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2020.04.04 Saturday
エイプリルフール
今年のエイプリルフールで思い出した。
ぼくは1回だけ深夜放送ではがきを読まれたことがある。 中学2年の時だ。 当時、関西のラジオ局の深夜枠は結構面白かった。 ABCはヤングリクエスト、MBSはヤングタウン。これが2枚看板だった。 ぼくはラジオを聞き始めたばかりだったので、なぜかラジオ大阪だった。 桂春蝶がパーソナリティーをやっていた。 今でもこの「パーソナリティー」というのはラジオ界では使われているようだ。 今で言うなら、DJというところか。 要は番組の進行役。 当時の深夜の枠はABCはアナウンサーがやっていたが、MBS等の他局は若手の漫才師や落語家、ミュージシャンなどを使っていた。 ラジオ大阪も当時の若手落語家である、桂春蝶を起用していた。 曜日ごとに人が変わり、人気がないと降ろされるというようなシステムだったと思う。 番組名が古臭い。 「ヒットでヒット バチョンといこう!」という名前。 当時、夜の11時から1時30分までやっていた。 Wikipediaによると「1970年から1974年まで、ラジオ大阪(大阪放送)で放送されていた深夜ラジオ番組」と書いてある。 70年というと、万博の年だ。 調べてみると月曜日が桂春蝶、土曜日が笑福亭仁鶴、日曜日が当時の桂三枝で、ぼくは落語ファンだったから、それで聞いていたのだと思う。(今となってはわからない) エイプリルフールに関する小話を募集していた。 調べると、70年の4月1日は水曜日だから、3月30日が月曜日。 30日の放送のおそらく最後の方に、今週はエイプリルフールだから、それにまつわる小話を、ということを思いつきで言ったような感じだったはず。 それを聞いていたぼくは、はがきを書いて送った。 70年4月6日の放送ではがきは読まれた。 残念ながら、これは聞いた話。 ぼくは寝てしまっていたのだ。 友達が、「お前の小話、昨日読まれとったぞ」と次の日に言ってくれたが、後の祭り。 記念すべき放送を聞けなかった。 書いたものは今でも覚えている。 「ラジオ大阪がつぶれたらしいで」 「え、ほんまか」 「ほんまやがな。OBCで言うとった」 これだけだ。 桂春蝶も亡くなったし、今となってはぼくしか覚えていない思い出だろう。 残念ながら、ぼくの作品は次点で、プレゼントはもらえなかった…。 その後、何度かはがきを書いて送ったことはあるが、ぜんぶ選外。 それだけに、寝てしまったのはかえすがえすも惜しい。 |
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