考えたこと2

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給食の思い出
今日の昼は給食の話で盛り上がった。
下は40代から、一番上はぼくの62歳まで。

ぼくの給食の思い出は、とにかくクジラが多かったこと。
その当時は貴重なタンパク源だったのだろう。
クジラの生姜煮みたいなものがよく出た。

どういうワケか「絶対に残したらダメ」などとは言われなかった。
パンを持って帰っている人もいた。
そんなブラックなことはなかったのがぼくらの年代。

ぼくの学校が緩かったのか、あるいはぼくがそんなことは気にしていなかったのか、それはわからない。
50代のOさんは、自分は低学年の時にパンを全部食べられなかったので、みんなが掃除をしている時も給食を食べていた、という。
とても嫌な思い出だということだ。
時には、残ったパンをこっそり誰かの机に入れて、その人が見つかって怒られ、言い出せなかったとも言っていた。
ぼくの小学校では、給食にはそんな緊張感はなかった。

Oさんは大阪で3つの小学校を変わったが、どこに行っても「給食は絶対残したらダメ」という体制だったという。
10年ほどの違いで、そんな差があるのだろうか。

40代のHさんも、Sさんも、「絶対残したらダメ」だった。
Sさんは、ブドウパンのブドウが嫌いで、それだけ除けておいて、牛乳で流し込むという技も言っていた。
一番若いHさんも、給食にはあまりいい思い出がないという。

40代になると、週に2日ほどご飯の日があったということだ。
その頃から、ご飯給食が始まっていたのか。

ぼくのちょっと下の2人は、ぼくと概略同じようなものだった。
ということは、1970年代の途中くらいから、「給食は絶対残したらダメ」になったのだろう。

ぼくの時代は掃除は放課後、当番制でやっていたが、Oさんの話では掃除は昼休みにみんなでやるということになっていたらしい。
つまり、ぼくらの時代は、小学生にも自主性を持たせ、放課後掃除当番が掃除をする、という役目も与えられてやっていたのだ。

それが当然だったと思っていたら、ぼくの息子たちは昼に掃除をするという。
学校に残ってやるのが管理上問題という側面はあるのだが、なんで毎日みんなで掃除をしないといけないのか、と思ったものだ。

きっと役目を与えて、自分たちで残って掃除をするというように、子供を大人扱いしていた小学校が、そうではなくなった時期が「給食はぜったい残したらダメ」という時期なのだ。

放課後の掃除当番など、先生はほとんど見に来なかった。
それでも、問題があれば職員室に言いに行ったし、残ってやる掃除も楽しかったという思い出もある。
もっと子どもを信用して、任せたらいいのだ。
それをせず、管理をどんどん厳しくしていった結果が今なのではないか。

給食の思い出を語っていたら、そんなことを考えた。


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