考えたこと2

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小学校の課題
大学生の就職筆記試験の指導をしてもう数年経つ。
一番ひっかかるのは、割合の問題と文章題。

割合の問題は、そもそも割合という概念がわかっていないことだ。
「概念」などというと、難しく聞こえるが、要は物事を比率で考えるということになる。
絶対値で考えるのではなく、相対的に考えるということで、これは日常生活でも大事なことだ。

もう一つは文章題。
計算はわかっても、その計算すべき式が立てられない。
文章を読んでも、式と繋がらないということ。
濃度などという概念が出てきたら、それだけでギブアップする。
そういう回路が頭の中に出来ていないのだと思う。
式と文章が繋がらないのだ。

それらを身につけるには、時間と練習が必要だ。

自分の経験からしか語れないが、ぼくらの小学校の頃は余計な科目はなく、たくさんのドリルをさせられた記憶がある。
そういう時間が足りないのだと思う。

それで思い出したのが、海外の義務教育。
多くの国で、落第の制度がある。
その年限で習得すべき能力が出来てないのなら、落第、留年ということだ。

日本とは逆だが、能力を身につけていないのに、どうして上の学年に上がることがいいことなのか?ということだ。
多くの国の教育者がそう考えている。

日本は真逆だ。
能力が身についていなくても、上の学年になる。
そして、上の学年の授業を受けさせる。

そうなると、積み上げの科目はどうしたってできない。
前の単元がわかっていることが前提だからだ。
そこから先の勉強は苦痛でしかなくなる。

そういうふうにして、算数嫌い、数学嫌いができる。

小学校も生徒の人数が減っているのだから、落第・留年を認めるべきだ。

それは決して教育の敗北ではないと思う。

| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) |