考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< July 2005 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
+SELECTED ENTRIES
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
何げないひと言
高校時代の友達のことを書いたので、今回は中学時代の友達のことを書く。

K君は中学の3年間の友達だった。
小学校は違ったし、高校は別々だったので、中学の3年間だけ、どういうわけかよく遊んだ。

どういうわけか・・というのは彼と僕は全然違っていたからだ。

彼は陸上部の短距離のエースで、足が速く、サッカーも得意で、スポーツ万能というヤツだった。
僕は球技は好きだったが、足は遅く、さして特徴のないヤツだったと思う。

バレンタインデーに、K君と一緒に校門を出たら、何本かの電信柱の影に一人ずつ女生徒が隠れていて、電信柱ごとにK君はチョコレートを差し出された、という光景を思い出す。
あの時の女生徒にとっては、僕はさぞジャマだったろうと、今になって思う。

通っていた塾が一緒だったのが、仲良くなった縁だったかもしれない。
いまだに、母親同士が時々会っているところを見ると、親の影響もあったのか・・。
今はK君の事は母親からの情報しかない。住んでいるのも東京だし。

きっとK君本人は覚えていないと思うが、僕には一生忘れられない彼のひと言がある。

学校の帰り道、何げなく一緒に歩いていたときのこと、彼が「おまえな、下向いて歩くな。胸はって前向いて歩け」と言った。
それまで、僕はきっと猫背気味で、ポケットに手をつっこんで、ちょっとうつむきかげんで歩く、うす暗いヤツだったんだろうと思う。

彼のひと言で、前を向いて歩いたら、すごく景色が広く見えた。その時の景色をいまだに覚えている。
学校の近所の大学の敷地内の、体育館の横のところだった。新緑の頃だったんだろう。青葉がきれいだった。

それから、僕は前を向いて歩くようにした。
何となく世界が広がったような、気持ちのいい体験だった。

もしも、彼のひと言がなかったら、ずっとうつむいて歩いていたかもしれない。

K君の何げないひと言は、僕を変えたひと言になったと思う。

ひょっとしたら、自分で気づいて前を向いて歩くようになっていたかもしれないけど、そんなことはどうでもいいのだ。
彼のひと言の価値は、そんな仮定で目減りするようなものではない。

そういうひと言にめぐり逢えたのは幸せだったと思う。

願わくは、僕も誰かにそういう何げないひと言を残していればいいんだけど・・・。
それは、わからない。

K君に感謝である。


| | 考えたこと | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
17歳の時間
コンピューターのファイルを検索していたら、数年前、高校時代に書いたクラブの機関誌のメモが出てきた。
それは、実際に戸棚を整理していたら、ワラ半紙の機関誌が出てきて、それを書き写したものだ。

機関誌を見つけたときに、ちょうど高校時代のクラブの友達I君とメールのやり取りをして、そんなものが出てきた、と書いたら、ぜひ教えてほしい、というので、クラブの掲示板に書き込んであげた。

紙上討論会、ということで、K,S,I,Tの4名が討論している、というもの。
ここにさわりの部分を再録すると・・

K:寝ている時は幸福だ。
S:つまりわずらわしい事がない。人間づきあいがなくていい
  オカシイナァ・・・・
  金などよりも人間関係に幸福が存するのでは。
I:幸福とは一瞬のものではないだろうか。
S:信じれる人がいることが幸せだと思う。
K:信じてくれる人がいることが幸せだと思う。
S:雑談しているときは僕は楽しい。
T:過去を回顧できる余裕のある時が幸福やなあ。
全員:論題が悪かったなあ。変えへんか。
   変えよ!変えよ!やっぱりやるんやったらおんなの話やなあ。
   (全員一致)

ここから先はやめておきます。

これを読んだI君は落胆して、こんなんやったんか・・・とがっかりした様子だった。
もっと高尚なハナシをしていた記憶があったんだと思う。
実際にはしていたかもしれないけど、茶色に染まった機関誌には、こんなことしか書いてなかったのだ。

I君とは、よく家の近所の公園のベンチに男二人ですわり、色々なことを話しあった。
あれは20歳の頃だったから、その頃の記憶があって、がっかりしたのかもしれない。

でも、まがりなりにも、幸福について考えていたんだ、という17歳の時間をワラ半紙に残しておいて、良かったと思う。
ガリ版を切って、ローラーにインクを付け、転がして印刷したことを思い出す。コピー機など無かったから。

I君はその後1年ほどで亡くなってしまった。

病状を聞いて、一度勤め先に会いに行って、クルマで新幹線の駅まで送ってもらって、手を振ったのが最後だった。

もう一度、あの公園のベンチでハナシをしよう、と言っていたのに、果たせぬ約束になってしまった。

もし、ハナシができたなら、幸福について、もう一度討論したかった。

僕は、今でも、幸福は人間関係のなかにあると思っている。

そんなことを、テキストファイルを見て、思い出した。
| | 考えたこと | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |