![]() |
2012.04.05 Thursday
幕末の志士
司馬遼太郎が言っていたが、幕末は宗教と美術のない時代だという。
道徳と宗教は人が生きていく上で大きなものだが、その片方が欠落しているらしい。 燃えたぎる熱情を道徳だけが支えていた時代。 京都で高杉晋作が将軍暗殺を考えていた。 ある浪士が自分も仲間に加えてほしいと頼んだが、高杉は断った。 浪士は高杉が自分を臆病者だと思っていると思い、その場の軒先で、立ったまま腹を切って死んだという話があるらしい。 死んではもう何もできないのだが、そういうような人があふれていたのが幕末だという。 宗教の目的の一つは、死後の世界だが、そんなものはどうでもよかったらしい。 徳川家は浄土宗だった。 しかし、儒教が入ってきて、その中の朱子学というものが、基本的には無神論であったことが要因らしい。 道徳で死ねる時代。 さすがに歴史家、司馬遼太郎だけのことはある。 そんなことは考えたことがなかった。 もちろん、ぼくの知識がないからだが、そういうふうに言われると幕末の特殊性がよくわかる。 幕末という時代は、日本人が火事場の馬鹿力を出した時代なんだろう。 しかし、道徳で死ねる時代というと、第二次大戦もそうだったかもしれない。 でも、あれはある意味強制されていたのかもしれない。 歴史を語るのは、歴史家であって、歴史研究者ではないと司馬遼太郎は言う。 歴史家は小説家や詩人に類する仕事をしている人だ。 色々な事実を並べて、それらの事実を吟味し、「何か」を考える。 そんな仕事が彼の仕事だったらしい。 そういう仕事のなかから、司馬遼太郎の作品群が生まれた。 坂の上の雲、峠、梟の城、播磨灘物語、花神、燃えよ剣、歳月…。 |
![]() |