考えたこと2

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少数派の医師
里見清一という医師がいる。

東洋経済のWEBにこの人の記事があったが、こんなことを言っている。

「90とか95の老人をさらに生かす見返りに、働き盛りの人にあきらめてもらうのは、やっぱりおかしいですよ。アル中で肝臓悪くした親父が子供や嫁さんからの肝臓移植を希望する。好き勝手した人間がそこまでして長生きしたいと言う。敏感な人が遠慮して身を引き、鈍感な人がのさばるなら、それはもう不公平でしょ。生きたいという意志を無条件で尊重しなきゃいけないかというと、できることとできないことがある。」

ほんの一例だ。
今の日本でこういうことを言おうとすると、勇気がいる。
反論がたくさんあるだろう。
それでも、賛成する人も多くなってきた。

この人は患者の自己決定ということに対して、オカシイと言っている。
これは賛否あるだろう。
以前インフォームド・コンセントについて書いたが、最低限、医師としての経験に基づいて、意見をいうべきだと思う。
こうなる確率は○%、こっちは○%、どうしますか?と聞かれたり、この手術にはこういう危険があります、と延々と聞かされた挙句、それで成功しそうですか?と聞いてもわかりません、と言われたりする。これでは患者はたまらない。
あれでは、手術の承諾の儀式になってしまっている。

また、記事の中から引用する。

「フランツ・インゲルフィンガーという食道がんの権威がいまして、30年前自身が食道がんになったとき、患者に自己決定を押し付けるのはやっぱり違うと痛感した。彼は第一人者だから誰より情報を持っている、でも決められない。結局、有能な同僚にすべてを任せました。彼は遺稿の中で「医者は自分で責任を負わねばならない。患者に負わせてはいけない。自分の経験を駆使して具体策を提示しようとしない医者はドクターの称号に値しない」と書きました。」

これはエライ。
たしかに、医師は自分の経験を駆使して、具体策を提示するべきだと思う。
患者は、医師のプロとしての意見を望んでいるのだから。
それを統計的な数字を並べて、あとは自分で決めてくれ、というのなら何かオカシイと思わざるをえない。

この人は、患者がこうしてくれと言っても「じゃあその治療で行きますけど、それは僕が決めたことだからね」という。

そんなことを「医師の一分」という本に書いたらしい。

最後に、安楽死についての意見。

「仮に医者が安楽死させるなら、良心の呵責(かしゃく)に苦しみながらやるべき。自分を守るためにガイドラインを作れ、法律で決めてくれというのは違うんじゃねえかな。今の国会議員に僕は人の命なんか決めてほしくねえや。結局、今そこで患者を診ている医者が、引導を渡す役を引き受けるしかないんじゃないですかね。」

江戸っ子のべらんめえの口調が似合う。

こういう意見が医療の現場からもっと出てくるといいと思う。

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