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2009.07.10 Friday
プログラム
プログラムといっても、行事の事ではない。
コンピューターを動かす言葉のこと。 学校でならって、一度課題のプログラムを作った。 アセンブラというプログラミング言語を使ったものだった。 面白かった事を覚えている。 そして、以前ここにも書いた、台風の降雨予測のプログラムを作った。 作ったといっても、先輩が作っていたものに手を加えただけのもの。 この時は、フォートランという言語を使った。 まだ、オンラインにはなっていなくて、一行ずつカード一枚に打つ、というものだった。 そのカードの束を持って、電算機センターに行って、それを通す(読み取り機にかける)のだ。 今から考えると、すごい手間だが、当時はそれが当たり前だった。 まあ、よくわけの分からない学生に、そんな代物を使わしてくれたものだ…と感謝する。 そして、会社に入り、タイム・シェアリング・サービスを使うようになった。 TSSといって、コンピューターの時間を分割して使う、というシステム。 まるで、自分が占有しているようにして使えるのだが、実はたくさんの人が分けて使っているというもの。 当時、青い文字のディスプレイで、ログインして使っていた。 これは使っただけで、プログラムはしていない。 亡くなったSさんのプログラムを使っていたのだ。 いよいよ、ぼくの人生最大のプログラムであった、力のセンサーの出力を読み込んで、それをグラフに描く、という仕事をする。 あれは、25歳くらいだったか。 当時のミニコンというのを使って、これもフォートランで書いた。 電圧が何ボルトの時に、力が何キログラムということになっていて、それを取り込み、平均して波形を出す。 X-Yプロッタという機械で書かすのだが、仕様書を見て、どういう命令をしたらどういう動きをするのか、というところからやった。 テレタイプという機械を使って、幅5センチくらいのテープに打ち出す。 それをミニコンで読ませ、そしてコンパイルする。 懐かしい。コンパイルというのは、フォートランで書いたプログラムを機械語に翻訳する、というような作業(だったと思う)。 何度も、何度も、うまいこといかずにやり直した。 遅くまで会社に残ってやった事を覚えている。 そして、ついに完成し、便利になった。 それまではグラフを描くために、解析機を借りてきて、毎回線をつないでやっていたのだ。 それが計測すると同時に、グラフができる。 こう書くとぼくが一人でやったようだが、Sさんに教えてもらいながらやった。 実際にはSさんがいなければ、それを作ろうとさえしなかっただろう。 そして、創意工夫提案制度に応募して、賞金をもらって、課の宴会で使った。 これがぼくの人生最大のプログラムだ。 このプログラムはその後数年間は現役で稼働した。 そして、ラボの近代化に伴って、廃棄された。 新しい機械を使えば、それ1台で計測とグラフ作成が同時にできるから、プログラムなど必要なくなったのだ。 それでも、ぼくがラボに額に入れて飾っておいた創意工夫提案制度の賞状は、その後も数年間はそのままだったと思う。 今はどうなっているのだろうか…。 もう捨てられただろうなあ。 老兵は死なず、去りゆくのみ…。 |
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