考えたこと2

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地動説
ガリレオがひょっとしたら、太陽が止まっていて、地球が動いている、と考えたのは今から400年ほど前。
望遠鏡を使って、天体を観測し、物理学の基礎を作った。

それまでは、人間はそんなことを考えたことがなかったか、それとも太陽が動いていると思っていたのだろう。
だれでも、自分が中心にいて、止まっており、それから回りを考えるというのが自然だ。
だから、地球は止まっている、という考えはまっとうなものだと思う。
ぼくも、もし小学校の理科で、地球が丸くて太陽の回りを回っているということを習わなければ、そんなことは考えもしなかっただろう。

しかし、はじめてそれを唱えたガリレオは偉い。
地球が動いている、ということを言った。
ただ、そのときはニュートンもいないし、万有引力の法則もわからない。
どうも地球は球体であり、それが太陽の回りを回っているらしい、という想像は本当にすごいと思う。

いくら、観測結果がそういうことを示しても、直感的にそれを理解するのは大変なことだ。

おまけに、命がかかることでもある。
教会は天動説であり、それは教義だから、それに反することを吹聴したら教会に対する反逆罪になる。
今と違って、当時の教会は権力のかたまりみたいなものだから、ただでは済まない。
「1616年 第1回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から、以後、地動説を唱えないよう、注意を受ける。」とWikipediaに書いてある。
幸い、ガリレオはこの件で殺されることはなかったが、それでもいろいろと大変な目にあったらしい。

「ガリレオへの刑は無期刑であったが、直後に軟禁に減刑になった。しかし、フィレンツェの自宅への帰宅は認められず、その後一生、監視付きの邸宅に住まわされ、散歩のほかは外に出ることを禁じられた。すべての役職は判決と同時に剥奪された。『天文対話』は禁書目録に載せられ、1822年まで撤回されなかった。
死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者のトスカーナ大公は、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、正式な許可に基づく埋葬は1737年3月12日にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で行われた。」

こういう勇気のある科学者がいたから、ぼくらは無邪気に地動説を信じていられる。

ガリレオの裁判は2回行われたが、そのとき自ら地動説は放棄する、ということを宣言させられたらしい。しかし、その宣言のあと、「それでも地球は動く」と言ったとか…。

天才はぼくら凡人がどう転んでも考えつかないことを考える。
そういう人たちがたくさんいて、はじめて今の科学技術がある。

今小学校で「理科離れ」ということが起こっているらしいが、残念なことだ。

以前、長男の同級生に、地球が回っている、という事を知らない子がいたらしい。
その後どうなったのかはわからないが、本当にもったいないと思う。

この宇宙がどうなっているのか。

そういうことに興味を持たずに生きていくのは、面白くないだろう。

ガリレオが墓の中で、「それでも地球は動く」、と言っているぞ。


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