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2022.01.16 Sunday
偽ジェンダー問題
最近、ダイバシティとか、LGBTQとか、性的マイノリティの権利をとか言われている。
そんな中で、偽ジェンダーの問題が出てきた。 こういうことは起こり得るとは思っていたが、やっぱりだ。 内心の自由はもちろんあるが、それが本当かどうかが問題だ。 1月6日に大阪で48歳の男性がスーパー銭湯の女湯に女装して侵入した。 この人は「心は女」だと主張し、トランスジェンダーだと言い張っていた。 その後、女装が趣味で女湯に入って完成度を確認したかった、などと言っているらしい。 マイノリティに配慮をとか、トランスジェンダーの権利をということを言うようになって、この種の問題が増えている。 「性自認は女性のトランスジェンダー」という類のものだ。 女装した男性が女子トイレに入り、警察が確保して聞いたら「戸籍上は男性なのでダメだと分かっていたが、女性と認められている気がして女性用トイレに入った」というケースもある。 弁護士によると、送検されたからといって罪に問われるとはわからない、らしい。 本人の性自認を認めれば、罪ではないということなのか。 しかし、明らかに周りの人が嫌がっているということになると、公共の福祉に反すると思う。 ジェンダーの問題は難しい。 昔はLGBTQなど無かったし、そういう常識も無かったから、こういう問題はなかった。 リベラリズムで、無制限に自由を拡大すると、こういう問題が起こる。 それでも、逆のパターン(男装して男湯に入るなど)は聞かないから、やっぱり性は非対称な問題なのだろう。 女性の男装より、男性の女装のほうが問題になりやすい。 公共の場所で周りの人が嫌がることはやらない、あたりが落とし所だと思う。 誰しも、多かれ少なかれ嫌なことも受け入れないと、社会が成り立たない。 そこは我慢しましょう、ということだ。 アメリカでは2003年にはもう男女兼用のトイレがあった。 空港や会社でそういう表示を見て、ちょっとびっくりした。 ジェンダーの自由を認めるコストは、社会で払わないといけないのだ。 実際に性同一性障害という問題はあるという。 ぼくにはわからないが、それは認めざるを得ない。 主観の問題だし、内心の自由は保証されているからだ。 でも、そこには線を引かないといけないとも思う。 なぜ、性に関して際限なく自由を認めることが必要なのか。 それを嫌がる内心の自由もあるからだ。 |
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