![]() |
2015.02.02 Monday
コンピューター・グラフィックス
今のアメリカのアクションもののドラマの爆発シーンは、実際のものではなく、爆発の部分だけセットで撮って、バックの市街地などはCGで合成している。
CGがあれば、ロケをする必要もない。 その場所だけ撮っておいて、人物は合成だ。 スタッフがその場所をカメラで撮っておけば、あとはセットで人が演技するだけでよい。 そのせいか、爆発のシーンでも、スタントを使っている場面が減ったような気がする。 でも、まだ爆発の炎のシーンなどは、CGだとわかるが、もうちょっとしたら違いがわからなくなるだろう。 海外の有名な場所でのシーンなども、その場所を撮っておけばCGでその場所でロケをしたように撮ることができる。 CGが始まった頃は、ここはCGという見え見えの使い方だったが、だんだんと本物と区別がつかなくなった。 コンピューターの能力はどんどん上がっている。 大きなデーターを扱っても、すぐに計算して、景色に合わせて変形したり、光の当たり方を変えたりできる。 きっと昔は何千万円という機材が、今は何十万円になっているんだろう。 何度も書くが、ぼくが始めてパソコンを買った1990年あたりは、パソコンのハードディスクが数十メガバイトだった。 それが今やテラバイトの時代。値段は安くなって、10万倍の容量になっている。 この進歩はすごい。 やろうと思えば、人の演技は全部スタジオでできるようになるのではないか。 バックの町や景色はあとではめ込むという具合。 俳優は楽になるし、天気は関係ないから、撮影のスケジュールは簡単に組める。 拘束時間が短くなれば、ギャラも安くなるだろう。 俳優にとっては、痛し痒しということかもしれない。 撮影隊にしたって、持って行く機材は軽くなったし、撮ってすぐに確認することもできる。 クルーの人数も減っただろう。 コンピューターは世の中をこういうふうに変えていく。 これはいいことなんだろう。 安く、いいものができる。 効率をよくして、付加価値を上げる、それが経済の目指すところだからだ。 そうだと思うのだが、なんとなく寂しい気もするのが、不思議だ。 |
![]() |