考えたこと2

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人工知能 3
コンピューターがどんどん進歩して、人工知能が賢くなって、いつかは人間を超える知能を持つことを心配している人がいる。
しかし、そうでない人もいる。

心配しない人は、コンピューターは心を持たないと言う。
だから、指示したことしかわからない。
人間のように、余分なことを考えることなどしない。ということだ。

この問題は、どうして人間は心を持っているかということになるだろう。

人間の心がどうしてこんなふうになって存在しているのか、わからない。
人間が特別だから、というわけでもないと思う。
遺伝子上はチンパンジーとほとんど変わらないのだから。

心の元は脳だろう。
脳は物理的なものだ。
記憶するところがあって、考えるところがある。
考えるところは、いろんな知識を記憶領域から出してきて、総合的に考える。
ただ、考えるという動作がどんなふうにいろんなところが連携しているのかわからない。
それらの連携の結果が、ぼくらが思う、心というものになるんだろう。

それは、人間の脳が機能として持っているのか、それとも膨大な記憶する仕組みと、何かを考える仕組みを作ったら、自然発生的に心ができるのか、そこが分かれ目だと思う。
つまり人間は「心」という特別なものが存在するように思っているが、結局は物理的な現象であって、たとえ機械であっても、人間の脳並みの記憶やそれらの連携能力があれば、心を持つかもしれないということだ。

ぼくは、今はやりの機械学習というのが出てきて、ちょっと心配している。

ネコの写真をたくさん見せたら、ネコを識別できるようになった、というのが機械学習。
顔の形とか、目の形とか、姿とか、色とか、何かを識別するプログラムを作ったわけではない。
とにかくたくさんのネコの顔を機械学習(このアルゴリズムは不明だが…)すると、勝手にコンピューターがネコの顔を識別できるようになった、ということだ。
これは人間の学習とおなじようなプロセスになっていると思う。
その調子でいろんなものを学習できる。
例えば、英語がわかるコンピューターなら、英語で書かれたインターネットのサイトをすべて学習したらどうなんだろう。

インターネット上のサイト数でいうと、55%以上の数が英語のサイト。
今やありとあらゆるものに関するサイトがあるといってもおかしくない。
それを片っ端から学習していくとすると(そんなことが機械学習に可能かどうかはわからないが)、学習が終わったあかつきにはとてつもない知識を得ることになる。
それだけの知識があって、それらを連携する機械学習能力があれば、ひょっとしたら、心にあたるものが出てくるような気がする。

杞憂かもしれないが、そうなったら、機械が人間を征服しているというターミネーターの未来も、本当になるかもしれない。

| | 考えたこと | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラーメンという食べ物
最近できたラーメン屋に2軒ほど行った。
どうも、ラーメン屋という雰囲気ではない。
ラーメンという食べ物のイメージがだいぶ変わったらしい。

中に入っても、静かである。
「いらっしゃい」というような声も小さい。
なんとなく厨房にいる人達もおとなしい。
要は、ラーメン屋にしては元気がないのだ。
もちろん、ぼくがラーメン屋に求める元気の「期待値」というものがあって、それよりも下という意味だが…。

もともと、ぼくらの20代のころから、「天下一品」などのラーメン専門のチェーン店ができはじめ、そのころからラーメン屋がメジャーになり始めたのだと思う。
それまではラーメンには専門店などなく、中華料理屋で食べるものだった。
「中華そば」というのが正式名称だったかもしれない。
だから、この変化はその後30数年かけて起こったものだろう。

ついでに、ラーメンのチェーン店を調べてみたら、知らない名前がたくさんあった。
でも、ぼくが知っているのは天下一品だけ。
それほど目を引かないのかもしれない。
今やラーメンは個人経営の時代に入ったのかもしれない。

ラーメンブロガーというのもいるらしい。
ラーメン屋を回って、味の感想を書いてアップしているという。
あるランキングで2位の人のデーターベースを見たが、2008年8月からで1970店回っていた。
6年半ほどだから、2372日。
8割以上の日数は一日一食、行ったことのないラーメン屋でラーメンを食べていたということになる。
そういえば、近所にオープンしたラーメン屋も、オープン前に特別に人を呼んでプレオープンしていたが、あれはそういう人たちを呼んでいたのかもしれない。
プレオープンとは、けったいなラーメン屋やなあ、と思ったが…。

ニュータイプのラーメン屋は、いろいろと工夫している。
出汁は醤油、ミソ、塩、鶏ガラなど、いろいろある。
つけ麺もあれば、替え玉もある。
チャーシューだけでなく、貝が入っていたり、トマトが入っていたりする。

入店したら券売機で食券を買う。
ラーメンだけなんだが、何種類かある。
券を買って渡すのだが、買う前から券売機の前で待っている。
これなら、直接払ったほうが早いと思うのだが、ニュータイプにはこだわりがあるのだろう。
お金を扱うと、不潔だという感じもある。
ニュータイプは清潔なのだ。

ぼくの考えでは、とてもラーメンとは思われない食べ物まで、ラーメンになっている。
普通のラーメンを食べたくても、なかなか食べられない。

難しい分野になってきたなあ。

ごく普通のラーメンが食べたくなったら、中華料理屋に行かないといけない。

これが現代。



| | 考えたこと | 00:07 | comments(0) | trackbacks(0) |