考えたこと2

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プチ人間不信
マクドナルドの成功は、徹底的なマニュアル化で、作り方から、接客まで、誰でもできるようにしたことだ、ということらしい。
確かに、海外でマクドナルドに行くと、妙な安心感がある。
店の中の作りから、メニューの表示など、日本と同じだから、安心できる。

コーラとハンバーガーを頼むのも、メニューを指させばいいから、言葉がわからなくても大丈夫。

フライドポテトをオーダーせずに、最後に店員が何か言ったら、それは「ポテトはいかがですか?」である。
世界中どこでも、ポテトを頼まなかった客には、最後に「ポテトはいかがですか?」と聞くことになっているのだ。

フランスでマクドナルドに行って、ハンバーガーを食べようとして、オーダーしたら、最後に意味不明なことを言ったので、「ウィ」というと、フライドポテトが出てきて、「おー、そうか」ということになった・・という話を聞いたことがある。

その成功にあやかって、どこでも、同じようなことをやるのは世の常だろう。
たくさんのところが、マニュアル化してアルバイトで接客を・・となったんだろうと思う。

マニュアル化された接客、というのは、だれでもがある水準の仕事ができるという意味で、素晴らしい方法だと思うが、その悪影響というのもあると思う。
誰に対しても機械的に同じことを反復する、という行為が、売る側と買う側のコミュニケーションを絶っている、という部分があるように思えてしかたない。
「お持ち帰りですか?こちらでお召し上がりになりますか?」で始まり、「どうもありがとうございました。またお越し下さいませ」
で終わる一連の手順に「バイト、大変やね〜」とか「どれがオススメ?」などという合いの手を入れる隙間がない。
丁寧に扱われている、ということはわかるけど、どこか人間的でないというか、袋をもらって立ち去るときに、心の底に何かざらついたものがちょっとの間残っている、という感じである。

そんなことが重なってきて、レジでの人間関係というのが崩れているのではないか、と思う今日この頃である。

レジでの人間関係って、何や?と言われるかもしれないが・・。

最近レジで並んでいて、よく見る光景は、

何かを買って、レジに持っていく。
レジ係の人が、「いらっしゃいませ」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
黙って買おうとする商品を渡す。
レジ係の人が、レジを打って「XXX円でございます」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
黙って財布からお金を出して、渡す。
おつりがあれば、「XXX円のお返しでございます」と言う。 客は無言である。目も合わせない。
無言で商品を受け取る。
レジ係が「ありがとうございました」と言って、商品を渡す。 客は無言である。目も合わせない。
無言で商品を受け取って、去っていく。

これでいいんですかね・・・・。

「いらっしゃいませ」と言われたら、せめてこちらも目を合わせて、ちょっと頭を下げるとか、何かあってもイイと思う。
商品を渡すときには、お願いしますとか、これ下さいとか、これです、とか、あるいはレジ係の人と目を合わせて、これです、という無言のコンタクトがあってもイイと思う。
おつりを受け取って、商品をもらうときには、「どうも」「ありがとう」くらいはあってもイイと思う。

僕も必ず上に書いたことをしている、とは言い切れないが、必ず、「どうも」の一言は目を合わせて言うように心がけている。
こんなことを心がけないといけない、と思ったのは、レジに並んでいて、無言の光景を見るようになってからだ。

これは、マニュアル化された接客に慣れてしまったための現象なのかもしれない。今の中年以上は、昔の市場での買い物などを知っているので、僕と同じようなことを思っているかもしれないが、若い人はどうなんだろう?

レジに並んでいて、無言の光景を見ると、人間不信になる。
そんなに大きなことではない、という人もいるかもしれない。
プチ人間不信なのか・・。
でも、こんな事が積み重なっていくと、大きな人間不信になると思う。

既になっているのかも・・。

あんまり説教臭いことは書きたくないのだが、ついつい書いてしまった・・・

こないだ書いた、「この素晴らしき世界」とエライちがいや・・・。




| | 考えたこと | 22:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
脳の能力は無限? 2
ワープロを使いはじめたとき、何だかイライラして、なじめなかった。

何でだろう?と考えたら、ペンを使って紙に書く方が早かったからだ。
今までの考える速さで考えていたら、ワープロ操作が遅くて、書く方が追いつかなくなる。

えーと、キーはどこだ?、変換はスペースキーで、漢字を選んで、間違えたらバックスペースか・・・などと考えていたら、その時に書こうと考えていたことが止まってしまっていて、やっと書く方が追いついたら、何を書こうとしていたのか、思い出さないといけなくなる。
だから、その頃はどうしてもワープロで書かないといけないことは、紙に書いて、それを打ったりしていた。
考える速さで書けないと、ちゃんと書けないのだ。

ちょうどその頃、コンピューターなど素人の弟と正月に会って、彼がコンピューターを買って、ブラインドタッチをマスターしたという。「えー、ほんまかいな」と聞いたら「2週間頑張ったら、全然違う。簡単やで。」という返事。

こっちは数年間キーボードを触っててできないのに、素人が2週間でキーボードを見なくても、ワープロが打てる??

弟には、負けたくない。
一念発起して、ブラインドタッチのソフトをコンピューターに入れて、毎日20分練習を始めた。
たしかに、2週間したら、違ってきた。
だんだん、キーボードを見なくても打てるようになってきた。
それと同時に、日本語変換のソフトも良くなって、変換精度が上がってきたというのもあったんだろう。
書く速さを、キーボードが抜いた、という感覚になった。

そしたら・・・今度はペンで字を書くのが、イライラしてできなくなった。
考える速さが、キーボードを打つ速さに慣れてしまったんだと思う。
ちょっとしたことでも、キーボードで打つようになった。

しばらくして、完全にブラインドタッチができるようになってしまった。
毎日仕事で使うと、カッコや数字など、見なくても打てるキーが増えてきた。
こうなると、完全に考える速さはキーボードの速さになった。

紙にペンで書こうとすると、もー、なんでこんな遅いねん!という気になる。どうしても書かないといけないときは、すごくキタナイ字になる・・早く書かないと、書きたいことが書けないのだ。考えることに追いつけない。

だから、何かを書く時の、脳の考える能力は、書く速さに制約を受けているんだと思う。
書く速さが早くなると、制約が取れて、脳は速く考えられる。

こんな事があったので、脳の能力は無限大、という速読の宣伝もひょっとしたら本当かもしれないと思う。

ちなみに、ブラインドタッチを覚えてから、回りの人たちに、だまされたと思って2週間頑張ってみたら、全然違うで!、と言ってきたが、いまだに、ホントでした、という人に会わない。
僕の場合は、相手が弟だったから、意地になってやったんだと思う。
そういう意味では、弟には本当に感謝している・・本人にはまだ言ってないけど。

いつか言わないと・・・

| | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |