![]() |
2019.02.17 Sunday
音楽はありがたい?
今音楽をありがたがって聞く人がどれくらいいるのだろう。
アメリカではストリーミングが主流になって、音楽は毎月定額を払って聞くものになった。 所有するものではなく、その時に聞ければいいという位置づけ。 CDというメディアもまだあるが、ほとんど売れない。 それは日本も同じ。 だから、ライブで稼ごうということになった。 日本はCDという形のあるものがまだ売れる国だが、それでも一時に比べるとかなり減った。 そして、いずれはオンラインで、月額いくらで聞く時代になる。 それは「所有しない文化」であり、インターネットの未来ではそれが主流になるのだろう。 そんな中、東京でカセットテープ専門店が成功している、という記事を見た。 店内に約5000本のテープがあり、中古のラジカセ等も販売している。 カセットテープには丁寧にキャプションが付けられているので、価値があるように見える。 アートのように置くことを意識したようだ。 それが功を奏して、ここ2年は黒字決算を続けているという。 ストリーミングで音楽を聞くほうが、圧倒的に便利だし、実際に利用者も多い。 しかし、それによって音楽は日用品になり、消耗品になった。 それに対するアンチテーゼが、カセットであり、レコードであるのだろう。 面倒なことをしてでも、わざわざ聞く、ということが音楽を能動的に聞いている、という気にさせる。 そういうことなんだろう。 日常品でなく、消耗品でないもの。 昔は音楽はそういうものだった。 毎月の小遣いをもらって、レコード屋に行って、1枚のLPレコードを買う。 どれを買おうか迷う。これがひと月分の小遣いを使うのだから、当然だ。 流行りの曲で選ぶのか、アーティストで選ぶのか…。 時間をかけて1枚選ぶ。 そこから、1ヶ月は主にそのLPを聞くのだ。 必然的に気合は入るし、思い入れも大きくなるし、買ったLPレコードは「ありがたい」ものになった。 それがキャロル・キングだったり、5thディメンションだったり、ビートルズだったりした。 あの当時の、小遣いで毎月1枚という時代のLPレコードは本当によく聞いた。 まさに、擦り切れるくらいだったなあ。 たしかに、就職してお金が入って、毎月何枚か買えるようになって、ちょっとLPのありがたみが減ったのは事実。 モノは、コモディティ(一般商品)化すると、心理的価値も下がる。 そこから考えると、今のデジタルミュージックはありがたみが薄い。 ウチの息子たちはまだかろうじてCDの時代だったから、好きなアーティストのCDは買っている。 まだ、ありがたみが残っているのだろう。 その「ありがたみ」を覚えている中高年がいるから、このカセットの商売はできる。 でも、果たしてそういう中高年がいなくなって、続くのだろうか…。 |
![]() |