考えたこと2

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センター試験廃止
今朝の新聞に「センター試験廃止」と書いてあった。

何でも、センター試験をやめて、高校生に到達度テストを年に2〜3回やらせて、学力を測り、その結果を使って大学入試につなげる、というものらしい。
教育再生実行会議が先月出した教育改革案に盛り込まれた。

新聞によると、安倍首相は会議の冒頭、「大学入試に過度にエネルギーを集中せざるを得ないことが、わが国の教育の問題。幅広い観点から議論してほしいと語った」と書いてある。
これは事実誤認だ。
一部の学生は過度にエネルギーを集中しているが、一方で大多数の私学では、一般入試を受ける学生は半分だけ、という事を見落としている。
今やAOや推薦で入る学生が半分。
多くの高校生は受験がイヤだから、AOや推薦で早く大学を決めようとする。
そこに進学実績しか頭にない高校や、入学者の数だけを確保しようとする大学の利害が一致し、大量の高校生が大学に送られる。
そのことも問題にしないといけない。

AO、推薦の野放し状態を防止し、本当の学力を測るためにぜひ全ての高校生に試験を受けさせてほしい。
断っておくが、AOや推薦をマジメにやっている大学は問題ない。
マジメにやれば、AO入試が一番いいとさえ言える。
でも、マジメにやっていない大学が多すぎる。
今の大多数の私学の大学入試は、何とかして学生を入れるためのものだ。
だから、いろんな方式がある。
高校生の好みに応じて、選ばせる。
だから、どこかの私学が受験科目を減らしたら人気が出たというと、すぐにまねをする。
それがどんな結果をもたらすかなど、考えない。

いずれにせよ、到達度テストをやる、というのはいいことだ。
これで少しはよくなると思う。

しかし、高校側の意見として、「高校側には大学に進学せずに就職する高校生の間での序列化につながるとの指摘や、到達度テストの勉強に追われ部活動など学業以外の活動がおろそかになるなどの批判があり、導入には曲折が予想される」と書いてあった。

一部の高校では、就職する学生の方が進学する学生よりも成績がよい。
高校で就職できないから、教師が大学を勧めるということもある。
今や就職の方が、進学よりも難しい。
大学を選ばなければ、進学はたやすい。

また、学業以外の活動がおろそかになる、という批判など一体何を考えているのか。
では逆はいいのか。学業以外の活動に追われ、学業がおろそかになっていないのか。
そんな事例は山ほどあるだろう。

高校野球やサッカーの強い学校で、わざわざ二つの高校を作っているところもある。
片方は野球などスポーツばかりやる学校、もう片方は受験のための学校。
そんなことをしている学校があるのに、批判するなど間違っている。

こないだAKB48のメンバーが、ピラミッドは最近出来たものだ、と言っていた。
わざとやっているのかと思っていたが、どうも本気らしい。
あきれるのを通り越して、気の毒になる。

そんなことも、氷山の一角だろう。

5年後と言わず、来年からでもやってほしい。

| | 考えたこと | 23:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
もう6月
前にも書いたことがあるが、体感時間と物理的時間は異なっている。
アインシュタインではないが、文字通り、時間は相対的なものだと思う。

今年もあっという間に6月。半分が過ぎる。
なんと時間が早いことか。
おそらく、これが新入生や新入社員にとっては、体感上もっと長い時間になっているに違いない。
4月を境に古い体制から新しい体制に変わる。
新入生にとっては、学校が変わるし、新入社員にとっては、学生から社会に出るという大きな変化がある。
そういう人たちにとっては、中身が濃い時間になっているだろう。
今までの友だちと別れ、新しい友だちをつくらないといけない。
毎日が新しい体験。
通学や通勤すら新しい体験だ。

そういう人たちにとっては、時間が長い。
4月から6月までの2ヶ月は普通の2ヶ月ではない。
激動の2ヶ月だ。
6月になって、ふー、やっと6月か、というため息をもらしているだろう。

でも、もう四捨五入で60になろうとするぼくらにとっては、毎日が同じような日々。
暑かったり寒かったりするが、もはや新しいことに巡り会うわけでもなく、たいがいの問題は予測可能な問題だ。(それが解決できるとは限らないが…)
毎日をこなしている、という感じ。

激動の日々は長く、こなす日々は早い。

もう体感時間が長く感じる日々は来ないのかもしれないなあ。



| | 考えたこと | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |