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2011.08.29 Monday
世代交代
年をとると、だんだんと世代というものを意識するようになる。
ぼくらの世代、という言葉をよく使う。 そう意識はしていなかったが、ここ数年でだんだんと使うことが多くなった。 話していても、話題によって意識することが多い。 特に若い人と話していると、それを意識させられる。 何かを説明するときに、単に個人の話ではなく、時代背景が必要になってくることが増えた。 一昨日書いたが、時代の変化はどんどん早くなってきている。 縄文時代が何十万年続いたのかはわからないが、その間の文明の進み方は本当にゆっくりだったと思う。 それがだんだんと早くなった。 今や地球の反対側で起こったことでも、翌日にはわかる。 インターネットではリアルタイムでわかったりする。 情報の流通量は、縄文時代と比べると無限大と言ってもいいだろう。 江戸時代と比べても、印刷技術、電信、電話、その国際化、通信技術などが発達し、何千万倍という状況だろう。 何せ、東京で起こったことが大阪に伝わるのに、飛脚という手段しかなかったのだから。 今の変化のスピードは人類が経験したことがないものだろう。 アナログがデジタルになったのが大きい。 話がそれたが、だから、ぼくらの時代に常識だったものが、もう若い世代には常識ではないということが起こる。 長らく、そんなことは起こらなかった。 変化がゆっくりだったからだ。 ぼくらが死ぬ頃には、10代の人は本当にびっくりするような人になっているだろう。 和式トイレはほとんど通じない。 おじいちゃんが若いころはなあ…、と言わないといけない。 電話は個人のものになるだろう。 レコードプレーヤーは骨董品になる。 VHS、8mmビデオ再生機など、影も形もない。 そんな時代になって、何かを伝えることができるだろうか。 昔を懐かしんでいても仕方ないが、時代の変化(あえて進歩とはいわない)にしたがって、良いものが消えていくこともあるだろう。 それをどう伝えていくか…。 よけいなおせっかいかもしれない。 そんなものは、伝えることはできないし、伝える価値もないのかもしれないなあ。 それが時代に適応する、ということか。 |
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