考えたこと2

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ジフかギフか
GIFは画像の形式の一つ。
ぼくは「ジフ」と読んでいたが、海外のドラマを見ていたら「ギフ」と言っていた。
GIFはグラフィックス・インターチェンジ・フォーマットの略。
色数が少ない分軽いファイルで、アニメーションなどもできるのがいいところ。
ジー・アイ・エフだから、ジフというのが自然という感じ。
しかし、グラフィックスの略だから、ギフというのもありだ。

海外ではギフかジフかでもめていたらしい。
2013年には、このファイル形式を開発した人が「ジフ」ということを宣言したが、それでもオックスフォード辞典には両方とも併記されている。

英語の読み方は、難しい。
Gの発音もいろいろある。
”general”はジェネラルだが、”gift”はギフト、”guest”はゲスト、”ground”はグラウンド。
同じGでも発音が変わるから、難しい。

英語の発音と表記がバラエティに富んでいるのは、歴史の遺物。
イギリスが海外の影響を受けたり、他の国に征服されたりしたのが原因だ。
そのために、GIFがジフになったり、ギフになったりする。

日本語では表音文字である「ひらがな」「カタカナ」は文字と発音が一意的に決まるから、迷わない。
ネイティブにとっては、子音の発音はある程度決まっているのだろうが、日本人が理解するのは難しい。
まあ、カタカナで表記するのが無理なのだが…。
しかし、海外でもジフかギフかでもめるくらいだから、この問題はややこしい。

ギフというと岐阜や義父を思い出すから、何となく違和感がある。
ジフも自負はあるが、まだマシだ。

漢字を取り入れながら、音や意味は変えてきた日本語もかなりややこしい。
話すことと書くことを一致させるのは、活字ができてしまったら難しいのだろう。
もう現状から変化させるのは無理だ。

話がそれたが、ぼくは開発者の意図を尊重してジフでいこうと思う。

| | 考えたこと | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
知識が必要
ウォーレン・バフェットというと、世界で知られた大金持ち。
投資の神様と言われている。
その彼が、面白いことを言っている。

彼は、人が知らない情報を得て、それでお金を貯めたわけではないという。
そうではなくて、誰もが知っている情報をよく考えて、年に数回取引をすることを繰り返してきた、ということだ。

昔は、情報はお金で買うものだった。
バブルの時代は、ロイターやブルームバーグの情報端末は必須だった。
年間1200万円のお金がかかっても、株や為替のディーラーをやって儲けようとすると、人より早く情報を得ることは大事だったのだろう。
しかし、今は人より早く情報を得ることなどできない。
インターネットがそれらを破壊したからだ。
今は誰でもすぐに手に入る為替のデーターなど、昔は職業ディーラーが独占して儲けることができた。
もうそんな時代は終わった。

バフェットの言葉に「正確に間違えるより、大雑把に正しい方がマシ」という言葉があるらしい。
世の中に情報が溢れすぎ、それらの情報を整理し、大雑把に正しい方向を導く、というのが意外と難しいということだ。
会社では上司がいろんな条件を設定していたりするが、それが間違っていることも多いという。
その、間違った条件に基づいて、情報を整理し「正確に間違える」よりは、その条件を外して全体を見て考え、大雑把に正しい方向を見定めることが大事という。

その「情報を見極める」ためには、「知識」が必要だという。
これが本当に大事だとぼくも思う。

世間の教育者は、インターネットで検索すればすぐに答えが出てくるので、これからは「知識」は大事ではなく、「考える」ことが大事だという。
だから、アクティブ・ラーニングなどという言葉が重宝される。
やっていることは、みんなで話し合って、答えを出そうというものだ。
本気で言っているのだろうか。
それなら、今の学校など要らない。

「考える」ためにこそ「知識」が必要なのだ。
そのことについて、何も知らなければ、何が大事なのかわかるはずがない。
極論すれば、検索して出てきたものを並べ、それらを同じ重みで考え、そして答えを出さざるを得ない。
それこそ、「正確に間違える」ことも十分にあり得る。

アクティブ・ラーニングで、ある問題を話し合うときには、予備知識が必要なのだ。
それをすっ飛ばして、みんなで話し合っても意味がない。

逆に、何でも検索して出てくるようになったからこそ、知識が必要とされるのだ。

それも、大雑把に方向を見いだせるような「知識」。
これは、そう簡単にはつけることができない。

それこそが、21世紀に必要とされるものだと思う。

| | 考えたこと | 00:08 | comments(0) | trackbacks(0) |