考えたこと2

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エイプリルフール
今年のエイプリルフールで思い出した。
ぼくは1回だけ深夜放送ではがきを読まれたことがある。
中学2年の時だ。

当時、関西のラジオ局の深夜枠は結構面白かった。
ABCはヤングリクエスト、MBSはヤングタウン。これが2枚看板だった。
ぼくはラジオを聞き始めたばかりだったので、なぜかラジオ大阪だった。
桂春蝶がパーソナリティーをやっていた。

今でもこの「パーソナリティー」というのはラジオ界では使われているようだ。
今で言うなら、DJというところか。
要は番組の進行役。

当時の深夜の枠はABCはアナウンサーがやっていたが、MBS等の他局は若手の漫才師や落語家、ミュージシャンなどを使っていた。
ラジオ大阪も当時の若手落語家である、桂春蝶を起用していた。
曜日ごとに人が変わり、人気がないと降ろされるというようなシステムだったと思う。

番組名が古臭い。
「ヒットでヒット バチョンといこう!」という名前。
当時、夜の11時から1時30分までやっていた。
Wikipediaによると「1970年から1974年まで、ラジオ大阪(大阪放送)で放送されていた深夜ラジオ番組」と書いてある。

70年というと、万博の年だ。
調べてみると月曜日が桂春蝶、土曜日が笑福亭仁鶴、日曜日が当時の桂三枝で、ぼくは落語ファンだったから、それで聞いていたのだと思う。(今となってはわからない)

エイプリルフールに関する小話を募集していた。
調べると、70年の4月1日は水曜日だから、3月30日が月曜日。
30日の放送のおそらく最後の方に、今週はエイプリルフールだから、それにまつわる小話を、ということを思いつきで言ったような感じだったはず。
それを聞いていたぼくは、はがきを書いて送った。

70年4月6日の放送ではがきは読まれた。
残念ながら、これは聞いた話。
ぼくは寝てしまっていたのだ。
友達が、「お前の小話、昨日読まれとったぞ」と次の日に言ってくれたが、後の祭り。
記念すべき放送を聞けなかった。

書いたものは今でも覚えている。

「ラジオ大阪がつぶれたらしいで」
「え、ほんまか」
「ほんまやがな。OBCで言うとった」

これだけだ。

桂春蝶も亡くなったし、今となってはぼくしか覚えていない思い出だろう。
残念ながら、ぼくの作品は次点で、プレゼントはもらえなかった…。

その後、何度かはがきを書いて送ったことはあるが、ぜんぶ選外。

それだけに、寝てしまったのはかえすがえすも惜しい。




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