|
2025.12.19 Friday
バッドエンド
ハリウッドの映画などはハッピーエンドが多い。
子供向けのものなどは、たいがそうなっているだろう。 フランスの映画はわりとバッドエンドが多かった。 それがいいのだ、と言わんばかりのエンディング。 FINの文字がスクリーンいっぱいに広がる。 ふり返って、ぼくらが小さい頃に見ていたアニメはどうだったか。 そういえば、鉄腕アトムもサイボーグ009もバッドエンドだった。 前にも書いたが、アトムは人類を救うために、爆弾を持って太陽に突っ込んでいった。 サイボーグ009は敵をやっつけた後、002と一緒に大気圏で燃え尽きた。 手塚治虫も、石森正太郎も、そういう自己犠牲でヒーローを終わらせた。 子供向けとはいえ、それがヒーローの美学だったのかもしれない。 そういうアニメを見て、何とも言えない理不尽を感じた。 見終わった後に「……」が残るような終わり方。 彼らのおかげで助かった人がいる、ということを伝えているんだろう。 それでも、死んでしまうのはもったいない。 結局、悪く言えば「特攻隊」の思想なのかもしれない。 自分を犠牲にして、周りを助ける。 そういうものは、やっぱり大事なのだろう。 あのバッドエンドには、思いがあったのだと思う。 Geminiに聞くと、 「手塚治虫・石ノ森章太郎」が描きたかったもの 両氏とも、戦争を経験した世代です。彼らにとってヒーローとは「ただ強い」存在ではなく、「痛みを知り、平和のために苦悩する」存在でした。 無敵のヒーローが敵を倒して笑う「勧善懲悪」へのアンチテーゼ。 平和というものがいかに重く、尊い犠牲の上に成り立っているかという、読者(子供たち)への厳しい問いかけ。 このような深い哲学があったからこそ、数十年経っても色褪せない深みが生まれています。」 という返答。 やはり戦争を体験した世代の作家にはそういう哲学があったと思う。 ぼくも、大人になって子どもが戦隊ものを見ているときに、違和感を感じた。 悪者はあくまで悪く、滅ぼさないといけない、というそれこそ「勧善懲悪」だ。 でも、手塚治虫や石森章太郎のような作品があったからこそ、今の日本のアニメの隆盛があるのではないか。 |
