考えたこと2

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ボッチ飯
ボッチ飯(めし)という言葉が、若い人のあいだで使われている。

食堂で一人ぼっちで食べるご飯ということだ。
一人ぼっちのボッチとわかると、意味がわかるのだが。

便所飯というのもあったが、これはそれよりも程度が軽い。
食堂で一人で食べれるだけマシだろう。
しかし、この言葉があるということは、ボッチ飯はどちらかというと異常事態だということだろう。

なぜそんなに一人ぼっちが嫌がられるのか。
誰も友だちがいなければ、一人で食べる。
そんなことは、ぼくらの時代には当たり前だったし、誰も気にしなかった。
ボッチ飯と言われても、それがどうした、と言っただろう。
おそらく、そう思っている若い人も多いはずだ、と思うのだが…。

これほど、一人であることを、悪いことだと見なす事は、今までなかったのではないか。

友だちがいない、ということに対するアレルギー反応があるようだ。

ゴルゴ13みたいに、一切の友人との接触を絶って、一人で生きているヒーローがいないのかもしれない。
そういえば、「孤独なヒーロー」といわれる人がいなくなったか。

もともと人間は一人で生まれて、一人で死んでいくものだ。
そういう思い切りがなく、薄っぺらな友達がいることを大切だと勘違いし、ツレとじゃれ合って遊んでいる…、そういう事ではないか。

自分が一人である事を思いきって、初めて他人と交わろうという気持ちになる。
だから、一人であることは必要なことなのだ。

いくら友だちだからといって、一緒に死ぬわけにはいかない。

本当に自分のことを理解し、葬式で泣いてくれる友だちは多くて5人程度だろう。

どうせ、5人くらいしかいないんだから、薄っぺらな友だちがいないからといって嘆くことなどない。

堂々と一人で食べればいいのだ。



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