら返事を出さないといけない、ということだ。

しかし、たわいもないメッセージで、無視したっていいと思うメッセージにも、返事をしないといけないと思うと、疲れる。
「今日は○○に来ています」
「それがどうした」
「今日の晩ご飯は○○」
「あ、そう」
というようなやりとりは、しにくいらしい。
相手が傷ついたり、怒ったりしたら困るからだ。

そんなに疲れるのなら、ラインをやめたらいいと思うのだが、そうもいかないらしい。
やめること自体がストレスになるのだろう。

「大学生750人を対象にジャストシステムが実施した調査で、対象の7割が「既読が表示されると、返事をしないと相手に悪いと感じる。」対象の4割が「LINEトーク利用で疲れを感じることがある。」このような結果が出たそうです。」という記事があった。

フェイスブックとかラインとか、ソーシャルネットワークというようなものが流行っているが、こんな所に日常の下らない事を書くことの弊害は、もっと取り上げられてもいいと思う。

池田晶子が「考える日々3」で書いている。

「先日のニュースなど、近所でおいしいキムチを作るおじさんがいるので、このことを全国の皆さんに是非とも知らせてあげたい。で、その情報をインターネットテレビなるものに作成して流している人のことを、これまたテレビで放映しているわけである。
 そうまでして、そうするべきことなのだろうか。自分たちがいかに無内容なことをしているかということを、今やそこにいる誰もがわからなくなっているのだ。これは驚くべきことである。
 情報伝達機器が発達するほど、伝達される情報の無内容が露呈してくるというのは、皮肉なことだ。当然といえば当然である。伝えるべき内容を発達させずに、伝える手段ばかりを発達させてきたからである。そもそも「何を」伝えたいのかという然るべき問いを、なぜ所有せずにいられるのか、それが私には不可解である。「便利になる」、大変けっこうなことである。しかし、便利になるほど人が馬鹿になるのは、どういうわけなのだろう。」

状況はもっとひどい。
キムチを作るおじさんどころの話ではない。

そうまでして、そうするべきことなのだろうか…。

| | 考えたこと | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/235289
トラックバック