考えたこと2

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There is no such thing as a free lunch.
この英文の意味は、フリーランチというようなものはない、ということだが、このフリーは「自由な」という意味ではない。
「タダの」という意味だ。
それに「a」がついているから、「いわゆる」というような意味がつく。

「世の中にいわゆるタダ飯は転がっていない。タダに見えてもそれには何らかの費用がかかる」という意味になる。
これはなんと経済学の重要な教えの一つ、ということだ。

すごく合理的な解決策があるように見えても、それはいいことばかりではない、ということらしい。
何か悪いことがあるぞ、という注意を喚起する言葉。

それがこのThere is no such thing as a free lunch.という言葉。

これは覚えておいて損はない。




| | 英語 | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
ボッチ飯
ボッチ飯(めし)という言葉が、若い人のあいだで使われている。

食堂で一人ぼっちで食べるご飯ということだ。
一人ぼっちのボッチとわかると、意味がわかるのだが。

便所飯というのもあったが、これはそれよりも程度が軽い。
食堂で一人で食べれるだけマシだろう。
しかし、この言葉があるということは、ボッチ飯はどちらかというと異常事態だということだろう。

なぜそんなに一人ぼっちが嫌がられるのか。
誰も友だちがいなければ、一人で食べる。
そんなことは、ぼくらの時代には当たり前だったし、誰も気にしなかった。
ボッチ飯と言われても、それがどうした、と言っただろう。
おそらく、そう思っている若い人も多いはずだ、と思うのだが…。

これほど、一人であることを、悪いことだと見なす事は、今までなかったのではないか。

友だちがいない、ということに対するアレルギー反応があるようだ。

ゴルゴ13みたいに、一切の友人との接触を絶って、一人で生きているヒーローがいないのかもしれない。
そういえば、「孤独なヒーロー」といわれる人がいなくなったか。

もともと人間は一人で生まれて、一人で死んでいくものだ。
そういう思い切りがなく、薄っぺらな友達がいることを大切だと勘違いし、ツレとじゃれ合って遊んでいる…、そういう事ではないか。

自分が一人である事を思いきって、初めて他人と交わろうという気持ちになる。
だから、一人であることは必要なことなのだ。

いくら友だちだからといって、一緒に死ぬわけにはいかない。

本当に自分のことを理解し、葬式で泣いてくれる友だちは多くて5人程度だろう。

どうせ、5人くらいしかいないんだから、薄っぺらな友だちがいないからといって嘆くことなどない。

堂々と一人で食べればいいのだ。



| | 考えたこと | 00:25 | comments(0) | trackbacks(0) |