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2012.04.09 Monday
桜
昨日の続き。
桜という花は、無常を思う気持ちに触れるから、日本人に人気があるのだろう。 ぱっと咲いて、ぱっと散る。 世の中の無常を表している。 これほど派手な花も珍しい。 約1週間で嘘のようになくなってしまう。 ちょうど、「奢れるものも久しからず」という平家物語のセリフにぴったりだ。 しかし、日本古来の桜は、山桜らしい。 小林秀雄が言っていた。 このソメイヨシノになったのは、植木屋と文部省が結託して学校に植えたから…。 この桜は手入れが楽なのだそうだ。 山桜はもう少し上品なものらしい。 ぼくらは戦後生まれなので、ソメイヨシノを桜だと思っている。 ワシントンのポトマック川の川岸にも、桜が植えてある。 4月になって一斉に咲いても、アメリカ人は冷静に見ているらしい。 もちろん、きれいだと思うんだろうが、「ああ、桜が咲いた」という、どこから来るのかわからない感動はないようだ。 ぼくらは人類のみんなが、桜が咲けば「ああ、桜が咲いた」という感動をセットされているものだ、と思っている。 それがないなどとは、信じられない。 狂気とすら言えるような美しさを、日本人は感じる。 事実、あの桜の下で、飲めや歌えの大騒ぎをして、ほたえるのが年中行事になっている。 新入社員が昼から場所取りに行くのは、業務になっている会社も多いだろう。 あれも、桜の下だから、許されるのだろう。 すべての無礼は、桜の花によって免罪される。 入学式を春にするのも、桜の時期だからではないか。 日本では入学式を秋にできないのは、桜が咲かないからだ、という説明で十分だ。 いい学生が取りたいとか、国際的でないとか、批判はあるが卒業・入学のシーズンには桜が咲かないといけない、と日本人は思っているのではないか。 桜のようにはかない人生…、その無常な人生の節目なのだ、という戒めかもしれない。 無常観があるからこそ、来年も桜が見られるだろうか…、という思いが浮かぶ。 あと何回桜を見られるのか…。 今まで数限りない日本人が、桜について書いているだろう。 一度それらを調べて、まとめてみると面白いと思う。 |
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