考えたこと2

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あたし
社会人になると、一人称で「私」というのを使うのだが、女性の場合は「あたし」というのもある。

この、あたし、というのは私が転じてできた言葉で、主に女性が使う、ということになっている。

少しくだけた感じで、公式の場では使わない方がよい、ということ(らしい)。

でも、あたし、というのは人によって似合う、似合わないがあると思う。

女性が主人公のミステリで「私が愛したリボルバー」というのがあった。(以前書いたが…)
ステファニー・プラムというのが主人公なのだが、小説の中ではすべて「あたし」で通している。
題名だけ「私」になっていて、単に文字数が多くなって表紙に入りきらないので私に変えたのか、それとも打ち合わせ不足か、それともわざとか…、原因不明だ。
この主人公には、「あたし」が似合っている。

このシリーズはドタバタものなのだが、もっとハードボイルドな小説の女探偵では、どうも似合わないような気がする。
たとえば、サラ・パレツキ-のV.I.ウォーショースキー。
この探偵は「私」でなければならない。
映画の題名も「私はウォーショースキー」だった。

…でも、この話、ちょっとおかしいと思いませんか?

もともと翻訳の文章だから、一人称は「I」しかない。

翻訳者の意図が入っているのだ。

最初にステファニー・プラムという主人公に対して「あたし」と言わせたのはこの本の翻訳者。
原文を読んだことはないが、翻訳の方の大ヒットだと思う。

ステファニーが「私」というのは、今ではオカシイ。
やっぱり「あたし」でないといけない。

あたしが似合う人…、どんな人なんだろうか。

難しいところです。




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